王都の邂逅
王は演説を終えると、王宮の中に引っ込んだ
背後では観衆の歓声が沸き立っていた。
「アマンダ、もう一度挨拶してきなさい」
王はそう言うと、アマンダは再び
王は、彼女を背後に起き、確固たる足取りで歩いていく。
彼が廊下を歩いていくと、
白髪の老人が三人の従者を従え馬を駆けていた。彼は王だった。
胸元まで伸びた白いひげと長髪が風になびいていた。しかし突き出た鼻梁の下の荘厳な眼窩は隈で浅黒く濁っていた。目元は憂いで涙に濡れていた。
やがて彼は屋敷にたどり着いた。そこは大きな門塔を備えた古城然とした屋敷だった。白銀の鎧を着込んだ衛兵が二人、門を守っていた。庭は手入れされておらず草で生い茂っていた。
王は衛兵に目礼で挨拶をすると、問塔の下の小さな勝手口で馬を降りひとりで屋敷に入った。
問塔の中は暗かった。彼は石畳の螺旋階段を上がった。靴の鋲が石畳を打ち付け虚ろなこだまが階段を駆け上がった。
屋敷はしんとして静まり返っていた。
彼は二階にたどり着くと古びた木の扉を押し開いた。
王が入ると中にいた人間たちは一斉に立ち上がった。奥の明るい窓から逆光が差し込み、彼らの顔は見えなかった。それでも王は、全員が見知った人間だとわかった。
【 王 】「ゼノン、久しいな」
【ゼノン】「久しゅうございます王様」
ゼノンと呼ばれた老人は頭を垂れて言った。剃り上げた頭部には斑な茶色い染みが散りばめられていた。彼も老人だった。かつては屈強な歴戦の強者だった。今は体も縮み、かつての覇気はなかった。
王は顔を上げて部屋の面々をみた。何人かは今も国家の要職に就いてはいるが、ほとんどが隠居した身だった。しかし今なお国中に影響力を保持していた。そして国家の行く末を強く憂いていた。
【 王 】「して、翁は」
【 翁 】「こちらにひかえております」
突如真横から声がかかり、王は驚き振り返った。部屋の片隅には黒衣に身を包んだ二人の人間が立ち控えていた。一人は老人、一人は若者のようだった。
この老人こそ、この国ローゼンハイムの知られざる闇を一手に抱える影の古老だった。彼は暗殺者だった。ローゼンハイムには手と呼ばれる諜報機関があり、暗殺者たちは”毒手”と呼ばれていた。そして彼は”翁”と呼ばれていた。
王すら名前を知らなかった。彼が十五で王位に就いたときこの翁は壮年の男性だった。いま王は七十になり翁は百歳を超えているはずだった。その内に猛毒を湛えた細い両腕は肘まで真っ黒に染まっていた。
翁は微笑とも冷笑ともとれる笑みを常に口元に浮かべていた。それは闇の住人が表に出すには挑発的すぎる笑みだった。しかし無論、彼が王に害意など持っているはずもなかった。翁は王のために百人以上の政敵を闇に葬っていた。過酷な任務が彼の人間観を大きく歪めていた。王にもそのことは良くわかった。
【 王 】「翁よ、それが例の若者か」
【 翁 】「さようでございます。アルスよ、顔を見せなさい」
若者はフードを脱いだ。闇の人間らしからぬ眩しい金髪が現れた。しかしそれとは対象的に、彼の肌は闇の住人らしく青白かった。そして、その唇は目が覚めるように赤かった……まるで女が紅を差したように。あるいは吸血鬼のように。端的に言って若者は美しい容貌をしていた。
王はアルスに向かって小さくうなずいた。そして言った。
【 王 】「屋上で話そう」
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王たちは問塔の屋上に登った。屋上からは遥か遠くまでローゼンハイムの街並みが見渡せた。そこでは、鮮やかな橙色の瓦屋根が都市計画にのっとり整然とたたずんでいた。白いカモメが赤い屋根の上空を悠然と飛んでいた。城壁ははるか地平線に細い白い線のように見えるだけだった。
この果てなく続くとも思われる白い街並みは、かつて開祖ロキが大悪魔オラクスを討ち、その王城と城下町の上に築いたものだった。かつての時代に魔物が築いた城壁は、高くぶ厚くいかなる侵入者も寄せ付けなかった。この地に王たちは長い平和を築いてきた。
だが今、その平和が脅かされていた。
【 王 】「娘が世話になっているな」
【アルス】「いえ、滅相もございません。王女とともに時間を過ごせるなど、大変光栄に思います」
【 王 】「そうか」
アルスは、王女の護衛についているのだ。クラスメイトとして。
【 王 】「君を呼んだのには理由がある。君を推薦したのはそこの翁だ。君は毒手の歴史でも傑出した才能を持っていると聞いた……無論君が、その若さで毒手最強というわけではないのだろう。だがこの任務はただの暗殺ではない。この任務には時間がかかる……そして適応も」
