57:祝賀会(1)
リアンジュを出立して半月。帝都オストリアに到着した私達は、腰の落ち着く暇もないままに陛下に呼び出され、宮中へと参内した。
***
「シリル、リュシー、よく戻って来てくれた。1年間、御苦労だった」
「はっ」
「恐れ入ります」
非公式の会談と言う事で、広間ではなく宮殿の一室に通された坊ちゃんと私は、そこで陛下からお褒めの言葉をいただき、頭を下げた。平民出の侍女が、自分の主人と並んで、皇帝陛下からお褒めの言葉をいただくとか、訳が分からない。内心で混乱を覚えながら頭を上げると、陛下が私に目を向ける。
「リュシー、其方の働きに十分な褒賞を用意したつもりだが、不満はないか?希望があれば、此処で申してみても構わんぞ?」
「いえ、陪臣の身でありながら過分なまでの評価をいただき、感謝の言葉もございません。これ以上求めては、不遜と誹られましょう」
いや、もう十分ですから、陛下。何で私にばっかり話題を振るんですか。
宮中儀礼を知らず、何処で舌禍を招くか内心で冷や冷やする私を余所に、陛下の御言葉が続く。
「いや、お主にはフランシーヌの命まで救って貰ったからな。本音を言えばそれだけでもう一つ爵位を上げたいくらいだが、三段跳びは流石に在来の反発を招いてしまう。此処は、我慢してもらおう」
「とんでもございません、陛下。フランシーヌ様にはこの一年本当に親しくしていただきまして、光栄にも友誼の御言葉をいただきました。そのフランシーヌ様が危機に瀕したのであれば、己を賭して救いに向かうのは、友として当然の事。その友人の無事こそ、私にとって掛け替えのない褒賞であります」
「フランシーヌがそれを聞いたら、赤面して顔を上げられなくなるだろうよ。…彼奴は今、何をしている?」
「フランシーヌ様ですか?カサンドラ様への引き継ぎを終えたら、国内の巡業に戻られると仰られておりましたが…」
私が顎に指を当て、去り際に交わした言葉を伝えると、陛下の顔が渋そうに歪む。
「…逃げたな」
「逃げましたね」
陛下の率直な感想に私が同意すると、陛下は渋面のまま頭を掻き、嘆息する。
「アレも本当に困った奴だ。確かに後宮に入った後も自由にして構わないと余が言ったのは事実だが、此処まで好き勝手されるとは思わなかった。2、3年もすれば大人しくなると思ったのだが…まあ、いい」
あの人、本当に猫だな!
日頃のフランシーヌ様からは想像もつかない傍若無人ぶりに呆れていると、陛下が諦めたように話を打ち切り、坊ちゃんへと目を向ける。
「シリル、三国停戦協定に基づく会合の立ち会い準備がある事は聞いている。すぐさまサン=スクレーヌに戻りたいのは理解できるが、あと3日待て。魂喰らい殲滅の祝賀と、リュシー・オランドの叙爵の儀を行う。リュシー、当然お前が主賓だ。心せよ。至らぬ点は、シリルがフォローするだろうよ」
「はっ」
「畏まりました」
陛下の言葉に坊ちゃんが頭を下げ、私も素直に従う。末席とは言え爵位をいただいた以上、こういった柵はどうしても付いて回る。私の行動が主家の評判にも繋がるのだから、下手な行動は慎むべきだ。
***
3日後。
再び宮殿を訪れた私は、宮殿の前に停車した馬車の扉から身を乗り出した。先に馬車を降りた坊ちゃんが振り返り、私に手を差し伸べる。
「おい、手を出せ」
「坊ちゃん、失礼します…」
私は恐る恐る坊ちゃんの手を取り、タラップを降りる。私が馬車を降りると坊ちゃんは身を翻して私の左に立ち、右腕を曲げて肘を私の前に差し出した。私は内心でどぎまぎしながら肘に腕を絡め、坊ちゃんに寄り添う。坊ちゃんの右肘が私の胸に触れ、私の鼓動を早めた。
