43:アクシデント
リアンジュを出発した坊ちゃんと私は馬に乗り、サンタピエへと向かった。
サンタピエへの道はなだらかで周囲には平原が広がり、ところどころに樹々が立ち並んでいる。冬の今は草木が枯れ、荒涼とした茶色一色に染まっていたが、春になると草が一斉に生い茂り、緑豊かな草原が広がる。アンデッドの侵入の危険性がなければ牧草地に適しているとの事で、リアンジュで飼育される牛馬の飼料も、夏の間に此処で収穫しているのだそうだ。私は坊ちゃんと馬を並べ、周囲を見渡しながら声を上げた。
「見晴らしがとても良いなぁ…春が楽しみですねぇ…」
「ああ。馬駆けしたら、気持ち良いだろうな」
私達は時折補給物資を運ぶ部隊や偵察隊とすれ違いながら、サンタピエへと歩を進める。見晴らしが良く、対アンデッドとの最前線で軍隊の行き交うこの地域に好き好んで居座る盗賊など居らず、私達は何の危険も感じる事なく、気楽な旅を続ける。堅苦しい護衛も居らず、久しぶりの気ままな時間に、坊ちゃんは頬を綻ばせ、時折小さな声で歌を口ずさんでいた。
私達は点在する村落で小休憩を挟みながら馬を進め、夕方にはサンタピエに到着した。事前に人を走らせ予約しておいた、街で評判の品の良い宿の門を潜ると、店主が出迎えに出て来た。
「お待ちしておりました。お部屋までご案内いたします」
「ありがとう。世話になる」
「お客様も、月市が目的で?」
「ああ、良い出物がないかと思ってね」
坊ちゃんは公爵家の嫡男であり、その名を出せば街を治める代官や豪商達がこぞって出迎え、街を挙げて歓待しようとするだろう。それを嫌った坊ちゃんは名を伏せ、若手商人の出で立ちで街を訪れていた。私も街の女性が着るようなワンピース姿だが、手首の内側や、外套の襟元など、至る所にナイフを仕込んでいる。いつもの護身群も身に着けているので、軽装とは言え身の危険は全くなかった。
店主は私達を連れて2階へと上がり、一番奥の部屋の扉を開けて私達を誘う。
「此方と隣の二部屋、お取りしております。お食事は如何なさいますか?」
「此処で摂っても構わないか?」
「ええ、どうぞ。すぐにご用意しますね」
そう答えた店主は一礼して部屋を出て行く。私は坊ちゃんの部屋に荷物を置きながら、周囲を見渡した。
「小ざっぱりして、好い部屋ですね…」
部屋は一人部屋とは思えないほど広く、漆喰で白く塗り固められた壁と家具の木目が調和を為し、落ち着いた雰囲気を醸し出している。部屋には大きめのベッドが一台と、木製のテーブルを挟んで椅子が二脚。比較的裕福な商人を相手にするような宿だけあって、高級品とまではいかないものの、しっかりとした造りで出来ていた。隣の部屋も左右対称で同じ設えとなっており、手前側の部屋を私が使う事になった。
「お客様、御食事をお持ちしました」
「ありがとう。其処に置いてくれ」
私が坊ちゃんの部屋に戻り、暖炉に火をつけ薪をくべていると、使用人が夕食を持って訪れ、テーブルの上に並べていく。肉と野菜をふんだんに取り入れた温かいポトフ、バケットとチーズ、ピクルス、ワインが並び、香ばしい匂いが食欲をそそる。使用人が下がると坊ちゃんと私は席に着き、早速食事に取り掛かった。スープを掬って口に含むと、肉や野菜の旨味が口の中に広がる。
「…うん、美味しい。体が温まりますねぇ」
「おい、其処のチーズを取ってくれ」
「はい、どうぞ」
坊ちゃんが私の手元に置かれたチーズを指差し、私はスプーンを口に咥えたまま器を手に取り、坊ちゃんへと差し出す。公爵家の嫡男と一介の侍女のやり取りとは到底思えない光景だが、坊ちゃんはお義父様やマリアンヌ様と食事を摂らない時には、いつも私とこんな食事をしている。身分の差を気にせず、家族同様に接する坊ちゃんを主人に持った幸せを噛み締め、私はスプーンを咥えたまま、思わず顔を綻ばせた。
***
翌日。
朝食を摂って宿を後にした私達は、早速月市場へと繰り出した。街を縦横に貫く大通りにずらりと並ぶ屋台の数と、行き交う人の多さに、思わず目を丸くする。
「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい!北部戦線周辺でしか獲れない、貴重なバイソンの毛皮だよっ!冬の寒さもコレ一枚あれば一安心だ!」
「旦那、見て行って下さいよ!遥か東の海で獲れる品々なんて、こんな内陸じゃあ此処でしか手に入らないよ!」
「ぼ、坊ちゃん!あのバイソンの毛皮、旦那様への御礼に如何ですかっ!?サン=スクレーヌは冷えますから、きっとお喜びになられますよっ!?」
私が屋台の一つに吊り下げられた大きなバイソンの毛皮を見つけ、坊ちゃんに購入を促そうと振り返ったら、坊ちゃんは隣の屋台の店主に質問を浴びせていた。
「店主、この赤い綺麗な石は何だ?」
