41:雲雀の真髄
「…やっぱり私は…聖女には相応しくない半端者だ…」
戦闘を終え、騎士達に守られながらリアンジュへの帰途へと就いた馬車の中で、フランシーヌ様がポツリと呟いた。
彼女はストールを肩から羽織り、冬の寒さと戦闘の恐ろしさから身を守るように縮こまりながら、思い詰めた表情で語り出す。
「私の浄化の力は弱く、聖女としては辛うじて及第点と言ったところ。しかも燃費が悪く、長期戦となれば、高位の治癒師にさえ後れを取ってしまう。そんな私が聖女になれたのは、勿論浄化力の弱さを補って有り余るほどの回復力にもあるけれど、何よりも、孤軍奮闘していたカサンドラ姉様の強い期待があったからなの…」
フランシーヌ様は項垂れ、ストールを掴んでいる自分の手を見つめながら、心の内を吐露していく。坊ちゃんと私は生半可な言葉を掛けるわけにもいかず、黙ってフランシーヌ様の言葉に耳を傾けた。
「10年前、姉様は20年ぶりの聖女として帝国中の期待を背負ってその地位に就き、以後4年間、北部戦線はおろか災害が起きれば被災地に赴いて救護活動を行うなど、文字通り帝国中を駆けずり回っていたわ。そんな中で私が見い出され、初めてお逢いした時の姉様の歓びようは、決して忘れる事ができない。『嗚呼、フランシーヌ、やっとあなたに逢えた。これで私はもう、独りじゃない』憧れの姉様にそう言われた私は発奮し、必ず姉様の力になると、心に誓ったの。
…だけど、私の浄化の力は一向に強くならず、私は姉様の負担を肩代わりする事ができなかった。姉様は北部戦線に張り付いたままとなり、私は姉様に代わって国内を駆けずり回るようになった。そのまま2年が経過した頃、姉様が私に仰ったの。『フランシーヌ、後ろは任せたわ』って。
きっと、姉様はあの時、諦めたんだわ…私は姉様の代わりにはなれないと…。だから、姉様はご自身の妊娠を私に明かしてくれなかったのね…」
「そんな事は決してありませんよ、フランシーヌ様」
自信を喪失したフランシーヌ様の言葉を聞き、私は急いで口を挟んだ。このまま一人で悩んでいたら、どんどん悪い方へと考えてしまう。私は、どうフランシーヌ様の悩みを解きほぐすか、考えの纏まらないまま、思いつくままに言葉を続けた。
「カサンドラ様はフランシーヌ様に、ご自身の代わりを求めたのではありません。ご自身と共に悩みや苦労を分かち合える、仲間を求めたのです。カサンドラ様と同じ人は、世界中の何処を見渡しても、絶対に見つかりません。それはカサンドラ様だからではなく、世界中に生きる全ての人々が一人ひとり違っていて、決して同じ人が居ないからです。
カサンドラ様はそれを御存知でしたから、ずっと一人で抱え込んでいたんです。それをフランシーヌ様、貴方は半分も、カサンドラ様から託されたんですよ?誰にも渡せなかった重荷を、前線と同じくらい重要な後背を、カサンドラ様から託されたのです。フランシーヌ様はカサンドラ様の期待に応えられなかったのでは、ありません。期待に応えられたからこそ、貴方の力が最大限発揮できる半分を、託されたのです」
「…本当に、そうかしら…?」
フランシーヌ様が顔を上げ、顔色を窺うように自信なさ気な目を向けて来る。私はフランシーヌ様を安心させるべくにこやかに頷き、軽口を叩いた。
「勿論です。何でしたら来年、カサンドラ様がお戻りになられた時にでも伺ってみましょうか。きっと、頭を叩かれますよ?『フランシーヌ、あなた、何馬鹿な事を言っているの』って」
「くすっ…その言い方、姉様にそっくりよ?」
私の物真似にフランシーヌ様がくすりと笑みを浮かべ、澱んでいた馬車の空気が緩む。
フランシーヌ様は、山野を自由に舞う雲雀だ。雲雀なのに、鷹の群れを率いて、獰猛な鷲に立ち向かう事になってしまった。それは彼女の意思だけど、決して心から渇望した事ではない。聖女としての責務と、カサンドラ様への想いがあって初めて乗り越えられた、高い障壁だ。
