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69:女の戦い

「言うじゃないかいっ、使用人風情がっ!」


 只人であれば闘技場に居るだけで呼吸困難になるであろう重圧の中、()は何ら痛痒も覚えず獰猛な笑みを浮かべながら、私に襲い掛かって来た。女が右拳を振りかぶるのを見た私は左足を引いて半身をずらし、挨拶代わりの右ストレートをやり過ごすと、続けて押し寄せてきた左掌底を捌こうと側面に右掌底を合わせる。


 だが、女の左手首はまるで巨木に掌底を当てたようにびくともせず、力を籠めた分だけ私の体が押し戻された。


「っ!?」


 これが、気功術!


 予想以上の剛性に目を瞠る私の前で、振り切られた女の掌底が握り拳を作り、手の甲を外に向けて振り払われる。下手に受け止めようものなら、モーニングスターの直撃と同じように腕ごと持っていかれるな。私は頭を下げて女の拳をやり過ごすと、そのままステップを踏んで後退し、距離を取った。女は腕を振り終えた頃にはすでに体勢を入れ替え、そのまま地面を蹴って私に突進してくる。


「豪語した割には、逃げ回ってばかりじゃないかいっ!」


 自分の腕を振っているだけだから、殴打武器と違って振り切りの隙も無い。力の逃がし方を間違えれば、手を合わせただけで骨が折れかねない。私は女の挑発を無視して、回避に努める。親善仕合で組み手が禁じ手扱いなのが幸いだった。ルール無用なら、衣服を掴んで回避を封じた後、殴打を繰り返して終わりだ。


 女が左掌を広げ、爪を立てて横薙ぎに払う。単なる引っ掻きにも見えるが、気功が乗っているとなると話は別だ。私はバックステップを踏んで振り払いをやり過ごすと、女に詰め寄ろうと右足に力を籠める。だが、背中を向けた女の回転が止まらず、回転軸が急速に横倒しになるのを認めた私は、そのまま右足で地面を蹴って横に跳んだ。その直後、元居た場所に真上から女の右踵が斧のように振り下ろされ、地面に大きな窪みが穿たれる。


「これも避けるのかい!やるじゃないかっ!」


 私は地面に手をついて体を一回転させ、横っ飛びの勢いを逃がしながら、同じように地面から身を起こしている女を見て思案する。


 旦那様のお話では、気功を一度に乗せられるのは、1箇所のみ。左の引っ掻きにも気功を乗せていたとすれば、瞬時に右踵へ移し替えた事になる。順行における気功の移し替えには、つけ入る隙がないと言えよう。


 …ならば、逆行における気功の移し替えは?


 私は右足で地面を蹴って女に突進しながら、右腕を振りかぶった。私の動きを見た女も拳を構え、私の右拳に向かって左拳を突き出して来る。拳同士の正面衝突は、私の負け。私は即座に右腕を引き抜いて拳同士の打ち合いを回避しながら、身を捩った勢いを駆って左手を伸ばし、女の左腕に添えて正拳をやり過ごす。そのまま腰を落として左肘を突き出し、女の胸に叩き込んだ。


「…フン、随分と小細工が好きじゃない…おわっ!?」


 私の左肘を右の籠手(ガンドレット)で受け止めた女が不敵に笑うのを無視し、私は引き絞った右拳を女の左脇腹へと叩き込む。自分の左腕の陰に隠れて右拳の存在に気づくのが遅れた女は、慌てて身を捩って私の右正拳を回避した。女の右拳の剛性が増し、気功を纏った事に気づいた私が身を引いた直後、目の前を丸太のような重厚感を持った女の拳が通り過ぎる。


 肘打ちと左脇腹への殴打に気功が間に合わなかったのを鑑みると、逆行における気功の移し替えは難易度が高いと見える。つけ入る隙は、その辺りか。


「…チッ。顔に見合わず、小狡(こずる)い女だ」

「どうも」


 速度と技の切れは、ほぼ互角。気功のおかげで、攻防ともに向こうに軍配が上がる。その代わり、女の動きは気功に則った動きが多く、非常に素直で癖がない。ならば、此方は手癖と足癖の悪さで対抗するとしよう。


