29:近接強襲型侍女誕生
シリルに観戦武官赴任の命が下りてから2週間。近衛騎士団の闘技場には、人だかりができていた。
闘技場は分厚い石造りの壁によって円形に覆われ、その壁の上から多くの騎士達が顔を覗かせている。騎士達の中にはシリルとノエミ、フランシーヌの姿があり、反対側には護衛騎士に守られた皇帝レオポルドの姿もあった。彼らは皆、思い思いの体勢で壁から身を乗り出し、闘技場に佇む一組の男女の様子を眺めている。
男は比較的軽装とは言え鎧に身を包み、左腕には丸盾、右手には長剣を手にし、物々しい雰囲気を醸し出している。相対する女は地味なお仕着せのワンピースに身を包み腰に白のエプロンを結わえた侍女としか思えない姿をしていたが、その両腕は侍女には不釣り合いなほど煌びやかな籠手に覆われていた。壁の上から見下ろしているレオポルドの許に近衛騎士団長が顔を寄せ、小声で尋ねた。
「陛下、本当によろしかったのですか?この様な模擬戦を認めて」
「構わん。謁見した際、あの男はリュシーの態度に肚を据えかねていたし、余がリュシーを推薦した事にも納得していない。後で妙ないざこざを起こされるよりも、この場で白黒はっきりさせた方が、始末が良かろう。それに、余もこの機会に彼女の実力を知っておきたいからな」
「しかし、万一あの女性に取り返しのつかない傷をつけては…」
「アレがそんなタマなものか」
落ち着かなげな表情を見せる騎士団長を見て、レオポルドが鼻で嗤う。
「シリルも、いざとなれば彼女が身に着けている魔法付与装身具が発動するから、大事には至らないと言っている。勝敗条件も、魔法付与装身具が発動したか否かだ。お前が心配するような事態にはなるまい。それよりも…」
レオポルドが闘技場へと目を向け、女が地面を蹴り、男へと突進する様を見て呟く。
「…お前が、逆の意味で頭を抱えないと好いがな…」
女が自分の許に突進してきたのを見た男は、右手で持った剣先を素早く左上に引き上げ、そのまま右下に向かって振り下ろした。女はその場で踏み止まって剣域から逃れるか、逃げ切れずに斬られるか。男はそう思ったが、女は右腕を上げて籠手で剣筋を受けると、そのまま右へと吹き飛ばされる。そのあまりの手ごたえの無さに、男が目を瞠る。女は剣を受けたと同時に横に跳び、まるで剣先に乗っているかのように宙を舞いながら籠手の硬質の表面で剣を滑らせ、剣域から逃れた。男は勢いを殺し切れず剣を振り切ると、右方向へと逃れた女に向かって、左掌を向けた。
「≪炎弾≫」
男の掌に拳大の火球が現れ、火の粉を撒き散らしながら女へと飛ぶ。女は男から見て右に一歩跳んで火球を躱すと、男へと再び突進してきた。男は左足を踏み出して体の向きを変え、女と相対すると、右手首を翻して剣を横なぎに払おうとする。
それよりも早く、女が右足で地面を蹴って跳躍し、男の右拳を左足で蹴り戻した。
男は慌てて左手を前に掲げ、丸盾で身を守ろうとするが、今度は男の左掌に女の右掌が覆い被さり、元来た道を戻るように男の左手を引き下ろす。両手を広げ前のめりになった男の眼前で女が腰を落とし、右拳を引き絞った。男の顎に下から突き上げられた女の左掌底が叩き込まれ、女が右手を伸ばし、仰け反った男の喉を鷲掴む。
「…こんなところで、如何でしょうか?」
「ぐっ…」
喉を掴まれ、上を向いたまま下を睨みつける男に向かって、女がにこやかな表情を浮かべる。女が男から離れ、両手を組み合わせて体を解していると、男が憎々し気に捨て台詞を吐いた。
「…貴様、女だと思って手加減していれば、増長しおって。これが戦場であれば、貴様など一刀の下に…」
「あら、奇遇ですね。私も手加減してたんですよ」
「何!?」
目を剥いた男に女は笑顔を向け、左の籠手に右手を添えると、隙間から小さなナイフを取り出した。右人差し指と中指の間に挟んで腰を落とし、右拳を引き絞ると、正拳突きの要領で続けざまに刺突を繰り出す。
