48:女帝(2)
「オォォっほっほッホっほォッ!おぉォホッほっほっホッホぉオォぉぉゥッ!」
「…ぁ、ぁ…あぁぁぁあぁ…」
「フ、フランシーヌ…さ…」
フランシーヌが地面にへたり込み、這いつくばったまま歯を食いしばるセヴランの目の前で、女帝が嗤い声を上げた。
上半身だけの骸骨はまるで肥満体の貴婦人のように横に広がり、左掌を上に向けてワイングラスを手に掲げたような仕草で、フランシーヌの許へとゆっくりと近づいて来る。その女帝の異様な姿と周囲の惨状を目の当たりにして、セヴランは愕然とする。
馬鹿なっ!?全滅だとっ!?以前はレジストできたのにっ!?
数年前、中隊を率いていたセヴランが女帝と相対した時、全体の4割がレジストに失敗して行動不能に陥ったが、セヴラン自身はレジストに成功して女帝と斬り結び、カサンドラが到着する前に逃げられている。他の魂喰らいと相対した時もレジストの失敗率は3割から4割ほどで、それが魂喰らいの状態異常の成功率と目されていた。
にもかかわらず、今回はセヴランを含む第1中隊全員がレジストに失敗し、フランシーヌさえも囚われた。この異常事態と、数年前とは比べ物にならないほど肥満化した女帝を目前にして、セヴランは唇を噛み千切るほど、後悔する。
…コイツ、まさか…自身を強化できるのかっ!?
女帝の状態異常の一つ、≪生命力収奪≫。もし自分達から吸い上げた生命力を、自身に取り込む事ができたら…っ!?
「おホホほほホほッ!オォッほっほっホッほっホッホォぉっ!」
「あぁぁ、ぁ…た、助け…」
地面にへたり込んだまま歯をガチガチと鳴らし、目を見開いて涙を流すフランシーヌに、女帝が顔を寄せた。ワイングラスを掲げるように左掌を上に向けたまま右手を伸ばし、骨だけの人差し指で、フランシーヌの首筋をゆっくりとなぞり上げる。
「…ひっ!?ひぃぃぃっ!」
「オホッ!?おほホホほホほっ!」
「…や、止めっ…!」
フランシーヌが身を震わせ、白のローブが湿り気を帯びて、アンモニアの臭いが周囲に広がる。異臭に気づいた女帝が首を傾げてカタカタと笑い、大きな口を開くと、セヴランの制止の声も虚しく、フランシーヌの左肩へと喰らいついた。絶望に満ちたフランシーヌの悲鳴が響き渡る。
「あ、ああああああああああああああぁっ!」
「フ、フランシーヌ様ぁっ!」
「――― っどぉっせえぇぇぇいっ!」
突然フランシーヌの背後から一陣の風が押し寄せ、女帝は真正面から掌底を浴びて仰け反り、上顎が外れて後方へと吹き飛ばされた。女帝は空中で一回転して体勢を立て直した後、正面から襲い掛かって来る女の右拳に噛みつこうと大きな口を開く。だが女は振りかぶっていた右拳を引いて身を捩り、女帝の噛みつきに空を切らせると、すれ違いざまに女帝の後背へと左手を伸ばして首根っこを掴み、そのまま空中へと掲げる。女帝が身を捩って背後の女に噛みつこうとするが、首根っこを掴まれて振り返る事ができない。
「おホッ!?オほっ!?おほホホホほほぉッ!?」
「…なっ!?」
突如目の前に現れた非常識な光景に、流石のセヴランも地面にうつ伏したまま、唖然とする。
この世で最凶の一角とも言える、魂喰らい。
よりにもよってその魂喰らいの首根っこを掴まえ、まるで家猫を扱うように軽々と空中に掲げているその人物は、―――
――― 銀と橙の二色に輝く武骨な籠手を両腕に嵌め、お仕着せの地味なワンピースと白いエプロンに身を包んだ、一介の侍女だった。
***
「――― っ!?」
「ぐっ…!?」
突然、後背のゾンビの一群と対峙していた私の身が総毛立ち、坊ちゃんが眩暈を起こす。私は坊ちゃんの異変に構わず本能の赴くままに背後へと振り返り、砦の屋上で輝く金色の光を認めて、声を張り上げた。
