表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/110

88:皇帝のぼやき

「まさかこの様な形で逆襲を受ける事になるとは、()は思いもしなかったぞっ!?」


 やっぱ怒ってたよ、この人!


 私達が皇帝陛下の執務室を訪れ、応接のソファに身を下ろした途端、陛下が声を荒げた。何故陛下がお怒りになられるのか見当のつかない私は、恐る恐る尋ねる。


「恐れながら陛下、何故陛下がそこまで機嫌を損ねられるのか、私には全く見当が付いておりません。私が何か粗相をしましたでしょうか?」

「…」


 私の問いに陛下はじろりと睨み付けた後、盛大な溜息を吐く。目を閉じて頭を掻きながら、ぼやくように答えた。


「はあぁぁぁぁ…ああ、もう盛大にやってくれたよ。一人で三大国の一角を救って来るという、これ以上ない大戦果をな」

「一人でなんて大袈裟な…、シリル様率いるラシュレー軍一個大隊が居りましたし、フランシーヌ様と獣王国王太女のハヤテ様にも多大なご支援をいただきました」


 陛下の誇大とも言える表現に私は訂正を求めたが、陛下は再び私に目を向け、憤懣やるかたない表情で言葉を続ける。


「他の者の参戦など、枝葉の話だ。お主が居なければ百鬼夜行(ハロウィン)を斃せず魔王国は滅びていたであろう事、お主一人で百鬼夜行(ハロウィン)を殲滅した事、その事実に違いはあるまい?」

「それはそうですが…ですが、それが何故、陛下のお怒りに繋がるのですか?」

「…」


 それほどまでの大戦果であれば、喜ぶこそすれ怒る理由がない。当惑する私の前で、陛下が腕を組み、顎をしゃくって私を急かした。


「…お主、他の二大国から貰った称号を並べてみろ」

「え?…えっと…魔王国からは聖女と魔法伯、獣王国からは北鎮将軍…」


 私が上を向いて指折り数えながら自分の称号を諳んじると、陛下が渋面を作る。


「それに対し、余がお主に授けた称号は子爵夫人のみ。聖女に至っては落第の烙印を突き付けている。そのお主に、二大国は揃って聖女と伯爵位相当の称号を贈ったわけだ。

 …この意味が分かるか?余は二大国から、暗に『お前は人を見る目がない』と誹られた事になるのだぞ?」




「そんなっ!?陛下、お考え過ぎです!私は陛下から十分すぎるほどの褒賞をいただいておりますから!」


 私は慌ててソファから腰を浮かし、陛下の誤解を解こうとするが、陛下はソファに身を沈めたまま掌を下に向けて仰ぎ、私に座るよう促す。


「お主がどう思っているのかは、この際関係ないのだよ。この話を聞いて、世論がどう思うかの問題だ。数々の目覚ましい戦果を打ち立てながら正当な評価をしてもらえず、母国に虐げられる悲運の英雄と見なされはしないか?」

「そ、それは…」


 陛下のご指摘を受け、私は言い淀んだ。陛下が今度は諦めにも似た溜息をつき、言葉を続ける。


「これまで人心の動向に十分気を配って来たのに、こんな事で波風を立てられては敵わん。両国から聖女と伯爵位を贈られた以上、母国としてそれ以上の評価をせねば、余の名声に傷がつく。まさかこんな手段で陞爵を強請りに来るとは、想像もしなかったぞ?」

「あ、いや、私は強請るつもりなど毛頭ございませんからっ!だ、大体、聖女の称号をいただいたのは魔王国だけであって」


 ピッ。


 反論する私の目の前で陛下が指を弾き、一枚の紙が宙を舞う。私は自分の手元に滑り込んで来たその書簡を手に取り、目を落とした。




 ―――


 リュシー・オランド殿


 ついでだから、其方を獣王国の聖女に任命する。


 獣王オウガ


 ―――




「…」


 私は書簡を両手で広げたまま、その書面に顔を押し付け、うつ伏した。やがて、呼吸の止まった私は勢い良く顔を上げ、深呼吸と共に声を張り上げる。


「いやいやいや、おかしいでしょっ!?何ですか、この『ついで』って!?いい加減にも程があるでしょうっ!?」

「あそこはノリと勢いで人事を行うからな。何故アレで国が回るのか、余が教えを乞いたいくらいだ」


 思わず陛下の御前である事を忘れて大声を上げた私に対し、陛下は咎めようともせず、苦々しい表情で同意する。陛下は憎々し気にオウガ様への不満を並び立てた。


「お主が帰国途中で捕まらないとは言え、わざわざこの書簡を余の許に送り届けて来た事も腹立たしい。おかげで余は、お主に大盤振る舞いをする羽目になったというわけだ」


 そう言えば、メル・ベル・ヘスを発つ際、ハヤテ様が北鎮将軍に任命した旨の手紙を本国に送っていたっけ。その手紙で経緯を知ったオウガ様が、陛下への嫌がらせのためだけに聖女任命したに違いない。ノリと嫌がらせで聖女任命されるとか、権威もひったくれもない。私と陛下はテーブルを挟んで向かい合ったまま、仲良く溜息をついた。


