86:エスカレート
魔王都を出立して約1ヶ月余りが経過した、甕の月の10日。私達は魔王国の東端に達し、国境を越えて帝国への入国を果たした。
前日、国境沿いの街で24歳の誕生日を迎えた私は皆からお祝いの言葉をいただき、ノエミは手作りのブリオッシュでもてなしてくれた。1ヶ月以上に渡る行軍の中では流石に坊ちゃんも何も用意ができず、申し訳なさそうに頭を下げられたが、その代わり、帝都で好きな物を買っていただける事になった。私も坊ちゃんの20歳のお祝いができていないので、その時に一緒に探そうと思っている。図らずも坊ちゃんとのデートが予定され、私は早々に気もそぞろとなって、早速フランシーヌ様に茶化された。
そうして迎えた10日。私達は此処まで護衛してくれた魔王国の騎士達に御礼を告げ、帝国へと足を踏み入れたわけなのだが…。
***
「シリル・ド・ラシュレー様と、リュシー・オランド様でいらっしゃいますね?陛下の命により、お迎えに上がりました」
3ヶ月半ぶりに帝国の地を踏んだ私達は、恭しく一礼する連隊長と、背後に居並ぶ二個大隊もの騎士達を目にして、暫し硬直する。やがて、一足先に立ち直った坊ちゃんが進み出て、連隊長の言葉に応じた。
「出迎え、ご苦労。陛下の過分なまでの御厚意に、深い感謝を申し上げる。しかし、私達はすでに一個大隊に守られており、道中の不安を全く感じておらぬ。にもかかわらず、これほど大層な出迎えを受け、些か困惑しているのだが?」
坊ちゃんが率いる一個大隊はラシュレー家の直臣とフランシーヌ隊の混成部隊ではあるが、別に帝都までの道に不慣れなわけではない。勢いの衰えたアンデッドと接する北部戦線を通るわけでもなく、治安の良い国内の主要道を抜ける以上、一個大隊でも過剰戦力と言えよう。帰国にあたり、坊ちゃんは入国の予定を記した手紙を認め、帝都へと送り出していたが、まさか国境で二個大隊の出迎えを受ける事になるとは予想していなかった。坊ちゃんの質問に、連隊長が答えた。
「此度の魔王国におけるリュシー様のご活躍と百鬼夜行討伐の報に陛下はいたく感動され、リュシー様の凱旋を心待ちにして、我々を遣わしました。大仰な出迎えとお思いになられるのは当然かと存じますが、どうか陛下の並々ならぬ御配慮を、お汲み取り下さい」
いや、ちょっと待って下さいよ。何ですか、その、リュシー様って。様って。
一介の侍女に対する物腰とは思えない、連隊長の恭しいまでの言葉に、絶句してしまう。二の句が継げなくなった私を見て坊ちゃんが溜息をつき、代わりに応じてくれた。
「陛下の御配慮に、改めて感謝を申し上げる。道中の護衛を貴官に一任する。我々を無事に、オストリアへ送り届けてくれ」
「はっ、お任せ下さい」
こうして私達は前後を二個大隊に守られ厳重な警護の下で帰途を続け、2週間かけて帝都オストリアへと到着した。
帝都オストリアは文字通り、凱旋一色だった。沿道の両側には兵士達が一列に並び、等間隔に掲げられた帝国軍旗が風を受けて大きくたなびく。兵士達の列の向こうには大勢の市民達が群がり、街道を進む「英雄達」を一目見ようと身を乗り出す。所々で歓声が上がり、その都度喧騒が広がる中、前触れもなく「英雄」へと祭り上げられた私達は、おのぼりさんよろしく当惑の表情を浮かべつつ行進を続け、皇帝陛下がお住まいの宮殿へ足を運ぶ。
そして宮殿の入口に到着した坊ちゃんと私は、軍楽隊が奏でる盛大な楽曲の中、仰々しい装いの侍従達の出迎えを受けて馬車の外へと連れ出され、左右に並ぶ儀仗兵の間を通って宮中へと連れ込まれた。
宮中へと連れ込まれた私は坊ちゃんと引き離され、一室へと通された。広く豪奢な部屋の中には多数の女性が立ち並び、侍女姿の私を認めた途端、一斉に押し寄せて来る。
「リュシー様、失礼します。謁見のお時間までに、ほとんど余裕がございません。すぐにお支度をさせていただきます」
「えっ?えっ?」
私が応答する間もないまま、彼女達は私を取り囲んで浴室へと連れ込み、一斉に手を伸ばして瞬く間に私の衣服を剥ぎ取った。そのまま私は浴槽に入れられ、女性達の手で念入りに全身を磨かれる。忙しなくも手際良い彼女達の手によって2ヶ月に渡る旅の汚れが洗い流され、湯の温もりが体の疲れを癒す。突如訪れた安息の時間に私が気を緩めている合間も彼女達の手は絶えず動き続け、やがて私は急き立てられるように湯から上がり、浴室から追い出された。待ち構えていた女性達の持つタオルで全身を拭われ、手足に香油を塗り込まれる。肌が瑞々しさを取り戻すと、下着と衣装を手にした新たな女性達が群がり、問答無用で服を着せていく。背後に出現した椅子に座らされ、手を取られて爪にマニキュアが塗られ、幾つもの装飾品を身に着けさせられた。
「お待たせいたしました。大変お綺麗にございますよ」
「えっ?えっ?」
呆然としていた私の目の前に姿見が置かれ、我に返った私は鏡に写る自分の姿を見て、息を呑んだ。
