49:告解
「どなたかっ!すぐさま治癒師の方は、来て下さいっ!フランシーヌ様が危険ですっ!」
「何だとっ!?」
私が交戦中の第2中隊の許に駆け込むと、待機していた騎士達にどよめきが走った。すぐさま二人の女性治癒師が駆け寄り、フランシーヌ様の無残な姿を見た途端、青ざめる。
「うっ!?なんて酷いっ!?…女神よ、儚き者に命の水を恵み、生きる力を分け与え給え。≪生命力回復≫!」
「男性陣は此方に来ないでっ!誰でも好いから、女の人を連れて来てっ!…リュシーさん、フランシーヌ様に何が起きたの!?」
とても男性には見せられないフランシーヌ様の姿に、片方が周囲の男共を追い払う。私は、代わる代わる≪生命力回復≫を唱える二人に状況を説明した。
「女帝の≪生命力収奪≫によって体力を奪われ、噛まれました。女帝の瘴気は全て浄化しましたが、私には回復が使えないため、生命力が枯渇しています」
「わかったわ!女帝の瘴気さえ浄化してあれば、後は私達でも何とかなる!リュシーさん、後は私達に任せて!」
「お願いします!」
私は二人の女性治癒師と女性騎士達にフランシーヌ様を託すと、騒ぎを聞きつけて来た第2中隊長の許へ駆け寄り、状況を報告する。
「中隊長殿、報告します!女帝の≪生命力収奪≫によって、第1中隊が全滅!女帝は撃破しましたが、セヴラン様をはじめ、全員が生命力枯渇の状態です!すぐさま治癒師を中心に救護隊を編成し、向かわせて下さい!」
「何ぃっ!?」
報告を聞いた第2中隊長は驚愕し、強張った表情で背後のゾンビの群れへと目を向ける。私は引き攣ったままの中隊長の横顔に向かって、進言した。
「私が後背の戦いに身を投じ、鏖殺します!その間に中隊長殿は兵を取り纏め、後退して下さい!」
「っ!?分かった!…おいっ!貴様ら、急げ!治癒師を掻き集めろ!」
第2中隊長は即断し、背後の騎士達に向かって指令を発する。私は第2中隊長の許を離れると、前線に向かって走り出した。その途中で見慣れた橙色の髪を見つけ、声を張り上げる。
「坊ちゃんっ!私が突っ込み、道を切り開きますっ!坊ちゃんは第3中隊と共に残敵の掃討をお願いします!」
「っ!?フランシーヌ様は無事かっ!?」
「今のところは!ですが、予断を許しません!」
瞬間足を止めて情報交換を行うと、私は再び駆け出し、前線へと飛び込む。友軍の間を抜け、身を捩って味方が横なぎに払った剣をやり過ごすと、左の籠手に右拳を添えて仕込みナイフを引き抜き、味方に前脚を振りかぶろうとしているグリズリー・ゾンビへと振り抜いた。
「フゥッ!」
ボボッ!
グリズリー・ゾンビの左脇の下に飛び込んだ二条の閃光がその上半身を消し飛ばし、空の彼方へと飛び去る。私は下半身だけとなったグリズリー・ゾンビの脇をすり抜けると、右の籠手に左拳を添えて仕込みナイフを引き抜く。そのまま左右の拳を交互に繰り出し、前方のゾンビを消失させて無人の道を切り開くと、友軍から単身5メルドほど突出したところで立ち止まり、周囲に向かって次々に左右の拳を繰り出した。
「フゥゥゥゥゥゥッ!」
前方180度、目標を定めずに放たれた無差別攻撃によって、ゾンビの群れが瞬く間に消滅する。後続の支援を失ったゾンビ達は友軍の攻撃の前に次々と討ち取られ、ゾンビの群れはフランシーヌ隊の前に全滅した。
私が友軍と共に後背のゾンビを討ち斃している間に、第2中隊から選抜された救護隊が砦へと急行し、少数のゾンビを斬り払いながら、地面に這いつくばる第1中隊の救護に当たった。治癒師達は自身の限界まで≪生命力回復≫を掛け続け、自分達も地面にへたり込む羽目になったが、セヴラン様をはじめとする第1中隊の面々は最低限の生命力によって息を吹き返し、即時の戦線復帰は望めないものの、命を取り留める事ができた。多くの人々が地面に座り込み、荒い息を繰り返す中、残った救護隊の騎士達は死者を埋葬し、砦に聖水を振り撒いて、こびり付いた瘴気を浄化していく。
