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47:女帝(1)

 春の足音が聞こえてくる魚の月の1日。不気味なほど平穏だったリアンジュでの生活が、終わりを告げた。




 ***


女帝(エンプレス)が、ついに出ましたっ!」


 定例会議の途中に飛び込んで来た報告を耳にし、フランシーヌ隊の幹部達の顔に緊張が走る。セヴラン様が一同を代表し、報告者に尋ねた。


「場所は?」

「東部方面軍管区、4番砦です!」

「ほとんど東の端か…」


 セヴラン様は頷き、フランシーヌ様に目を向ける。


「フランシーヌ隊はこれより全軍、出撃準備に入ります。明朝、日の出とともに出立。フランシーヌ様、ご裁可を」

「承認します。セヴラン、速やかに準備を進めて下さい」

「はっ」


 フランシーヌ様の言葉に、セヴラン様の他、副長と中隊長達が一礼し、次々と駆け出して行く。後に残った私は、坊ちゃんと共にフランシーヌ様の許に歩み寄ると、あえて気安い態度で話し掛けた。


「さぁ、フランシーヌ様。休暇は終わりです!ちゃっちゃと片付けて、またゆっくり休みましょう!」

「ええ」




 翌朝、予定通り出撃準備を終えたフランシーヌ隊はリアンジュを出立し、セヴラン様の指揮の下、北東の端への道を急いだ。4番砦までの道のりは遠く、およそ半月。これまでのカサンドラ隊の活動を振り返っても、この距離では悠々と逃げられるとしか思えないが、だからと言って指を咥えていては北東部の被害が拡大してしまう。空振りでも現地に急行し、女帝(エンプレス)を追い立てるしかなかった。


 私達はフランシーヌ様と共に馬車に揺られ、ひたすら到着を待つ。今回は往復1ヶ月に及ぶ長旅となるので、ノエミも一緒だ。私達は戦線に沿って帯状に点在する砦での宿泊を繰り返しながら、現地を目指す。その時が来るまで耐えるしかない私達にとって、ノエミが毎晩用意してくれる紅茶や軽食は、貴重な心の清涼剤となった。




「…おかしい」


 リアンジュを出立して11日。


 その日、宿泊していた砦の食堂で私達が食事を摂っていると、砦の守備隊長が報告書を持ってきた。各砦に配備された魔法付与装身具(アーティファクト)を通じ、寄せられた報告書を目にしたセヴラン様が、眉を顰める。


「6番砦との連絡も途絶えました。これで4番から6番、都合3つの砦を()とされた事になります」

「それは、今までと違う動きなのか?」

「ええ」


 セヴラン様の物言いに引っ掛かりを覚え、坊ちゃんが問い質すと、セヴラン様が重々しく頷く。


「被害のペースとしては、今までと同じです。ですが、方角が違う。これまでカサンドラ隊が対処していた時には、魂喰らい(ソウル・イーター)達は我々と逆方向に向かって暴れ回り、我々が追い付く前に『(あな)』へと引き返していました。そして、その我々の行動を嘲笑うかのように、逆の軍管区に別の魂喰らい(ソウル・イーター)が侵入し、我々は踵を返して奴らを追い駆ける。そのイタチごっこが、カサンドラ隊の10年に及ぶ戦いだったのです。

 ですが、今回の女帝(エンプレス)の動きは違う。奴は道中の砦を()としながら、真っすぐに此方へと向かっている。これが意味する事は、一つしかありません」


 そう答えたセヴラン様は、テーブルに身を乗り出し、声を低める。


「――― 我々は、舐められている」




「…好機かも知れんな」

「ええ」


 フランシーヌ様が顔を強張らせ息を呑むのを余所に、坊ちゃんとセヴラン様が淡々と意見交換をする。


「舐めてくれて、結構。どういう原理か知らんが、おそらくカサンドラ様(クラス)の聖女は、連中に所在地がバレているのだろうな。それが、今回は見当たらない。女帝(エンプレス)にとって、きっと我々は敵ではなく、獲物にしか見えないのだろうな」


 フランシーヌ様は浄化力に劣り、一方の私は殺人光線こそ放てるが、それ以外は全くの素人。どちらも向こうのお眼鏡には適わないと見える。セヴラン様が両の手を打ち合わせ、私に目を向けた。


「これは千載一遇のチャンスだ。まさか『釣り』ができるとは思わなかった。リュシー殿、『撒き餌』は我々に任せてくれ。是非とも大物を釣り上げてくれよ?」

「畏まりました」


 こうしてフランシーヌ隊の基本方針が決定し、私達は北東への進軍を続ける。女帝(エンプレス)との決戦地は、おそらく7番砦近郊。私達は9番砦で馬車を捨て、ノエミ達非戦闘員を残すと、7番砦へと向かった。




 ***


 7番砦の上空は分厚い雲に覆われて生温い風が吹き、生気の感じられない墨絵のような重苦しい雰囲気を漂わせていた。


 すでに7番砦との連絡は途絶え、生存は絶望視されている。私達が砦へと近づくと、周辺を闊歩していたゾンビが此方を向き、三々五々(さんさんごご)に剣を振り上げ、押し寄せて来た。私達は馬を降り、横隊を組んでゾンビを迎え撃つ。


「やっぱり、()ちてますね…」

「あぁ」


 ゾンビの襲来は散発的で、私達はほとんど損害もなく、ゾンビを撃破した。私達は徘徊するゾンビを掃討しながら、慎重に砦へと近づいて行く。砦の周辺には数体のゾンビが歩き回っていたが、目を凝らすと、地面に点々と蹲る人々が見える。その半数は蹲ったまま息絶えていたが、残りの半数は虫の息ではあるものの、辛うじて生き残っていた。治癒師(ヒーラー)が駆け寄り、回復魔法を掛ける。