「6時方向、7番砦屋上に女帝を確認っ!これより迎撃します!」
「っ!?お、おい、待てっ!俺も一緒に…」
「不要っ!」
坊ちゃんが顔を顰めながら口を挟もうとするが、私は一蹴する。そのまま坊ちゃんを無視し、正面へと向き直ると、左右の籠手に拳を添えてスリットから仕込みナイフを引き抜く。左足を前に出し、腰を落とすと、正面から押し寄せるゾンビに向かって両の拳を交互に繰り出した。
「フゥゥゥゥゥゥッ!」
無差別に放たれた無数の光がゾンビへと襲い掛かり、アンデッドの集団に放射状の縞模様が刻まれる。瞬く間に半壊した敵の惨状を見て唖然とする友軍を捨て置き、私はナイフを仕舞って背後へと振り返ると、坊ちゃんに言い放った。
「この距離で状態異常に掛かるようでは、足手纏いです!坊ちゃんは第2第3と共に、正面の敵をお願いしますっ!」
「っ!?…わかった!フランシーヌ様を頼む!」
周囲を見渡すと、4割ほどの騎士達が体調不良を訴えている。引き返せるのは、おそらく私一人だろう。私は見切りをつけ、一人で砦へと駆け出した。
私は第2第3中隊から離脱し、独り砦に向かって走り続ける。屋上で瞬いていた金色の光は、すでに地上へと舞い下りている。砦の周囲に居たはずの第1中隊の面々は全て地面に崩れ落ち、女帝はまるで支配者のように平伏する人々の間を悠然と進み、私の方へ向かって来た。その途中には、護る者も居らず、ただ一人地面にへたり込む、白いローブを着た女の背中。
「…くっ…」
間に合わない。
速度を上げる私の視線の先で、女帝が屈み、地面にへたり込む女の顔を覗き込んだ。私は唇を噛み、即座に意識を切り替える。私の手の届かない所で、女帝がゆっくりと大きな口を開けて女の左肩に喰らいつき、女の悲鳴が響き渡る。
「あ、ああああああああああああああぁっ!」
「フ、フランシーヌ様ぁっ!」
私は二人の絶望の叫びを聞き流し、女を挟んで女帝の真正面へと飛び込んだ。前傾姿勢のまま右掌を正面に向けて引き絞ると、女の肩に齧り付いている女帝の眉間に叩き込む。
「っどぉっせえぇぇぇいっ!」
足を止めて全ての力を乗せた掌底を眉間に受け、女帝が後方へと吹き飛ばされる。私はすかさず地面を蹴り、浮遊する女帝を追撃する。女帝は空中で一回転して体勢を立て直すと、私に齧り付こうと大きな口を開く。私は女帝の口に向けて右拳を繰り出し、――― 即座に身を捩って右手を引き抜いた。
ガキン。
私の真横で髑髏の歯が噛み合い、耳元で硬質の音が鳴る。私は身を捩った余勢を駆って体を回転させ、すれ違いざまに左手を伸ばして女帝の首筋を鷲掴むと、そのまま後背を取り、左手一本で高々と掲げた。女帝が私に背中を向けたまま、首を振って藻掻いている。
「おホッ!?オほっ!?おほホホホほほぉッ!?」
「…」
私は、目の前で暴れる女帝の背中を冷ややかに見つめた。状態異常を除けば、単調な噛みつき攻撃のみ。噛まれなければ、どうという事はない。
事態は一刻を争う。これ以上、女帝如きに構ってなどいられない。
私は女帝を掲げる左腕に右拳を添え、スリットから2本の仕込みナイフを引き抜いた。指の間に挟んで握り拳を作ると、そのまま女帝の側頭部を殴りつける。
「おホっ!?」
頭蓋を突き破って反対側から二条の閃光が彼方へと飛び去り、女帝が痙攣する。ちっ、流石は魂喰らい。私の殺人光線を浴びても、原型を保っている。私は左腕を振り上げ、動きを止めた女帝を地面へと叩きつけると、右腕に左拳を添え、スリットから2本の仕込みナイフを引き抜いた。右足を引き、腰を落として、両の拳を引き絞る。目の前には、地面でバウンドし、上下逆さまで綿毛のように宙を舞う、女帝の背中。
「フゥゥゥゥゥゥッ!」
一二三四五六七ッ!
