30:北部の動向
いつの間にか坊ちゃんの観戦武官の赴任に、フランシーヌ様が同行する事になってた。
「何もフランシーヌ様まで同行なさらなくとも…」
その話を聞いた私は、此処1ヶ月半事実上フランシーヌ様を振り回している手前、あまりの申し訳なさにそう答えたのだが、それを聞いた途端フランシーヌ様が眦を上げて詰め寄って来た。
「あなたねぇ、今の自分の状態が分かっていて?今のあなたは、謂わば剥き身の剣を振り回している幼児と同じなのよ?危なっかしくって、推薦した身としてはカサンドラ姉様に引き渡すまで目が離せません。それにまだ覚えてもらいたい事も沢山あるし、道中でも色々と教えてあげないと」
「何から何まで、すみません…」
う。出来の悪い妹分で、申し訳ない。私が恐縮した態で頭を下げると、フランシーヌ様が表情を和らげ、軽口を叩いた。
「…まぁ、そろそろまた地方巡業したいところだったから、リュシーさんの同行は渡りに船だったけどね。姉様にも3年近く会ってないし。私が珍しく帝都に1ヶ月半も居たから、陛下もなかなか離してくれないし」
あのまま仕込まれたら、二度と外に出られなくなるところだったわ。そうぼやきながら腰を叩くフランシーヌ様の言動が、いやに生々しい。そちらの経験が未だにない私には、些か刺激が強すぎるのですが。
結局カサンドラ様の許に赴く一行は、総勢80名近くの大所帯となった。私達が、坊ちゃんと私とノエミの三人の他、領都サン=スクレーヌからついて来た護衛隊10名。一方フランシーヌ様側は、麾下の独立小隊65名だ。
元々聖女麾下の独立部隊は、通常3個小隊、中隊規模と定められているが、回復を筆頭とした国内の支援活動に専念しているフランシーヌ様は2個小隊を帝国各地に配置して全国規模での支援活動に回し、自己は護衛用の1個小隊に留めていた。1個小隊は各々8名からなる分隊8個で構成され、その内の3個分隊24名は戦闘を主目的としたグループで、全員騎士で成り立っている。残りの5個分隊のうち2個分隊は輜重部隊として補給物資の運搬と護衛が主な任務。2個分隊は後方支援として魔術師、治癒師から構成され、残余の1個分隊が司令部兼フランシーヌ様の護衛分隊だ。指揮は、フランシーヌ様の意向を受け、部隊長が行う。支援が目的だけあって、通常の戦闘部隊より輜重の比率が大きいのが、フランシーヌ様の部隊の特徴だ。
ちなみに現在大隊規模まで拡張されたカサンドラ様の部隊は、3個中隊、約600名で構成されている。北部戦線は各所に幾つも砦を擁し、駐屯する兵士達が「孔」から押し寄せて来るアンデッドを迎撃しているが、魂喰らい等の強力なアンデッドが出没した場合は魔法付与装身具を利用した緊急報を受け、カサンドラ様が現地に急行する手筈となっていた。ただ、北部戦線は国境全体の三分の一を占めるほど長く、端から端まで馬でも1ヶ月を要する。カサンドラ様がいくら急いでも現地まで数日を要し、到着する頃には魂喰らいは去った後で、砦に大きな被害が出ていた。そのイタチごっこが10年もの間繰り返され、カサンドラ様の苦悩を知る部隊長が1個中隊を囮にして魂喰らいの足止めをするという苦渋の決断を行い、ついに深窓の令嬢の討伐に成功したというのが、現在の状況だ。
***
「シリル、出発前にリュシー君を連れて、もう一度ウチに食事に来なさい」
そうレイモン様よりお誘いがあり、坊ちゃんと私は出立の前々日にコルネイユ邸へと赴いた。入口に横付けされた馬車から降りたところでフランシーヌ様と鉢合わせし、私は目を瞬かせる。
「あれ?フランシーヌ様もご招待されていたのですか?」
「ええ、宰相閣下より、是非壮行の場を設けさせていただきたいとお誘いがありまして」
フランシーヌ様が右手を坊ちゃんに差し出し、手の甲に歓迎の口づけを受けながら、私に答える。主人の歓待そっちのけで聖女と雑談する侍女と言うのもどうかと思うけど、この1ヶ月半の特訓の間に私と坊ちゃんとフランシーヌ様は、非公式の場では対等の会話をする間柄になってしまっていた。元々坊ちゃんとは私的なところで姉弟みたいな付き合いだったけど、面倒見の良いフランシーヌ様もいつの間にか姉みたいな立場で私に接するようになっている。フランシーヌ様は、顔を上げた坊ちゃんに淑やかに礼を返すと、私の衣装を見て感嘆の声を上げた。
