76:百鬼夜行(1)
魔王都メル・ベル・ヘスまで、あと1日。其処で私達が目にしたのは、魔王国が直面する厳しい現実だった。
「…何て事…」
車窓を通じて沿道を眺めていたフランシーヌ様が目を見開き、口元を押さえる。フランシーヌ様と並んで腰を下ろすハヤテ様も、馬車の外に広がる光景に厳しい視線を向けていた。
メル・ベル・ヘスへと続く沿道には、夥しい数の避難民が座り込み、魔王都へと向かう救援軍に縋るような目を向けていた。その視線は不安と疲労の色が濃く、途方に暮れており、私達の登場に歓喜するわけでもなく、だけど他に頼るものがないと言うべき諦めにも似た目で私達を観察する。車外から、随行する騎士の、大きく勇ましいだけの声が聞こえて来た。
「ヒルベルト殿下が帝国、獣王国からの救援の第一陣を引き連れ、お戻りになられたぞ!帝国の聖女様も駆け付けて下さった!皆の者、今少しの辛抱だ!我々は必ずや百鬼夜行に打ち勝ち、平穏を取り戻してみせよう!」
嘘だ。帝国と獣王国の救援は、これ以上来ない。しかし、それを口にするわけにはいかない。ヒルベルト様率いる魔王国軍1個大隊と帝国軍1個大隊、僅か2個大隊しか居ない救援軍を見た人々が絶望に陥らぬよう、取り繕っているだけだ。既にヒルベルト様は馬車に同乗しておらず、騎乗して威風堂々とした姿を避難民達に披露している。王族の姿を臣民の目に晒して粉飾しなければこの場を取り繕えないほど、魔王国は追い詰められていた。坊ちゃんとハヤテ様が車窓の外に厳しい目を向け、重々しい声で言葉を交わす。
「此処まで避難民が流れ着いているとなると、既に魔王都は避難民で溢れていますね」
「もしくは、…彼らは魔王都を見捨てたのかも知れない…」
2ヶ月前、ヒルベルト様が魔王都を発つ時には百鬼夜行は魔王国西部に居座っていたそうだが、三国会合へと赴いている間に東進し、メル・ベル・ヘスに指呼の間まで迫っていた。その間、魔王国は残存兵力を結集し抵抗を続けていたが、百鬼夜行の侵攻を止める事ができず、国土はまるで水に浸した布のように侵食されていた。西から押し寄せる百鬼夜行から逃れるため、人々がメル・ベル・ヘスの南東に伸びるこの道を伝い、重い足取りで南東へと進む。
此処で食い止めなければ、いずれこのうねりは帝国を、ラシュレー家をも呑み込んでしまう。
「…リュシー、今のうちに休んでおけ。着いたら、即座に戦いになるかも知れないからな」
「はい」
坊ちゃんの言葉に私は頷き、雑念を振り払うと座席に深く腰掛け、目を閉じる。
私は、兵器だ。兵器は余計な事を考えず、ただ無心で敵を倒すたけの存在だ。余計な事は全て坊ちゃん達に任せ、私はその時に備え、刃を研ぎ澄まさなければならない。
目を閉じた私は心を鎮め、揺れる馬車の中でその時が来るのを待ち続けた。
「…西の空が、紅い…」
その日の夜。
馬車を降り、最後の野営地で坊ちゃん達と夕食を摂っていた私は、誰かの呟きを耳にして顔を上げた。
すでに陽は完全に沈んで辺りは一面暗闇に閉ざされ、野営地の篝火だけが点々と辺りを灯していたが、西の地平線が薄っすらと紅く染まり、不気味に夜空を照らしていた。スプーンを持つ手を止め西の空を眺める私達の許に、司令部から戻って来たヒルベルト様が近づき、厳しい表情で答えた。
「魔王都から急使が到着しました。現在、百鬼夜行はメル・ベル・ヘスの西15キルドの地点におり、東進を続けています。我が軍が昼夜を問わず攻撃を続けておりますが、百鬼夜行の進軍を止める事ができません。このままで行くと、明日、メル・ベル・ヘスは呑み込まれます」
「明日が、最初で最後のチャンスですか…」
「ええ」
坊ちゃんの言葉にヒルベルト様は唇を噛み、悲壮な決意を口にする。
「父王リカルドは住民にメル・ベル・ヘスからの退避を命じ、自身は残余の兵と共に王城に立て籠もり、魔王都と運命を共にする覚悟です。シリル殿、これより私は軍を再編し、歩兵を切り離します。最悪、リュシー殿とフランシーヌ様だけでも魔王都に送り届けねばなりません」
「了解しました。帝国も直ちに軍を再編します」
坊ちゃんは手にしていた食器を脇に置いて立ち上がると、腰を下ろしたまま坊ちゃんを見上げている私達一人ひとりの顔を見て、宣言する。