フランシーヌ様がカサンドラ様の代わりになれないのと同じように、私達もフランシーヌ様の代わりにはなれない。だからこそ、フランシーヌ様の手に余る事は私達が抱え、彼女の負担を少しでも軽くしなければならない。
私はことさら明るい話題を振り撒き、時折坊ちゃんに茶々を入れられながら、リアンジュへの帰途の道のりを過ごしていった。
***
そうして5日ぶりにリアンジュへと戻って来た私達を出迎えたのは、多くの人々の混乱と、物々しい緊迫した空気だった。混乱によって検問が滞り、馬車の中で足止めを食らっていた私達の許に、報告を聞いたセヴラン様が戻って来る。
「今朝方、老朽化した教会の建物が崩落して礼拝中の住民が生き埋めになり、わかっているだけでも負傷者が百名以上。しかも未だ多数の行方不明者が居るそうです」
「何っ!?」
突然の凶報に坊ちゃんが驚きの声を上げ、一瞬私達は顔を見合わせる。真っ先に沈黙を破ったのは、フランシーヌ様だった。
「セヴラン、すぐに救援に向かいましょう。大隊所属の治癒師を中心に救護隊を編成、急行させて下さい」
「はっ、今少しお待ち下さい。前方の車列をどかし、道を空けます故」
応諾したセヴラン様が身を翻そうとするが、そのセヴラン様をフランシーヌ様が呼び止める。
「不要、時間の無駄です。私も馬車を降り、徒歩で向かいます」
「フランシーヌ様!?」
私が呼び止める間もなく、フランシーヌ様は馬車から飛び降り、検問所へと走り出した。慌ててセヴラン様が後を追い、坊ちゃんと私も続けて馬車を降りる。
検問所は多数の馬車が停車し、規制が行われていたが、私達はセヴラン様の仲介ですぐに通り抜ける事ができた。セヴラン様は大隊へ指令を下すためUターンし、残された私達は数名の護衛の騎士と共に教会へと向かう。白を基調としたローブに身を包んだフランシーヌ様の姿を見た街の人が、次々と声を上げた。
「聖女様、皆を助けて下さい!」
「フランシーヌ様、お願いします!」
人々の呼び声にフランシーヌ様は答えようとせず、ただ真っ直ぐに前方を見て駆け続ける。その走りはこれまでフランシーヌ様が見せてきた、ゆったりとした足取りとはかけ離れており、追走する坊ちゃんと比べてもそう遜色のない速さだった。
やがて私達の視界に、事故現場が姿を現わした。リアンジュでも有数の大きさを誇っていた礼拝堂は、見るも無残な姿を晒していた。石造りの建物は、上から巨大なハンマーで打ち抜かれたかのように円筒形に抉れ、そこかしこに瓦礫が散乱している。周囲には大勢の被災者が倒れ、人々が群がって必死に救命活動を行っていた。
「大丈夫かっ!?しっかりしろ!」
「あんたぁ!あんたぁ!」
フランシーヌ様は道端に群がる人々の間を抜け、真っすぐに礼拝場へと向かった。周囲の人々がフランシーヌ様の存在に気づき、救いを求めるも、フランシーヌ様は足を止めることなく、礼拝場へと進み出る。
「聖女様、助けて下さい!」
「この人を、どうか、この人の命をっ!」
人々が次々に救護の声を上げ、幾人かが駆け寄って私達に縋りつく。私達はフランシーヌ様を中心にして円陣を組み、押し寄せる人々を必死に宥めながら、困惑の表情を浮かべ、フランシーヌ様に振り返った。
「フ、フランシーヌ様?」
「…行きます」
すると、フランシーヌ様が崩落した礼拝堂を見上げながら小さく呟き、胸元から短い錫杖を取り出す。両手で持ち、頭上へと掲げると、深呼吸一つを経て、まるで雲雀の囀りを想わせる澄んだ声を響き渡らせた。
「…女神よ、救いを求める者達に生命の息吹を分け与えん。――― ≪豊穣たる生命の恵み≫」
途端、私達の上空に金色に輝く雲が湧き上がり、夥しい数の光の粒子となって周囲へと飛散した。
光の粒子は空中を漂い、やがて幾筋もの細い光の川となって、瞬きを繰り返しながら流れていく。光の川は無数に枝分かれし、最後には百本を超える細い筋となって、至るところに転がる負傷者へと流れ込んだ。光の粒子が絶えず傷口へと注ぎ込まれ、惨い怪我がみるみるうちに塞がっていく。それに伴い、苦痛に歪んでいた負傷者の顔が和らぎ、やがて穏やかな表情へと差し代わった。