王は言い淀んだ。
彼は考えた……この若者を死地に送り込む資格など自分にあるのだろうかと。この若者、いや少年とすらいってもいい。夏の強い日差しの下で、彼の金髪はより美しく輝いていた。その髪の細さ、柔らかさはまさに年端もいかない少年のそれだった。
しかし彼は、この若さで、すでに十人以上の人間を殺めているのだ。王は、アルスが人を殺し、血塗られたナイフを持って死体を見下ろしている様を想像した。
彼にはそもそも人生の選択などあったのだろうか……彼は暗殺者として育てられた。毒手の訓練がどんなものかは知らない。しかし秘密を守るために自殺用の呪いをその体に持つと聞く。彼の人生にかつて選択などあったのだろうか。
この若者に親はいるのだろうか……。
王は歳を追うごとに感傷的になっていた。彼は深い憂いにひたすら身を沈めた。それは、国王という立場にとって、自傷同じような行為だった。王という立場であるならば、数々の善良な人間を、切り捨てなければならない。そんなことは、とっくに知れたことだった。そして、彼は常にそうしてきたのだ。やがて彼は物思いから覚め、アルスの顔をまっすぐに見た。王は結局、全ての玉座の主がすることをやった……人間性の規範については、ただただ考えることやめたのだ。
【 王 】「今から二十年ほど前に、ここから北のオルドキアという渓谷で古代の遺跡が発見された。遺跡は二代目の王ロンの時代に造られたものだ。そこで、いくつかの遺物とともに、石碑が発見された」
アルスは静かに次の言葉を待っていた。王が再び口を開いた。
【 王 】「石碑には開祖ロキの偉業が記録されていた。その記述が、簡潔に過ぎるのだが……おおむね歴史書の通りに記されていた。ただ一点を除いて」
アルスは次の言葉を待った。
【 王 】「君は、”ゼクター”とは何か知っているかね?」
【アルス】「いいえ、存じません」
【 王 】「そうか。まあ、無論、そうであろうな。悪魔の名、特に大悪魔の名は秘匿されることが多い。悪魔の名を呼ぶことは、恐怖を呼び起こし、悪魔の力を強めるとされていたからな……実際にどうであれ、我々は伝統に則って今でも一部の悪魔をそのように扱っている。その代表的な例が、魔王だ……とうに滅んだとはいえ、その真名アインズ・アル・ハバーンの名をわざわざ口から唱えるものは少ない。彼に関する記録もまた、あまり残されていない……分かっているのは、およそ五千年前、その圧倒的な力であらゆる地上を蹂躙し、人々を絶望の淵に立たしめたことだ。しかし、最終的には一人の英雄に打ち倒された。その英雄もまた、後世の人間には、”名もなき英雄”としか知られていない……この英雄に関する記録もまた、人類には残されていないのだ」
王は、続けた。
【 王 】「特に封印によって排除された悪魔は、それに関連した全ての記録を徹底的に破壊される。それは、封印の場所を秘匿するためでもあるし、悪魔がどんな謀を用いてその記録に接触するかわからんからな……我々はこの処理のことを、ダムナティオ・メモリアエと呼んでいる……」
王は、ひと呼吸したあと、続けた。
【 王 】「ゼクターとは、魔王が使役した五十五の大悪魔のうちの一人だ。配下へ下った者に望む魔法を授けると言われている。王家にのみ伝わる口伝では、ゼクターは開祖ロキによって抹殺されているはずだった……だが、先に述べた石碑にはこうあったのだ。『南に千里、ウルゴーン山脈を超えたローゼンハイムの地にて、ゼクターを封じた』と」
【アルス】「殺したのではなく封じた。そのことに強い問題があるのですね?」
【 王 】「無論、封印術であるなら解かれる可能性はある……当然ロキは万難を排して封印を構築しただろうが……しかし、いま問題なのはそこではなく、その先の記述にある。ロキは玉座を息子ロンに譲位した後、”さらなる英知を求めて再びローゼンハイムに向かった”と。この記述をどう思う?」
【アルス】「それは……不敬に当たるので答えにくい問題です」
【 王 】「ロキの尊称は知っているな?」
【アルス】「叡智王ロキであります。王は開祖がゼクターと通じていたとおっしゃりたいのですか?」
【 王 】「そうだ」
【アルス】「しかしそれは、仮に起こったとしても千年も前の話でありましょう?」
【 王 】「だが、そのゼクターの封印が解かれ、すでに我が国に干渉しているやもしれぬのだ。ところで君は、大魔法師スタウダマイアーを知っているか?」
【アルス】「名前は聞いたことがあります」
【 王 】「私の長年の友人だ……乳飲み子のころから共に育った!
