93:猫の本領
「――― っツェアァァァァッ!」
突然、勝利の鬨を奏でるコカトリスの真横に一迅の風が吹き寄せ、胴体に一本の柱が突き込まれた。コカトリスは、胴体が柱から逃れるように弓形にしなった後、翼を羽ばたかせたまま硬直し、動きを止める。
やがて、コカトリスの胴体に突き刺さった柱が引き抜かれると、掌の上に載った、大きな心臓が姿を現わした。心臓は未だその役割を忘れぬかのように伸縮を繰り返し、その都度切断された血管から真っ赤な血を噴き上げる。
「…おっと」
そして、ようやくコカトリスが自分の死を受け入れ、羽ばたきをした姿でその場に崩れ落ちると、女は横に跳んで巨大な翼から逃れた。側頭部を飾る丸い耳と、橙と黒のストライプの髪を持つ小柄な女は、右手に持った心臓を握り潰し、肘までコカトリスの血で真っ赤に染まりながら、坊ちゃんを抱えたまま呆然と立ち尽くす私に目を向ける。
「…あぁ、居た居た。フランシーヌさんの言った通りだ。…大丈夫か、リュシー?」
「…ハヤテ様…」
突然姿を現わした王太女の姿に、私は呆然としたままうわ言のように呟く。ハヤテ様が坊ちゃんの姿を見て、眉を顰めた。
「…シリル殿、もしかして≪石化≫に掛かっているのか?ちょっと、待ってろ。…おおぉーいっ、フランシーヌさんよ、急いで来てくれっ!シリル殿が≪石化≫に掛かってるっ!」
「ハヤテ様…」
「おおっとっ!?待て待て待てっ!今アタシが持ってやるから、もう少し堪えろっ!」
ハヤテ様が背後へと振り返って大声を上げるのを見て、安堵のあまり私の膝が笑い出した。目に涙を浮かべ、ブルブルと足を震わせる私の姿を見たハヤテ様が慌てて駆け寄り、慎重に坊ちゃんを抱え上げる。坊ちゃんをハヤテ様に受け渡した私はその場にへたり込み、坊ちゃんを横抱きに抱えたまま目の前で仁王立ちするハヤテ様の姿を、呆然と見上げた。
「…何で、ハヤテ様が此処に…」
「それは後で話してやるから、まずは此処から脱出しよう。…あぁ、来たか、フランシーヌさん。シリル殿の治療を頼む」
「リュシーさんっ!シリル様っ!大丈夫っ!?」
ハヤテ様が振り返った先に目を向けると、建物の陰からフランシーヌ様が二人の騎士を引き連れ、姿を現わした。坊ちゃんの姿を見てフランシーヌ様が慌てて駆け寄り、回復魔法を掛ける。
「まったく、二人がこの谷に足を踏み入れたと聞いて、仰天したわよ…。女神よ、彼の者を蝕む毒を清め、在るべき姿を取り戻し給え。≪清浄≫」
フランシーヌ様が坊ちゃんの足首に短錫杖を添えて回復魔法を唱えると、坊ちゃんを蝕んでいた≪石化≫が瞬く間に回復する。フランシーヌ様は坊ちゃんの左手の≪石化≫も回復させた後、続けて別の回復魔法を唱えだした。
「女神よ、生ける者に正しき道を指し示し、その身を護り給え。≪状態異常免疫≫。…ふぅ。シリル様、もう大丈夫ですよ。≪状態異常免疫≫も掛けておきましたから、当分≪石化≫に掛からないはずです」
「…すみません。助かりました、フランシーヌ様」
フランシーヌ様の言葉を聞いた坊ちゃんがようやく口を開いてお礼を言い、ハヤテ様に頭を下げて降ろしてもらう。地面に足を下ろした坊ちゃんは、自分の足の感触を確かめた後、腰を屈め、へたり込んだままの私に手を伸ばした。