「それにしてもリュシーさん、素敵な装いね。生地もとても良いものだし、そのまま宮廷の舞踏会に赴いても何ら問題ないわ」
今日の衣装は、薄紫色のタフタドレスだ。タフタ生地の特徴でもある直線的なラインを活かしたすらりとしたデザインで、首元を回り込んで両側から流れ落ちた幅の狭い生地が深い切れ込みを形成しながら胸元で交差し、自己主張の激しい私の膨らみを否応にも強調している。私は、自分の胸元に吸い込まれるフランシーヌ様の視線に恥ずかしさを覚え、頬を染めながら答えた。
「ありがとうございます、フランシーヌ様。壮行会という事で流石に侍女の姿でお伺いするわけにもいかず、坊ちゃんに仕立てていただいたんです」
「フン。陛下やフランシーヌ様ともお会いするようになってしまった以上、これからも社交の場に出る事もあるだろうからな。例え侍女と言えど、ラシュレー家に相応しい装いでいてもらわんと」
「へぇー。へぇー」
不機嫌そうにそっぽを向いて言い放つ坊ちゃんの横顔を、フランシーヌ様が笑みを浮かべ、半眼で眺めている。
その視線に中てられるのが妙に恥ずかしくて。
私は坊ちゃんの後ろに回り、身を縮めてフランシーヌ様の視線から逃れた。
「フランシーヌ様、この度はようこそ当家にお越し下さいました。今日はごゆるりとお寛ぎ下さい」
館に入ると、レイモン様御一家が総出で私達を出迎えて下さった。ロクサーヌ様の他、ご子息様も四名全員揃い踏みで、特に嫡男のアルセーヌ様は坊ちゃんより年上ですでに官吏として宮殿に勤める身だったが、聖女を我が家にお出迎えするとあって、飛んで帰って来たようだ。恭しくフランシーヌ様の手を取り、深く腰を折って憧憬の想いを唇に乗せている。
「フランシーヌ様、今宵は当家に足をお運びいただき、誠にありがとうございます。フランシーヌ様との歓談の栄誉を賜り、歓びに堪えません」
「アルセーヌ様、御目文字に与ります。フランシーヌ・メルセンヌでございます。本日はこの様な場を設けていただき、大変嬉しく存じます」
「従兄上、少しは落ち着け。舞い上がり過ぎだ」
侯爵家の嫡男だけあって振る舞いは礼に適ったものだが、アルセーヌ様のフランシーヌ様に向ける眼差しは、憧れに満ち溢れている。坊ちゃんが窘めるとアルセーヌ様が振り返り、やっかみ混じりに答えた。
「シリル。カサンドラ様とフランシーヌ様は、共に聖女として国のため民のために国中を奔走され、僕達はご挨拶する事もままならない。君は、そのフランシーヌ様と1ヶ月半も親しく付き合われ、しかも北部戦線まで御一緒されるのだぞ?僕からすれば羨ましくて、できうる事なら代わって欲しいくらいだ」
「従兄上、邪推はよせ。フランシーヌ様にご迷惑だ」
宰相閣下のご子息なのだから、陛下とフランシーヌ様の関係はご存知だろうが、アルセーヌ様はそれを知らない風で坊ちゃんを茶化す。煩わし気に言葉で跳ね除けた坊ちゃんにアルセーヌ様は笑みを浮かべると、私に目を向けた。
「シリル、こちらの女性が、例の?」
「ああ、残念ながら不認定となったが、フランシーヌ様から聖女の推薦を受けた、ウチの侍女だ。リュシー、コルネイユ家嫡男のアルセーヌ殿だ」
「御目文字に与り、恐縮でございます。シリル様の側付きの侍女を務めております、リュシー・オランドと申します」
「初めまして、アルセーヌ・ド・コルネイユです。聖女の件は残念ではありましたが、あなたが大きな力を持つ事に違いはありません。シリルの事を、よろしく頼みます」
「あっ…」
アルセーヌ様はそう答えながら微笑むと、私の手を取って顔を寄せ、手の甲にそっと唇を添える。突然の慣れない淑女扱いに私の顔がかっと赤くなり、部屋の温度が2度下がった。…え?何でそこで部屋の温度下がるの?
