40:聖女フランシーヌ(2)
翌朝、私達は砦を出立し、アンデッドが蔓延る最前線へと向かった。
フランシーヌ様は砦に馬車を残し、セヴラン様の馬へと乗り込む。私と坊ちゃんも馬を借り、騎乗してセヴラン様に追走した。
休憩を挟んで3時間ほど馬を走らせると、なだらかな稜線の向こうに蠢くアンデッドの群れが見えて来た。白に近い、薄い灰色のマントを被ったレイスや、それより濃い灰色のワイトが綿毛のように浮遊し、その下で動物達の成れの果てが群れを作る。動物達は多種多様で、野生の羊やコヨーテ、キツネ等が入り混じり、バイソンやヘラジカと言った大型の動物も数多く居る。人の姿は見えないが、これは北部戦線の北に人は住んでおらず、無人だからだ。どうやらこの付近に友軍は居らず、アンデッドの群れは帯状に点在する砦の間を突破し、緩慢な動きで南下を続けている。
私達はアンデッドの群れから少し離れた場所で馬を降り、後続部隊に預ける。セヴラン様が私の許に歩み寄り、声を掛けた。
「リュシー殿、今回君はフランシーヌ様の傍らで待機し、傍観に徹してくれ。正直、君が参戦したら訓練にならない。フランシーヌ様が危うくなった時だけ、対処してくれ」
「畏まりました」
私は一礼し、セヴラン様の命令に従う。グリフォン・ゾンビでさえも消失する、あの浄化魔法を連射したら、このアンデッドの群れが縞模様になる。乱戦になれば敵味方平等に穴を開けてしまう以上、一度戦闘が始まったら、もう出番がなさそうだ。セヴラン様は一つ頷くと、フランシーヌ様へと目を向けた。
「フランシーヌ様、今回はあなたも参戦下さい。戦いがどういったものなのか、ご自身の浄化魔法がどの程度の威力を持つのか、その経験を得る貴重な機会です。リュシー殿が傍らに居りますから、身の危険を案じる必要はありません」
「わかりました…」
セヴラン様の申し出に、フランシーヌ様は緊張に顔を強張らせ、唇を噛みながら頷きを返す。坊ちゃんが前に進み出て、フランシーヌ様と並び立った。
「フランシーヌ様、今回は私も参戦します。自分の魔法がどれだけアンデッドに効くか、知っておかなければなりませんので」
「シリル様、お願いします」
地水火風の四大元素を主とする魔術師は、実はアンデッドとの相性が悪い。霊体型には通じず、属性魔法の種類によっては物体型にも役に立たない。坊ちゃんが得意とする属性魔法は雷系と氷系だが、雷系は役に立たず、氷系による物理破壊と拘束に頼る他なかった。魔術師と治癒師がフランシーヌ様を中心にして横並びになり、その前方に弓隊が横列陣を組むと、セヴラン様が右手を上げ、アンデッドの群れに向かって勢い良く振り下ろした。
「弓隊、ってえええっ!」
セヴラン様の命令一下、弓隊が空に向かって斜めに弓を構え、一斉に矢を放つ。フランシーヌ隊から放たれた無数の矢が放物線を描いて宙を舞い、アンデッドの群れへと降り注ぐ。矢尻には幾つもの小さな穴や溝が刻まれて、たっぷりと聖水が塗されており、アンデッドにダメージを与える事ができる。弓隊による一斉射撃によって力の弱いレイスや小型のアンデッドが何体も斃れ、大型のアンデッドについても脚にダメージを負って行動に支障が出るものが現れた。
射撃を受けたアンデッドの群れは方向転換し、私達へと襲い掛かって来る。弓隊は二度の斉射を終えると、その場で弓を仕舞って剣を抜く。弓隊が身を屈めて射線を開け、後列に並ぶ魔術師と治癒師が一斉に詠唱を始めた。
「女神よ、聖なる光をもって邪悪な存在を討ち祓わん。≪聖煌≫」