王は声を上げて嘆いた。
【 王 】「彼は共に国を治めた仲間だ!ここにいる友たちとあらゆる艱難辛苦を分かち合った!政は悩みや苦しみがあまりに多い。無垢で善なる人間を切り捨てなければいけないことがあまりに多いのだ!国のために命をなげうった兵士たち、その家族の慟哭が身に突き刺さり痛む。彼は民草の痛みを我が事のように感じ取れる心の優しい人間だった。我々は人生の全てを国家のためになげうった。文字通り全てを!しかし、彼の三人の息子が、全て戦場で息絶えたとき、彼のこころは壊れてしまった……やがて彼は魔術の禁忌に手を染めた。それは、人体錬成だ」
そう言うと、王は喉を震わせ、顔を逸らした。
【アルス】「人体錬成……」
【 王 】「我々が気づいたときには、もう手遅れだった。孤児院の子供が何十人も連れ去られ、スタウダマイアーの屋敷の地下で殺されたのだ。あれはまさに、地獄の中ですら醜悪なものの顕現だった。子供たちは、人体錬成の触媒として使われたのだ。息子を蘇らせる材料として。無論、実験はほとんどが失敗だったのだ……たとえ国家最高の魔術師と言えど、生命を自在に生み出し蘇らせることなど叶うはずもなかった……孤児たちは、およそ人間の姿を留めないおぞましい肉塊と成り果てた」
王は一度、言葉につまり息を呑んだ。そして、続けた。
【 王 】「だが実験のうち一つだけが成功に近づいたのだ。彼は長男のアルセウスを蘇らせるため、幾度目かの魔法陣を組んだ。そして崩れ落ちる肉塊の中から、溶けた人の頭部のようなものを発見したのだ……その肉塊には金の頭髪と緑色の眼球があった。アルセウスは金髪に緑色の目をしていた。そして贄となった少年も金髪に緑色の瞳だったのだ。スタウダマイアーは少年の血統について調べた。すると、アルセウスと少年とは、わずかに四親等の者だとわかったのだ。この関連性は至極納得の行くものだった。血の近い者ほど人体錬成の触媒として用をなすということは、想像に難くない事だ。だから、彼はこうしたのだ……」
王は長々と息を吐き、そうしてまた続けた。
【 王 】「彼は妻を殺し、そして自らの腕を切り落とした。そして、そのふたつを触媒にして、アルセウスの錬成を試みたのだ。……実験は、ある意味では成功だった。ケロイドの肉塊の中から、アルセウスの顔が浮かび上がってきたのだ。それはこう語りだした……『殺して、父さん、殺して。もうやめて』と。スタウダマイアーはその場に崩れ、三日伏せっていた。そして我々はことのあらましを発見したのだ……スタウダマイアーは知らぬ間に、何度も息子を蘇らせ、何度も繰り返し殺していたのだ。当然、我々は彼に罰を与えようとした。本来死罪にすべき罪だ。しかし、私にはできなかった……。全ては、彼の一族を、より国家へ奉仕するためになされたことだったのだ。結局、私は彼を流刑に処した。やがて彼がここを去る時も、我々はなにも言わず肩を組み泣いた。我々は魂から通じ合っていた……そして彼は去り際にこう言った」
王は喉を震わせて嘆息した。アルスは待った。王は言った。
【 王 】「ここを去ると。”赦しを求めて東に向かう”と。」
王がそう述べると、重臣たちはそれぞれ沈痛な面持ちで物思いに沈んでいた。アルスは続きを待った。
【 王 】「だが、そのスタウダマイアーが、突如東の地に現れたのだ」
【アルス】「現れた、とは?」
【 王 】「東の前線に現れたのだ。悪魔共の指揮官として。そして魔法を使い兵たちを殺しはじめた」