「シリル、少し落ち着け。束縛が過ぎると、愛想をつかされるぞ?」
「別にそんなつもり、ねぇし」
「へぇー。へぇー」
顔を上げたアルセーヌ様の視線を追うと、坊ちゃんが横を向いて苦虫を噛み潰し、フランシーヌ様が半眼で笑みを浮かべていた。
私達は広間へと通され、コルネイユ家の盛大なもてなしを受けた。私達は給仕達が次々に運んでくる料理に舌鼓を打ち他愛もない話に花を咲かせていたが、話題が観戦武官任命に及ぶとそのまま北部戦線の話へと移った。坊ちゃんが食事の手を止め、レイモン様に尋ねた。
「叔父上、現在北部戦線の状況は、どのようになっているのでしょうか?」
ワイングラスを傾けていたレイモン様は、口の中でワインを転がして風味を楽しんだ後、グラスを置いて答える。
「深窓の令嬢の討伐後、戦闘は小康状態となり、現在は戦力の回復に努めているところだな。その辺はアルセーヌに調べさせてある。アルセーヌ」
「はい」
レイモン様の言葉を受けアルセーヌ様は一つ頷くと、背後に佇む執事から書類を受け取り、目を通しながら報告した。
「カサンドラ様は現在、北部戦線の中央に位置するリアンジュの砦で、負傷兵の治療と再編に専念しています。カサンドラ様の部隊は現在大隊規模、3個中隊で構成されておりますが、深窓の令嬢の足止めによって、1個中隊200名を損耗しました。元々魂喰らいが相手となると相対できるのはカサンドラ様お一人、騎士は何人いようと大差ないので、あまり補充に力を入れていないようです。それよりも、リュシー殿が黒衣の未亡人を討伐したとの報を耳にして以降、一刻も早くお越し願いたいと、悲鳴のような催促が繰り返し来ています」
「姉様、もう少しだけご辛抱下さい。すぐに参りますから…」
アルセーヌ様の報告を聞き、フランシーヌ様が沈痛な面持ちで、胸元で印を切る。アルセーヌ様が報告を終えると、レイモン様が再び坊ちゃんへと目を向けた。
「シリル。まずはフランシーヌ様と共にリアンジュの砦に向かい、カサンドラ様と合流してくれ。形式的には観戦武官だが、その枠で納まるはずがない事は、良く分かっているだろう。カサンドラ様と行動を共にするか、分派行動を取るかは分からんが、彼女の指示に従ってくれ」
「はい」
レイモン様の言葉に、坊ちゃんが神妙に頷く。その後もレイモン様と情報交換をしていると、部屋の扉が開き、入室して来た給仕がメインディッシュを私達の前に並べていった。
「…う…」
目の前に置かれたのは、円筒形と表現できるほど厚みのある、フィレ肉のステーキ。立ち昇る香ばしい匂いが食欲をそそるが、ナイフを持てない私には手が出せない。
ど、どうしよう、これ…。
私はお預けを受けた犬のように、ステーキを凝視しながら途方に暮れる。すると、横から伸びてきた手が皿を掴み、私の視界からステーキが消え去った。
「…え?」
キコキコキコ。
消えた方角に目を向けると、坊ちゃんがナイフとフォークを手にして、黙ったまま私のステーキを切り分けている。やがてステーキを綺麗に切り終えると、坊ちゃんは不機嫌そうに口を噤んだまま皿を掴み、私の許に差し戻した。
「…えっと、あの、坊ちゃん…」
私が目の前のスライスされたステーキを当惑気味に眺めた後、おずおずと坊ちゃんへと目を向けると、視線に気づいた坊ちゃんが横目でじろりと睨みつける。
「…お前にナイフなんか持たせたら、殺傷事にしかならん。人殺しされるよりマシだから、こういう時は迷わず俺に言え」
「す、すみません、坊ちゃん…」
「フン」
私は坊ちゃんの厚意に恐縮し、身を縮めながらフォークを手にすると、ステーキを一切れ取って口へと運ぶ。フランシーヌ様の生暖かい視線を感じながら口にしたステーキは、いつもより甘く、胃の中がぽかぽかと暖かく感じた。
「リュシーちゃん、ゴメンね!?叔母さん、ナイフ使えなくなったの、知らなくって!お詫びにお兄様の秘蔵の衣装、見せてあげるから!」
「叔母様、本当ですかっ!?すぐ参りますっ!」
「お前っ!?ちょっと待て!おいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」




