94:宣言
羊の月の17日。私達はフランシーヌ隊の面々と共に、無事、サン=スクレーヌへと到着した。
サン=スクレーヌは、一見いつもと変わらぬ賑わいを見せていたが、何処か張り詰めた空気が感じられた。糧秣を積んだ荷馬車がしきりに行き交い、武装した騎士や兵士の姿がいつもより数多く見られる。街角では人々が三々五々寄せ集まってひそひそと話し込む姿が散見され、どうやら何かしらの軍事活動が行われるだろう事は、すでに民間に伝わっているようだ。
フランシーヌ隊は聖女一行としての装いを捨て、糧秣部隊に偽装してサン=スクレーヌへと足を踏み入れていた。フランシーヌ様が乗っていた馬車も上物が全て取り外され、木材や木箱を運ぶ荷馬車へと変じている。何だろう、この手際の良さ。どう見ても、常習犯としか思えないんだけど。私達は旅装姿で荷台に座り、ガタゴトと揺られながら街中を進む。
やがてフランシーヌ隊は、ラシュレー家が所有する軍糧倉庫の前で足を停め、荷下ろしを始めた。荷役に扮したフランシーヌ隊の騎士と共に倉庫の一つに入ると、事前に示し合わせていたのだろう、ラシュレー家の使用人が使う馬車が2台停車しており、顔馴染みの御者が出迎えた。1台には坊ちゃんと私、そしてフランシーヌ様とハヤテ様。もう1台にはシズクさんとフランシーヌ隊の騎士3人が乗り込み、ラシュレー邸に向かって走り出す。
そうして20分ほど街中を走り抜けた後、私達は街の人々に悟られる事なく、無事にラシュレー邸の門を潜る事ができた。
***
「シリル、よく無事に帰って来てくれた。予想外の長丁場となってしまったが、ご苦労だった」
私達が応接室に足を踏み入れると、旦那様とマリアンヌ様が立ち上がって私達を出迎えてくれた。私達は未だ旅装姿のままで、ところどころ土埃を被っていたが、旦那様は気にせず坊ちゃんと握手を交わし、マリアンヌ様も坊ちゃんの頬に口づけを交わす。坊ちゃんと挨拶を終えた旦那様は、続けてフランシーヌ様、ハヤテ様に御礼を述べた。
「フランシーヌ様、魔王国まではるばる足を運んでいただいた上に、数々の情報提供をいただき、ありがとうございました。此方になかなか正確な情報が伝わって来なかったので、大変助かりました。ハヤテ殿、王太女の立場でありながら、道中我が国の聖女、並びに息子シリルの護衛を買っていただき、感謝に堪えません」
「とんでもございません。私はこういった間接的な形でしか、力になれませんから」
「お気になさらず。盟友とあらば当然の事をしたまで」
「それでも、お二方が息子の傍らに居たからこそ、私は何ら憂いる事なく、息子を自分の手の届かないところへ送り出す事ができました。改めて御礼を申し上げさせていただきます」
そう答えてフランシーヌ様達に軽く頭を下げた旦那様は、振り返って私の手を取り、主従の枠を越えた愛情を湛え、私を労わってくれる。
「…リュシー。君もよく無事に帰って来てくれた。百鬼夜行と正対できる者は、この大陸ではもはや君しか居ないと確信していたが、それでも無事でいるか、気が気でならなかった。侯爵夫人になったそうだね、おめでとう。君はラシュレー家の宝だ」
「と、とんでもございません、旦那様…私にとってはラシュレー家のお役に立てた事そのものが、爵位よりも勝る歓びでございます…」
私は、旦那様の父性愛溢れる笑顔に思わず見惚れ、我に返ると羞恥で顔を赤くしながら俯いた。ぼ、坊ちゃん、これは父性愛ですから、大丈夫ですから。私が下を向いたまま横から吹き付ける冷風に弁解を繰り返していると、風上から陳謝の声が聞こえて来た。
「親父、すまない。帝室と確執を作ってしまった」
「いや、構わんよ。陛下の御立場を考えれば理解はできるが、我々にとっても譲れないところだ。全てが丸く治まってからどうコトを収めるか、その時考えればよかろう。みんな、座ってくれ。聞きたい事が、あまりにも多すぎるからな」