この日の私は、薄水色のドレスに身を包んでいた。陛下との謁見の後、オストリアのラシュレー邸へと戻った私は家人の手によって体の隅々まで採寸され、ラシュレー家の総力を結集した結果、僅か3日でドレスは仕立て上げられた。マーメイドラインと呼ばれるドレスが体にぴったりと張り付き、上半身から膝上まで私のラインを浮かび上がらせた後、下方に花が開くように周囲へと広がる。肩から腕にかけて遮るものはなく肌が剥き出しになり、胸元から首へと伸びる生地はきめ細やかな透かしの紋様が描かれ、内側から見える肌とのコントラストを際立たせる。そして首元へと流れる透かしの生地は、黒い輝きを放つチョーカーへと収斂し、薄水色の清らかさに背徳的なアクセントを添えていた。
私は坊ちゃんのエスコートを受け、衛兵達が並ぶ回廊を歩いて、大広間へと足を踏み入れた。私達が広間に足を踏み入れると、談笑していた貴族達が此方を向き、坊ちゃんの姿を見て感嘆の声を漏らす。
「…おぉ、あちらがラシュレー公の…」
「噂に違わぬ美しさであるな…」
坊ちゃんは、見事な刺繍をあしらった沈んだ赤のロングジャケットと白いシャツ、クリーム色のパンツに身を包んでいた。シャツの襟が豊かな紋様と襞を描き、胸元を飾る。マリアンヌ様譲りの橙色の髪がジャケットの暗い赤の上で漂って艶やかな輝きを放ち、その秀麗な眉目と野生の狼を思わせる鋭い眼光の前に、幾人もの女性達が頬を染め、うっとりとした目を向けていた。
多くの人々が遠巻きに目を向ける中、一人の男性が闊達な足取りで近づき、坊ちゃんの前に立つと、親し気な笑みを浮かべる。
「シリル殿、この度は聖鳳凰勲章の授章、誠におめでとう。僅か19歳での授章とは、帝国開闢以来初の出来事ではないかな?御父君もさぞお喜びであろう。娘のエヴリーヌも此処に居れば、我が事のように喜んだろう。シリル殿と引き合わせた後、エルランジェ領に戻してしまったのが、非常に残念だ」
「ありがとうございます、エルランジェ公。この功は、私一人で為し得たものではありません。此処に居る者をはじめとする優秀な家臣が居て、初めて為し得たものと信じております」
「ほぉ…それでは、この女性が?」
「ええ。リュシー、エルランジェ公にご挨拶を」
「はい」
エルランジェ公の目が私へと向けられ、私は静かに頭を下げる。
「閣下、このような形でお目文字に与り、恐縮でございます。リュシー・オランドと申します。一介の家人でありながら主家の計らいで閣下へのお目通りが叶いました事、誠に光栄に存じます」
「ふむ…、カジミール・ド・エルランジェだ。魂喰らいを二体も倒したと聞いてどんな偉丈夫が出て来るのかと身構えていたのだが、これほど美しい女性だったとは…。失礼した。流石はラシュレー公、層が厚い」
「恐れ入ります」
エルランジェ公は頭を上げた私を見て目を細めた後、坊ちゃんへと転じ、静かに尋ねる。
「シリル殿、敢えてお聞きするが…『鷹』はもう十分だと?」
「ええ。この世に二羽といない、優秀な『鷹』ですから」
「そうか…」
え?ウチ、鷹なんて飼ってたっけ?お義父様も坊ちゃんも鷹狩りに興味ないし。坊ちゃん達の会話の意味が分からず小首を傾げる私に、エルランジェ公が再び目を向けた。
「…リュシー殿、機会があれば私の娘であるエヴリーヌに会ってくれ。アレは気立ての良い娘だからな、きっと君とも仲良くなれるだろう」
「え…あ、はい。喜んで」
「それではシリル殿、またいずれ。…『オオルリ』は、まだ空いているぞ」
「父に、そう伝えます」
な、何か、いきなり公爵家の当主から娘に会ってくれと言われたんだけど。一介の侍女なのに、一介の侍女なのに。
突然の申し出に呆然としながらエルランジェ公の後姿を見送っていた私は、我に返ると小声で坊ちゃんに尋ねる。
「…坊ちゃん、エルランジェ領って鳥が名産なんですか?」
「あ?…ああ、どうやらそうらしいな。去年、公とお会いした時にそんな話が出てな」
「ふーん…ウチ、鷹狩りに興味ありませんもんね」
「ああ」
坊ちゃんとそんな会話を交わしていると、会場に近侍が現れ、陛下の来臨を告げた。




