59:舌禍
乙女の月の19日。
20日間の道のりを経て、私達は1年ぶりにラシュレー家の領都サン=スクレーヌの土を踏んだ。
***
10名の騎士に守られ、私達を乗せた馬車がラシュレー邸に乗り入れると、庭内には大勢の家人が並び、私達を出迎えてくれた。お義父様とマリアンヌ様も館の前に出向かれ、私達の到着を待ち侘びている。
横付けされた馬車の扉が開かれると、坊ちゃんが飛び降り、颯爽とした足取りでお義父様の前へと進み出た。私とノエミ、そして10名の騎士達が背後に整列すると、坊ちゃんは胸を張って宣言する。
「父上、母上、シリル・ド・ラシュレー以下13名、ただ今帰参しました。一人も欠ける事無く、無事な姿で皆と見えられた事を、何よりも喜ばしく思います」
坊ちゃんの堂々とした宣告に、お義父様が顔を綻ばせ、前に進み出て坊ちゃんの肩を両の手で一つ叩くと、穏やかな声に愛情を湛えながら労りの言葉を掛ける。
「シリル、よく無事に戻って来てくれた。1年前とは見違えるほど立派になったな。彼の地での活躍は遠く離れたサン=スクレーヌにも聞き及び、私もマリアンヌも安心して話を聞く事ができた。早速中に入って疲れを癒し、向こうでの話を聞かせてくれ」
「はい」
坊ちゃんの言葉にお義父様は頷き、坊ちゃんの肩をもう一度叩くと、背後に並ぶ私達の前に進み出る。お義父様は私の前に佇むと眩しいほど笑顔を浮かべ、右手を差し出した。
「リュシー、まずは子爵夫人の叙爵、おめでとう。この一年、君の活躍には驚かされっぱなしだ。シリルは、向こうで君を困らせたりしなかったかい?アイツが向こうでどれだけ迷惑を掛けたか、後でしっかりと聞かせてくれ」
「と、とんでもございません、旦那様。坊ちゃんには、向こうで本当に助けていただきまして…。私の方こそ、侍女としての役割を全く果たさず、恐縮するばかりです…」
お義父様の柔らかく慈しみ溢れる言葉に心臓を貫かれ、私は顔を真っ赤にして左手で胸を押さえながら、お義父様の手を握る。お義父様が私の手を見て嬉しそうに頷き、しっかりと握り締めた。
「…やっと君と右手で握手ができた…こんなに嬉しい事はない…」
っくぅぅぅ!?お、お義父様っ!?何ですか、その殺し文句はっ!?
危うく腰が砕けそうになり、崩れ落ちる膝を叱咤する私に、前方で会話していた坊ちゃんの冷たい視線と、マリアンヌ様の生暖かい視線が注がれる。赤面のあまり顔を上げられなくなった私と握手したまま、お義父様が左右に並ぶノエミと騎士達に声を掛けた。
「ノエミ。君にも家族と離れ、遠い北部戦線で沢山苦労をかけたな。お前達もこの1年、よくぞシリルを守り通してくれた。君達の労苦に、私は必ず篤く報いる。全員中に入って、旅の疲れをゆっくりと癒してくれ」
***
館に入った私達は広間へと通され、其処でラシュレー家の歓待を受けた。お義父様は随行した騎士一人ひとりにリアンジュでの話を聞き、その活躍を褒め、苦労を労わった。マリアンヌ様もリアンジュでの生活をノエミに尋ね、家事全般を一人で支えてくれた事に対する感謝の言葉を述べる。そうして一通り話を聞き終えたお義父様は改めて彼らの功績を称え、褒賞と慰労休暇を約束すると、後の歓待を執事達に任せ、坊ちゃんと私を連れて広間を出た。お義父様の執務室に入ると、マリアンヌ様と二人並んで座り、坊ちゃんと私に座るよう促す。
「さて。改めて、二人共よく無事に帰って来てくれた。しかも、望み得る最良の結果と、過去に例のない功績まで携えてな。北部戦線の戦況は一挙に好転し、北の守りは安泰となった。サン=スクレーヌにも、陛下から感謝の言葉と大量の御礼の品が届いたよ。シリルの活躍も勿論だが、リュシー、これも全て君のお陰だ。ラシュレーのみならず、帝国を代表して御礼を述べさせていただく。ありがとう」
「と、とんでもございません、旦那様!どうか頭をお上げ下さい!御礼は陛下から十分過ぎるほどいただいておりますし、ラシュレー家に仕える身として主家の誉れと呼ばれる事自体が、何よりもの褒賞であります!」
私は慌てて腰を浮かし、揃って頭を下げるお義父様とマリアンヌ様に懇願した。お義父様が顔を上げ、苦笑交じりに私を諭す。
「だがな、リュシー。君が幾ら固辞しようとも、これだけの功績を前に何の褒賞も与えなければ、私達が吝嗇の誹りを免れないのだよ。君にはその功績に相応しい、山のような褒賞を与えるから、私達のためにも、諦めて受け取りなさい」
「…はい…」
優し気とも言えるお義父様の言葉に、私は観念して頭を下げる。実際のところ、この1年で私がやった事と言えば、女帝を1回ボコっただけなんだけど。その間絶え間ない努力を続けてきた北部戦線の兵士達や、家事に奔走していたノエミに対して内心で引け目を感じる私に、お義父様が言葉を続ける。
「レイモンからも、君に対する感謝状が届いたよ。特にロクサーヌが君の事を気に入ったようだね。彼女が私の事を他の女性に託すなど、稀有な事だぞ?」
「私もあの子には、結構苦労したのよねぇ…」
「え、えっと…」