「リュシー、悪かった。もう大丈夫だ」
「…坊ちゃん…良かった…」
私は左手で口元を押さえて、泣き出すのを堪えながら右手を伸ばし、坊ちゃんの手を借りて立ち上がった。フランシーヌ様に向き直り、深々と頭を下げる。
「フランシーヌ様、助けていただき、本当にありがとうございました。この御恩は一生忘れません」
「好いわよ、リュシーさん。そんなに畏まらなくて。私も女帝の時にリュシーさんに助けられたんだから、お互い様よ。…それよりも、早く此処を出ましょう。全員に≪状態異常免疫≫を掛けるわけにもいかなくて、みんな谷の外に待たせているの」
「…でも、フランシーヌ様、どうして坊ちゃんと私が此処に居るって、気づいたんですか?」
石造りの家に戻って荷物を纏めた私達は、フランシーヌ様達と共に廃村を脱出した。≪石化≫によって四肢を切断した馬は回復が見込めず、冥福を祈りながら絶命させる。無事に谷の外で待機していたフランシーヌ隊と合流でき、ようやく一息ついた私が尋ねると、フランシーヌ様が夜食を口に含みながら答えた。
「気づくも何も、リュシーさん達がオストリアを脱出してからコッチ、ずっと追ってたわよ」
「…え?」
「不死王の出現場所を聞いて、どうせ陛下と衝突するだろうと踏んでたし。網を張ったら、すぐに引っ掛かったわ。供も連れずに二人だけとは、想定外だったけど」
「え?え?」
パン粥を口の中に放り込みながら、さも当然のように宣うフランシーヌ様の姿に、坊ちゃんと私は思わず顔を見合わせる。
不死王が動き出した事を知った臣民が恐慌をきたし、国内が混乱に陥らぬよう、侵攻の報は箝口令が敷かれ、厳重に秘匿されている。実際、オストリアから脱出して9日余りが経過した現在においても周辺地域に混乱は見られず、人々はいつも通りの生活を送っていた。にも拘らず、魔王国からの帰還途中に行方を眩ませ、音信不通となったフランシーヌ様が何故そこまで知っているのだろう。訝る私達を余所に、フランシーヌ様の軽い口調での報告が続く。
「…あ、シリル様。オーギュスト様はまだご存知ではなかったので、一報を入れておきました。幸い不死王は未だラシュレー領に侵攻しておらず、サン=スクレーヌは無事です」
「「え?え?」」
「それと、お二人がオストリアを出奔した事が露見しそうだったので、適当に揉み消しておきました。あと3日は誤魔化せると思います」
「「え?え?」」
フランシーヌ様の口から次々と放たれる衝撃の報告に、私達は呆然と聞き入る。やっとの事で口を噤み、パン粥を食べ終えたフランシーヌ様がハンカチで口元を拭い始めるのを見た私は、恐る恐る問い質した。
「…あ、あの、フランシーヌ様…何でそんなに詳細をご存知なのですか?」
「あれ?リュシーさんには言わなかったっけ?」
私の質問にフランシーヌ様が驚きの表情を浮かべ、目を瞬かせる。
「…2個小隊を帝国各地に配置して、全国規模で支援活動をしているって」
「いや、それは確かに聞きましたけどっ!諜報活動だなんて聞いてないですよっ!」
確かに坊ちゃんが観戦武官に任命され、リアンジュに向かうって決まった頃にフランシーヌ様からそんな話を聞いたけどさ。国内支援に従事するフランシーヌ隊の「支援活動」が諜報活動を意味するだなんて、普通想像しないでしょっ!