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王はしばらくうつむき物思いにふけったあと、続けた。「いま東部前線で二つのことが進行している。一つは五年前からはじまった悪魔との戦争だ。この五年間に我々はいくつもの砦を落とされた。というのも、奴らは非常に高度な軍事行動をとるようになったのだ。無論悪魔がある程度統率した軍事行動をとることは知られているが、前線指揮官によれば今の奴らの軍隊は人間のそれと遜色ないかそれ以上のもののようだ。個体としての悪魔は遥かに人間より強い。これが高度な作戦行動の元にあるとなると、非常な脅威だ」王は目を細めて北の水平線をにらみつけた。王の脳裏では激しい戦闘で命を落とした兵士たちの亡骸が映し出さえていた。「そのうちに、軍隊の中に人間が紛れ込んでいるのが目撃された……そしてその人間は、いわゆる極大魔法を使い始めた」
【アルス】「極大魔法……」
【 王 】「発動に数日かける大がかりな魔法だ。炎の嵐を起こし千もの稲妻を落とす。我々の砦はこういったものに対してまったく防御を有していない。そしてこういった魔法を使えるものは極々一部に限られる。特に『大乱の雹』と呼ばれる、巨大な雹を空から降らす大嵐の魔法は、この世でたった一人しか使えるものがいない」
【アルス】「それがスタウダマイアー氏であると」
【 王 】「そうだ。きみに任務を与える!」王は鋭い眼光でアルスの目を直視していった。「敵陣深く浸潤しスタウダマイアーを抹殺せよ!これが君に与える任務だ」
王は、今や先ほどまでの嘆きを打ち捨て、堂々たるさまで述べた。
【 王 】「なにか質問は」
アルスは、一瞬迷ってから口を開いた
【アルス】「先程のお話とゼクターとのつながりがわからないのですが」
【老エルフ】「それは私から話そう」王の重臣の一人が答えた。彼はエルフの古老だった。こぶだらけの古木でできた杖によりかかりかろうじて立っていた。鋭く尖った小さな耳の孔から白い毛がたくさん飛び出していた。
【老エルフ】「魔法には故あって禁忌とされてきた術がいくつもある。人体錬成はその一つだ。それは人の道理から外れすぎた魔法ゆえ、エルフやドワーフ達の間でもはるか昔に捨てられた魔法だ。そして、彼らの魔法の継承者でしかない我々には、およそ人体錬成の方法など知る術はないのだ。」
【 王 】「ゼクターは求めるものに望む魔法を授ける」王がその先を引き継いだ「かつてあらゆる王が永遠の命を求めたが、一度として成し遂げられたことはない。それは悪魔の叡智に触れなければなしえないことだ」
【老エルフ】「ゼクターの権能だ」エルフの古老が言った。彼の目は興奮で見開いていた。「彼は配下に下った者に魔法の叡智を授ける。ゼクターの知識だ」
【アルス】「僭越ながら申し上げます」アルスは言った。「それでもゼクターそのものに魔法を授かった根拠はないのでは?例えば先ほどの石碑のように古代の魔法が発掘されたのやもしれません」
【老エルフ】「いやゼクターの知識だ!」
老エルフが突然叫ぶと、みなが一斉に彼のことを見た。しかし、エルフはその視線に気づくことなく、熱に浮かされたように話しだした。
【老エルフ】「ゼクターなのだ……彼の叡智、彼の見る未来、それがワシを呼び寄せるのだ。君は、魔法使いでないから分からない……むしろ”手”のものはそういったことに影響を受けないよう訓練を受ける。君と私は真逆なのだ。魔法使いは感覚を解き放ちマナの声を聞く……すると聞こえてくるのだ、ゼクターの囁きが!どこからともなく……どこでも雑念として入り込む。食事をしていると耳元でささやく。夢の中に立ち現れる!彼の持つ未来、無限の知識、誰も知らない過去の歴史たち……彼は呼んでいるのだ!私を!私たちを!世界中の魔法使いたちを!無限の力が!」
彼はそう叫んだあと皆の視線を感じふと我に返った。そして気恥ずかしさに身を縮こませながら、小さな声で言った。
【老エルフ】「無論私が王の元を離れるはずはない。私はこの国に永遠の忠誠を誓っている。あくまで仮定の話だ……だがしかし、仮に私がゼクターの元に馳せ参じれば、私の望みの幾何かは手に入るだろう……それは確かに感じるのだ……」
エルフは皆を見渡しながら言った。
【老エルフ】「ゼクターは確かに復活したのだ」
