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91:激論

「なっ!?不死王(ノーライフキング)がっ!?」


 衝撃の情報に坊ちゃんが思わずソファから立ち上がり、陛下が掌を上下に振るのを見て腰を下ろす。私は坊ちゃんの傍らに腰掛けたまま目を瞠り、背筋を伸ばして続きを待った。陛下が再び腕を組み、口を開く。


「…場所は、魔王国東部。すでにガブラ、ロー・ウェイの二つの街が陥落している。百鬼夜行(ハロウィン)の痛手から未だ回復していない魔王国は混乱の極みにあり、不死王(ノーライフキング)の侵攻によって国土を分断された魔王国東部の代官が独断で此方に救援を求める有様だ。もっともその混乱のおかげで、我々も望みうる最短で情報を入手する事ができたがな。代官には、救援物資を送る代わりに、不死王(ノーライフキング)の動向を逐次報告するよう要請してある。避難民の受け入れは濁した。国内に混乱を広げるわけには、いかないからな」

「…ロー・ウェイ…」


 私は、陛下の言葉に(のぼ)った一つの地名を擬えるように呟き、息を止めた。ロー・ウェイ。つい2ヶ月程前、魔王都から帝都に帰還する途中で、立ち寄った街だ。千戸にも満たない小さな街だったけれど、其処で手に入れた燻製肉が非常に美味しかったのが、印象に残っている。燻製肉を売ってくれた魔族のおじさんの笑顔が脳裏に浮かび、私は胸元で印を切っておじさんの無事を願うと、即座に意識を切り替えた。前のめりになって右手を伸ばし、ソファテーブルの上に広げられた地図の一点を指で指し示す。


「…ガブラ…ロー・ウェイ…」


 大陸地図の北の端に記された「(あな)」。そして「(あな)」の南側に東西に横たわる、魔王国東部。私は二つの地名を口ずさみながら地図の上に指を立て、線を引く。そして、その延長線上に指を伸ばし、行き着いた一つの地名の上で指を留め、うわ言のように呟いた。


「…サン=スクレーヌ…」




「…余は、不死王(ノーライフキング)はお主の言うような道を取らないと考えている。ロー・ウェイは、魔王国を東西に貫く幹道の中継地だ。幹道に沿って東西に転じる可能性も、十分に考えられる。それに、ロー・ウェイからサン=スクレーヌに通じる道は、存在しないはずだ」

「確かに陛下の御指摘は、一理あります」


 陛下の見解に、私は首肯を示した。そして地図上に置いた指を四方に動かし、陛下の意見を次々と封じる。


「ですが、不死王(ノーライフキング)は一体です。軍ではありません。ロー・ウェイからサン=スクレーヌには、確かに軍が通れるような幹道はありませんが、地元の領民や狩人が使う間道が無数に存在します。そして、サン=スクレーヌは大陸の中央にあり、帝都オストリア、魔王国、獣王国、いずれからも等距離に在ります。不死王(ノーライフキング)への反攻の軍を結集させる地は、サン=スクレーヌを置いて他にありません。更に申し上げますと、ロー・ウェイから見て此処オストリアは(えん)、一方サン=スクレーヌは(きん)です。サン=スクレーヌからオストリアへの急行は間に合いますが、オストリアからサン=スクレーヌへの急行は間に合わず、サン=スクレーヌは()ちます」


 帝都オストリア、魔王都メル・ベル・ヘス、ラシュレー領都サン=スクレーヌ。この三都は、東西に引き延ばされ、南に突出した平たい二等辺三角形のような位置関係にある。その東西に伸びた底辺の中央を不死王(ノーライフキング)に分断された現在、この三都で最も距離が近いのは、南の頂点に当たるサン=スクレーヌだ。私がサン=スクレーヌを指差したまま顔を上げ、鋭い視線を向けると、陛下が腕を組んだまま重々しく答える。


「…北部戦線を中心に軍の招集を進め、オストリアにて反攻軍を編成するつもりだ。リアンジュに居るカサンドラにも、参集を呼び掛ける。シリル、リュシー、逸る気持ちは分かるが、反攻軍が整うまで待て」

「陛下、戦いは水物です。一手の遅れが、取り返しのつかない事態へと繋がります。我々はすでに情報の収集に於いて、一ヶ月遅れております。これ以上の後手は、致命傷になります」


 帝国は南北と西に頂点に持つ、三角形に似た領土を持つ。不死王(ノーライフキング)が南進してサン=スクレーヌへ襲い掛かった場合、三角形の頂点を食い取られる事になるが、東進されると脇腹を突かれ、帝都オストリアとの指呼の間に不死王(ノーライフキング)の侵入を赦す事になる。いわば腕と胸のどちらを差し出すか不死王(ノーライフキング)に二択を迫られ、腕を見捨てたというわけだ。私の諫言に、陛下は皇帝の威厳を纏い、宣言する。


「ならん」

「「陛下っ!」」


 思わず腰を宙に浮かせた坊ちゃんと私に対し、陛下がもう一度掌を振り、着席を促す。渋々と腰を下ろした私達に、陛下は辛抱強く説得を繰り返した。


「…反攻は一度しかできない。性急な動きは戦力分散の愚を招き、(いたずら)に兵を消耗する。我々は絶対に負けられないのだ。あらゆるリスクを潰し、必勝の態勢を整えねばならん。それまで待て」

