39:聖女フランシーヌ(1)
「フランシーヌ様、一度、実戦に出てみませんか?」
その日、定例会議の途中で、セヴラン様がフランシーヌ様にそう提案した。
フランシーヌ様にとって、意外な話だったようだ。呆けたような表情を浮かべるフランシーヌ様に、セヴラン様が説明を続ける。
「フランシーヌ様が着任されてから1ヶ月半が経過しました。その間、女帝侵攻の報は一度も寄せられておらず、北部戦線は均衡を保っております。それ自体は大変喜ばしい事なのですが、このぬるま湯が続くと、いずれフランシーヌ隊の気の緩みと練度低下に繋がります。
また、失礼ながらフランシーヌ様は未だ実戦経験をお持ちではありません。実際の指揮は私が取りますし、フランシーヌ様の補佐も務めますが、名目だけとは言えフランシーヌ様がトップを張る以上、戦場におけるあなたの姿勢が大隊の姿勢に直結します。
ですから、初戦から女帝に当たるよりも、まずは組み易い相手と対峙し、フランシーヌ様の実戦経験を積み、同時に大隊の引き締めと練度向上を図る。そのための出撃を上申します」
「そ、そうね…」
セヴラン様の提案を聞いたフランシーヌ様は曖昧に頷きを返した後、私にチラと目を向ける。会議はテーブルを取り囲むように、フランシーヌ様、セヴラン様、坊ちゃん、それと副長、三名の中隊長が着席して行われているが、私はいつものワンピース姿で坊ちゃんの後ろに佇んでいる。大隊クラスの軍議に一介の侍女が陪席しているのは異例だが、私が事実上フランシーヌ隊の「主砲」であるため、特別に認められていた。私は勿論、坊ちゃんも魔物相手であれば実戦経験がある。このメンバーで経験がないのは、フランシーヌ様だけだ。フランシーヌ様の視線を受けた私は笑みを浮かべて首肯し、坊ちゃんが代弁する。
「大隊長の上申を支持します、フランシーヌ様。私も同行し、補佐します」
「シリル様、ありがとうございます」
フランシーヌ様は坊ちゃんの進言に会釈を返すと、セヴラン様へと目を向ける。
「大隊長の上申を承認します。行動指針を」
「はっ」
セヴラン様が一礼し、副長へと目を向ける。副長が席を立ち、手元の書類に目を落として報告を始めた。
「リアンジュから南西に3日進んだ地点で、大規模なアンデッドの群れが確認されました。ワイトとレイス、アニマル・ゾンビの混成軍で、個々の能力は低いものの数が多く、各砦の駐留隊では対処しきれず、中央方面軍から増援も出ています。この掃討戦への参加が適当であると、具申します」
「…分かりました。副長からの意見を承認します。大隊長、実際の行動計画について、一任します」
「はっ。これより速やかに準備を整え、明朝、出撃する事とします。フランシーヌ様も、ご準備のほどをお願いします」
「畏まりました」
こうしてフランシーヌ隊の出撃が決定し、フランシーヌ様は初陣を迎える事になった。
***
翌朝、フランシーヌ隊500名余はリアンジュを出発し、南西方向へと進軍を開始した。元々カサンドラ隊は600名余で構成されていたが、深窓の令嬢との戦いで200名ほどの損害を出している。その後の補充は進んでいなかったものの、旧フランシーヌ隊を吸収して改編されたため、現在は500名まで回復していた。私と坊ちゃんはフランシーヌ様の馬車に同乗し、現地に到着するまでの時間を使って、同席する騎士からアンデッドに関するレクチャーを受け続けた。
アンデッドは、大別すると霊体型と物体型の二つの系統に分かれている。
霊体型は「孔」に吸い込まれた魂が瘴気に汚染されて誕生し、その瘴気の濃さによって、下から順にレイス、ワイト、魂喰らいの三種に分かれる。主な攻撃は噛み付きによる瘴気汚染で、ワイト以上の攻撃で命を落とすと、ゾンビ化する場合がある。物理攻撃は効かず、剣や鎧を素通りするが、生体には反応するので、ぶっちゃけ殴る事は可能。勿論殴ってもダメージは与えられないので、聖水を塗した武器か、浄化魔法に頼る事になる。