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王との邂逅を終えたアルスと翁は、街の大通りへと続く薄暗い小道を歩いていた。
【 翁 】「さっきの問答、まだなにか疑問が残っているようだな」
【アルス】「いえ」
【 翁 】「それがなんなのか当ててやろう。アルスよ。君は天使の力と悪魔の力とどちらがほしいかね」
【アルス】「それは、天使の力です」
【 翁 】「理由は?」
【アルス】「我々は人間でありますし、そもそも天使の力のほうが悪魔の力より大きな力だと思うからです」
【 翁 】「妥当な判断だと思う……客観的に見ても天使の力のほうがより大きな力だろう。我々暗殺稼業はいわば究極のプラグマティズムなわけだが、天使の力がかなり抽象的な形でこの世に現されるとしても、そちらのほうが価値があると思う。だが知っての通り、魔法使いは、常に悪魔の力に惹かれてきた」
【アルス】「……」
【 翁 】「悪魔の力、それも大悪魔の力が、ここローゼンハイムに埋まっているらしい。当然ある種の人間たちの強い関心を引くのだろうな。何かの探究者たちや、冒険者たち。あるいは力を求める者たち。政治権力者。そして王……」
【アルス】「……」
【 翁 】「君はこう考えているんじゃないかね。王もまた悪魔の力に魅せられたひとりではないかと」
【アルス】「……三つ疑問がありました」
【 翁 】「述べよ」
【アルス】「まずスタウダマイアーが流刑で済んだのはおかしい。何人もの子供を自己利益のために殺したのだから、極刑が当然かと思います。」
【 翁 】「なぜ極刑にならなかったと思う?」
【アルス】「王との間に何らかの取引があったからでしょう」
【 翁 】「何の取引だ?」
【アルス】「それは……わかりかねますが」
アルスは続きを言おうとしたが、口をつぐんだ。翁の目が、暗闇の中で怪しく光ったように見えたからだ。
【 翁 】「どうした?続きを言ってみなさい」
【アルス】「……罪を減ずる代わりに、王は人体錬成の魔法を得たのだろうと思いますが」
【 翁 】「わしも同じ考えだ。二つ目は?」
【アルス】】「
【 翁 】「
【アルス】「先程のお話で不思議と俎上の上らなかったものがひとつありました。それはゼクターの封印場所です。石碑を信じるなら、ゼクターの封印場所はここローゼンハイムにあると」
【 翁 】「ローゼンハイムのどこにあると思う?」
【アルス】「ここローゼンハイムに、結界で閉ざされ、しかも建国以来二千年もの間、一度として開かれたことがない場所があります。それは禁書庫です」
【 翁 】「ああ、正解だ。そして、おそらく禁書庫の中で、ゼクターは既に目覚めている。禁書庫には二つの封印がある。一つは書庫を物理的に閉ざす石の扉だ。もう一つは、ロキが魔法で作り上げた、”虹色の天穹”と呼ばれる防護結界だ。おそらく前者の封印は既に一度解かれている……そして、ゼクターはあの禁書庫の中から魔法使いを拐しているのだ。自らを開放させようとしてな」
二人は歩いた。小道はほとんど終わりかけていた。大通りの騒がしい活況が、この薄暗い通りにも響いてきた。子供たちの騒ぐ甲高い声も、どこか遠くから響いてきた。
【 翁 】「わしにはよく分からないことがある……魔法使いは自分たちの術を叡智と呼んでいる。彼らは自分たちを知識階級と呼び、魔法を幾何学のような究極の知識だと思っている。私には魔法がそういったものとはとても思えない……炎や雷で人を焼き殺すことがなぜ究極の叡智に繋がるのか。自分の目で見て来た魔法がそういった類のものとは思えない……だが確かにこの世界は物質と魔法でできている。そして魔術師どもが相当頭のいい連中だとも思う。だからそういうものなのだろうな。わしには分からないが。そもそもわしには幾何学もわからんがね」
翁は自嘲した。アルスは黙って聞いていた。アルスは横目で翁を見つめた。その”魔法使い”の中には、王も含まれているのだろう。そして口を開いた。
