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55:獣王国

 大陸の東に存在する帝国は、西側で二つの強国と国境を接している。北に、魔族が暮らす魔王国。南に、獣人族が暮らす獣王国。その南北に並立する二つの強国の狭間に、ラシュレー家の領する帝国西部突出部が割り込むような形で、三国は鼎立(ていりつ)していた。


 かつての三国は互いに覇を競い合い、幾度も兵刃を交えた間柄だったが、20年前に締結された三国停戦協定以後は各国とも国境沿いに兵を控えているものの争いは起きず、一定の平穏を保っていた。停戦後10年もすると国を跨いだ人流も始まって、各国の首都にもちらほらと他種族の姿を目にするようになり、人々は若干の戸惑いを覚えながらも次第に血や憎しみの無い、新しい関係を受け入れつつあった。




 その三国のうちの一つ、南の獣王国。


 その日、大勢の住民が首都の中心にある円形闘技場(コロシアム)に押し寄せ、観客席から大きな声援を送っていた。彼らの容姿は様々で、側頭部から犬猫のような三角形の耳を生やした者も居れば、同じ場所から牛のような角を生やしている者、二足歩行の蜥蜴としか思えない者も居る。彼らは容姿の全く異なる隣人に隔意を抱く事もなく仲良く並び、互いに色も形も異なる拳を突き上げて、闘技場へと声援を送っていた。


「コンゴウ殿!小娘なんかに負けんじゃねぇぞ!」

「きゃぁぁぁ!ハヤテ様ぁ!そんなデカブツ、パパッとやっつけちゃって下さいっ!」


 観客達は、闘技場に佇む二人の男女に声援を送っている。その数は、やや女に対する声援の方が多いか。その事実に男は苦々しく顔を歪めて女を睨みつけ、女は男の眼光をものともせず笑顔で観客席に手を振って、声援に応えていた。


 やがて、闘技場の正面、観客席とは区切られた一角の扉が開いて、一組の男女が姿を現わした。二人は共に40代で、それぞれ王と王妃を意味する小さな冠を頭に載せている。男は側頭部から丸みを帯びた耳を生やし、頭頂部から顎髭まで顔の周囲をぐるりと覆う茶色の(たてがみ)が印象深い。一方、女も側頭部から同じ丸みを帯びた耳を生やしていたが、髪全体が橙と黒の縞模様に彩られていた。


 男女の登場と共に観客の声援は一層大きくなったが、男が手を挙げると次第に小さくなり、やがて闘技場が静まり返る。観客達の視線を一身に受けた男は胸を張り、朗々とした声を闘技場の隅々にまで響き渡らせた。


「皆の者、今日はよく集まってくれたっ!これより、我らが獣王国の次代を率いる、王太子の選定を行う!選定に先立ち、国王たる(われ)が約束しようっ!二人のどちらが選ばれようとも、必ずや皆に先立って敵陣へと斬り込み、必ずや皆の後塵に踏み止まり、押し寄せる敵を振り払おうぞっ!」

「「「おおおっ!」」」


 国王の宣言に人々は一斉に立ち上がって、次々に歓呼の声を上げた。国王は観客席から湧き立つ歓呼の声に手を振って応えた後、階下に跪き首を垂れる二人に目を向ける。


「コンゴウ、ハヤテ、よいな?どちらに軍配が上がっても、待ったなし。勝った方が次代の国王だ。敗者は潔く勝者に従い、国を盛り立てるのだぞ?」

「はっ」

「畏まりました」


 国王の言葉に二人は神妙に頭を下げた後、立ち上がって闘技場の中央へと進み出て、対峙する。男は上背が2メルド(メートル)に届くほどの巨漢で、その全身は堅い筋肉の鎧に覆われており、長大な槍斧(ハルバード)を手にしている。一方、女は小柄で男の胸の高さにも届かず、両腕に無骨な籠手(ガンドレット)を嵌めていたが、それ以外は全くの無防備で、麻布でできた動きやすい服を身に纏っていた。男も上半身を覆う革鎧を除けば身を守るものを着けておらず、槍斧の重厚さと比較すると貧弱と言えよう。男は国王と同じく丸みを帯びた茶色の耳と顔の周囲を覆う(たてがみ)を持ち、女の髪は王妃と同じく、橙と黒の縞模様に彩られていた。目の前の殺気を無視して悠然とストレッチを繰り返す女のふてぶてしい姿に、男が牙を剥く。


「…フン。此処まで昇って来れた事は褒めてやる。だがな、ハヤテ、獣王国の王太子はこのコンゴウだ。貴様は大人しく、此処で槍斧の餌食になるんだな」

「ハッ!兄者、弱い者ほど良く吠えるって言葉、聞いた事はあるかい?そういう台詞は、このアタシをノシてから言うべきだね!」

「ぬかせっ!」


 女の挑発に男が眦を上げ、両腕でハルバードを構える。女も柔軟体操を終えると立ち上がって両拳を体の前に掲げ、その場でリズミカルな跳躍を始めた。闘技場を漂う空気が一変し、声援が止んで会場が静まる。