「おっ、旦那、お目が高いっ!その石は珊瑚と言って、遥か南の海でしか獲れない貴重な宝石でさぁ!」
「あ、坊ちゃんっ!それ、マリアンヌ様のプレゼントにぴったりですよっ!絶対喜びますよっ!」
坊ちゃんが指差す先に目を向けると、柔らかな赤い色を持つ丸石が幾つも並べられている。魔術師であると同時に優れた魔法付与師でもある坊ちゃんは、素材オタクのきらいがある。多分坊ちゃんは魔法付与装身具の材料としか見てないだろうけど、きっと装飾品にしたらマリアンヌ様がお喜びになる。私がそう提言するも、坊ちゃんは構わず自分の疑問を店主へとぶつけた。
「魔法付与装身具に転用したら、効能はあるか?」
「あぁっ!スンマセン、旦那っ!魔法付与装身具になると流石に分からんでさぁっ!」
「仕方ない、実験してみるか…。店主、コレとコレとコレをくれ」
「毎度っ!」
「坊ちゃんっ!コレをマリアンヌ様のプレゼントにしましょうよっ!?」
「あ、忘れてた。店主、コイツもくれ」
「毎度っ!」
私がもう一度口を挟むと、坊ちゃんは我に返り、色鮮やかな大玉を追加購入する。坊ちゃんは手に入れた珊瑚を鞄に入れると、バイソンの毛皮のお店へと足を向けた。私も坊ちゃんの後を追おうとして、ふと棚の小物に目を留める。
其処には、二枚貝で出来た小さな小物入れが置かれていた。河川の二枚貝とは異なる左右対称の扇形で、蝶つがいから外側に向かって溝が放射状に広がって殻の縁が波打ち、自然に出来た物とは思えない美しさが感じられる。貝の表面は丁寧に磨かれ陽の光を浴びてキラキラと輝いており、その造形に目を奪われた私に気づいた店主が声を掛けた。
「お嬢さん、その小物入れが気に入ったのかい?」
「あ、えっと…」
店主の言葉で我に返った私は懐から財布を取り出し、中身を数える。ひぃ、ふぅ、みぃ…。うぅ、ちょっと足らない。財布を覗き込んだまま眉を顰める私を見て、店主が破顔した。
「お嬢さん、半値で好いよ」
「…え?本当によろしいのですか?」
顔を上げた私に、店主が親指を立てて片目を瞑る。
「旦那が沢山買ってくれたからな。オマケしてやるよ」
「ありがとうございます。それじゃ、御言葉に甘えて」
私は店主の好意に頭を下げ、二枚貝の小物入れを購入した。良かった、これで坊ちゃんにプレゼントできる。両掌に納まるくらいの小さな小物入れを見て私は笑みを浮かべ、鞄に仕舞うと坊ちゃんの後を追う。
この後も私達はサンタピエに並ぶ屋台を練り歩き、坊ちゃんはラシュレー領でお目に掛かれない素材候補を見つけては次々と買い入れ、私は坊ちゃんに串焼きや果物をねだって舌鼓を打ち、月市場を大いに堪能した。
…堪能してしまった。
「お前、何でこんな時間になったのに気づかなかったんだよっ!?」
「坊ちゃんだって、あの宝石屋で一時間も動かなかったじゃないですかっ!」
「あんな黒水晶見つけちまったら、他にも掘り出し物がないか探して当然じゃないかっ!」
「知りませんよっ!そんな魔法付与師の拘りなんてっ!あぁ、もう!コレ絶対に間に合いませんって!」
すでに茜色に染まるリアンジュへの道を、坊ちゃんと私は馬を駆りながら大声で怒鳴り合う。
リアンジュからサンタピエまで、馬で丸一日。
午後まで月市場を堪能した私達がその日のうちにリアンジュに帰還するなど、土台無理な話だった。
***
「クソぉ、今日はもう無理だ。仕方ない、今晩は此処で一泊するか…」
陽が沈んで夜の帳が周囲を覆い尽くす寸前で、私達は小さな村へと滑り込んだ。私達が駆け込んだ直後に村を取り囲む塀の門が閉まり、門番が閂を架ける。夜になればどの集落も門を閉ざし、外敵の襲撃に備える。闇夜の中を駆け抜ける危険は犯したくないし、リアンジュに着いても中に入れない以上、最寄りの集落で夜を明かす他なかった。村の門限に間に合った事に安堵しながら、坊ちゃんが門番に尋ねた。
「君、すまない。この村には、宿屋はあるかい?」
「一軒だけありますよ。あの角を曲がって、すぐです」
私達は門番に礼を言い、馬を引いて指し示した角を曲がる。通りには質素な丸太小屋が連なり、宿屋の看板が掲げられた建物も、角材を積み上げた2階建てのログハウスだった。私は馬を引きながら中を覗き込み、大声を上げた。
「すみませーん!宿を借りたいのですが、空きはありますかぁ!?」
「あぁ!あるよぉ!」
中から応えがあり、主人と思しき、恰幅の良い中年の男が出て来る。私は野宿を免れた事に胸を撫で下ろしながら、主人に尋ねた。
「今晩、二人泊まりたいのですが、お願いできますか?」
「ああ、それは構わんけどよ…」
宿屋の主人は頭を掻きながら答えると、私と背後に佇む坊ちゃんを交互に見やり、一言付け加えた。
「…空きが一部屋しかないんだ。一緒でも好いかい?」




