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77:百鬼夜行(2)

「嗚呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼っ!≪炎人(サモン・ファ)召喚(イアゴーレム)≫!」

「殿下っ!?」


 突然、ヒルベルト様が悲鳴としか思えない叫び声を上げ、魔法を詠唱した。


 何処からともなく3メルド(メートル)ほどの巨人が現れ、大量の泥の前に立ちはだかった。巨人の全身は灼熱の炎に覆われ、巨人から発せられる大量の熱が周囲を焼き、新たな火の手が上がる。炎の巨人は緩慢な動きで大きな手を振り上げると、左右の腕を交互に振るって前方から押し寄せる大量の泥を薙ぎ払う。巨人の足に纏わりついた泥は瞬く間に炎に包まれて焼け焦げ、灼熱の張り手を浴びて炭となって飛び散り、泥の中に漂いながら暗黒魔法を唱える死者達も、一様に炎に包まれた。


 多くの同胞達が泥の中から救いを求めるように手を伸ばし、炎の巨人に薙ぎ払われて火を吹き上げるさまを、ヒルベルト様は激情に駆られて涙を流し、歯が欠けるほど固く食いしばりながら、目を凝らし続ける。


「あぁぁぁぁぁ…、兄上ぇぇ…兄上ぇぇぇぇぇ…っ!」

「…えっ!?」


 ヒルベルト様の慟哭に私は驚愕し、泥へと向き直った。


 泥の中で漂いながら炎に包まれる、多くの死者達。その中に、ミスリル製の美しい装飾の鎧を纏った若い男性が居た。生前は秀麗だったであろう顔を苦悶に歪め、炎に包まれたまま両手を挙げて彷徨わせ、なおも暗黒魔法を呟き続ける。その一言々々を呟くたびに、焼け焦げたはずの肌が水気を帯びた紫色へと戻り、再び炎に焼かれていく。炎の巨人は再生を繰り返す男性の前に立ちはだかり、他の死体には目もくれず燃え盛る巨腕を振り上げ、まるで癇癪を起した子供のように男性だけを執拗に殴り続ける。


 その、目を背けたくなるほどの痛ましい光景が延々と繰り返され、ヒルベルト様が崩れ落ちて地面に膝をついた。


「止めてくれっ…!頼むから、もう、止めてくれっ…!」

「坊ちゃんっ!殿下を後退させて下さいっ!これ以上、見せてはなりませんっ!」

「わかった!」

「殿下っ!落ち着いて下さいっ!」


 子供のように泣き喚くヒルベルト様を見て、私は怒鳴り声を上げた。魔王国の騎士達がヒルベルト様の元に駆け寄り、数人がかりで抱え上げると、王城へと連れ戻す。後に残った私達は素早く周囲を見渡し、その惨状を目に焼き付けた。


 泥は、正面に立ちはだかった炎の巨人の周りで燃え上がり、焼け焦げながら、巨人を回り込むようにこちら側へと流れ込んでいた。焼けた事で鈍くなっていたその動きは暗黒魔法によって再生され、少しずつ粘り気と滑らかさを取り戻していく。焼け焦げた姿で巨人を迂回した死体は泥の中を漂いながら少しずつ再生し、自ら唱える暗黒魔法によって不吉な紫色の肌を取り戻す。濛々と黒い煙を上げる大通りの向こうから次々と大量の泥が流れ込み、炎の巨人は泥の中で一人仁王立ちし、灼熱の巨腕を振るって抗い続けていた。


 左右に目を向けると、石造りの建物が立ち並ぶ路地の隙間から、此方に向かって紫色の泥が流れ込んで来ていた。狭い路地に流れる泥から死者が身を乗り出し、両手を空中に掲げて彷徨わせながら、暗黒魔法を呟き続けている。その恐ろしい光景を一瞥した私は正面を向くと両腕の籠手(ガンドレット)に拳を添え、スリットから仕込みナイフを引き抜いた。腰を落とし、ナイフを指の間に挟んで両拳を引き絞ると、巨人に執拗に殴られる若い男性に向かって黙礼する。


 …願わくば、安らかな眠りを迎えられますように。


「…フゥゥゥゥッ!」


 ボボッ!