「お主が傍目から見て不自然なほどの数々の栄冠に塗れたのは、そういう理由だ。裏の事情はさておき、お主の武勲が帝国の威信を高め、二大国との間にかつてないほど強固な信頼関係を築いた事に疑いの余地はない。よくやってくれた」

「いえ、とんでもございません。過分なまでのお褒めの言葉をいただき、恐縮に存じます」


 陛下の賞賛の言葉を受け、坊ちゃんと私は姿勢を正し、頭を下げる。陛下は一つ頷くとテーブルに手をついて身を乗り出し、声を低めた。


「…それはともかく、リュシー、お主に一つ尋ねたい事がある」

「はい、何でございましょうか?」




「…フランシーヌは何処に行った?」




「え、えぇと…、一昨日までは一緒にオストリアへと向かっていたのですが…」

「また逃げたのか…」


 しどろもどろで答える私の言葉に、陛下が下唇を突き出し、渋い表情を見せる。


 一昨日までは一緒の馬車に乗って普通に向かっていたのに、昨日の朝起きたら、フランシーヌ様が何処にも居なかった。いや、フランシーヌ様のみならず、フランシーヌ隊の面々も。一個小隊65名にも上る面子が、前後を陛下の遣わした二個大隊に挟まれたまま、ラシュレー家の一個大隊を含めた三個大隊1,800名もの人々の目を掻い潜って忽然と姿を消すとか、本人達は支援特化だと評していたけど、どう見ても隠密特化でしょ!?ハヤテ様もシズクさんを連れて姿を消しており、どうやらフランシーヌ様にくっついて行ったっぽい。ネコ科の動物同士、妙に馬が合ってたもんね。ハヤテ様、ご自身がラシュレー家の人質扱いだっていうの、すっかり忘れているな。


「一度煙に巻かれると、そう簡単には見つからん。そのうち聖女活動という形で尻尾を出すだろうから、それを待つしかあるまい。連隊長には重々気を付けるよう言っておいたのだが、これだったらいっそ拘束するべきだったか…」

「いや、それは流石に…」


 私と一緒に百鬼夜行(ハロウィン)討伐に成功し、凱旋した自国の聖女を問答無用で拘束とか、私以上に民衆が反発する。流石に陛下もそんな愚策を本気で考えたわけではなく、単なる愚痴だったようだ。ソファに深く腰掛けて身を沈め、(くつろ)ぎ始める。


「…暫く狩りもしていないし、春になったら追い立てるか…」

「もはや雲雀(ひばり)じゃないですね」

「猫とじゃれるのも、それはそれで楽しいものだ」




 フランシーヌ様の話をしているうちにようやく陛下の機嫌が戻り、私達は陛下の求めるままに、三国会合から百鬼夜行(ハロウィン)討伐に至る一連の話をした。途中、坊ちゃんとヒルベルト様との決闘を聞いた陛下がニヤニヤと笑い、私は真っ赤な顔で俯き、坊ちゃんが部屋の温度を下げて陛下を牽制する。そうして最後は上機嫌となった陛下の許を辞し、私達は宮殿を後にした。


 宮殿の外で執り行われていた式典は既に終了しており、暗闇に侵食される夕焼けの下で佇む警護の兵達と、高位貴族達の帰りを待つ馬車が点々と並んでいた。サン=スクレーヌから引き連れて来た一個大隊にも及ぶラシュレー家の騎士全員をラシュレー邸に収容するわけにもいかず、陛下の計らいで官舎が割り当てられ、そこで冬を越す事になっている。私達が宮殿の入口に姿を現わすと、待機していた20名ほどの騎士達と共に、ノエミが私達を出迎える。


「お帰りなさい、シリル様、リュシーさ…、うわぁぁぁ、リュシーさん、凄く綺麗…」


 ノエミが白と金で鮮やかに彩られた私のドレス姿を見て、感嘆の声を上げる。ノエミの賞賛に私は顔を赤らめつつ、長くノエミを待たせてしまった事を謝った。


「悪いわね、ノエミ。随分待たせてしまって」

「大丈夫ですよ、これが私の仕事なので。それに、一度ラシュレー邸に戻って着替えて来ましたから」


 言われてみれば、ノエミは既に旅装を解いており、小ざっぱりとしたメイド衣装に身を包んでいる。背後に佇む騎士達も土や埃に塗れておらず、見慣れない顔が並んでおり、帝都付きの騎士と交代したようだ。私達が馬車に近づくと騎士の一人が駆け寄って扉を開け、坊ちゃんが私に掌を差し出した。