「…はっ…」

「…」


 陛下の言葉に坊ちゃんが唇を噛み、割り切れない思いを言葉に乗せて応じ、私は視線を外して静かに頭を下げる。


 そうして陛下との会談を終えた私達は再び馬車に乗り、ラシュレー邸へと帰途に就いた。




「…坊ちゃん」

「…何だ?」


 ラシュレー邸への道すがら、馬車の中で私は座席に腰を下ろしたまま体を傾け、険しい表情を浮かべている坊ちゃんに寄り掛かった。顔を上げて耳元に口を寄せると、静かに囁く。


「…脱出しましょう」

「…何?」


 私の言葉に、坊ちゃんが張り詰めていた息を吐き、眉間に縦皴を刻んで横目で私を睨み付けた。私は坊ちゃんの凶相から目を逸らさず、射込むような視線を向ける。


「…拙速は巧遅に勝ります。反攻軍は、ラシュレーのためには動きません。動くとすれば魔王国東部か、サン=スクレーヌが()ちた後でしょう」

「…」


 脇腹を突かれる恐れがある限り、反攻軍は動けない。不死王(ノーライフキング)が南進してサン=スクレーヌが陥落した後か、東進する不死王(ノーライフキング)の迎撃にしか使われない。帝国本土を守らねばならぬ以上、陛下にはそれしか選択肢がない。


 である以上、「ラシュレーの女」はラシュレーのためだけに動く。本土の防衛に固執する反攻軍を見限り、一刻も早くラシュレー領へと入り、不死王(ノーライフキング)の侵攻に備えなければならない。私は坊ちゃんの目の前に右手を掲げ、掌を見せながら覚悟を決める。


「…数は意味を為しません。私一人が間に合えば、戦えます。帝国との関係悪化が不安であれば、私が単身で出奔した後、追手を差し向けて下さい。それで有耶無耶にできましょう」

「馬鹿野郎」


 私の提案を、坊ちゃんは鼻で嗤って一蹴した。左手を私の肩に回し、きつく抱き寄せると、低い声で唸るように答える。


「お前、一体何度同じ事を言ったら分かるんだ?お前を絶対に離さないと。俺も一緒に行くぞ。陛下の御言葉なんざ、クソ喰らえだ」

「坊ちゃ…っ!?…んんん…んっ…」


 面を上げた私に坊ちゃんの顔が迫り、私は荒々しく唇を奪われる。受け入れる準備もままならぬうちに坊ちゃんの熱い想いが怒涛のように流れ込み、やがて私は唇を塞がれたまま自ら頭を振り、際限のない欲望の前に身を曝し、心を焦がし続けた。




 ***


「俺達二人はこれからオストリアを脱出し、サン=スクレーヌへと向かう。お前達は可能な限り情報を隠蔽し、発覚を遅らせろ」

「「…」」


 ラシュレー邸に到着した坊ちゃんは私を連れて執務室に戻ると、帝都を預かる家令とノエミの二人を呼びつけた。不死王(ノーライフキング)侵攻から始まって、ラシュレー領に迫る危険、反攻軍の動きと、怒涛の情報の前に二人は絶句して立ち尽くしていたが、坊ちゃんがオストリア脱出を宣言して口を噤むと、我に返った家令が慌てて諫める。


「…あまりにも危険です、シリル様!せめて護衛の騎士だけでも、お連れ下さいっ!」

「不要だ。頭数が多いと、足が付く。それに俺もリュシーも魔法付与装身具(アーティファクト)でガチガチに身を固めているからな。一個分隊が相手でも、容易に覆せるさ」

「…あ、あの…私も置いてきぼりですか?」


 坊ちゃんが家令を論破する傍ら、ノエミが自身を指差して、おずおずと尋ねる。私は人差し指を立てて右目を瞑り、小刻みに頭を下げて、ノエミに頼み込んだ。


「私だけでもサン=スクレーヌに乗り入れなければならないから、連れて行くわけにはいかないのよ。それに貴方がこっちに残っていないと、坊ちゃんと私の不在を誤魔化す事もできないでしょ?」

「ま、まぁ、それはそうなんですが…」


 帝都における坊ちゃんの身の回りの世話は、坊ちゃんと私が(ねんご)ろになった事もあって、ほとんどノエミが手掛けている。ゆえに坊ちゃんと私が部屋に閉じ籠った風を装い、ノエミが扉の前に立ちはだかれば、一日二日は誤魔化せるわけだ。三日以上となると流石に訝る家人も出るだろうが、そこで家令が箝口令を敷く。それで陛下からの呼び出しでもない限り、一週間は稼げるだろう。二人の立場を鑑み、坊ちゃんが口添えをする。


「別に帝国と袂を分かつつもりはないからな。これ以上は引き延ばせないと思ったら、口を割れ。命令に殉じる必要はないからな」

「…畏まりました。シリル様、くれぐれもご注意を。リュシー、シリル様を頼みます」

「あぁ」

「承りました。お任せ下さい」

「シリル様、リュシーさん、お気をつけて…」

「えぇ。ノエミ、またね」


 こうして家令とノエミの二人に後を託した私達はサン=スクレーヌに向かって矢継ぎ早に伝書鳩を放った後、翌朝、目立たない旅装に身を包んで日が上る前にラシュレー邸を出発し、帝都オストリアを脱出した。

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