56:三様の道
レイモン様がリアンジュを発たれてから3ヶ月。三体の魂喰らい討伐に成功した北部戦線は不気味なほど平穏で、春から夏へ移ろう中、生命の息吹と歓びを謳歌していた。北から押し寄せるアンデッドは少数のワイトに引き連れられた小集団に留まり、戦線に沿って連なる砦の駐留部隊でも十分に対処できるものだった。兵士達の許には皇帝陛下からの気前良い恩賞が届けられ、気が大きくなった彼らは非番になると後方の街へと繰り出して、仲間達と大いに騒ぐ。遭遇すれば必死の魂喰らいが全て討伐された事で兵士達の顔から悲壮感が消え、この機会に意中の相手に想いを告げ、婚儀を挙げる者も数多く現れた。
フランシーヌ隊の面々は魂喰らいが全滅した事でほとんど任務がなくなり、腕が鈍らないよう訓練に励み、哨戒任務に就いたり中央方面軍との間で大規模な模擬戦を行うなどして、戦力の維持に努めた。帝都オストリアでは主戦論者を中心に「孔」に対する進攻の声も上がったようだが、一体で数千人を鏖殺する不死王の所在が不明である以上「寝た子を起こすわけにはいかない」との陛下の一声で抑えられ、帝国はいつまで続くかわからない束の間の平和に神経を尖らせながらも長きに渡る戦いで傷ついた国力の回復に専念し、遠からず訪れるであろう新たな戦いに備える事となった。その中で、私は坊ちゃんの後ろに付いて回っていなければ、フランシーヌ様とお喋りしているか、セヴラン様やフランシーヌ隊に所属する騎士達との模擬戦に明け暮れた。
蟹の月の25日。
複数の護衛の騎馬に守られた一台の馬車が、リアンジュの砦へと到着した。フランシーヌ様やセヴラン様をはじめとするフランシーヌ隊の面々が整列する中、随行する騎士の一人が駆け寄って馬車の扉を開く。中から胸に赤子を抱いた一人の女性が現れると、待ち切れなくなったフランシーヌ様が弾むような声を上げて駆け出す。
「姉様っ!」
母親の許に駆け寄る子供のようなフランシーヌ様の笑顔に、カサンドラ様が幸せに満ち溢れた顔を綻ばせた。
「まぁ!?なぁに、フランシーヌ。まるで子供みたいな真似して。はしたないわよ?」
フランシーヌ様を窘めるカサンドラ様の言葉は柔らかく、以前のような思い詰めた表情は何処にも見当たらない。駆け寄ったフランシーヌ様がカサンドラ様の手に抱かれた赤子を覗き込み、歓声を上げた。
「きゃあああぁぁっ!可愛いっ!姉様、何てお名前ですかっ!?」
「クロード。クロード・ル・ブランよ」
「姉様の姓を名乗るんですね?」
「ええ。ヴァレリーと話し合って、そう決めたの」
フランシーヌ様がしなやかな指を伸ばして赤ちゃんの鼻を突くと、赤ちゃんはむず痒そうに鼻を動かし、小さな手でフランシーヌ様の指を叩く。私は、赤ちゃんを挟んで姉妹のように笑い合う二人の許に進み出ると、カサンドラ様にお祝いの言葉を述べた。
「カサンドラ様、御出産おめでとうございます。そして、お帰りなさい」
「リュシーさん…」
私の言葉に、カサンドラ様は赤ちゃんを胸に抱いたまま私へと向き直り、姿勢を正した。私を見つめる目に涙を湛え、笑みを形作る唇を震わせながら、一言一言ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「ありがとう、リュシーさん。私、あなたに沢山御礼を言いたいの。あなたが来てくれたから、私は今、この子を抱いていられるの。私に時間をくれて、女帝を斃してくれて、フランシーヌの命を救ってくれて…本当にありがとう…」
「あまり持ち上げないで下さい、カサンドラ様。フランシーヌ隊の中で、私が一番役に立っていませんから」
「え?」
声を詰まらせるカサンドラ様に私は言葉を被せ、ふんぞり返った。腰に手を当て、無駄に強調された胸を突き出すと、鼻を高くして得意気に語る。
「自慢じゃありませんが、私は殴る事しか能がありません。家事はノエミに任せっぱなしで、フランシーヌ隊を取り仕切ったのはセヴラン様です。フランシーヌ様は聖女として北部戦線全軍の心の支えを立派に果たされましたし、せいぜい私が役に立ったのは女帝を殴り倒した時だけ…あれ?そう考えると坊ちゃんが一番役に立ってな…」
ゴンッ!