私は、白を基調としたプリンセスラインの豪奢なドレスに、身を包んでいた。胸元から腰に掛け、体の線に沿ってほっそりと描かれた上半身のラインとは対照的に、スカートが大輪の花のように大きく膨らみ、長さの異なる生地が幾重にも波打ち、まるで薔薇の花弁のように翻る。そのドレスの縁には、金色の糸で編まれた幾何学模様が幾つも描かれ、純白の生地と相まって神秘的な美しさを醸し出していた。その、花嫁衣装とは異なる、しかしそれ以上に高潔さを求められそうな自分の姿に呆然としていると、部屋の扉がノックされ、新たな女官が姿を現わした。
「リュシー様、謁見の間へとお通しいたします。どうぞ、お越し下さい」
「えっ?えっ?」
私は訳も分からぬまま女官の先導に従い、謁見の間へと赴いた。謁見の間へと通ずる扉の前にはすでに坊ちゃんが佇んでおり、背後へと振り返った姿で、硬直している。その眉目の整った顔に驚きの表情を認め、私は首を傾げた。
「坊ちゃん?」
「…あ、いや、その…とても綺麗だ、リュシー」
「そんな…」
端整な唇から漏れ出た本音に、私は思わず顔を赤らめ、俯いた。坊ちゃんは咳払いを一つすると前を向いて姿勢を正し、隣に進み出た私は俯いたまま、傍らに立つ坊ちゃんに目を向ける。
坊ちゃんは黒のスーツとパンツに身を包み、内側に白のブラウスを着込んでいた。その凛々しい姿に私は思わず見惚れ、我に返って慌てて下を向く。楽器の音が鳴り、目の前の荘重な扉が開かれた。
謁見の間には大勢の人々が左右に並び、私達二人の姿を見つめていた。帝国の名だたる貴族達が一堂に顔を連ね、皇弟でもあるエルランジェ公、宰相を務めるレイモン様、司法大臣のカスタニエ侯の姿も見える。坊ちゃんと私は人々の注目を一身に集めながら謁見の間を貫くレッドカーペットの上をゆっくりと歩き、玉座に座る皇帝皇后両陛下の前に進み出ると、恭しく頭を下げた。
「…シリル・ド・ラシュレー、リュシー・オランド。面を上げよ」
「はっ」
「はい」
私達が顔を上げると、陛下が玉座から立ち上がり、私達の前へと進み出る。そして傍らに進み出た侍従長から書簡を受け取ると、その封を切って広げた。
「…此度の魔王国における活躍、誠に見事であった。かつて干戈を交え大陸の覇を競い合った両国であったが、三国停戦協定締結以後はアンデッドという共通の敵に対し肩を並べる、頼もしい仲間へと立場を変えている。
その魔王国の危急の報に対し、過去の蟠りを捨て即座に救援を向けたラシュレー公オーギュストの英断は誠に見事という他なく、当主の命に従い自ら戦火に身を投じ、義を示した嫡男シリルの行動は、帝国騎士の鑑として語り継ぐべき模範と言え、帝国の勇名を大陸に轟かせた。
よってその功績を称え、嫡男シリルに白光輝功章を授け、ラシュレー公に白金貨2,000枚を下賜するものとする」
「はっ、有難き幸せ」
おおっ!坊ちゃんに白光輝功章が授与されたっ!以前坊ちゃんが授与された聖鳳凰勲章は軍事における最高峰の勲章だけど、今回の白光輝功章は文武限らず帝国に多大な貢献を齎した者だけに与えられる褒賞で、上から2番目なんだよね。すでに坊ちゃんは聖鳳凰勲章持ちだから、これ以上となると聖光輝功章しか残っていない。僅か20歳で、文武共にほとんど最高の栄誉を収めたというわけだ。
そして、功章とは別に与えられた白金貨2,000枚にも及ぶ下賜金にも、陛下のラシュレー家に対する配慮のほどが窺える。三国停戦協定に関する全権を陛下から託されていたとは言え、今回、旦那様は独断で私兵を動かし、救援へと赴いた。その戦費は全てラシュレー家が負担していたわけだが、白金貨2,000枚もの下賜金によってその戦費が帳消しになっただけでなく、戦地に赴いた騎士全員に褒賞を与えるための十分な原資ができたというわけだ。旦那様にとって最も有難い褒賞と言えよう。
「それと、リュシー・オランド、前へ」
「はい」
主家に対する厚遇に内心でホクホクしていると、陛下に名を呼ばれた。私は表情を改め、静かに陛下の前へと進み出る。リアンジュの時には動揺したけど、流石に今回はこれ或る事を予想していたから、驚きはしない。前回は自国に対する功績だったから大盤振る舞いだったけど、今回は他国だから、せいぜい坊ちゃんと同じ白光輝功章くらいでしょ。神妙に頭を下げながら内心で高を括る私に、陛下が御言葉を述べられる。
「…リュシー・オランド。其方は魔王国において単身百鬼夜行を撃滅し、彼の国を亡国の憂き目から救い出して魔王家の多大な信頼を勝ち取るという功績を立てた。更には百鬼夜行に囚われた幾百もの魔族の人々を解放し、輪廻の輪へと導いた事によって人々から絶大な支持を受け、人族として初めて魔王国の聖女に認定されるという栄誉を受けた。この、他に類を見ない偉業を讃え ―――
――― 教会の承認の下、其方をカサンドラ・ル・ブラン、フランシーヌ・メルセンヌに続く三人目の聖女に認定し、侯爵夫人への陞爵を認め、聖光輝功章を授けると共に、白金貨200枚を下賜するものとする」