治癒師達が各々の触媒を掲げ、太い光の帯が幾筋もアンデッドへと照射される。大小様々、最大で直径50セルドほどの光の帯は、アンデッドを捕らえると白い煙を上げて腐肉を溶かし、霊体型を塵へと分解していく。ただ、私の殺人光線に比べるとその分解速度は遥かに遅く、数秒間は照射し続ける必要があるようだ。
「≪三槍二連≫、≪次弾装填≫、≪落氷撃≫」
魔術師達も詠唱を繰り返し、地水火風の四大属性魔法が飛び交う中、坊ちゃんの火力は群を抜いていた。短詠唱で繰り出される数々の魔法は他の魔術師の魔法を圧倒し、2メルドもある巨大な氷がヘラジカへと降り注ぎ、一撃で押し潰す。しかし、アンデッドの突進を押し留める事はできず、属性魔法の効かない霊体型を中心に距離を詰めてきた。
「女神よ、孔より這い出た偽りの生を質し給え。≪聖罰≫」
ワイト達が指呼の間に迫り、前列で屈んでいた騎士達が立ち上がって剣を構えたところで、近づいて来るワイトの前に魔法陣が現れ、陣の縁から天空に向かって光の帯が立ち昇った。ワイトが魔法陣に差し掛かると巨大な光柱が天空に向かって放たれ、ワイトは光柱の中で身を捩らせ、塵と化す。
≪聖罰≫。最も威力の高い浄化魔法の一つで、その分使い手も限られており、フランシーヌ隊にも10名ほどしか配属されていない。≪聖罰≫を上回る浄化魔法は≪七聖光≫しかないが、その使い手はカサンドラ様のみ。フランシーヌ様が扱える最強の浄化魔法は、≪聖罰≫だった。
「「「おおっ!」」」
天空へと立ち昇る頼もしい光柱の姿に騎士達が歓声を上げるが、魔法を唱えたフランシーヌ様は優美な顔を顰めている。どうやら浄化魔法の発動は、彼女には予想以上の負荷がかかっているようだ。ワイトに過剰戦力とも言える≪聖罰≫を叩きつけている辺り、経験の浅さも見られる。私は呼吸を整えているフランシーヌ様に顔を寄せ、小声で囁いた。
「フランシーヌ様、ワイト級は騎士達に任せるか、もっと負担の軽い魔法で対処して下さい。≪聖罰≫は大物のために温存した方が、よろしいかと」
「わ、わかったわ」
私の忠告にフランシーヌ様は顔を強張らせ、ぎこちない動きで頷きを返す。そうこうしているうちに霊体型がフランシーヌ隊に押し寄せ、騎士達が応戦を開始した。
ワイト達が隙あらば噛みつこうと空中を飛び回り、騎士達が斬り伏せようと剣を振り回して、治癒師達が≪聖煌≫を上空へと照射する。時折ワイト達が舞い下りて騎士達に噛みつき、隊のあちらこちらで悲鳴が上がる。噛みつかれた騎士達は苦痛に顔を歪めながら己に噛り付いたワイトに剣を突き刺し、すかさず治癒師が駆け寄って騎士にこびり付いた瘴気を浄化していく。治癒師が霊体型との近接戦に割かれ、魔術師も上空を飛び回るワイトに気を取られて火力が落ち、アニマル・ゾンビの接近を押し留められなくなった。
「短槍隊、前へっ!ってえええっ!」
「「「おおおっ!」」」
セヴラン様の怒号と共に、後方で待機していた騎士達が乱戦の隙間を縫って前方へと駆け出し、腕を振りかぶって、襲い掛かるアニマル・ゾンビに向かい一斉に短槍を投げ放った。聖水をたっぷりと塗した短槍は、押し寄せて来るアニマル・ゾンビに次々と突き刺さってその体を溶かし、体の自由を失ったゾンビが転倒してあちらこちらで将棋倒しが起きる。短槍隊の騎士達は槍を放つとすぐに剣を引き抜き、持っていた聖水を塗すと、勢いの止まったアニマル・ゾンビへと突入し、次々と斬り払っていく。
ついにフランシーヌ隊は、アンデッドとの本格的な戦いへと突入した。
「アンデッドめ、これでも喰らえ!」
「女神よ、聖なる光をもって邪悪な存在を討ち祓わん。≪聖煌≫」
「ぐわあぁぁ!」
「女神よ、七徳をもって彼の者を蝕む邪を追い祓い給え。≪聖浄≫」