「あんたぁ!あんたぁ!」
「助かった、助かったぞ!」
あちらこちらで次々に湧き上がる歓喜の声に、私達は呆然とした表情を浮かべ、周囲を見渡す。するとフランシーヌ様が掲げていた錫杖を下ろし、胸元に抱え込むと、礼拝場に散らばる瓦礫の山を次々と指差した。
「其処と其処と其処。生存者がいます。すぐに救助して下さい」
「え?」
慌ててフランシーヌ様が指し示した先に目を向けると、光の筋が瓦礫の中へと流れ込んでいる。護衛の騎士達が声を張り上げ、住民達と協力して瓦礫を取り除くと、やがて新たな歓声が湧き上がった。
「居たぞ!生存者だ!」
「こっちは小さな男の子だ!」
「良かった…。あくまで応急処置なので、後は救護隊の治療を受けて下さい」
「はい!」
新たに湧き上がった歓喜の声に、フランシーヌ様が大きく安堵の息を吐く。その泰然とした姿に私は気になり、恐る恐る声を掛けた。
「…あの、フランシーヌ様…あんな大魔法を使って、御体は大丈夫なんですか?」
「あ、えぇ…」
私の質問にフランシーヌ様は我に返ると、バツの悪そうな表情を浮かべ、はにかむ。
「…回復だけは得意なのよ。正直、≪豊穣たる生命の恵み≫より、≪聖罰≫の方が体に堪えるわ」
「…」
何でもないように宣ったフランシーヌ様の言い草に、私は内心で呆れる。この人、私と逆方向に突き抜けている。私は共犯者を見つけたような喜びと親近感を覚え、フランシーヌ様の許に駆け寄ると手を取って引き寄せ、抱き締めた。
「リュシーさんっ!?…わぷっ!?」
「フランシーヌ様、駄目ですよっ!こんな御力がお有りなのに、卑屈になっちゃ!」
戸惑いの声を上げるフランシーヌ様に構わず、私はフランシーヌ様の後頭部に手を回し、高低差の激しい己の谷間に顔を埋めさせた。胸だけが突出する私と違い、フランシーヌ様は体全体が柔らかく、抱き心地が良い。同性の役得とばかりにフランシーヌ様の抱き心地を堪能していると、フランシーヌ様が窒息死を免れようと谷間で藻掻き、勢い良く顔を上げた。
「…ぷはぁっ!リュリュリュ、リュシーさんっ!?」
顔を真っ赤にしてがなり立てるフランシーヌ様は可愛らしく、私は思わずフランシーヌ様を抱き締めたまま、頭を繰り返し撫でてしまう。驚いて目を見開き、顔を真っ赤にしたまま硬直するフランシーヌ様に、私は優しく語り掛けた。
「…フランシーヌ様は、立派に聖女としてのお務めを果たしていらっしゃいます。…ほら、周りを見て下さい。皆の姿を」
「…え?」
私の言葉にフランシーヌ様が我に返り、私に抱き締められたまま周囲を見渡す。私達の周りには大勢の住民達が押し寄せ、繰り返し感謝の声を上げていた。
「聖女様、私の娘を助けていただき、ありがとうございました!」
「ありがとうごぜえます!ありがとうごぜえます!」
おそらく、リアンジュに来て、フランシーヌ様が初めて受けた感謝の言葉だろう。自分に対する歓呼の声に呆然としたままのフランシーヌ様に、私は再び語り掛けた。
「フランシーヌ様、例え聖女であろうとも、出来ない事は沢山あります。その事は皆知っていますし、出来ない事があっても誰も非難しません。ですから、フランシーヌ様、出来ない事は遠慮なく私達を頼って下さい。辛い事や苦しい事があっても、一人で抱え込まないで下さい。カサンドラ様だって、着任当初は寂しくて、ヴァレリー様に毎晩慰められていたと仰っていたじゃないですか。フランシーヌ様も、私達に甘えて下さって好いんですからね?」
「リュシーさん…」
私の言葉に、フランシーヌ様は顔を赤らめたまま、ぼうっとした表情を浮かべている。やがて彼女は俯き、私にこつんと頭を預けると、胸の谷間に向かって照れくさそうに呟いた。
「…リュシーさん…これからも、よろしくね?」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
住民達が次々に歓びの声を上げる中で、フランシーヌ様と私は抱き合ったまま、暫くの間その場で佇んでいた。