 私は再び両の拳を構え、再び突進してくる女を迎え撃った。




 ***


 円形の闘技場の真ん中で戦う二人の女の姿を、複数の人々が固唾を呑んで見守っていた。


 獣人の女が両腕を体の前に掲げ、身を守りながら突入するのを見て、侍女が牽制とばかりに右の拳を放つ。獣人の女が左腕を上げて相手の射線に割り込ませると、耳障りな音と共に侍女の拳が一方的に弾かれる。獣人の女は侍女の打撃を掻き分け目前に躍り出ると、左足を地面に突き立て、回し蹴りを見舞った。侍女の横顔に獣人の右足が襲い掛かる。


 だが、侍女は獣人の右足から逃れるどころか前のめりになり、獣人の蹴りの下を潜り抜けた。そのまま地面を蹴って跳躍し、空中で前転する。獣人の蹴りに被せて上部から侍女の両踵が振り下ろされ、獣人の女は不快に顔を歪めながら身を投げ出し、侍女の蹴りから逃れた。二人の女は着地すると同時に体を丸め、すかさず地面を蹴って相手へと襲い掛かる。澱みなく繰り返される二人の攻防を眺めていた獣王国の高官が、呻き声を上げる。


「…何だ、あの侍女は?何故、ああも簡単に殿下の攻撃を捌けるのだ?」

「殿下の突進力と攻防の鋭さに、我々は誰もついていけないと言うのに」

「…アレが、我々の持ち得ない、帝国のしぶとさよ」


 高官達の囁きに、オウガの声が割り込む。彼は目の前で繰り広げられる戦いから目を離さぬまま、背後に並ぶ高官達に向かって、言い含めるように言葉を続けた。


「気功が使える我々は、突破力において他国に後れを取る事はない。だがその我々をもってしても三国鼎立を覆せないのは、帝国と魔王国のそれぞれが我々にない特性を持ち、その特性が拮抗しているからだ。魔王国は、魔族が生来持つ豊富な魔力を使い、遠距離から魔法で我々を圧倒する。そして帝国を構成する人族は体力では我々獣人族に劣り、魔力では魔族に劣りながら、長い歴史の中で培った技術力で魔法付与装身具(アーティファクト)を生み出し、戦略や戦術、そして個人の戦技を駆使し、我々と対等に渡り合ってきたのだ」


 オウガの淡々とした呟きは獣王国の観客席に広がり、戦いの趨勢にひそひそと言葉を交わしていた年若い者達が押し黙る。オウガは静まり返った空気を気にもせず、独り言のように話を締め括った。


「…三国停戦協定が締結されて20年が経過し、戦いを知らずに育った若手の中には他国を侮る風潮が見られる。だが、その風潮を行動に起こせば、我々は必ず痛いしっぺ返しを受けるであろう。それは、我々が過去数百年に渡って戦いを繰り広げながら、三国が未だに揺るぎなく鼎立している事実から見ても、明らかだ。

 …強さは我々の誇りであり、獣人族の理想だ。だが、『弱者』を侮る事は我々の驕りであり、獣人族の恥だ。それを決して、忘れるではないぞ」




 オウガが一人静かに呟きを発していた頃、闘技場の反対側に設けられた帝国の観客席も静まり返っていた。誰もが戦いの趨勢を固唾を呑んで見守る中、口元を手で押さえて青い顔を浮かべているフランシーヌに、傍らに座るシリルが己の上着を被せる。