お義父様が腕を組んで感心したように頷きを返し、マリアンヌ様が顎に指を添えて宙を眺める。あ、あの、お義父様、隣の席から物凄い寒気がするのですが。何故かお義父様もマリアンヌ様も部屋の空気が下がった事に気にもせず、再び坊ちゃんと私に目を向ける。
「北部戦線から帰って来たばかりで、本当は二人にはゆっくり休んで貰いたいところなのだが、停戦協定に基づく三国間の会合まであと1ヶ月しかない。シリル、お前にもやり取りを覚えて貰わんとならんからな。悪いがあと1ヶ月、頑張ってくれ」
「わかった」
今から21年前に帝国、魔王国、獣王国の三国は互いに停戦協定を結んだが、以後7年毎に三国の首脳陣が一同に会し、話し合いを持つ事になった。会場はラシュレー家の領する帝国西部突出部の先端にある三国国境で、帝都オストリアから特使が派遣されるものの、帝国の代表はラシュレー家が務めている。20年以上も停戦が続き、当初の緊張状態はかなり和らいでいるが、決して怠るわけにはいかない外交事案だった。お義父様が膝を一つ叩き、話を締めくくった。
「ま、何にせよ、今日明日くらいは体を休めてくれ。細かい話は、折を見て聞こう。…あと何か、今のうちに聞いておくべき事はあるかい?」
「…あ、旦那様。オストリアで一件、旦那様宛の言付けを預かりました」
「ほう、誰からかね?」
手を挙げて呼び止めた私はお義父様に問われ、チラと横に目を向ける。しかし坊ちゃんは片眉を上げたまま、要領を得ない顔をしていた。あぁ、こりゃぁ、坊ちゃん忘れているな。仕方ない、私からお義父様に伝えるか。几帳面な坊ちゃんにしては珍しい抜け落ちに私は内心で溜息をつき、自信満々でお義父様に報告した。
「エルランジェ公からのご伝言です。――― オオルリが一羽売れ残っているそうで、旦那様にお買い求めいただきたい、と」
「っ!…ほぅ…」
「ブッ!?」
「ぷっ!」
私の報告を聞いてお義父様が感嘆し、坊ちゃんとマリアンヌ様の二人が一斉に噴き出した。お義父様は顔を綻ばせながら手で顎を擦り、私に質問する。
「…彼は、他に何か言っていたかね?」
「何か、鷹も売りたがっていましたけど、坊ちゃんが断ってました。旦那様も坊ちゃんも、鷹狩りしませんもんね」
「そうだね」
「お、おまっ!?何で此処で言うんだよっ!?」
「え?だって、坊ちゃんも言ってたじゃないですか。旦那様にお伝えするって」
坊ちゃんが掴みかかる勢いで私に詰め寄り、私は両手で坊ちゃんを抑えながら抗弁する。坊ちゃんが忘れているから代わりに報告したのに、何でそんなに怒るんですか。目の前で捩じり合いを繰り広げる私達を見ていたお義父様が、笑いを堪えながら私に尋ねた。
「…リュシー、君はオオルリが欲しいのかい?」
「はいっ!本で見た事があるのですが、物凄く綺麗じゃないですか!しかも、鳴き声もとても美しいって言うし。一家に一羽居たら、きっと癒されますよっ!」
「っ!?おまっ!」
「ぷ、ぷぷぷ…くっくっくっ…」
私は坊ちゃんの両手首を掴んで押し返しながら、お義父様に笑顔で訴える。
オオルリって南方でしか見られない、白とコバルトブルーの二色に彩られた鮮やかな鳥で、凄い美声で囀るんだって。坊ちゃんの書棚にあった本で見つけて、一度本物を見てみたかったんだよねぇ。だから坊ちゃん、何でそんなにムキになってるの?
私が首を傾げながら坊ちゃんを力で捻じ伏せていると、お義父様が口元を手で押さえながら振り返り、そっぽを向いて震えているマリアンヌ様に尋ねる。
「…リュシーはそう言っているが、マリアンヌ、君はどう思う?」
「ぷっ、くっくっ…も、もう大歓迎!私も丁度、オオルリを飼いたいと思っていたところなのっ!ねぇ、あなた、是非ウチに一羽欲しいわ!」
「そうか、せっかくの申し出だし、エルランジェ公にお願いしようか。リュシーもそれで好いね?」
「お任せ下さい、旦那様!私が責任をもって育てますから!」
「ぶはっ!」
「お前ええええええええええっ!」
私の威勢のいい返事に坊ちゃんが喚き声を上げ、マリアンヌ様が盛大に噴き出した。まぁ、育てるって言っても私は家事破壊者だから、実際の飼育はノエミに丸投げだけど。何故かお義父様まで後ろを向き、肩を震わせた。
「…ぷっ…な、何にせよ、オオルリを仕入れるのは三国会合を済ませた後にしよう。マリアンヌ、エルランジェ公への連絡は任せたぞ?」
「ぶっ…か、畏まりました…。リュシー、あなたサイコーっ!こんなに話の合う娘が傍に居てくれて、私幸せだわっ!」
「クソッ!お前、何て事してくれたんだっ!どぉぉぉすんだよ、コレ!?」
「好いじゃないですか、オオルリ。坊ちゃんもきっと気に入りますよ?」
何で坊ちゃんがここまで怒るのか分からないけど、マリアンヌ様は大喜びだし、お義父様も歓迎してくれて、みんな万々歳じゃないですか。あー、オオルリ、早く来ないかなぁ。一体、どんな声で鳴くのかなぁ。
私は耳元でがなり立てる坊ちゃんを適当にあしらいながら、ラシュレー家の新しいペットの到着を今から楽しみにしていた。
当初一話限り、使い捨ての挿入話だったはずが、ポンコツのせいでとんでもない伏線として回収されてしまいました。