なお、「聖水」とは塩水に一定時間浄化魔法を照射して生成される液体で、浄化魔法が抜けるまでの間、浄化魔法と同じ効能が得られる。騎士や兵士達はこの聖水を武器に塗す事で、初めて霊体型への攻撃力を有するわけだ。
≪恐怖≫や≪混乱≫と言った状態異常攻撃は魂喰らい級の強者に限られるが、稀にレイスやワイトが持っている事もある。それらの個体は突然変異体と見なされ、「泣き女」と呼ばれているそうだ。
一方、物体型は、霊体型の攻撃によって命を落としてゾンビ化した死体を指す。つまり、物体型は「孔」からは誕生しない。種類はゾンビの一種類のみで、元の死体の種別によって、アニマル・ゾンビとか、グリフォン・ゾンビと呼ばれるようになる。一応、物体型には腐肉喰らいと不死王も含まれるが、ゾンビとは別次元の存在だ。
物体型の攻撃方法は、生前に則り、肉体を使った物理攻撃が主となる。魔法は失われているが、牙や毒等の攻撃は健在だ。対する私達は、原則は聖水と浄化魔法で応じることになるが、霊体型とは違い魔法や物理攻撃も有効。正確にはアンデッドを斃せるわけではないが、基盤となる肉体を物理的に破壊すれば無力化できるというわけ。
なお、面白いと言っては不謹慎だが、大きな括りではゾンビ一種類とされているものの、実はその死体の「鮮度」によって呼び名が分かれている。死んだばかりで腐敗の進んでいない場合は「ゾンビ」と呼ばれ、腐敗が進むと「グール」と呼ばれる。肉体が腐り落ちて骨だけになれば「スケルトン」になり、乾燥地帯で干乾びると「マミー」だ。寒冷地で凍り付いた個体を「キョンシー」と呼ぶ地方もあるそうで、何というか身も蓋もない。
次は、腐肉喰らい。実は、腐肉喰らいの正体はよく分かっていない。恐らく霊体型を核として複数のゾンビが癒着して形成されているのではないかと推察されているが、その根拠はおぞましい外見にある。何せ肥大した肉体に複数の頭部が存在し、多数の手足が思い思いに蠢いて動き回るって言うんだから、まさにSAN値直葬。帝国は三体の魂喰らいによって打撃を受けているが、西の大国は腐肉喰らいの出現によって阿鼻叫喚なのだそうだ。
そして最後に、これらのアンデッドの頂点に立つのが、不死王。現在は不死王と相対して生還した者が居ないため推測の域を出ないが、不死王だけは意思を持ち、魔法も使えるのではないかと言われている。元々不死王の正体が、邪龍の魂に乗っ取られた強者と言われているのだから、その推測には説得力がある。御伽噺にも出て来る伝説の邪龍の力を持ち、30年前の戦いでは二千もの犠牲を払ってやっと追い返したくらいだから、他のアンデッドとは比較にもならないほど強大であろう。
私達が対峙しているアンデッドとは、そんな存在なのだ。
***
リアンジュを出発して2日目。私達は中継地点の砦に立ち寄り、夜を迎えようとしていた。
陽が沈み、次第に薄暗さを増す砦の周囲には多数の天幕が張られ、あちらこちらで焚火の炎が瞬き、周囲を明るく照らしている。私は塔の小窓から顔を覗かせ、周囲に広がる橙色の灯りと喧騒を眺めて一息つくと、顔を引っ込め、左右の手で一つずつトレイを持ったまま階段を登る。3階へと到着した私は通路を進み、質素な扉の前に佇むと、トレイを両手にしたまま声を上げた。
「坊ちゃぁん、扉を開けて下さぁい」
「…お前なぁ、ノックくらいちゃんとしろよ…」
中から応えがあり、坊ちゃんが渋々扉を開ける。私は坊ちゃんに頭を下げ、脇をすり抜けながら、坊ちゃんの文句に答えた。
「無理ですってば。両手が塞がっているんですから」