私達が旦那様に勧められるままに腰を下ろすと、坊ちゃんが百鬼夜行との戦いをかわぎりに、一連の話を掻い摘んで説明していく。不死王に話が及ぶとフランシーヌ様が説明に加わり、皇帝陛下でさえも知り得ないであろう貴重な情報を次々と明かした。
「少し前の情報ですが、不死王はロー・ウェイを発ち、南へと動き出しました。ほとんど徒歩と変わらぬ速さで、寄り道もしています。どうやら外見は女性の姿をしているそうです。ロー・ウェイの南にもう一本横断道がありますので、まだ確定とは言えませんが、ラシュレー領への侵攻の可能性が強まったかと」
「なるほど。帝都の状況はどうなっていますか?」
「シリル様とリュシーさんの出奔がバレました。陛下はだいぶお冠のようですが、言っても詮無いので自制しているようです。ですが、明日にはカサンドラ姉様の行方不明の報も耳に入りますので、堪忍袋の緒が切れるかも知れません。流石に懲罰の軍を此方に向けるような血迷った真似はしないと思いますが、相当メンドクサイ事になるでしょうね」
「致し方ありませんな。その時は不死王討伐の功を手土産に、和解を図ります。明後日の頭痛の種は、まず明日生き残ってから考えましょう」
「ハ、ハヤテ様…何でこの人、こんなに精通しているんですか?」
「知らねぇよ。アンタんトコの人間だろうが…」
質量ともにラシュレー家を圧倒する情報を耳にして、流石の旦那様も目を白黒させている。何でこの人、これで聖女やっているんだろう。疑問に思った私が尋ねるも、ハヤテ様は下唇を突き出し、迷惑そうに渋面を作る。いつの間にか蚊帳の外に置かれた坊ちゃんが、再び会話に割り込んだ。
「親父、サン=スクレーヌの住民には何て説明しているんだ?」
「流石に不死王が侵攻して来たとは言えんからな。かと言って迎撃態勢を整える以上、どうしても勘付かれてしまう。公的には、魔王国との国境付近にバシリスクが現れたと言ってある。北部住民にも退避を呼び掛けている」
「魔王国と獣王国への救援は?」
「獣王国に要請はしておいたが時間もないし、そもそも彼の国には聖女が居ない。国土を分断された魔王国からは、逆に救援要請が来たよ。我が軍と三人の聖女だけで迎え撃つしかあるまい。フランシーヌ様、カサンドラ様の到着は?」
「あと10日ってトコですね」
「そこが限界ですね」
フランシーヌ様の報告を聞いた旦那様が、方針を決める。
「ロー・ウェイから10日。途中に間道しか存在しないとは言え、直行すればサン=スクレーヌに届く距離だ。寄り道を期待しても、それ以上は引き延ばせない。カサンドラ様の到着を以って、我が軍は行動に移るとしよう」
「わかった」
旦那様の宣言を受け、坊ちゃんを筆頭に私達は皆一様に頷きを返す。
10日。あと10日で、私達は世界の運命を決める日を迎えるのだ。
「…さて、シリル。報告は以上かな?」
対不死王の行動方針を決めた旦那様が、再び坊ちゃんに尋ねた。部屋の空気が弛緩し、旦那様は先ほどと打って変わって妙に寛いだ様子で足を組み替え、ソファに身を沈める。
「…思うに、もう一つ、報告すべき事があるんじゃないかい?」
「…」
「…」
旦那様が意地の悪い笑みを浮かべ、マリアンヌ様が扇子で口元を隠し、目を細めた。二人の意味ありげな視線を受けて坊ちゃんが機嫌を損ね、傍らに座る私は頬を染めてソファの上で小さくなる。
すると、坊ちゃんが不機嫌そうな表情で正面を向いたまま私の肩に手を回し、己にきつく引き寄せると、旦那様とマリアンヌ様に向かって堂々と宣言した。
「…リュシーと関係を持った。親父、お袋。――― 俺は、コイツと結婚する」
「っ!?坊っ…!?」
突然の宣言に、私は坊ちゃんに肩を抱かれ、引き締まった身体に縋りついたまま、顔を赤らめた。頭の中が沸騰し、心臓が激しく伸縮を繰り返す。
ぼ、坊ちゃんと私が、け、け、け、結婚っ!?