 左右の拳から放たれた四条の閃光が炎の巨人の足元を抜けてミスリル鎧を纏った男性を捉え、即座に消滅させた。収斂が進んで今や小指の爪先まで細くなった四条の閃光は、周囲の腐肉を消失させて深い溝を刻み、大通りを西に向かって飛び去って行く。大通りを覆っていた泥は幅3メルドに渡って一掃されてかつての石畳が現れ、その上に死者が身に纏っていた衣服が点々と散らばっていた。南北に両断された泥は周囲が白化し灰となって崩れながら、左右から新たな泥と死者が押し寄せ、少しずつ溝を埋めていく。石畳に転がっていたミスリル製の鎧も、やがて再び泥に呑み込まれた。


「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「ハァァァァッ!」


 ボボボボッ!


 私は南に体を向け、時計回りに体を回転させながら左右の拳を繰り出した。南の路地に飛び込んだ二条の細い閃光は、狭い路地に流れ込んだ泥と死体を一掃し、突き当たりの石壁に小さな穴を穿って白煙を噴き上げる。南の路地から西の大通りを経由し北の路地まで放射状に放たれた無数の閃光が、1メルドにも及ぶ分厚い泥とそこに埋まった大勢の死体を消失させ、地面に灰色の石畳と紫の泥、浄化し尽くされた真っ白な灰の三色の縞模様を描く。


 そうして最後に北の路地へと拳を突き出した私は、残心を解いて籠手(ガンドレット)に仕込みナイフを仕舞うと、背後で唖然とする人々に向かって静かに宣言した。


「…坊ちゃん、撤退しましょう。包囲されたら、一巻の終わりです。王城に立て籠もり、上から殲滅します」

「…わかった」

「リュシー、アタシ達は先に行ってるよっ!」


 私の言葉に坊ちゃんが我に返り、周囲で硬直している魔族の騎士達に呼び掛けて籠城を進言する。ハヤテ様がフランシーヌ様を抱かえたまま後方へと駆け出し、周囲が慌ただしく後退する中、私は再び正面へと振り返り、路地裏から新たに押し寄せる泥と死者達に冷たい目を向けた。


「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「…もう少しだけご辛抱下さい。私が必ず、弔って差し上げます」


 私の呟きに使役者を失った炎の巨人は何も答えず、背を向けたまま、ひたすらその巨腕を泥へと叩きつけていた。




 ***


「急げっ!早く城内に戻るんだっ!」

「残りは!?」

「この隊が最後ですっ!」

「…」


 魔王国国王リカルドは王城を取り囲む城壁から身を乗り出し、眼下で繰り広げられる光景を食い入るように見つめていた。




 魔王都メル・ベル・ヘスの中央にそびえ立つ、魔王城。その西正門の前に、一人の女性が立ちはだかっていた。


 女性は西正面に陣取る僅か二十人程の集団から一人突出し、西と南北の三方へと貫く大通りに目を光らせている。その女性は魔王国を構成する魔族とは異なる、ベージュの髪と白い肌を持つ人族で、橙と銀の二色に彩られた無骨な籠手(ガンドレット)を両腕に着け、お仕着せの地味なワンピースに身を包み、腰に白いエプロンを結わえている。その出で立ちはどう贔屓目に見ても侍女としか思えない姿で、戦いとは無縁の存在であるのにも関わらず、三方から忍び寄る腐肉の泥と大量の死体を前にして傲然と立ちはだかり、周囲を睥睨している。その背後を、北の通りから駆け戻って来た大勢の男達が通り過ぎ、西城門を潜って次々に入城する。