【 翁 】「ある種の知識階級は、叡智にのみ仕える。彼らは世評や金などなんとも思わない。彼らは世俗の権力に決して膝を屈しない……それどころか望んで牢獄に入る人間もいる。法律家や学者がそうであるのは構わない。むしろ好ましいとさえ思う。しかし魔法使いが同じようであっては困るのだ……」
【アルス】「その魔法使いの中には、王も含まれているのですね?」
【 翁 】「ああ」
【アルス】「さっきのエルフ、殺すのですか」
【 翁 】「察しがいいな。あのエルフの名は”扇”と言う……しかし、何を隠そう、彼は私の親友なのだよ」
【アルス】「親友ですか」
アルスは翁の交友関係のことなど初めて聞いた。
【 翁 】「親友だ、今でも……昔、任務で冒険者の身分を使ったことがある。そして我々は共に、文字通り冒険したんだ。遥か北へな……」
翁は感傷に浸っていた。彼が、過去の任務の断片でも話すことはこれまで一度としてなかった。
【 翁 】「歴史上、エルフほど闇の魔術に惹きつけられてきた人種はいない。だがそれは、エルフが聖性を欠いているということではない。むしろ、エルフほど潔癖な人種はいないのだ……単にエルフが長生きする分だけ、悪魔の力に惑わされ続けるというだけのことじゃ。人間などは逆に、五十年も生きればやがては悪に傾いていく。だから神は、人間の寿命をことさらに短く作ったのかもしれんな……」
翁は嘆息し、しばらく沈黙した後、続けた。
【 翁 】「悲しいことじゃな。儂も長く生きたが、扇ほどの傑物もいない。やつは五十年ほど前、第一魔法学校の学長をやっていた。やつはそこで、数多の傑出した魔法使いを育て上げてきた……王もやつの教え子であるし、白杖やザハードもあの男の薫陶を受けた。セレスティア王女も、十を数えるほどまでは家庭教師としてあやつの授業を受けていたのだ。やつがこの国にもたらしてきた利益は計り知れない。それがどうじゃ、さっきのやつははまるで、悪魔に取り憑かれた人間そのものじゃった……」
二人は明るい大通りにでた。町の喧騒が二人を覆った。陽の光にあてられ、急に体が暖かく感じた。
【 翁 】「アルスよ、任務を言い渡す。明日、禁書庫の扉が開かれる。儂はゼノンとともに王のお側につく。貴様はシリウスとともに扇につけ。そして、もし、扇が不可解な動きを見せたなら、殺せ。わし等はゼクターを殺す」
【アルス】「王がゼクターの力を望んでいたとしてもですか?」
【 翁 】「であるならば!なおさら!ゼクターを殺さねばならん!それこそが悪魔の力から国を守るということだ。わからんか!」
【アルス】「しかし、我々はまず第一に王に仕えているのでは?」
【 翁 】「まだ言うか!貴様は明日、死ぬかもしれんのだぞ!本当に分かっているのか……?貴様の実力なら、不意を突けば、問題なく扇を殺せるだろう……だが万に一つのこともある。かつてあの男は大陸でも五指に入るほどの魔法使いだった。衰えたとはいえ、強い……もしかしたら、なにか力を隠しているかもしれん。もし、今のこの状況が、やつの練り上げた百年の計だった場合……」
【アルス】「……我々にものを考えることは許されているのですか?」
【 翁 】「重要なのは王ではない。国体じゃ」
今の発言はあからさまに一線を越えていた。立場のあるものが口にすれば、死罪にもなりうる発言だ……しかしもちろん、アルスは何も言わなかった。一つには、アルスが仕えているのは第一に翁だからであるし、もう一つには、そもそもアルスにはこの男に傷一つつけることなどできないからだ。
翁は、横目でアルスを睨みつけながら言った。
【 翁 】「絶対にしくじるな」
翁はそう言い残すと、雑踏の中に消えた。
【アルス】「
【 翁 】「
【アルス】「……」
【 翁 】「王も不老不死を求めているのではないかと。そして、自分の命惜しさに頭がとち狂ってしまったのではないかと」