一番容態が深刻だったフランシーヌ様も、女性陣の懸命の救護の甲斐あって、一命を取り留めた。女性陣は浄化の済んだ砦の一室にフランシーヌ様を運び込むと、交代で看護を続ける。坊ちゃんは第3中隊と共にゾンビの掃討を続け、火属性の魔術師が無力化した屍体を焼却していく。動ける者は天幕を張り、炊き出しを行って疲労困憊で動けない仲間に食事を配りつつ、敵襲に備えて交代で見張りに立つ。
こうしてフランシーヌ隊は7番砦の周囲に陣を張り、3日間、戦いの傷を癒した。
***
戦いから5日目。
3日間の休息で回復したセヴラン様は東部方面軍管区の司令部と連絡を取り、第2第3中隊を率いて、陥落した4番から6番砦の復旧へと向かった。残された第1中隊は傷ついた体を癒しつつ7番砦の守備を続け、新たな守備隊の到着を待つ。9番砦に残していたノエミ達非戦闘員も合流し、7番砦周辺は少しずつ平穏を取り戻していた。
私は坊ちゃんと共に7番砦に留まっていたが、その間、フランシーヌ様の看護はノエミや他の女性陣に任せ、一切顔を見せなかった。その日、私が坊ちゃんの部屋で待っていると、フランシーヌ様のお見舞いに行っていた坊ちゃんが戻って来て、背後の通路に向かって親指を立てる。
「…フランシーヌ様がお前を呼んでいる。行って来い」
「はい」
私は椅子から立ち上がり、沈痛な面持ちを浮かべる坊ちゃんの脇を通り過ぎて、一人でフランシーヌ様の部屋へと向かう。フランシーヌ様の部屋の前にはノエミが佇み、私の姿を認めると黙ったまま一つ頷いた。私が立ち止まると彼女は振り返り、扉を開けて部屋の中を覗き込む。
「…フランシーヌ様、リュシーさんがお見えになりました。………はい」
部屋の中とのやり取りを終えたノエミは私へと振り返り、口を開く。
「リュシーさん、どうぞ」
「ありがとう。………フランシーヌ様、失礼します」
私はノエミに頭を下げ、部屋に足を踏み入れる。背後で扉が閉まり、私は一人でフランシーヌ様と相対した。
フランシーヌ様はベッドに上半身を起こし、肩から羽織ったカーディガンの襟を両手で掴んで、身を縮めていた。その優美な顔は憔悴して強張り、私へと向ける目に怯えの色が見える。私が一歩を踏み出すとフランシーヌ様の体が震え、それを目にした私は即座に足を止めた。私は部屋の入口に佇んだまま静かに待ち、フランシーヌ様が再び顔を上げたのを認めると、口を開く。
「…他に方法がなかったとは言え、フランシーヌ様にあのような仕打ちをしたのは、紛れもなく私です。申し訳ございません。この罰は、如何様にもお受けします」
「…」
私の開き直りにも似た告白に、フランシーヌ様が悲痛に顔を歪め、唇を震わせる。私はフランシーヌ様の視線を真っ向から受け止め、断罪の言葉を待った。
フランシーヌ様は、この戦いで、心身に大きな傷を負った。≪生命力収奪≫に抗し切れず体の自由を奪われ、瘴気に体を蝕まれたのは、確かに女帝のせいだろう。だが、その後にフランシーヌ様を襲った数々の仕打ちは、全て私の手に因るものだ。生死の境を彷徨う彼女の口を塞ぎ、衣服を剥いで、命乞いしたくなるほどの責め苦を与えたのは、紛れもなく私だ。凌辱にも似た恐怖を与え、死を望むほどに彼女を追い詰めながらそれを赦さず、容赦なく痛め付けたのは、間違いなく私だ。彼女に選択の余地を与えず、それほどの苦痛を一方的に押し付けたのは、全て私の我が儘だ。
例え、もう二度と彼女と話す事が出来なくとも、生涯彼女に憎まれようとも、――― 私はフランシーヌ様に生きて欲しかったから。
「…リュシーさん」
「はい」
長い沈黙の時を経て、フランシーヌ様が言葉を絞り出した。彼女は私から視線を外し、肩に羽織ったカーディガンの中に引き籠るように身を縮めると、小さな声で尋ねる。