「おホッ!?オっ?お、オホっ!お…ホッ…ホぉ…」
左右の拳から繰り出された十四条の閃光が女帝を貫き、白光が体を侵食していく。止めとばかりに右足を振り上げ、穴だらけとなった頭蓋へと叩き込むと、手応えもなく貫通して破砕する。頭部を失った女帝の体は白光に食い潰されるように崩壊し、風に吹かれて塵と化した。
「フランシーヌ様っ!」
私は崩壊する女帝を無視して即座に振り返り、フランシーヌ様の許へと駆け寄った。フランシーヌ様は地面にへたり込んだまま仰向けに転がり、白目を剥いて痙攣している。その異様な息遣いが、事態の深刻さを物語る。
「…ひっ…ひっ…」
「フランシーヌ様っ!しっかり!」
私はフランシーヌ様の白のローブのボタンを外し始め、もどかしさのあまり途中で両襟を掴んで力一杯左右に引っ張り、ボタンを弾き飛ばした。ナイフが使えない私はそのまま下着の襟も両手で掴み、力任せに引き裂いていく。上質な生地が悲鳴を上げ、木の葉のように宙を舞う。
「うっ!?…なんて酷い…」
剥き出しとなったフランシーヌ様の左肩は紫一色に侵食され、あちらこちらで禍々しい金色の光を放っていた。その境界線はすでに首元まで及び、今もなお禍々しい二色がフランシーヌ様の瑞々しい肌を少しずつ吞み込んでいく。
私は顔を上げて周囲を見渡し、誰一人助けを呼べる相手が居ない事を確認すると、即座に覚悟を決めた。懐からハンカチを取り出し、筒状に丸めると、フランシーヌ様の口を開かせ、中に捻じ込む。フランシーヌ様の上に跨って馬乗りになり、両足で彼女の両手を押さえ付けると、左手を腰に回して形見の短剣を引き抜き、逆手のまま切っ先が進行方向を向かないよう慎重に前に持っていく。短剣を右手に持ち替え、空いた左手でフランシーヌ様の額を掴んで押さえ付けると、白目を剥くフランシーヌ様に頭を下げた。
「…申し訳ありません、フランシーヌ様。堪えて下さい」
謝罪の言葉を告げた私は右手に持った短剣を慎重に下ろし、フランシーヌ様の首元に短剣の腹を圧し当てる。
じゅぅぅぅぅぅ。
「っんんんんんんーーーーーーーーーーーっ!?っんんんんんーーーーーーーーーっ!」
肉を灼くような音と共に虫の息だったフランシーヌ様の体が跳ね、詰め物をされた口からくぐもった悲鳴が上がる。フランシーヌ様は痛みから逃れようと頭を振り、暴れ回るが、私は渾身の力で彼女の頭を押さえ付け、パンにバターを塗るように、圧し当てた短剣の腹をゆっくりと動かした。フランシーヌ様の悲鳴と抵抗が力を失い呻き声へと変化した後も、私は左肩全体に短剣の刃を塗りたくり、彼女を蝕む瘴気を浄化していく。
永遠とも思われる5分が経過し、フランシーヌ様の左肩は本来の染み一つない肌を取り戻した。私はフランシーヌ様の上から体を避けると、腕を掴み、ひっくり返してうつ伏せにする。短剣から手を放して地面に突き刺すと、フランシーヌ様の襟を両手で掴み、ローブと下着を剥いていく。うなじから左肩甲骨にかけて扇形に広がる瘴気を認めると、地面に刺さった短剣を引き抜き、再びフランシーヌ様の背中に跨った。両足でフランシーヌ様の両手を押さえ付け、右手でフランシーヌ様の後頭部を掴んで押さえた後、左手で持った短剣の腹を患部へと圧し当てる。
じゅぅぅぅぅぅ。
「っんんんんんんーーーーーーーーーーーっ!?っんんんんんーーーーーーーーーっ!」
うつ伏せの状態でフランシーヌ様が暴れ、くぐもった悲鳴が周囲を漂う。私は悲鳴に構わずフランシーヌ様の頭を地面に押さえ付け、左手の短剣の腹を塗りたくった。悲鳴は力ない呻き声へと代わり、時折飛び跳ねる体を力で捻じ伏せながら、私は浄化を続ける。やがて背中側の浄化も終わり、傷一つない背中を確認した私は、再びフランシーヌ様を仰向けに寝かせ、口を塞いでいた詰め物を外した。
「…ぁ…ぇ…ぉヵぁ…」
土に塗れ、失禁し、衣服は引き裂かれて左の胸が露になり、虫の息で痙攣を繰り返すフランシーヌ様の無残な姿に、私は加害者として頭を下げる。腰に結わえていたエプロンを外し、フランシーヌ様の上半身に掛けると、背中と膝裏に腕を回して、横抱きに抱え上げた。地面に這いつくばったままのセヴラン様に目を向け、努めて冷静に答える。
「セヴラン様、申し訳ありません。暫くそのままご辛抱を。フランシーヌ様を送り届けたら、すぐさま救護隊を連れて戻ります故」
「…た…の…」
地面に這いつくばったまま、目の前に生える草を握り締めながら、セヴラン様が歯を食いしばる。私はセヴラン様の苦悩から目を逸らし、背を向けると、フランシーヌ様を連れて第2第3中隊の許へ駆け出した。




