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87:渦中の女

「…ぷっ!?」


 噴いた。


 私は慌てて口元を押さえたが間に合わず、厳粛な式典会場に場違いな音が響き渡った。私は背後から上がる騒めきにも気づかず、陛下の御前で口元を押さえ、前のめりになったまま目を白黒させる。


 え、ちょっと待って!?今、「聖女」とか言ってなかった!?一昨年の聖女審判で盛大な落第宣言を受けたのに、今になって聖女っ!?しかも伯爵位すっ飛ばしていきなり侯爵夫人だし、坊ちゃんの功績を飛び越えて聖光輝功章授与!?いやいやいや、ないでしょっ!?どう考えてもおかしいでしょっ!?


 口元を押えたまま硬直する私の前を時間だけが通り過ぎ、私は救いを求めて顔を上げた。陛下は書簡を両手で広げたまま、前のめりの私を見下ろしていたが、その口角はへの字に曲がっており、目が据わっている。


 …え?もしかして、陛下、怒ってるの?


 動揺した私はちらと横に目を向けて坊ちゃんの様子を窺うも、眉間に皴を寄せたまま頷くのを見て、観念した。口元から手を離して背筋を伸ばすと、一呼吸を経て一礼する。


「過分なまでの御厚情、光栄に存じます。謹んで拝受いたします」

「うむ、これを励みに、より一層の高みを…」

「…」


 あ、止まった。もういい加減、上がないもんね。


 陛下の心情を(おもんぱか)って内心で頷きを返していると、陛下が咳払いをして身を翻す。


「オホン。いずれにせよ、大儀であった。この後の祝賀会で十分に楽しむがよい。…二人共、後で私の許に来てくれ。彼の地での活躍を聞かせて貰うぞ?」




 ***


 というわけで皇帝皇后両陛下がご退室され、私達は祝賀会に臨んだわけですが。…まぁぁぁぁぁ、大変でしたわ。


「リュシー殿、魔王都でのご活躍は誠に見事でありましたな。まさに聖女の名を冠するに相応しい偉業と言えましょう。…ところでリュシー殿、実は私の下の息子が22になりましてな、是非リュシー殿を息子の妻に迎えたく…」

「あいや、待たれよ、マイヤール侯。リュシー殿ほどの素晴らしい女性を家督も継げぬ次男と引き合わせるなど、失礼ではないか。…リュシー殿、我がベルトラン家は、あなたを長男の正妻として迎えましょう。リュシー殿ほどの素晴らしい女性が()になると知れば娘のジスレーヌも喜ぶでしょうし、ゆくゆくは当主となる息子と共に我がベルトラン家を盛り立てて…」

「ベルトラン侯よ、侯のご長男はまだ14歳ではないか。10歳も年下の男に嫁がされては、リュシー殿が不憫すぎる。…リュシー殿、実は私は妻に先立たれ、長く男やもめにありましてな。新たな妻を迎え入れたいと思いつつも、なかなか良縁に恵まれず悩んでおったのですが…リュシー殿の戦乙女(ヴァルキリー)もかくやの活躍を耳にし、あなたこそルモワーニュ家の夫人に相応しい方だと確信しました。是非、ルモワーニュ家当主の私と結婚していただきたい。娘のセレスティーヌもきっと義母となったリュシー殿を慕い、あなたを主人公にした歌劇を創作し、捧げてくれるでしょう」


 うおぉぉぉぉいっ!貴方達、子爵夫人の時は揃いも揃って華麗にスルーしたくせに、侯爵夫人となった途端に求婚して来やがりますか!しかもベルトラン侯は5歳年下の義姉がセットだし、ルモワーニュ侯に至っては漏れなく18歳の義理の娘がついてくる。ラシュレー家との誼を通じ、自分達の娘を坊ちゃんの妻に送り込むためとは言え、がっつきすぎでしょ!?


「…マイヤール侯、ベルトラン侯、ルモワーニュ侯、其処までにしていただこうか」


 底冷えするような声と共に、屋内であるはずの会場に雪が舞った。背後から歩み寄って来た坊ちゃんが私の肩に手を回し、きつく抱き寄せながら、冷たい碧氷(アイス・ブルー)の輝きを三侯へと放つ。


「彼女はラシュレー家の至宝であり、私の女だ。人のものを横取りするような真似は、お控え願おう」

「なっ!?…しかし、シリル殿、確かにリュシー殿は傑物ではあるが、ラシュレー家は数百年の歴史を持つ、由緒ある名家だ。その跡継ぎともなれば、やはりその歴史に相応しい由緒ある家から妻を迎えるべきではないかと」

「ルモワーニュ侯、その発言は先ほどのご自身の求婚と矛盾するのではないか?」

「何を!?貴様、この私をルモワーニュ侯と知っての狼藉…っ!?」


 坊ちゃんの好戦的な宣言に、ルモワーニュ侯が怯みながらも反論を試みようとするが、そのルモワーニュ侯の肩が叩かれる。背後へと振り返ったルモワーニュ侯は、肩に手を置いた男に向かって声を荒げようとしたが、相手の顔を見た途端その声が凍り付いた。