「っ痛あぁぁぁぁいっ!?」
「一人で勝手に決めつけてんじゃねぇよ」
「ぷっ」
頭頂部への衝撃と共に目の前に火花が散り、私は頭を押さえてその場に蹲った。地面にしゃがみ込む私と苦々し気な表情で拳骨を作る坊ちゃんを交互に見て、カサンドラ様が涙目になりながら笑いを堪える。
坊ちゃん、ちょっとは手加減して下さいよ。
しんみりした空気を入れ替えたくて。カサンドラ様に引け目を持って欲しくなくて。
私は、戯言を吐いた自分の意を酌んで付き合ってくれた坊ちゃんに感謝しながらも、その容赦のなさに不満を垂れた。
***
砦に足を踏み入れたカサンドラ様は赤ちゃんを乳母に預けると、ヴァレリー様と共に会議室に姿を現わした。セヴラン様以下、大隊長中隊長達が並ぶ前で、二人は揃って頭を下げる。
「一年間、北部戦線を守っていただき、ありがとうございました。お陰様で、無事元気な子を授かる事ができました。これよりカサンドラ・ル・ブラン、及びヴァレリー・スーラ、職務に復帰いたします」
「カサンドラ様、ヴァレリー隊長、お帰りなさい。フランシーヌ隊一同、お二方の復帰を心よりお慶び申し上げます。本日、フランシーヌ様並びに私セヴラン・デュ・ボアがお預かりしておりました隊の指揮権を、お二方に返上いたします」
「確かに受け取った。この一年で貴君らが挙げた功績に泥を塗らぬよう、これから職務に励もう」
形式的な指揮権の引き継ぎを終えると一同は席に座り、和やかな雰囲気で情報交換を始めた。フランシーヌ様が身を乗り出し、向かいに座るカサンドラ様へ気遣わし気な目を向ける。
「姉様、赤ちゃんが生まれてまだ1ヶ月ですよね?もっとゆっくりされてもよかったのに…」
「幾ら何でも、そこまで甘えられないわよ。幸い肥立ちが良くて、今では寝ていると暇になって仕方がないわ。どうせ書類の引き継ぎなどで2週間くらいは掛かるから、その時間を体力回復に当てれば丁度好いかなって」
「もう!姉様、そんな時間があるなら乳母に任せきりにせず、もっと赤ちゃんを構ってあげて下さい!」
まるで子供のようにむくれるフランシーヌ様の姿に、カサンドラ様が顔を綻ばせる。そして私に顔を向けると目を細め、微笑んだ。
「リュシーさん、改めて女帝討伐成功と子爵夫人への叙爵、おめでとう。昨年、深窓の令嬢を斃した時には、苦難の道のりの長さに挫けそうになったけど、それから僅か1年で片が付くとは思わなかった。不死王が健在である以上、気を抜くわけにはいかないけど、北部戦線は以前よりずっと安全になったわ。はるばるラシュレー領から応援に駆け付けてくれて、本当に助かった。後は私達が責任をもって、しっかりと守らせてもらうわ」
「とんでもございません、カサンドラ様。お役に立てて、何よりです。もし、またお子様ができたら、遠慮なくお呼び下さいね?応援に駆け付けますから」
「そう?…なら、その時はお言葉に甘えちゃおうかしら」
そう答えたカサンドラ様は薄っすらと頬を染めて微笑み、傍らに座るヴァレリー様へと目を向ける。口を真一文字に引き締めたまま、さり気なく目を逸らすヴァレリー様に、カサンドラ様は苦笑すると、ティーカップを手に取り口を付けた。
「…それでシリル様、引き継ぎを終えたら、すぐにサン=スクレーヌに戻られるのですか?」
「はい。一旦オストリアに立ち寄った後、すぐに戻ります。秋に三国停戦協定に基づく会合がありまして、今回から私も立ち会う事になりましたので」
