74:王太女との交流
「まぁ、ラシュレー公はアタシを客将として迎えてくれたわけだけど…、要は人質って事だぁね」
魔王国の王都メル・ベル・ヘスへと向かう、四人掛けの馬車の中。
私は坊ちゃんと並んで座席に腰掛けたまま、はす向かいに座るハヤテ様の言葉に耳を傾けた。私の向かいにはヒルベルト様が腰を下ろし、ハヤテ様の話を伺っている。私はハヤテ様の言葉に聞き耳を立てながら、心の中で自問自答を繰り返した。
…な、何で私、こんな御大層な面々と普通に会話しているのよっ!?
私のはす向かい、最も上座に座っているのが、獣王国の王太女。その隣に腰を下ろしているのが、魔王国第二王子。隣に目を向ければ、帝国の公爵家嫡男。そして、帝国どころか、もはやこの大陸に僅か二人しかいないはずの聖女は同じ馬車に乗り切れず、魔王国の高官と共に後続の馬車に身を寄せている。
そんな聖女を差し置いて、末席とは言え三国を代表する錚々たる面々と一緒の馬車に乗って対等の会話をする、平民出の一介の侍女。此処一年半の間に培われた、新たな交流関係の肩書のインフレ率が酷い。
「今回、獣王国は三国会合において失態を犯した。決して本意ではなかったにせよ、内紛に帝国の代表を巻き込み、命の危険に晒したわけだ。其処に魔王国の救援が入ったわけだが、アタシ達の不得手な分野の上に、国内に悶着を抱えて早急に軍を返さねばならぬ以上、援兵を送るわけにもいかない。他国の代表の身の安全を脅かした上に三国停戦協定の不履行とあっては、帝国と魔王国、両国からの協定違反の追及は免れないからね。
だから父上は、アタシに僅かな供回りを付けただけの、ほとんど単身とも言える加勢を命じたわけだ。獣王国の後継者でもある王太女を人質として預ける事で帝国に敵意がない事を示し、王太女という最重要人物を派遣する事で、魔王国の救援要請に対する獣王国の姿勢を鮮明にする。内紛の鎮圧に必要な兵力も割かずに済み、国内に対する面目も立つ。アタシも他国の見聞を広める機会が得られて、八方丸く治まると言うわけだ。
それだから、多分、魔王国の救援が終わった後も暫くは帰国せず、ラシュレー公の許で厄介になるんじゃないかな?帝国との交流の名目でさ。父上は壮健だし、シズクも連れて来ているから、急いで戻る必要もない。…思ったよりも長い付き合いになるかもね、リュシー」
「お気になさらず、ハヤテ様。良き隣人としてのお付き合いとあらば、大いに歓迎いたします」
「隣人とか、硬ぇ事言うなよ、なぁ?」
私が座席に腰を下ろしたまま静かに頭を下げると、ハヤテ様は両手を広げ、下唇を突き出した。三国会合での一件の後、ハヤテ様の私に対する接し方は非常に砕けたものとなり、私が「殿下」と呼ぶたびに「呼び捨てにしろ」と訂正して来る。だからと言って三大国の王太女を呼び捨てするわけにもいかないので、「様」付けで我慢していただいているのが、現在の状況だ。
ハヤテ様の、貴人とは思えないざっくばらんな態度に、ずっと厳しい表情を浮かべていたヒルベルト様も思わず顔を綻ばせる。魔族の容姿は人族に近く、端正な目鼻立ちと尖った耳、人族よりも細身である事を除けば、形状に大きな違いはない。人族との大きな違いは、色彩にある。
スモーキークォーツやタイガーアイを連想させる、透明感のある褐色の肌。貴金属のように輝く銀色の瞳と、妖精が紡いだような煌めきを放つ銀色の髪。三種族の中で最も端麗と評される魔族の特徴とも言える、二色の鮮やかなコントラストを湛え、ヒルベルト様が向かいに座る私に目を向けた。
「…リュシー殿は何故、それほどの力をお持ちでありながら、侍女の身なりをしていらっしゃるのですか?」
「完全な成り行きです、殿下。元々は騎士だったのですが、魂喰らいとやり合った際、体を損ないまして。主君の計らいで侍女に転じ、4年に渡って療養を続けていた名残です」
「なるほど。では、今はその必要もなくなったと?」
「はい。フランシーヌ様のお力添えで浄化魔法に目覚め、完治する事ができました。今は必ずしも侍女である必要はありませんが、不都合もございませんので、主君の命に従って自分の役目を全うしている次第です」
「そうですか」
私の言葉にヒルベルト様は頷き、瞳に些かの羨望の光を浮かべ、寂しそうに微笑む。
多分、羨ましいのだろう。私が負傷し一線から身を引きながらも、もう一度戻って来れた事に。
百鬼夜行に囚われ、もう二度と戻って来ない同胞達を想って。
***
「フゥゥゥゥッ!ハァァァァッ!ハッ!」
「…ぅ、うぅん…」
微睡みの中に小鳥の囀りと威勢の良い掛け声が挿し込み、私は目を覚ました。秋も深まり、冬の足音が聞こえて来る蠍の月を迎え、日によっては毛布から出るのが億劫になる。私は毛布に包まったまま天幕の中を見回し、隣で紺色のワンピースの袖に腕を通し、身支度を整えているノエミに目を留めた。
「…おはよう、ノエミ。相変わらず早いわね」
「あ、おはようございます、リュシーさん。もう起きられますか?」
「そうね…後で紅茶、淹れてくれる?」
「はい。着替えが終わったら、用意しますね」
早朝にも関わらず晴れやかな笑顔を見せるノエミに内心で感謝しながら、私は眠気を追い払って身を起こす。昨日のうちに天幕の外に汲んで置いた水桶に布を浸し、顔や体を拭いていく。いつものお仕着せのワンピースを身に着け、腰にエプロンを結わえた私は、天幕を出て声の出処へと向かった。