確かに坊ちゃんと関係を持ったのは事実だし、オストリアでのデートの際、坊ちゃんがウェディングドレスに言及したのも事実だ。
けれど、坊ちゃんがこの帝国で帝室に次ぐ権勢を誇るラシュレー家の跡継ぎである事と、私が何の後ろ盾もない平民出の侍女である事も、また同じ事実だ。たかが男女の関係を持った程度で、結婚を望めるような立場ではない。公爵家から認知をされなかったり、単なる妾として扱われる事だって十分に考えられ、私は仮にそうなってもそれを受け入れるつもりだった。
でも、坊ちゃんはその可能性を否定し、旦那様とマリアンヌ様に向かって、私と結婚すると堂々と宣言してくれた。私は坊ちゃんの宣言を聞いて言いようもない歓びに胸を膨らませ、同時に不安で胸が締め付けられる。
平民出の女をラシュレー家に迎え入れるだなんて、旦那様とマリアンヌ様がそれを聞いてどう思うか…。
赤い顔を上げた私は、旦那様とマリアンヌ様の顔に浮かぶ、呆れたような表情と盛大な溜息を見て消沈し、ぼそぼそと小さな声で陳謝する。
「…も、申し訳ございません。そのような大それた事を望むつもりは…。私は、坊ちゃんから寵愛をいただけるだけでも、十分でございますので…」
「――― はぁぁぁぁぁ…。やっと言ったわ。遅すぎるのよ、この馬鹿息子」
「…え?マ、マリアンヌ様…よろしいのですか?」
「何が?」
「な、何がって…、坊ちゃんが私と結婚すると仰った事について…」
私は、げんなりした表情で扇子を振り、顔を扇ぐマリアンヌ様に恐る恐る尋ねた。意外にも質問の意図が理解できなかったマリアンヌ様は、扇子を止めて目を瞬かせ、私は結婚について言及する。するとマリアンヌ様は顔の下半分を扇子で隠し、目を閉じてもう一度盛大な溜息をついた。
「はぁぁぁぁぁ…。リュシー、あなたも大概ね。そんなの、既に3年前から決めていたわよ」
「…へ?さ、3年って…」
マリアンヌ様の言葉に、私は目を瞬かせた。3年前と言ったら、まだ右肩の傷が癒えておらず、坊ちゃんの執務室で毎日寝込んでいた頃だ。未だ聖女の力も発現しておらず、単なる穀潰しの病人でしかなかったはずの私なのに、何でそんな時から坊ちゃんとの結婚が認められていたのだろう。内心の疑問が顔に浮かんだのだろう、マリアンヌ様が答えてくれた。
「あなたが魂喰らいとの戦いで傷を負ってから5年。その間、この子は他の女性には見向きもせず、あなたを執務室に閉じ込め、毎日二人きりで引き籠っているのよ?どう見ても、『囲っている』としか思えないじゃないの」
「『囲っている』って!?マ、マリアンヌ様、あの時は、まだ坊ちゃんと私はそういう関係ではっ!」
マリアンヌ様の説明に、私は顔を真っ赤にして否定した。当時の私は事ある事に熱痛にうなされ、執務室のソファで四六時中寝込んでおり、毎日のように坊ちゃんの介護を受けていた。主人に看病される侍女と言うのもどうかと思うけど、マリアンヌ様が仰られるような淫らな行為は一切していない。そう訂正するも、マリアンヌ様は私の反論を一蹴する。
「肉体関係の有り無しなんて、どうでも好いのよ。この5年間、この子があなたに対してどう想っていたかの問題なんだから。この馬鹿が初恋を拗らせていつまでも手を出さないものだから、オーギュストも私も頭を抱えていたのよ。せっかくオーギュストが気を利かせて話を振ったのに、あなたまで誘いを蹴ったしね」
「えっ!?」
マリアンヌ様の口から飛び出した爆弾発言に私は驚き、旦那様へと目を向けた。旦那様が笑いを堪えるように頬を緩め、種明かしをする。
「だから、あの時、言ったじゃないか。――― 『私の娘となって、シリルと共にラシュレー家を盛り立ててくれないか?』と」
「…あ、あの…養女ではなくて?」
「養女だなんて、私からは一言も言ってないよ?」
「ーーーーーーーーーーーーーーっ!?」
旦那様の顔に浮かぶ、悪童のようなニマニマした笑みを見て、私の頭が沸騰した。し、しまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!あの時は坊ちゃんの想いに気づかず、旦那様一筋だったから、「娘」が坊ちゃんとの結婚を意味しているとは、全然思い至らなかったよ!あまりの迂闊さに思わず頭を抱える私を見て、旦那様が破顔する。
「私達を散々焦らしてくれたが、その間君達も十分に楽しんだようだから、野暮な事は言わないでおこう。リュシー、改めて言わせてもらおう。――― 私の娘となって、シリルと共にラシュレー家を盛り立ててくれないか?」
「は、はい…旦那様、マリアンヌ様、喜んで。不束者ではございますが、よろしくお願いします…」
「こちらこそ。末永くよろしくね、リュシー」
何故か旦那様の仰る「楽しんだ」に羞恥を覚え、私は顔から火を噴きながらソファの上で姿勢を正し、向かいに座る旦那様達に静かに頭を下げる。頭を上げると、旦那様とマリアンヌ様の愛情溢れる笑顔を目にして、私は心の中が暖かくなり、嬉しくなった。
この戦いが終わったら、私は坊ちゃんと結婚するんだ。
フラグが立ちました。