「…エ、エルランジェ公…」

「ルモワーニュ侯、鷹は、優秀な鷹匠の肩に留まってこそ、力を発揮するのだよ。指揮棒や筆しか持たない芸術家の肩には、些か荷が重いだろうな」

「エルランジェ公の仰りようは、誠にごもっともであるな」


 突然のエルランジェ公の登場に、驚いていたマイヤール侯の肩が叩かれた。恐る恐る振り返ったマイヤール侯は、自身の背後に佇む、老年へと差し掛かろうとしている頭髪の薄い男性の姿を認めて、顔を強張らせる。


「…カ、カスタニエ侯…」

「マイヤール侯、確か其方の次男は、さる伯爵家の御令嬢と婚約の運びとなっていなかったかな?あまりにも風紀を乱す行為が目につくようなら、司法大臣の身としては口を挟まざるを得ないのだが」

「例え風紀を乱さずとも、可愛い甥の幸せに直接関わってくるとあれば、口を挟まざるを得ないのだがね」

「っ!?」


 左右のエルランジェ公とカスタニエ侯の姿を見て硬直するベルトラン侯の肩に新たな手が置かれ、彼は辛うじて悲鳴を押し殺した。恐る恐る振り返ったベルトラン侯は、背後に佇む恰幅の良い男性の姿を認めて、目を瞠る。


「…コ、コルネイユ侯…」

「ベルトラン侯、ラシュレー公と当家の関係は、当然ご存知でありましょうな?あまり波風を立てるようであれば、帝国宰相の立場としても色々と考えなければならないのだが、如何なさりますかな?」


 え、えっと。マイヤール侯、ベルトラン侯、ルモワーニュ侯。確かこの三侯と言えば帝都で激しい主導権争いを繰り広げている有力貴族のはずなんだけど、その三侯が皇弟エルランジェ公、宰相レイモン様、司法大臣カスタニエ侯の一公二侯に包囲されている。坊ちゃんも含めれば、帝国を代表する公侯が揃い踏み。しかも、何故か私を挟んで勢力を二分し、激しい牽制を繰り広げている。私、一介の侍女なのに、一介の侍女なのに。


「…い、いや、失礼した、コルネイユ侯。帝国開闢以来の偉業を前に、些か浮かれてしまったようだ。シリル殿、リュシー殿、失礼した。これからもお二人の活躍を期待しておりますぞ?」

「そ、それでは私達もこれで…」

「ええ、お声掛け、ありがとうございます」


 レイモン様の牽制を受けてベルトラン侯が引き下がり、マイヤール侯、ルモワーニュ侯の二人が後に続く。坊ちゃんは立ち去る三人に礼儀正しく一礼した後、残った三人に親しみのある笑みを浮かべ、頭を下げた。


「エルランジェ公、叔父上、カスタニエ侯、お気遣いいただき、ありがとうございます」

「何の、この程度の事でシリル殿に感謝して貰えるのであれば、皇弟の肩書など幾らでも貸して差し上げよう。…リュシー殿、此度は見事な働きであったな。娘のエヴリーヌも、君の獅子奮迅の活躍を耳にして舞い上がっておってな。凱旋すると聞いて上京すると言い出したよ。この機会に、是非娘に会ってくれないか?」

「え?えぇ、喜んで」

「リュシー君、ウチのロクサーヌも首を長くして待っているから。エヴリーヌ嬢との対面の後にでも、またウチに寄ってくれ」

「は、はい。レイモン様、是非お邪魔させていただきます」

「はっはっはっ、リュシー殿は引く手あまただのぅ。この老いぼれは急がぬから、今度、茶飲み話に武勇伝を聞かせておくれ」

「あ、はい。その時はご相伴に与らせていただきます」


 あ、いや、あの、お気遣いいただけるのは非常に有難いのですが、何で皆様そんなに私を構うのですか?特にエルランジェ公、何故そこまで私にご息女を売り込むのですか?一介の侍女なのに、一介の侍女なのに。


 帝国を代表する公侯のご好意に私が繰り返し頭を下げていると、エルランジェ公が横を向いて独り言ちる。


「…シリル殿、陛下に呼ばれておっただろう。ちょうど人の波も切れた事だし、頃合いではないか?」

「そうですね。この際ですから、公のご厚意に甘えさせていただきます」


 え。まだ公侯との挨拶しか済んでないんだけど。


 エルランジェ公の視線の先に目を向けると、其処には私達の様子を遠巻きに眺める、伯爵子爵男爵の皆様方。間にエルランジェ公、レイモン様、カスタニエ侯のお三方が立ちはだかり、家格の違いを見せつけ、人流を堰き止めている。


「リュシー、行くぞ。公、それではよろしくお願いします」

「あぁ、任せておけ。リュシー殿、またいずれ」

「は、はい。それでは皆様、失礼いたします」

「またね、リュシー君」

「気を付けてな」


 坊ちゃんに腕を引かれた私は去り際にお三方に頭を下げ、三様の返事を受けながら坊ちゃんと共に会場を後にした。

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