じゅじゅじゅっ。
三度灼ける音が聞こえ、石造りの壁に三筋の煙が上がる。風が煙を吹き払うと、修練場の壁に三つの深い穴が空き、そこから灼熱の滝が湯気を立てながら流れ出ていた。目を剥いたまま硬直する男に女が振り返り、申し訳なさそうに答える。
「未だ修練不足で、思ったところに当たらないんですよ。こんな技量で模擬戦に使ったら、何処に穴が開くか分かりませんから…。北部戦線から戻ってくる頃には使いこなせるようになっていると思いますので、その時は是非、お互いに全力でやりましょうね」
「…え?あ、うん」
掌でナイフを回し、左腕を動かして籠手にナイフを納めながら女がはにかむと、男が顔を強張らせ、機械的に頷く。そんな二人の様子を壁の上から眺めていたノエミが、隣に並ぶシリルに顔を寄せて尋ねた。
「…あの、シリル様…」
「…何だ?」
「…侍女って、何をする人でしたっけ?」
「騎士の先頭に立って、敵陣に斬り込む仕事じゃねぇか?」
「違うから。侍女も聖女も、そんな職業じゃないから」
仏頂面で答えるシリルの隣で、フランシーヌが頭を抱えている。
闘技場を挟んだ反対側の壁に目を向けると、皇帝レオポルドの隣で近衛騎士団長が同じように頭を抱えていた。
***
うん、好い出来栄えだ。可動域も申し分なし。私は頻繁に手首や指先を動かし、その性能に満足する。
あの日から私は連日工房へと赴き、試作品を身に着けて使い勝手を確かめた。当初ミスリル単体で製作して貰ったが、強度の面で些か不安が生じた。そのためアダマンタイトで骨組みを作り、その隙間をミスリルで埋めるという手法を取った。話を聞いた鍛冶師が涙目になっていたが、こっちは命が掛かっているんだから、容赦はしない。その分坊ちゃんへの請求額はとんでもない事になっただろうが、此処は諦めてもらおう。
こうして完成した籠手は、手の甲から肘に掛けて橙色のアダマンタイトが幾重にも流線を描き、その隙間からミスリルが銀色の輝きを放つという、えらく芸術的な仕上がりになってしまった。別に美術性を追及したつもりはなかったのだが、こう派手だと装着する身としては皆の注目を浴びて些か恥ずかしい。
機能面で言えば、格闘性能を追及して可動域を広げ、掌底や殴打による殺傷力を底上げするため、打点をアダマンタイトで補強している。また左右とも二の腕部分に2箇所、装甲の下に斜めに隙間が走っており、そこに各2本、合計4本の仕込みナイフが収納されている。これを指の間に挟んで突きを撃てば、例の閃光が放てるというわけだ。
脛当ては足首から膝下までを覆っており、こちらもアダマンタイトとミスリルを編み合わせた複合装甲。脛当ては籠手と違って蹴り技の火力向上が目的で、防御を最小限にして軽量化を図っている。また、足首から下は爪先と踵に板金を貼ったものの、それ以外は一般的な革靴。足元全て金属で覆ってしまうと地面を蹴る事ができず、機動性を失うからね。
あとは右の腰の後ろに2本の投げナイフを挿し、左の腰にお祖母ちゃんの形見の短剣を括り付けたら、完成。もう、両腕以外の防御はラシュレー家の護身群任せですよ。鎧なんて重くて機動力が落ちるだけだし、幾ら紙装甲でも当たらなければどうという事はないって、何処かの偉い人が言ってた。
こうして出来上がったのが、お仕着せの地味なワンピースと白いエプロンに身を包み、両腕に煌びやかな籠手を嵌めた、ごく普通の侍女。いや、籠手嵌めた時点で普通の侍女じゃないし、そもそも何で未だに侍女なのか自分でも分からないけどさ、坊ちゃんが認めてくれないんだもの。まぁ、見方によっては敵の油断を誘えるし、長いスカートで足元が隠れているから先読みしづらいと言う事で、ポジティブに考えよう。…あ、後で坊ちゃんに、野戦用の侍女衣装を取り揃えてもらわねば。
「…お前、頭おかしいだろ」
そう思いながら闘技場を後にしたら、坊ちゃんに開口一番そう言われた。失敬な。