「女神よ、儚き者に命の水を恵み、生きる力を分け与え給え。≪生命力回復(リカバー)≫」

女帝(エンプレス)の状態異常は、≪威圧(ドラグーン)≫と≪生命力収奪(エネルギー・ドレイン)≫だ。長期戦になると、他の魂喰らい(ソウル・イーター)よりも手強い。注意してくれ」

「はい」


 ゾンビの掃討と生存者の救護活動を続ける中、セヴラン様が私に駆け寄って私に耳打ちする。どうやら地面に蹲る人々は、≪生命力収奪(エネルギー・ドレイン)≫の犠牲者らしい。すると、背後から警戒の声が上がった。


「後背よりアンデッドが多数襲来っ!グリフォン・ゾンビ、グリズリー・ゾンビの姿も見えますっ!」

女帝(エンプレス)はっ!?」

「未だ不明っ!」


 背後に目を向けると、稜線を埋め尽くす勢いでアンデッドの群れが押し寄せて来る。アンデッドの種類は様々で、山羊やコヨーテなどのアニマル・ゾンビの他、灰色熊の成れの果てでもあるグリズリー・ゾンビと、グリフォン・ゾンビの姿も見える。アニマル・ゾンビに混じって鎧を着た騎士の成れの果ても居て、7番砦を蹂躙したゾンビ達が私達に気づいて再び襲い掛かって来たものと思われた。セヴラン様が戦場を見渡し、すぐに決断した。


「第2第3中隊っ!後背の敵に備えろっ!第1はフランシーヌ様と共に砦周辺の掃討を行い、生存者の救護を行う!シリル殿、リュシー殿は第2第3を援護っ!グリフォン、グリズリーを掃討し、女帝(エンプレス)を発見次第、対処してくれっ!」

「了解っ!」

「はいっ!」


 セヴラン様の指令に従い、坊ちゃんと私は横陣を組む第2第3中隊の許へと駆け出し、後背から押し寄せるゾンビの群れと対峙した。




 ***


 シリルとリュシーが後背へと向かい、後に残ったフランシーヌとセヴランは第1中隊を率いて砦へと向かった。周囲に徘徊するゾンビはごく僅かで、第1中隊の騎士達によって瞬く間に斬り伏せられていく。フランシーヌは砦の周囲に蹲る人々の許に駆け寄り、ある時は回復魔法を掛け、またある時は沈痛な面持ちを浮かべて胸元で印を切り、死者の冥福を祈る。


 また一人、新たな死者の冥福を祈ったフランシーヌは、顔を上げて周囲を見渡した。蹲る人々は砦の周囲に点々と散らばり、砦の向こう側にも垣間見える。砦に目を向けると、中から新たな数人のゾンビが姿を現わし、騎士達と斬り結んでいる。すでに三人連続で間に合わず、もはや一刻の猶予も許されない。フランシーヌは死者をゆっくりと横たわらせると、その場で立ち上がり、周囲を警戒するセヴランに宣言した。


「…此処で撃ちます。セヴラン、光の流れを辿り、火急速やかに生存者を救出して下さい」

「はっ」


 そうセヴランに宣言したフランシーヌは胸元に抱えていた短い錫杖を頭上へと掲げ、深呼吸を一つすると、澄んだ声を響き渡らせた。


「女神よ、救いを求める者達に生命(いのち)の息吹を分け与えん。≪豊穣たる生命の恵み(ライフ・エッセンス)≫」


 直後、フランシーヌの頭上に金色に輝く雲が湧き上がり、夥しい数の光の粒子となって周囲へと飛散した。


 金色の雲は暫く空中を漂った後、何本かの細い光の川となって、砦の周辺で蹲る人々のうち、数人の許へと流れ込んだ。光の川は砦の向こう側へも及び、砦の石壁を伝って屋上にも流れ込む。




「――― おッほオおォぉぉォオおおォォオッホッホっほっほッホっホォゥッッッ!」


 そして奇怪な笑い声が周囲に鳴り響いた途端、フランシーヌの体から力が抜け、彼女は錫杖を掲げたまま、膝から崩れ落ちた。




「…えっ?」

「フランシーヌ様っ!?…ぐぅぅぅっ!?」


 呆けた表情で地面にへたり込むフランシーヌを見て、セヴランが慌てて駆け寄ろうとするが、片足を踏み出そうとしたところで顔を歪め、膝をつく。彼は手にしていた剣を地面に突き立て、杖代わりにして立ち上がろうと試みたが、どんなに歯を食いしばっても体に力が入らない。周囲に散らばる第1中隊の騎士達が次々と倒れ、呻き声を上げる中、砦の屋上の金色の輝きが増し、大きな光の玉となって宙を舞った。


「ホォぉぉぉッほっホッほっほっホッホッほォォぉぅぅっ!」

「…ぁ、ぁ…あぁぁぁぁぁ…」


 地面にへたり込み、指一本手足が動かせないまま、呆然とするフランシーヌの視線の先で、金色の光がふわりと地上に降り立つ。


 ボロボロのマントを身に纏った、上半身だけの、金色に光り輝く一体の骸骨。


 もはやセヴランさえも抗い切れず、剣から手を放して地面にひれ伏する中、フランシーヌはただ一人地面にしゃがみ込み、宙を漂う金色の骸骨を仰ぎ見て、唇を戦慄かせた。


「…エ…エ…女帝(エンプレス)…」

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