「…あなたは、アレを、4年半も耐えたの…?」
「はい」
私の簡潔な答えに、フランシーヌ様が身を震わせる。
魂喰らいの瘴気の痛みは、想像を絶する。その痛みを例えるなら、生身の体に灼けた太い釘を、焼き鏝で何本も打ち込まれるものだろうか。以前、深窓の令嬢に噛まれたヴァレリー様にその時の様子を伺った事があるが、歴戦の戦士であるヴァレリー様をして「カサンドラ様が目の前に居なかったから、躊躇なく腕を斬り落としていた」と言わしめるほどの激痛だ。ましてや、フランシーヌ様は私より瘴気に対する抵抗力が無いため、その痛みは私以上かも知れない。
私とヴァレリー様、そしてフランシーヌ様。魂喰らいに噛まれながら生還した三人にしか共有できない、死を選びたくなるほどの痛み。そして私は、フランシーヌ様に浄化と言う形でその責め苦を与えた加害者として、フランシーヌ様の問いに答える。
フランシーヌ様が顔を上げ、私の目を見た。目の前に立つ私の姿に怯え、恐れおののき、唇を戦慄かせながら、言葉を絞り出す。
「――― ごめんなさい…」
「…え?」
何と罵倒されようと、甘んじて受け入れよう。そう身構えていた私の耳に予想もしない言葉が飛び込み、私は動揺した。足に力を入れ、辛うじて踏み止まった私の視界の向こうで、フランシーヌ様が懺悔を繰り返す。
「…ごめんなさい、リュシーさん。4年半も気づけなくて。私がもっと早くサン=スクレーヌを訪れていたら、もっと早くあなたと出逢っていれば、あなたをこの痛みから解放できたのに。魂喰らいの瘴気があんな恐ろしいものだとは、思わなかった…。ごめんなさい、リュシーさん。一人で苦しませて、本当にごめんなさい…」
「違います、フランシーヌ様っ!」
フランシーヌ様の懺悔の言葉に、私は弾かれるようにベッド脇に駆け寄り、床に跪いた。フランシーヌ様の手を取って両手で押し包むと、未だ怯えの色を見せるフランシーヌ様を仰ぎ見て、想いを告げる。
「誰も知らなかったんですっ!私も、坊ちゃんも、旦那様も!あんな所に黒衣の未亡人が居ただなんて!フランシーヌ様のせいではありませんっ!むしろ、フランシーヌ様があの時来てくれたからっ!一介の侍女の私に逢ってくれたからっ!私は、あの苦しみから脱する事が出来たんですっ!
私は、フランシーヌ様を死なせたくなかった!もっとずっと一緒に居たかった!だから、いくらでも私の事を憎んでくれて構わないっ!二度と口を利いてくれなくても構わないっ!フランシーヌ様に、生きていて欲しかったからっ!…私は、貴方の尊厳を踏みにじり、地獄の苦しみを与えたんですっ!」
「リュシーさん…」
ベッド脇に跪いて涙混じりに訴える私へ、フランシーヌ様が恐る恐る手を伸ばした。飼い犬に噛まれた子供が、もう一度友誼を確かめるように。子供を悲しませた母親が、もう一度絆を確かめるように。憔悴し、潤いを失った手を伸ばして、恐る恐る私の頬を撫でる。
「…リュシーさん…私を助けてくれて、ありがとう。私を救ってくれて、ありがとう…」
「こちらこそ、ありがとうございます、フランシーヌ様。あの時、私を救ってくれて」
「うん…」
私が微笑むと、フランシーヌ様もぎこちない笑みを浮かべた。私の両手を振り払って、手の自由を取り戻すと、私の背中に両手を回して引き寄せる。
「…リュシーさん、その小憎たらしい胸、借りても好い?」
「えぇ、どうぞ。存分に堪能して下さい」
私もフランシーヌ様の背中に両手を回し、頭を撫でると、フランシーヌ様は私の張りのある二つの丘の谷間に顔を埋め、身を震わせた。二つの丘の谷間から、くぐもった嗚咽が聞こえて来る。
「…ひぅ、えぐ…ふ、うぅぅ…」
私はベッドに腰掛け、フランシーヌ様が泣き止むまで長い間、彼女を抱き締め、優しく頭を撫で続けていた。




