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78:王都攻防戦

 魔王城が百鬼夜行(ハロウィン)に完全包囲されてから、2時間が経過した。




「…はぁ、はぁ、はぁ…≪炎弾(ファイア・ボール)≫!」

「…はっ、はっ、はっ…畜生!…、≪落崩撃(アース・フォール)≫!」


 高さ10メルド(メートル)に及ぶ城壁の上に大勢の魔族が並び、城壁から身を乗り出して真下に向かって次々と魔法を放っていた。地水火風、そして神聖魔法。あらゆる属性の魔法が下方に向かって雨霰(あめあられ)のように降り注ぎ、城壁を伝って登る泥を乱打する。


 城壁の中ほどまで這い上がってきた泥が、真上から落ちてきた1メルドもある岩塊をまともに浴びて潰れ、紫色に染まった堀へと叩き落された。だが、暫くすると再び頭をもたげ、城壁を伝って這い上がって来る。紫色に染まった堀の中には数多くの魔族の死体がひしめき、天空に向かって両手を伸ばしながら暗黒魔法を奏でる。


「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ…バ、≪聖罰(バニッシュ)≫!」


 城壁のあちらこちらで引き潰され、叩き落され、焼け焦げながら、紫の泥の勢いは一向に衰えず、緩慢な動作で触手を伸ばし、城壁の上に並ぶ人々を捕えようとする。その侵食に魔族の人々は繰り返し魔法を放ち、必死に抵抗を続けていたが、誰もが荒い息をついており、時を追うほどにその数を減らしていた。すでに魔術師の半数は魔力を使い果たして石畳に座り込んでおり、立ち上がる事も出来ない。


「女神よ、救いを求める者達に生命(いのち)の息吹を分け与えん。≪豊穣たる生命の恵み(ライフ・エッセンス)≫」


 突然、城の中庭に黄金の雲が立ち昇り、王城全体へと広がった。帝国の聖女が唱えた回復魔法が大勢の人々の体へと流れ込み、活力を回復させる。座り込んでいた魔術師達も何とか立ち上がる事ができたが、枯渇した魔力まで回復する事はできず、人々の邪魔にならぬよう後退する他にない。魔力が足らず魔術師になれなかった騎士達が駆けずり回り、城の中から持ち出してきた重い荷物を触手に向かって投げつけていた。


「聖女様が戻って来たぞっ!」


 挫けそうになっていた人々の許に待ちに待った知らせが入り、人々は疲れ切った顔に歓喜の色を浮かべた。振り返った人々の視界に、複数の男達を従え、城壁の上を伝って魔王城を周回する一人の女性が映し出される。


 女性は、ベージュの髪と白い肌を持つ、若い人族だった。お仕着せの地味なワンピースに身を包み、腰にエプロンを結わえたその身なりは、どう贔屓目に見ても侍女にしか見えない姿だったが、城壁を守る騎士と魔術師、治癒師の全てがその姿を待ちわびていた。通路脇に待機していた騎士見習いの少年が弾かれるように侍女の許へと駆け寄り、上気した顔で手にしていた物を差し出す。


「聖女様、どうぞっ!」

「ありがとう」


 彼女は聖女ではなかったが、何度もそう呼ばれているうちに、その都度訂正するのを諦めたらしい。重くて邪魔だからと無骨な籠手(ガンドレット)を外した彼女が、しなやかな指を騎士見習いへと伸ばし、少年の掌から二本の刃物を摘まみ上げる。厨房から持ち出してきた包丁と、パン切りナイフ。どちらも戦闘とは無縁の代物だったが、侍女は両手に一本ずつ掴むと切っ先を上に向けたまま城壁へと駆け寄った。石積みの窪みに爪先を引っ掛けて踏み出し、厚みを持った縁石の上に身を横たえると、うら若き乙女とは思えないはしたなさで両足をばたつかせ、両手に刃物を持ったまま這って城壁の外へと身を乗り出す。


「…坊ちゃぁぁぁん、足首を押さえて下さぁぁぁい」

「お前、落ちるなよ」


 凹凸に並べられた縁石の窪みから侍女の両足が顔を覗かせ、人族の男が不貞腐れた表情で足を掴んで押さえつける。魔族の騎士達が次々に身を乗り出し、縁石の間から外に顔を出すと、腹這いのまま胸下まで身を乗り出した侍女が両手に刃物を持ち、真下に目を向けていた。見下ろす先では空堀の中で紫色の泥が蠢き、緩慢な動作で上空に向かって触手を伸ばしている。空堀は多くの死体で埋め尽くされ、抑揚のない声で呟きを繰り返していた。


「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「フゥッ!」


 ボッ!


 侍女が縁石に腹這いになったまま、左右の手に持つ刃物の切っ先を真下に向け、無造作に突き出した。右手に持ったパン切りナイフの先から一条の閃光が放たれ、上空へと伸びて来た触手と接触して一瞬で消滅させる。閃光は進行方向の腐肉を抉り、周囲の泥を消し飛ばしながら堀の底に突き刺さり、死体で埋め尽くされた泥の海に直径3メルドの大穴を穿つ。大穴の周囲は炭化して幾筋もの白煙を噴き上げ、一度消滅した死体が再び復元する事はなかった。


「…あれ?」


 侍女が下を向いたまま疑問の声を上げ、手にした刃物を下方に向けて交互に突き出した。手の前後運動に沿って右手のパン切りナイフからは次々と閃光が放たれるが、左手の菜切包丁は何の変化もなく、虚しく空を切る。侍女は腹這いのまま菜切包丁に目を向け、上下に振って小首を傾げていたが、やがて得心した表情を浮かべ、一人で頷いた。