「フランシーヌ様、大丈夫ですか?」

「…何でリュシーさんは、こんな空気の中で正気を保っていられるの?」


 国内の支援活動に終始し、実戦経験のほとんどないフランシーヌが、闘技場に渦巻く殺気をまともに浴びて震えている。シリルがフランシーヌの肩に手を回して抱き寄せるも、彼女はシリルに縋りついたまま、ガタガタと体を震わせた。シリルは、フランシーヌの体の震えを押さえ込むようにきつく抱き寄せたまま、彼女の問いに答える。


「…結局アイツは、未だに騎士なんですよ。今でこそポンコツで役に立たない、お喋りばかりしている侍女ですが、心の中では未だに騎士なんです。主君の命に従い、己の命を賭けて切った張ったを繰り広げる、騎士なんです」

「それが分かっていながら、何故シリル様は、彼女を騎士に戻さないのですか?」

「…」


 呼吸がままならず、喘ぐように深呼吸を繰り返すフランシーヌの問いに、シリルが沈黙する。彼は闘技場で繰り広げられる戦いを見つめたままフランシーヌの肩を抱く手に力を籠め、やがて小さく呟く。


「…我が儘だから」

「…え?」

「全部、俺の我が儘だから。放したくないから。逃がしたくないから。死なせたくないから」

「…シリル様…」


 シリルの独語に、フランシーヌは体の震えを忘れ、目を瞠る。顔を上げたフランシーヌの視線の先で、シリルが闘技場に目を向けたまま、小さな声で口ずさんだ。


「…リュシー、早く俺の許に戻って来い」




 ***


「ああっ!もうっ!ウザったいなぁっ!」


 痺れを切らした女が舌打ちをしながら右足を振り上げ、踵を突き込んだ。気功が乗り、丸太のような迫力を伴って押し寄せる踵を、私は左に飛んで躱し、すかさず女の許に突進する。私の接近を嫌った女が右拳を握り横薙ぎに払うが、私は頭を下げてやり過ごし、がら空きの脇腹に右拳を叩き込んだ。


 だが私の右正拳は岩盤の如き硬い感触に阻まれ、女の皮膚の前で遮られる。


 っ!?誘い込まれた!


 右拳は空撃ちで、脇腹に気功を張られた。引き絞られた女の左手が掌底を形作るのを見て、私は急いで後退し、女の拳域から離脱する。女の左掌底が突き出されるが、射程外に逃れた私を追い求めるように、虚しく空を舞う。


「覇ァッ!」


 直後、後退する私に衝撃が押し寄せ、鳩尾(みぞおち)を抉られるような不快感が体を駆け巡った。




「ぐっ…!?」


 護身群の発動(致死性)には至らなかったものの機動力を奪う一撃を受け、私は体をくの字に曲げて不快感に抗った。鳩尾に手を当て顔を顰める私に、女が両の籠手(ガンドレット)を打ち合わせて、息を巻く。


「アタシより図体がデカいくせに、ちょこまかと逃げ回りやがって。だが、これでもう、正々堂々と打ち合う気になっただろっ!?」

「…」


 いちいち癇に障る女の言い草に、鎮まりつつあった不快感が再び頭をもたげる。胃のむかつきに俯きがちとなった私の視界に突入して来る女の姿が映り込み、私を否応なしに苛立たせた。


 あぁ、もう。イライラするなぁ。




 …もういいや。――― コイツ、()()()()




 私は顔を上げ、()()()べき女の姿を捉えた。右足を引いて腰を落とし、両の籠手(ガンドレット)のスリットに収納された仕込みナイフを全て引き抜き、拳を引き絞る。至近に迫った女の土手っ腹に拳を叩き込もうとする私の背中に、若い男の声が飛ぶ。


「リュシー!よせっ!撃つなっ!」




「っ!?」


 背後から投げ掛けられた()()()の言葉に、私の体が硬直した。両の拳を引き絞ったまま動きを止めた私の脇腹に、女の右拳が突き刺さる。気功の乗った重い一撃を受け、私は吹き飛ばされて宙を舞い、周囲を取り囲む闘技場の壁に勢い良く叩きつけられた。

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