 最初に動いたのは、女の方だった。女は地面を蹴ると、体格や得物の射程をものともせず、一直線に男の懐へと飛び込んで行く。女の突進を見た男は槍斧を翻し、右腕一本で地面を薙ぎ払った。


「ヌンッ!」


 男を中心にして空間を輪切る絶死の弧が描かれ、女に襲い掛かった。だが女は、自分の上半身ほどもある長大な刃が間近に迫っても騒がず、ただ煩わし気に左腕を掲げる。


 ガキン。


 耳障りな音が鳴り響き、女が吹き飛ばされた。だが女は宙を舞いながら縦方向に一回転して勢いを逃がすと右足で地面を蹴り、不敵な笑みを浮かべながら、槍斧を振り切った男へと詰め寄った。


「ハンッ!兄者、こんなナマクラでアタシの気功を破ろうだなんて、頭に虫でも湧いているんじゃないかいっ!?」

「貴様っ!?」


 獣人族は魔族や人族と異なり、魔法を使う事が出来ない。だが、彼らは代わりに気功と呼ばれる術を駆使し、他種族と渡り合ってきた。気功はそのほとんどが近接に特化しており、魔法と比べると射程で大きく水をあけられているが、気功で強化された身体は鋼鉄にも匹敵するほどの強度を持ち、爆発的な破壊力を有する。その強度は練度に比例し、国内有数の巧者でもあるハヤテ(クラス)ともなれば、気功の乗っていない槍斧など生身でも弾き返す事ができた。当然コンゴウも槍斧に気功を乗せていたが、気功同士の勝負はハヤテに軍配が上がり、彼女の防御を突破する事が出来ない。


 ハヤテに詰め寄られたコンゴウは槍斧の刃を翻し、右腕一本でもう一度、地面を薙ぎ払った。致死性のある刃が今度は逆方向から押し寄せるが、ハヤテは地面を蹴って跳躍し、絶死の空間を眼下にやり過ごす。空中で猫のように身を縮め、獲物に襲い掛かろうとするハヤテの身を捕らえようと、コンゴウの左手が迫る。


 パァン!


 だが、伸ばされたコンゴウの左手は、下から無造作に振り上げられたハヤテの右手によって、真上へと弾かれた。驚きの表情を浮かべるコンゴウの目の前でハヤテが身を捩り、両足を揃えて空中へと蹴り出して流線を形作ると、そのままコンゴウの左肩の上を飛び越える。すれ違いざまにハヤテの左腕が伸びてコンゴウの右襟を掴み、そのまま背後へと回って首を締め上げると、振り切られたコンゴウの右手に右手刀を落として槍斧を(はた)き、すかさず手首を掴んで背中へと捻り上げた。


「…ガァッ!?」

「どう?もう、お終い?」


 コンゴウの巨体が弓形にしなり、背後からハヤテの挑発の声が聞こえる。コンゴウは息苦しさに顔を歪めながら、そのままハヤテを圧し潰しそうと、後ろへと倒れ込んだ。受け身の取れない体が地面に叩きつけられ、右腕に鈍い痛みが走る。地面に仰向けになり、上空へと向けられたコンゴウの視界の右側から、体を回転させて右手を振りかぶるハヤテの姿が現れた。


「…惜しかったねぇ」

「テ…メ…」


 ゴッ、ゴッ、ゴッ!


 腹、みぞおち、眉間。


 正中線に沿って三発の拳が叩き込まれ、コンゴウが白目を剥く。喉仏に叩き込まなかったのは、異母兄に対する計らいか。ハヤテは、足元で大の字に伸びるコンゴウを冷ややかに見下ろすと、一転して勝利の笑顔を浮かべて観客席からの大歓声に応え、身を翻して壇上に座る父母に対して手を振った。




 ***


「…あーあー、獅子の時代もこれで終わりかぁ…。お前の血が勝った時点で、薄々感じてたけどさぁ…」


 闘技場の中央で年相応の笑顔を見せる娘に手を振り返しながら、国王のオウガはボヤキを入れた。


 獣人族では種族を跨いだ婚姻が比較的盛んだが、「混血」は存在しない。強さが全てと言う獣人族のモットーを体現するかのように、強い血だけが受け継がれるからだ。19年前、獅子族のオウガと虎族のキキョウとの間に虎族のハヤテが産まれた時から、オウガはこの日が来る事を覚悟していた。ちなみに、長男のコンゴウは、獅子族の妾腹の出。強さが身上であるため王家の種族が変わっても国民は気にせず、国体の維持には何の影響を及ぼさないが、それでも獅子族からは多少なりとも反発が起きるだろう。獅子の時代の最後の君主として「店仕舞い」をしなければならない面倒さに、思わず愚痴が口を突いた。親の苦労子知らず、元凶(ハヤテ)が軽やかなステップを踏みながら、オウガの許へと進み出る。