「ハヤテ殿、フランシーヌ様、明日は強行軍になります。今晩はもうお休みになり、決戦に備えて下さい。リュシー、お前もすぐに休め。後は俺がやっておく」
「あいよ、コイツらの御守りはアタシに任せな」
「は、はい。わかりました、シリル様」
「はい、坊ちゃん」
坊ちゃんの宣言に私達は三様の答えを返し、食事を終えるとすぐに横になる。不安のあまりなかなか寝付けず、寝返りを繰り返すフランシーヌ様を余所に、ハヤテ様と私は早々に眠りに落ち、寝息を立て始めた。
***
翌日。
歩兵を切り離し騎兵のみとなった私達は、魔王都へと通ずる道をひたすら駆け続けた。馬車を乗り捨てた私達は各々騎乗し、馬を操れないフランシーヌ様はハヤテ様の後ろにしがみ付いている。ノエミやシズクさんを歩兵達の許に残し、歩兵を切り離した事で大隊規模さえも割り込んだ私達は、乗り潰す勢いで馬を駆り、既に避難民の疎らになった道を全力疾走する。
やがて私達の道行く先に、魔王都メル・ベル・ヘスが見えて来た。石造りの建物が連なる街の中央に、城壁に囲まれ幾つもの尖塔を束ねたような王城がそびえ立つ。その趣のある街並みと融合し、曲線を描くように天へと伸びる王城の壮麗な姿は、平時であれば画布に描かれた絵画のような魅力を湛えていたが、今やその画布の西側には至るところに火の手が上がり、濛々と黒い煙を上げている。
そして建物と黒煙の合間に新たな火柱や竜巻、雷が絶え間なく吹き荒れ、世紀末の様相を呈していた。
「殿下!?ご無事で!」
「帝国と獣王国の救援軍を連れて来た!皆の者、馬を頼む!すぐに出るぞっ!」
メル・ベル・ヘスへと突入した私達は、中央にそびえ立つ王城の門前へと駆け込むと、馬を降りる。城門が開き、中から数十人の騎士が飛び出してきたが、ヒルベルト様は乗っていた馬を押し付けるとすぐに踵を返し、煙の立ち込める西へと駆け出した。私や坊ちゃんをはじめ、魔王国と帝国の騎士達もヒルベルト様の後を追い、ハヤテ様は小柄な体でフランシーヌ様を軽々と抱え上げる。
「フランシーヌさんよ、舌を噛むなよ!」
「は、はいっ!」
黒煙はすでに王城の5ブロック手前まで、押し寄せていた。私達が駆けつける先には魔族の魔術師や騎士達が黒煙の前に横列を為し、煙の向こうへ次々と魔法を放っている。
「≪爆裂≫!≪炎渦≫!」
「≪地壁隆起≫!≪岩槍≫!」
「≪雷弾≫!…うわぁぁぁっ!」
「あぁっ!?」
突如、横合いの路地から紫色の「波」が押し寄せ、煙と対峙していた人々の頭上に覆い被さった。汚泥のような粘り気を持った「波」は次々と人々を引き倒し、厚さ1メルドほどの泥の中へと引きずり込んでいく。「波」に呑まれた人々は必死に顔を出して仲間達に助けを求めるが、粘着質の液体が人々の口や鼻へと侵入する。
「た、助けてく…ごぼっ…!?」
「あぁっ!?め、女神よ、孔より這い出た偽りの生を質し給え!≪聖罰≫!」
悲鳴を上げる同胞達を助けようと、治癒師の一人が≪聖罰≫を唱えた。紫色の泥に塗れた石畳に魔法陣が描かれ、天空に向かって巨大な光柱が立ち昇る。光柱の中で泥に幾筋もの湯気が立ち昇り、泥が泡立って蒸発するが、次々と押し寄せる泥の前にやがて同胞はおろか光柱さえも呑み込まれた。
そして、路地裏から流れ着いて来たものが、泥の中で漂いながら不気味な歌を奏でていく。
「…男神よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生≫」
「…男神よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生≫」
「…男神よ、深淵の安らぎと虚無の息吹、生者の絶望と苦悶を糧に、死者を蘇らせ給え。≪大再生≫」
「…うぷっ!?」
「な、何だい、アレはっ!?」
泥の中に漂い、謳い続けるものを見た途端、フランシーヌ様は胃から込み上げて来たものを必死に手で押さえ込んだ。歴戦の勇士であるはずのハヤテ様でさえ青白い顔に驚愕の表情を貼り付かせ、硬直する。
そのあまりのおぞましさに坊ちゃんと私は全身が総毛立ち、やり場のない怒りを堪えて、彼らを睨みつけた。
「…ち、畜生っ…!」
「…こ、これが腐肉喰らい…百鬼夜行…」
私達の前に流れ着いたもの。
それは、―――泥の中に埋まり、苦悶の表情を浮かべたまま抑揚のない声で暗黒魔法を呟き続ける、無数の魔族達の成れの果てだった。