「坊ちゃん、ありがとうございます」

「ああ」


 私は坊ちゃんのエスコートを受け、馬車へと乗り込んだ。坊ちゃんとノエミが後に続いた後、20騎の騎馬に守られ、馬車がラシュレー邸へと向かって走り出す。私は坊ちゃんと並んで座り、向かいに腰を下ろしたノエミが尋ねて来た。


「式典は如何でしたか?」

「…何故か、聖女と侯爵夫人になっちゃったよ…」

「えええええええええええええっ!?も、もはや、私など手の届かない、天上の御人なのですが…」

「お願いだから畏まらないでね、ノエミ。今まで通りで構わないから」

「無理ですってばぁ…周りの目もありますし。そもそもリュシーさんは私の主人なんですから、対等と言うわけにはいかないんですからね?」


 身分違いを理由に畏まろうとするノエミを宥めすかし、坊ちゃんと私の前だけではこれまで通りで居てくれるよう約束を取り付ける。そうこうしているうちにラシュレー邸へと到着し、私達は馬車を降りて館へと足を運んだ。


 入口には帝都のラシュレー邸を預かる家令が十数人の家人を背後に従え、坊ちゃんの到着を待っていた。館に近づくにつれて私は歩みを緩め、坊ちゃんの後ろに下がろうとしたが、その私の腕を坊ちゃんが掴み、無理矢理自分の右隣へと引き立てる。


「お前、後ろに下がるな」

「え?し、しかし」

「いいから、隣に居ろ」


 私は戸惑いの表情を浮かべ、坊ちゃんの横顔を見上げるが、坊ちゃんは真っすぐ前を向いたまま、ずんずんと歩いて行く。仕方なく私は坊ちゃんの右隣に一歩下がって従い、突き出された坊ちゃんの肘に手を添えてエスコートを受けた。入口に佇む家令や家人達の顔に、戸惑いが広がる。


「…シリル様、お帰りなさいませ。家人一同、無事のご帰還を心よりお慶び申し上げます」

「あぁ、今戻った」


 私達が入口に立つと、家令が表情を押し隠して挨拶を述べ、背後に並ぶ家人達が一礼した。家人達が頭を上げて早々、坊ちゃんは私と腕を組んだまま胸を張り、堂々と宣言する。


「今のうちにお前達に伝えておこう。此度の式典において、リュシーが聖女に認定され、侯爵夫人となった。正式な沙汰は父上の言葉を以ってとなるが、当家は彼女をその地位に相応しい立場で迎え入れる事になるだろう。お前達も、そのつもりでいてくれ」

「っ!?…畏まりました。仰せのままに」

「行くぞ、リュシー」

「あ、あの、坊ちゃん」


 坊ちゃんの宣言を聞いた家令は息を呑んだ後、表情を消し、恭しく頭を下げる。私は坊ちゃんと並んで頭を下げる家人達の間を通り抜け、館へと足を踏み入れた。途中、年若い侍女達の嫉妬の目が体に容赦なく突き刺さり、居心地が悪い。私は坊ちゃんに連れられて坊ちゃんの私室へと入り、ノエミが扉を閉めた途端、盛大な息を吐いた。


「はあぁぁぁぁっ…周囲の視線が痛い。暫くは肩身が狭いわ」

「仕方ないですよ。平民出の侍女がいきなり聖女に認定されて侯爵夫人まで駆け上がり、その上シリル様の寵愛まで受けているんですから。よほど人が出来ていないと、嫉妬に狂いかねませんよ」

「人の出来たノエミが傍に居てくれて、本当に助かるわ…。ノエミ、いつもの服に着替えるから、手伝ってくれる?」

「あ、はい」

「おい、リュシー」

「坊ちゃん」


 私が首の後ろに手を回してネックレスと取り外していると、傍らから坊ちゃんの声が飛んだ。私は坊ちゃんを呼び留めると、顔を寄せ、ノエミに聞かれないよう声を潜める。


「…駄目ですよ、陛下から下賜された衣装を()()()()()に使っちゃ。後で別の服でお相手して差し上げますから」

「む…」


 私の忠告を耳にして、坊ちゃんが顔を赤らめながら、不貞腐れる。まったくもう、この人ったら。私は殊更明るく振る舞い、ノエミにも聞こえるように声を上げた。


「さ、坊ちゃん、まずは着替えて食事にしませんか?式典の間、何も食べてないんですから。食事の後なら…お付き合いしても好いですよ?」

「…あ、ああ…」


 坊ちゃんは私と視線を合わそうとせず、渋々といった体で着替え始める。だから、坊ちゃんには気づかれずに済んだ。…自分の大胆な台詞に中てられ、私の頬が薄っすらと赤くなっている事に。




 そうして私達は服を着替えた後で夕食を摂り…その晩、私はお仕着せのワンピースに身を包み、坊ちゃんの寝所を訪れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