戦場の至る所で怒号と悲鳴が上がり、魔法が飛び交う。戦いは激しいものだったが、対アンデッドの精鋭とも言えるフランシーヌ隊はアンデッドを相手に巧みに立ち回り、死傷者は驚くほど少なかった。ワイトに噛まれてもすぐに治癒師が浄化魔法を唱えて瘴気汚染を防ぎ、負傷者は短時間で戦線に復帰する。アニマル・ゾンビも小型や中型が多く、騎士達は次々とゾンビ達を切り伏せていく。ただ、あまりにも数が多く、しかも相手は己を顧みない無謀な突貫を繰り返すので、たびたびその勢いに負け、戦線を崩された。
「気を付けろっ!バイソンが来るぞ!」
前方から上がった警戒の声に目を向けると、異なる方向から二頭のバイソン・ゾンビが此方へと突入していた。私は急いで坊ちゃんに警告を上げた。
「坊ちゃん!」
「ちっ!≪氷河≫、≪次弾装填≫、≪落氷撃≫」
坊ちゃんが舌打ちをしながら、一方のバイソン・ゾンビに向かって詠唱する。地面から湧き上がった無数の氷槍がバイソン・ゾンビを足止めし、真上から巨大な氷が降り注いで、その巨体を押し潰した。だがもう一方は、手前に騎士が居て、射線が通らない。
「うわあぁぁ!」
「め、女神よ、孔より這い出た偽りの生を質し給え!≪聖罰≫!」
「フランシーヌ様っ!?」
騎士が弾き飛ばされ、体長3メルドを超えるバイソン・ゾンビがフランシーヌ様の許に突入して来た。フランシーヌ様は慌てて≪聖罰≫を唱えたが、それは悪手だ。バイソン・ゾンビの手前に魔法陣が現れ、巨大な光柱が立ちはだかるが、バイソン・ゾンビは構わずその光柱に突っ込み、勢いの衰えぬまま通り過ぎる。溶けかかった体で迫り来るバイソン・ゾンビのおぞましい姿に、フランシーヌ様は怯え、立ち竦んだ。
「ひぃっ!?」
「フランシーヌ様っ!」
私が立ち尽くしているフランシーヌ様を抱きかかえて地面を蹴り、身を投げ出すと、直後にフランシーヌ様の居た場所をバイソン・ゾンビが地響きを立てて通り過ぎる。私は地面に倒れ込んだフランシーヌ様をそのままにして、すぐさま立ち上がり、方向転換しようと減速するバイソン・ゾンビに向かって突入した。足の止まったバイソン・ゾンビの側面で急停止すると、すかさず左の籠手に右拳を添え、二本の仕込みナイフを指の間に挟んで引き抜く。左足を前に踏み出して腰を落とし、右拳を引き絞ると、地面を抉るように拳を振り上げた。
「フウゥゥゥッ!」
ボボッ!
斜め上空に向けて二条の閃光が放たれ、鈍い音と共にバイソン・ゾンビの前半身が消失する。後半身だけとなったバイソン・ゾンビを無視し、私は仕込みナイフを籠手に納めると、フランシーヌ様の許へと駆け戻った。
「フランシーヌ様っ!大丈夫ですかっ!?」
「ぅ…うぅぅ…」
フランシーヌ様は地面に横たわり、両腕を交差させ己を抱き締めたまま、ガタガタと震えている。私が地面に膝をつき、身を縮めているフランシーヌ様を抱き上げ優しく頭を撫でると、フランシーヌ様は身を震わせながら、私に縋るような目を向けた。
「大丈夫ですよ、バイソンは倒しましたから。お怪我はありませんか?」
「…ふ…ふぅ…」
コクコク。
歯をガチガチと鳴らしながら、フランシーヌ様が頷きを繰り返す。私はにこやかに微笑むとフランシーヌ様を抱き締め、己の体温を分け与えながら、坊ちゃんに向かって声を張り上げた。
「フランシーヌ様は無事です!坊ちゃん、周囲の取り纏めをお願いしますっ!」
「わかった!…≪氷河≫、≪次弾装填≫、≪三槍二連≫」
坊ちゃんが魔法をばら撒いてアニマル・ゾンビを掃討し、周囲の混乱を抑え、態勢を立て直す。
ほどなくしてセヴラン様が駆け戻って来ると戦況は完全にフランシーヌ隊へと傾き、やがて私達は大きな損害を被る事なく、ゾンビの群れの掃討に成功した。