「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」


 傲然と立ちはだかっていた侍女が左足を引き、両拳を引き絞った。西城門の上から食い入るように見つめるリカルドの真下で、侍女が西の大通りに向かって左右の拳を繰り出す。侍女が拳を繰り出すたびに閃光が二条ずつ西の大通りを駆け抜け、街を埋め尽くす紫色の泥を消滅させて太い溝を刻み、西の彼方へと飛び去る。魔王国を支えて来た数多くの魔術師や治癒師、かつては五人を数えた聖女、いずれの力をもってしても消し去る事ができず、何度斃しても暗黒魔法によって蘇ってきた同胞達の死体が、侍女が放つ閃光の前では瞬く間に消え失せ、再び戻って来る事がない。その、自分達では決して為し得なかった光景を目の当たりにして、リカルドは城壁から身を乗り出したまま、唇を戦慄かせた。


「…何だ、一体、彼女は何者なのだ!?彼女が、帝国の聖女なのかっ!?」

「いえ、彼女は聖女ではありません。ですが、彼女こそ我々が待ち望んでいた人に、違いありません」


 震えるようなリカルドの問いに、三国会合の場に赴いていた魔王国の大隊長が、抑えきれない興奮を声に乗せて答える。大隊長の答えを無視し、食い入るように真下を見つめるリカルドの耳に、若い男性の悲愴な声が響き渡った。


「リュシー殿っ!もうお戻り下さいっ!これ以上は危険です!」

「いえっ!まだ未帰還者が居ますっ!殿下こそ、一刻も早く城内にお入り下さいっ!」


 リカルドの次男、今や王家唯一の直系男子となったヒルベルトが、臣下達に押し留められながら、侍女を呼び止めている。ヒルベルトの悲鳴にも似た呼び掛けに、侍女は振り返って悠然と微笑むと、再び拳を引き絞り、三方の大通りに向かって次々と拳を繰り出した。侍女の拳から放たれた無数の閃光が南北と西へと伸びる通りを駆け抜け、周囲を埋め尽くす泥と死体を瞬時に消し去って太い溝を刻んでいく。


「リュシーっ!全員収容した!戻れっ!」

「はい、坊ちゃんっ!…フゥゥゥゥッ!」


 橙色の髪を湛えた人族の男の声に侍女が応じ、西城門へと後退しながら南北西の三方に向かって無差別に拳を繰り出した。無数の閃光が三方に散らばり、押し寄せる紫の泥と死体を消し去る。侍女を収容した西城門が閉ざされて跳ね橋が上がり、やがて西側のあらゆる路地から押し寄せて来た大量の泥が城の周囲を取り囲む空堀へと流れ込み、魔王城は紫色の泥とかつての同胞達の死体に包囲された。城壁の周りに漂うかつての仲間達が虚ろな顔を向け、抑揚のない声で呪われた歌を奏でる。


「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」

「…男神(おがみ)よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生(グレーター・ヒール)≫」


 侍女が無事に西城門を潜り抜けたのを見届けたリカルドは、すぐさま身を翻し、石段を駆け下りた。齢50を越えた体が久しぶりの酷使に悲鳴を上げ、地上へと降りた時には肩で息をする有様だったが、リカルドは息を整える暇も取らず侍女の許へと駆け寄る。侍女はまるでヒルベルトを従僕のように引き連れ、橙の髪を湛えた人族の男と会話していたが、リカルドはそんな彼女の手を取ると、両手でしっかりと握り締めながら万感の想いを口にした。