「ラシュレーは、北部戦線に匹敵する守りの要ですものね」
「はい」
「フランシーヌは?」
「私は旧フランシーヌ隊を連れ、巡業に戻ります。この1年、国内を回れませんでしたから」
「そう」
魔王国と獣王国、帝国の西方に位置する二大国との関係は、帝国にとってもラシュレー家にとっても最重要課題だ。今でこそ平穏を保っているが、常に適切な対応を心掛けなければ、また血みどろの関係に逆戻りしないとも限らない。そういう意味でも7年毎の三国代表の会合は重要であり、ラシュレー家の次期当主として必ず立ち会うべきだった。
フランシーヌ様も以前の巡業に戻って、重傷者の治療や被災地の救護活動に専念するらしい。私は北部戦線に訪れた平穏を喜びつつも、此処で一緒に過ごした人達と離れ離れになる事に寂寥感を覚えながら、カサンドラ様やフランシーヌ様達との会話に花を咲かせていた。
***
獅子の月の10日。私達がリアンジュを発つ日を迎えた。
「それではカサンドラ様、フランシーヌ様。我々はこれで失礼します。お二方、並びにカサンドラ隊の皆のご活躍を、一同、心よりお祈りしております」
坊ちゃんが、私やノエミ、サン=スクレーヌから同行して来たラシュレー家の騎士達を代表し、カサンドラ様達に別れの挨拶をする。坊ちゃんの挨拶を受け、カサンドラ様が静かに頭を下げる。
「シリル様、此方こそ1年もの長きに渡り、大変お世話になりました。帝国の屋台骨を支えるラシュレー家の名に相応しい働きに深く感謝すると共に、今後のご無事とご活躍を心よりお祈り申し上げます」
「こちらこそ、此処リアンジュでの生活は、私に何事にも代え難い貴重な経験を齎しました。このような機会をいただけた事に深い感謝を申し上げると共に、この経験を活かし、帝国の繁栄に努めて参りたいと思います」
挨拶が終わると、セヴラン様とフランシーヌ様が私の許に歩み寄った。セヴラン様が右手を差し出し、私と固い握手を交わす。
「リュシー殿、大変世話になった。またお会いする事があれば、是非手合わせを願いたい。貴殿の活躍を、心より願っているよ」
「こちらこそ大変お世話になりました、セヴラン様。結局、勝負は決着つかずでしたね。再会の折には一戦交えましょう」
セヴラン様との通算成績は、ほとんど互角。若干私の方が勝っているけど一桁しか違わないので、五分と言って差し支えない。そう私が答えたら、セヴラン様が苦笑した。
「いや、完敗だよ。結局、一度も君に剣を抜かせる事が出来なかった。次は是非、帯剣でお願いしたい」
「いや、勘弁して下さいよ!?そんなの、絶対無理ですって!」
気を抜くとかそういうレベルじゃなくて、呼吸する勢いで殺人光線出ちゃうんだから。剣を持ったら、対戦相手を殺す自信しかない。狼狽する私の手をセヴラン様が笑いながら離すと、今度はフランシーヌ様が両手で包み込んだ。
「リュシーさん、1年間ありがとう。私はあなたの親友だと思っているから、私の力が必要になったらいつでも呼んで?何処へでも駆け付けるから」
「ありがとうございます、フランシーヌ様。私も僭越ながら、フランシーヌ様の事を親友だと思っています。サン=スクレーヌに来る時があれば、是非お呼び下さい」
「ええ、そのうち、また会いましょう」
フランシーヌ様はあと1週間ほど滞在して引き継ぎを行った後、旧フランシーヌ隊を率いてリアンジュを発つそうだ。私はフランシーヌ様と再会を約束し、坊ちゃん達と共にリアンジュを出立して帝都オストリアへと向かった。