「…フランシーヌ様。その様子を見ると、相当昔からやっていますよね?もしや、黒衣の未亡人のラシュレー領への襲撃も、実はご存知だったのではありませんか?」
「…えっ!?」
フランシーヌ隊の恐るべき諜報能力に私が唖然としていると、坊ちゃんが厳しい目をフランシーヌ様へと向けた。坊ちゃんの指摘に私は愕然とし、フランシーヌ様に縋るような目を向けると、彼女は秀麗な眉を下げて申し訳なさそうに笑みを湛え、少しだけ頭を下げる。
…そ、そんな…まさか…。
「…ごめんなさい。当時はまだ、この手の事に慣れていなくって。オーギュスト様の警戒網を突破できず、攻めあぐねていた頃だわ」
「いや、フランシーヌ様!何で味方に情報戦仕掛けているんですかっ!?しかも『当時は』って、今は突破しちゃっているって事ですかっ!?」
***
翌日。
フランシーヌ隊は最寄りの街を訪れ、補給の傍ら情報収集を行った。フランシーヌ様は白を基調とした聖女のローブを脱ぎ、目立たない平服に身を包んで、私達と共に街中を歩く。この街にも不死王侵攻の情報は伝わっておらず、人々は平穏を保っていた。フランシーヌ様が揉み消してくれた事で当然私達の出奔の報も伝わっておらず、追手の気配も感じられない。街ゆく人の姿に注意深く目を配りながら、坊ちゃんが独り言のように呟いた。
「…フランシーヌ様とも合流でき、何とかサン=スクレーヌまでは辿り着けそうだが…、戦力不足の感は否めないな…」
「カサンドラ様と分断されたのが、一番痛いですよね…」
ラシュレー家の窮状を救うためには止むを得なかったとは言え、私達は不死王に対し、自ら戦力分散の愚を犯す事になった。カサンドラ様は、私を除けばこの大陸で唯一、不死王にダメージを与えられる可能性を秘めた聖女だ。彼女と行動を共にできれば、不死王に対する戦術の幅が大きく広がる。けれど、彼女には皇帝陛下の勅命が下され、きっと今頃はオストリアへと向かっているだろう。不死王を迎え撃つに当たって最良の態勢を築けなかった事に、思わず声が沈んでしまう。すると、傍らで話を聞いていたフランシーヌ様が、私達の愚痴めいた会話に割り込んで来た。
「あぁ、それなら何とかなると思う」
「え、何とかって?」
私達が振り返ると、フランシーヌ様が人差し指を立て、子気味良く前後に振りながら答える。
「陛下に先んじて、姉様に欺瞞の報を送っておいたから」
「「…へ?」」
予想外の言葉に坊ちゃんと私の足が止まり、二人揃って間の抜けた声を上げた。立ち止まった私達を置いてフランシーヌ様は人差し指を前後に振りながらスタスタと歩き続け、きょろきょろと周囲を見回す。
「多分、間に合ったと思うんだよねぇ…。上手く引っ掛かってくれれば、コッチに向かっているはずなんだけど…痛っ!?」
「おっと。すまないね、お嬢さん」
「いえ…」
一人で先に歩いていたフランシーヌ様が、前方から歩いて来た男とすれ違いざまにぶつかった。肩に木箱を担いだ筋肉質の男は、顔を顰めるフランシーヌ様に軽く頭を下げると、私達の脇を抜けて人混みへと消える。すれ違う男の横顔を一瞥した私達はフランシーヌ様の許に駆け寄り、肩の埃を払っている彼女に尋ねた。
「大丈夫ですか、フランシーヌ様?」
「えぇ、大丈夫よ。ありがとう」
肩の埃を落としたフランシーヌ様は、左右に並ぶ私達の顔を交互に見て微笑む。そして、懐から二つに折り畳まれた紙を取り出すと両手で広げ、書かれた文字に目を走らせて満足そうに頷いた。
「…うん。姉様、目論見通りコッチに向かっているって」
「いや、ちょっと待って下さいよっ!その報告書、いつ何処で受け取ったんですかっ!?」
皇帝の寵愛から逃げまくる、隠密・回復特化の聖女。
この人、物語の主人公を張れるくらい味の濃いキャラになりました。