「…あ。切っ先がないから出ないのか」


 菜切包丁の刃は四角く、先端が尖っていない。一人で納得した侍女は菜切包丁を空中に放り投げると、顔を上げ、隣の隙間から心配そうに顔を覗かせているヒルベルトへと目を向けた。


「殿下、誠に申し訳ありませんが、先の尖った刃物を取っていただけますか?」

「はい!すぐに!」


 侍女のお願いを聞いたヒルベルトが弾かれるように背筋を伸ばし、身を翻して騎士見習いの許へと駆け出す。そのヒルベルトの行動を目にした騎士達は、不謹慎と思いながらも笑いを堪えるのに必死になった。


 侍女の身でありながら己の主人に自分の両足を押さえさせ、魔王国の王子を顎で使う。


 亡国の危機に瀕し、愛する家族や財産を失った彼らにとって、傍若無人とも言える彼女の行動はあまりにも新鮮で、面白くて、可笑しくて。


 挫けそうになっていた心に新たな火が灯り、生きる力が湧いてくる。


「リュシー殿、お待たせしました!」

「殿下、ありがとうございます」


 駆け戻って来たヒルベルトが縁石の間から手を伸ばし、果物ナイフを差し出した。侍女は腹這いになったままはにかむように微笑むと、左手を伸ばして果物ナイフの柄を掴む。再び両手に刃物を持った侍女は下を向き、左右の手を真下に向けて交互に繰り出した。


「フゥゥゥゥッ!」


 ボボボボボボッ!


 左右の刃物から放たれた閃光が放射状に降り注いで泥と死体を消滅させ、堀に沿って横一列に無数の大穴を穿つ。周囲の泥が穴へと流れ込んで堀を埋め戻そうとするが、上空から降り注ぐ閃光が泥を消失させて新たな大穴を開け、堀の中の泥を痩せ細らせる。


 そうして堀の中に穿たれた無数の大穴が繋がって、泥の海の中に一本の太い線が描かれた頃。


「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を…」

「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと…」

「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶…」


 堀の中に浮かぶ無数の死体が一斉に口を閉ざし、魔王城に静寂が訪れた。




「…うおおおおおおおおおおおおおっ!」


 突如訪れた静寂を前に人々が呆然とする中、ヒルベルトが空堀を覗き込んだまま、雄叫びを上げた。城壁から身を乗り出し、転落の危険を顧みずに拳を突き上げ、眼下に向かって声を張り上げる。


「貫いたっ!聖女様の光が、ついに核を貫いたっ!聖女様が百鬼夜行(ハロウィン)を討ち斃したぞおおおっ!」

「「「…おおおおおおおおおおおおおおっ!」」」


 侍女の放った閃光が核となっていたワイトを滅却させた事を知り、人々は城壁の上で飛び上がって喜んだ。拳を突き上げ、怒涛の雄叫びを繰り返す男達を背に、ヒルベルトが眼下に向かって勢い良く手を振り下ろす。


「魔王国の勇士達よ、奮い立てっ!もはや空堀で蠢いているのは、只のゾンビだっ!今こそ偽りの生に囚われた同胞達を救い出し、彼らの無念を晴らすのだっ!」

「うおおおおおおっ!女神よ、(あな)より這い出た偽りの生を質し給え!≪聖罰(バニッシュ)≫!」

「女神よ、聖なる光をもって邪悪な存在を討ち祓わん!≪聖煌(ホーリー・ライト)≫!」

「≪炎槍(ファイア・ランス)≫!」


 ヒルベルトの号令を受けて魔術師や治癒師達が城壁へと駆け寄り、最後の力を振り絞って次々と魔法を詠唱した。空堀を埋め尽くすゾンビ達は口を噤んだ後も仰向けのまま手や頭を動かし、絶えず蠢いていたが、下半身が泥と一体化して身動きが取れない。堀の底を埋め尽くすゾンビに向かって真上から大量の魔法が降り注ぎ、ゾンビ達は次々と浄化され、灰となっていく。


「リュシー、お前、大丈夫か?」

「大丈夫です、坊ちゃん。ありがとうございます」


 大勢の人々が身を乗り出し、真下に向けて繰り返し魔法を放つ中、縁石に腹這いとなって身を乗り出していた侍女が男にズルズルと足を引っ張られ、戻って来た。やっとの事で地面に降り立ち、侍女が土埃に塗れた衣服を叩いていると、騎士見習いの少年が駆け寄り、果実水をなみなみと湛えたコップを勢い良く差し出す。


「聖女様、お疲れ様でした!どうぞ、お召し上がり下さい!」

「あ、ありがとうございます。それじゃぁ、遠慮なく」


 侍女は微笑み、少年からコップを受け取ると左手を腰に添え、右手で持ったコップに口をつけて傾ける。侍女が口を動かすたびに細く白い首が艶めかしく蠢き、少年は頬を染め、彼女の横顔を食い入るように見つめ続けた。侍女は半分ほど飲み終えたところで口から離し、手にしたコップを人族の男へと差し出す。


「坊ちゃんも飲みますか?」

「ああ、貰おう」


 侍女の申し出に男は躊躇いなく応じてコップを受け取り、少年の殺意の籠った眼差しを無視して飲み始めた。周囲で歓喜の声が繰り返される中、男と少年がコップを挟んで睨み合い、そんな二人の姿を侍女が不思議そうに眺める。


「「「魔王国、万歳っ!」」」

「「「聖女様、万歳っ!」」」


 こうして国土の西半分を蹂躙し、国民を恐怖のどん底へと陥れた百鬼夜行(ハロウィン)は、魔王都メル・ベル・ヘスにおいて討ち取られ、魔王国は建国以来最大の危機を乗り越えた。

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