「勇敢なる女性よ、其方(そなた)は我が魔王国の救世主だ。私は魔王国の国王、リカルド。どうか其方の名前を教えていただけまいか?」

「っ!?た、大変失礼いたしましたっ!陛下とは思わず、このような御無礼をっ!」


 リカルドに手を取られて目を瞬かせていた侍女が驚き、慌てて傅こうとするのを、彼は侍女の手を握り締めたまま押し留める。


「好いっ!以後魔王国は其方の一切の無礼を赦すっ!だから、どうか顔を上げていただきたい」

「お、畏れ入ります…」


 リカルドの言葉に侍女は頬を染め、手を取られたまま恐る恐る顔を上げた。その顔には赤みが射し、幾分息が弾んでいたが、百鬼夜行(ハロウィン)と死闘を繰り広げた直後とは思えないほど溌剌(はつらつ)としており、健康美に溢れていた。その、華美な装飾とは無縁な、しかし生命と魅力に満ち溢れる立ち姿にリカルドは内心で感嘆しながら、もう一度同じ質問を繰り返す。


「私からのお願いだ。其方の名を聞かせて欲しい」

「…リュシー・オランドと申します、陛下。ラシュレー公爵嫡男、シリル・ド・ラシュレーの侍女を務めております」

「侍女…そうか、侍女か…」


 おずおずと名乗りを上げた侍女の、外見と一致した、しかしある意味で最も予想を裏切る職業紹介に、リカルドは思わず顔を綻ばせる。彼はようやく侍女の手を離すと、彼女の傍らで片膝をつき、首を垂れる若い人族の男性に声を掛けた。


「…其方が彼女の主人の、シリル殿だな?」

「はっ。オーギュスト・ド・ラシュレーの長子、シリルと申します。三国停戦協定に基づく救援要請に呼応し、帝国軍一個大隊を引き連れ、馳せ参じました」

「そう畏まらず、立ち上がってくれぬか、シリル殿。己の主人が傍らで傅いていては、リュシー殿も肩身が狭かろう」

「畏れ入ります」


 リカルドの言葉にシリルが一礼し、立ち上がる。リカルドは自分より背の高いシリルの顔を見上げ、憔悴した顔を綻ばせた。


「このような難局に跡継ぎを派遣してくれたラシュレー公へ、最大の感謝を申し上げる。無事に乗り越えた暁には、魔王国は必ずやこの恩義に報いろう」


 そう答えたリカルドは、シリルの傍らに佇む、小柄な獣人族の若い女性へと目を向ける。


「そして其方が、あのオウガ殿のご息女かな?」

「はい、陛下。獣王オウガの長女、ハヤテと申します。以後、お見知り置き願います」

「新たな王太女に任じられたと聞いておる。危急存亡の(とき)でなければ慶賀の言葉を贈りたいところだが、それは日を改めさせていただこう。よくぞ来て下さった。獣王国の計らいに、篤く御礼申し上げよう」

「はっ」


 リカルドの感謝の言葉にハヤテが簡潔に答え、軽く一礼する。ハヤテの武人らしい一礼にリカルドは頷きを返すと、目を伏せて畏まる侍女へと視線を戻した。国王の威厳を纏った言葉とは裏腹に、不安と、侍女に対する過剰なまでの期待が滲み出る。


「…して、リュシー殿、この包囲網を其方は如何様にして突破するおつもりだ?其方の考えに、我が国は全面協力する。遠慮なく策を述べて欲しい」


 既に周囲の空堀は紫色の泥と魔族の死体で満ち溢れ、魔王城は百鬼夜行(ハロウィン)によって完全に包囲された。もはや魔王国にこの状況を打開する術はなく、ベージュの髪を持つ、目の前の人族の侍女に全てを託す他にない。リカルドとヒルベルトの縋るような目の前で侍女が顔を上げ、瑞々しい珊瑚色の唇を開く。


「…刃物を」

「…え?」


 侍女の口から放たれた簡潔な言葉に、リカルドは目を瞬かせた。リカルドの硬直を余所に、侍女はヘーゼルの瞳に決意の光を湛え、淀みない言葉で言い放った。


「…短剣でもナイフでも構いません。ありったけの刃物を、城壁の上に並べて下さい」

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