「やりようなんて、幾らでもあるだろうが…」
渋面を作る坊ちゃんを放置し、私は部屋へ足を踏み入れると、中央に据え置かれた机の上に二つのトレイを下ろす。ノエミが居れば配膳は彼女の仕事だが、今回はリアンジュでお留守番だ。机の上にはすでにバケットが納められた籠とチーズ、サラダが置かれ、その他に三人分の食器が並べられている。私はトレイに載っている温かいシチューと鳥のソテーを机の上に置きながら、椅子に座ったまま緊張の面持ちを浮かべるフランシーヌ様に、声を掛けた。
「フランシーヌ様、お待たせしました。さ、いただきましょうか」
「…えぇ、ありがとう、リュシーさん…」
配膳を終えた私と坊ちゃんも席に着き、三人での食事が始まる。私はバケットを口に含みながら、フランシーヌ様に話し掛けた。
「砦長のお相手は、セヴラン様にお任せしました。砦に到着するたびに歓待を受けていたら、疲れちゃいますもんね。明日はいよいよ戦場ですから、フランシーヌ様は今晩しっかり休んで下さい」
「えぇ…」
私が気安く話し掛けてもフランシーヌ様の緊張は解れず、食事もあまり進んでいない。まぁ、それは仕方ない。何と言っても初陣だからね。私はフランシーヌ様の境遇に共感し、少しでも彼女が気楽になればと、軽い口調で答えた。
「今から緊張しても、疲れるだけですよ?事前に幾ら考えても、どうせ戦場に立てば全てが行き当たりばったりなんですから」
「…行き当たり、ばったり…?」
「ええ。…あ、坊ちゃん、ソテーを切り分けてくれません?」
「お前ええええ」
私はフランシーヌ様の言葉に頷き、坊ちゃんに注文を付ける。坊ちゃんが恨みがましい目を向けてくるが、仕方ないじゃないですか。殺人光線出ちゃうんだもん。坊ちゃんがブツブツ文句を言いながらソテーを切り分け、私はその隙間からフォークを伸ばして、ソテーを一切れ突き刺す。
「勿論、作戦の立案や入念な準備を怠ってはいけません。ですが、戦闘とは相手があってのもの。どんな綿密な計画を立てても、相手に裏をかかれたら、全てが瓦解します。その時に必要になるのは、即応能力。戦場で、体と脳を止めてはなりません。目に飛び込んで来た光景、耳に入って来る音、鼻で嗅ぎ取った匂い。その他五感の全てを駆使して情報を吸い上げ、戦場で何が起こっているのかを見極め、次に相手が何をしてくるのかを推察し、相手を出し抜く。それを絶えず繰り返さなければなりません。止まれば、死にます。だから戦いなんて、度胸と根性と開き直りの塊なんです」
私はフォークに突き刺さったソテーを齧りながら、フランシーヌ様に答える。私の言っている事が本当に正しいのかは自分にも分からないし、一軍の将と一兵卒では視点も異なるだろう。だけど今必要なのは戦いの真理を追究する事ではなく、フランシーヌ様の心を解きほぐす事だから、それが叶うのであれば暴論でも構わないと思う。私はソテーを口に含んでフォークから引き抜き、咀嚼を繰り返しながら軽口を叩いた。
「細かい事は坊ちゃんと私がやりますから、明日フランシーヌ様はどーんと構えていて下さい。何でしたら、お酒でも持ってきましょうか?…あ、でも、二日酔いは駄目ですからね?」
「ふふふっ…リュシーさん、ありがとう。それじゃ、一杯だけいただこうかしら?」
「好いですよ。下からワインでも拝借してきますね。坊ちゃんも要りますよね?」
「ああ」
フランシーヌ様が口に指を当てて笑みを浮かべ、私はお酒を取りに席を立つ。
フランシーヌ様は、戦場には相応しくない御方だ。おそらく彼女は、戦場で苦悩する事になるだろう。
だけど、彼女は決して逃げ出さないし、きっと藻掻きながら必死に前へと進もうとするだろう。私はそんな彼女を支え、助けたい。
私はそう心に誓いながら部屋を出て、厨房へと下りて行った。