その日、私達は湖の畔に野営していたが、一人の女性が湖に向けて演武を繰り広げていた。右足を前に踏み出して腰を落とし、右正拳を繰り出した後、腕を立て、前方からの攻撃に備える。立てた右腕を横に薙ぎ払った後、左足を振り上げて踵を突き入れる。淀みなく流れる一連の動きに感嘆を覚えながら眺めていると、最後に丹田に力を籠めて息を吐き、残心を解いた彼女が背後へと振り返った。
「おはよう、リュシー」
「お早うございます、ハヤテ様。朝から熱心ですね」
「あぁ、毎日欠かさずやっておかないと、すぐに鈍っちまうからな」
腰に結わえたタオルを解いて顔を拭いていたハヤテ様が、再びタオルを結わえながら私を誘う。
「リュシー、少し付き合ってくれないか?」
「ええ、喜んで。少々お待ち下さい、体を解しますから」
そう答えた私は手や足を大きく動かし、念入りに体を解していく。私を待つ間ハヤテ様も軽い運動を続け、やがて体を解し終えた私は、両手を組んで前に伸ばしながらハヤテ様を呼び止めた。
「お待たせしました。いつでもどうぞ」
「おぅ」
軽いジャンプを繰り返してリズムを取っていたハヤテ様が右足を振り上げ、私に向かって突き込む。私が左肩を引いて身を引きながら左腕を添え、ハヤテ様の蹴りをいなすと、ハヤテ様は振り下ろした右足を基点に右のジャブを放ち、続けて左の拳を突き込んで来る。私は右手を上げて掌でジャブを受けた後、左の正拳とすれ違うように右腕を合わせ、そのまま外側へと押し出して正拳の軌道をずらし、空を切らせた。右腕を内側へと捻って拳を作り、下から円を描くように振り上げて顎を狙うも、横から割り込んで来た手によって遮られる。そのまま私は腰を落として左掌底を放つが、ハヤテ様は右肩を引いて掌底の射程外へと逃れた。
「…ハヤテ様」
「…何だい?」
淡々と拳を合わせながら、私は目の前で左右に舞い続けるハヤテ様に尋ねる。
「私達人族は、気功術を使えるのでしょうか?」
「…難しいんじゃねぇかな」
私の正拳突きを掌で受けたハヤテ様が、弾かれるように後退した。腰に結わえたタオルを手にして、首筋の汗を拭き取りながら、頭を振る。
「気功は、内勁と外勁と呼ばれる二つの系統に分けられるんだ。意味は読んで字のごとく、体の内側に発揮する力と、体の外側に発揮する力。アタシ達は主に内勁を使って手足を強化し、相手と渡り合っているんだ。
で、同じように外勁を使った技もあるんだけどさ、実はアタシ達獣人族は外勁が苦手でさ。ほら、この前の仕合でアンタが喰らった技を見れば、理由は分かるだろう?」
「…あぁ…」
ハヤテ様の指摘に私はあの時の光景を思い出し、得心する。あの時、ハヤテ様の掌底から逃れたはずの私を衝撃波が襲ったが、その威力はお世辞にも褒められたものではなかった。確かに呼吸を乱され足は止まったが、致命傷と呼ぶには程遠い。私は空中を眺めながら、率直な感想を述べた。
「…ショボかったですね…」
「はっきり言うんじゃねぇよ」
遠慮のない評価に、ハヤテ様が下唇を突き出す。そのまま彼女は目を閉じて手を広げ、弁解するように答えた。
「これでもアタシは、国内有数の外勁の使い手と言われているんだよ?そのアタシをしてあの程度なんだから、推して知るべしってわけだ。
…で、だ。一説によると、魔法と気功は実は原理が同じではないかと、言われているんだ」
「え?そうなんですか?」
「ああ」
ハヤテ様が齎した新説に私は驚き、目を瞬かせる。
「つまり種族毎の特性の違いは、体質の違いかも知れないというわけなんだ。力を外に出すのが苦手な獣人族は、内勁として活用し身体を強化する。逆に力を外に出すのが得意な魔族は、魔法として活用しているわけだ。
アンタ達人族はその中間だから、もしかしたら内勁が使えるかも知れない。だけど、仮に使えたとしてもアタシら獣人族から見ればたかが知れているし、そもそもこれまで帝国に内勁に相当する技が伝わっていない事を考えると、中間と言っても人族は魔族寄りで、鍛錬に値しないのかも知れないね。この長い歴史の中、幾ら何でも先人達の一人くらいは試しているだろうからさ」
「なるほど、納得です」
説得力のある言葉に得心した私が首肯すると、ハヤテ様は視線を逸らし、頭を掻きながらぶっきらぼうに答える。
「…まぁ、でも、それでも試してみたいのであれば、付き合うよ?効果は保証しないけどさ」
「よろしいのですか?」
「仕方ないだろ、乗りかかった舟だ」
渋々と言う体で答えるハヤテ様の不器用な気遣いに、私は嬉しくなった。私は姿勢を正し、深々とお辞儀をする。
「是非、お願いします。何事も体験しないと得られませんから」
「あいよ。それじゃ、まずは呼吸法からだ。アタシが実践するから、真似してみな」
「はい」
そう答えたハヤテ様は湖に向かって姿勢を正すと独特のペースで呼吸を始め、私も傍らに立ってハヤテ様の様子を見ながら、真似をする。
そうして私達は暫くの間湖畔に並んで佇み、ノエミが紅茶を持って来るまで深呼吸を繰り返していた。
内勁、外勁云々のくだりは、本作における独自解釈です。予めご了承下さい。