「父上!次代の獣王国は、アタシにお任せ下さい!父上の代に負けない、強国にしてみせます!」

「ああ、よくやったぞ、ハヤテ。お前に任せておけば、安心だ」


 右腕を振り上げて力瘤を作って左手で叩くその雄姿に、オウガは笑みを浮かべ、力強く頷く。父親の言葉にハヤテは喜色を浮かべるが、その直後、喉元から出掛かった言葉を父親が押し戻した。


「…でも結婚は、駄目」




 口を開けたまま硬直するハヤテに、オウガは壇上でふんぞり返り、唇を尖らせて拗ねたような表情を浮かべる。


「お前は獣王国の王太女として、これから国を背負っていくのだぞ?当然、王太女に相応しい伴侶を迎えねばならん。お前の意志ひとつで決められるはずが、無かろう」

「…そ、そんなっ!?」

「…だが、まあ、どうしてもと言うのであれば、条件がある」


 反論を試みようとするハヤテを制し、オウガは人差し指を立て前後に振りながら、宣言する。


「…今年の秋、三国停戦協定に基づく7年ぶりの会合が開かれる。其処で行われる親善仕合で帝国の代表と対戦し、勝って見せろ」

「…人族に勝つだけで好いのですか?」

「ああ」


 厳しい試練を覚悟していたハヤテは、あまりにも緩い条件に思わず拍子抜けをする。間の抜けた表情を見せる娘をオウガは諫め、叱り付けた。


「帝国を甘く見るでないぞ?彼の地には、『軍神』オーギュスト・ド・ラシュレーが居る。かく言う我も21年前、あのオーギュストに阻まれ、先代の言い付けに従って泣く泣くキキョウを娶るハメになったのだからな」

「あなた、一言多いわよ」


 21年前の敗戦を思い出し、悔しそうな表情で拳を震わせるオウガの背中に、キキョウの声が飛ぶ。後頭部に突き刺さった王妃の言葉にオウガは一瞬項垂(うなだ)れると、再び国王の威厳を纏い、顔を上げた。


「まあ、アレから21年も経つからな、流石にオーギュストは出て来んだろう。出るとしたら、息子のシリルあたりか…。ハヤテ、オーギュストの息子シリルは、確かお前と同い年だ。お前に勝つほどの強者であればお前も納得するだろうし、血筋も申し分ない。お前が負けたら、我が選んだ相手を婿に迎えるのだぞ?」

「…わかりました、父上。帝国の代表に負けたら、大人しく父上の言葉に従いましょう。…ですが、私が勝ったら、私が誰を結婚相手に選んでも認めて下さいよ?」

「ああ、勿論だとも。望むものを自分の手で掴み取ってこそ、真の獣王だ」


 新たな目標を胸に情熱の炎を燃やすハヤテの姿を見て、オウガは重々しく頷きを返した。




 ***


「お帰りなさいませ、ハヤテ様。立太子、おめでとうございます!」

「あぁ…」


 式典が終わり、部屋に戻ったハヤテを兎族の小間使いが迎え入れた。祝いの言葉を受けたハヤテは籠手(ガンドレット)を外すと小間使いに手渡し、代わりにタオルを受け取って体を(ぬぐ)い始める。その彼女の浮かない顔に小間使いは首を傾げ、恐る恐る尋ねた。


「…あの、何かありましたか…?」

「…シズク。お前、シリル・ド・ラシュレーって男、知っているか?」

「え?…ええ、話に聞いた事だけは…」

「どんな奴だ?」


 ハヤテに肉食獣の目を向けられ、シズクが身を震わせながら答える。


「…物凄い美形らしいですよ。昨年、ラシュレー公の許に使いに走った女性が、黄色い声を上げていました」

「何処の種族だ?その女」

「え?…確か、ガゼル族だったかな…?」

「ガゼルか…なら、兄者みたいなデカブツじゃないな…」


 シズクから得た情報を元に、ハヤテは対戦相手になるかも知れない男を想像する。獣人族は、その種族によって外見に対する好みが大きく異なる。座布団の上に胡坐を掻き、物思いに沈んでいたハヤテの目がやがて細くなり、吊り上がった唇の上を舌が這った。


「…ガゼルなら、()()だな…」

「…え?」


 目を瞬かせるシズクにハヤテが顔を向け、肉食獣の笑みを浮かべる。


「どうせ()()()()なら、好みの方が好いからな。ガゼルなら、どっちに転んでもアリだ。…うん、俄然やる気が出て来た!」

「…あの、ハヤテ様?」


 不安を覚えるシズクの前で、ハヤテが胡坐を掻いたまま拳を握り締め、まだ見ぬ男の姿を思い浮かべて舌なめずりをした。


「首を洗って待っていろよ、シリル・ド・ラシュレー!アタシが思う存分、可愛がってやるからなっ!」

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