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27:台風の目

「…と言うわけだ。今後、ラリーマの鎮薬は禁制品となり、市場での入手ができなくなる。各鎮台(ちんだい)は中央に対し、3ヶ月ごとに消費量と在庫数の申告をしてくれ。それをもって、補充を認める事になる」

「畏まりました」


 司法大臣ブレソール・ド・カスタニエの執務室を訪れたシリルは、ブレソールよりラリーマの鎮薬に関する説明を受けた。ブレソールは59歳。10年に渡って司法大臣を務めるだけあって、その(かたく)なまでの厳格さは宮中でも煙たがられる存在だったが、此処最近は実に機嫌が良い。帝都一と言われる美姫との結婚を1ヶ月後に控え舞い上がっていると言う(もっぱ)らの噂で、シリルが冒頭の挨拶で婚約に関する慶賀を述べた時も、そのまま溶けてしまうのではないかというくらい緩んだ顔で喜んだ。宮中に勤める人々からは、このまま好々爺になってくれと、切実に願われている。


 ブレソールから関係書類を受け取ったシリルは一礼すると、疑問を口にした。


「閣下、一つお伺いしてもよろしいでしょうか」

「何かね?」

「此度の通達でございますが、本来は国務大臣の管轄かと存じます。差し支えなければ、閣下がご説明される事になった理由をお聞かせ願いますか?」

「細かい事なのに、よく気付いたのぅ…」


 シリルの質問を受け、ブレソールが悪戯がバレた子供のように破顔する。


「一つは、貴家に直接御礼が言いたかったのだよ。ラリーマの鎮薬に関する扱いやら、帝都の綱紀粛正やら、儂の婚約やら…のな」

「閣下の婚約には、当家は何ら関与しておりません。ひとえに閣下の人徳の賜物かと」

「そうかね?…まぁ、儂がそう言っていたと、御父君にお伝えしてくれ」

「はい」

「それと、二つ目だが…」


 部屋をノックする音が聞こえ、ブレソールが扉を指差した。


「…単なる時間稼ぎじゃ」




「失礼しますよ」

「…叔父上?」


 一国の宰相とは思えぬ気楽な(てい)で入室して来るレイモンの姿に、シリルが目を瞬かせる。しかし、レイモンの後に続けて現れた男の姿を見た途端、シリルは姿勢を正し、左胸に右拳を添えると、勢い良く頭を下げた。


「陛下!?」

「待たせたな、シリル。部屋に行ったら()らんかったから、来てやったぞ?」

「…その仰られよう、私達を試しましたね?」

「こうでもせねば、ざっくばらんに話が聞けん。…まぁ、座れ」


 シリルの表情の厳しさを気にせず、皇帝レオポルドは手を振って着席を促す。レイモンやブレソールも腰を下ろす中、レオポルドは腰を落ち着けると、向かいに座るシリルに白状した。


「近衛に誘ったが、あっさりと断られたよ。ラシュレーは、良い家臣を持っている」

「…陛下、人心を弄ばれなさいますよう」

「安心しろ、これ以上ちょっかいは出さん」


 厳しさを増したシリルの眼光を真っ向から受けながら、レオポルドが評する。


「…フランシーヌを雲雀(ヒバリ)に例えるなら、アレは鷹だな。ラシュレーという鷹匠(たかじょう)の肩に()まる、鷹だ。お主の下で働くのが、一番だろう」

「恐れ入ります」


 レオポルドの評価を受け、シリルが矛を収める。レオポルドは頷き、レイモンに目を向けた。


「彼女の為人(ひととなり)は理解した。技量もすでに修練場で目にしている。レイモン、この場で結論を出す」

「はっ」




「…リュシー・オランドは、聖女に認定しない」




「…畏まりました」

「はっ」


 レオポルドの言葉を聞き、レイモン、シリル、ブレソールの三人が静かに頭を下げる。レオポルドは三人を見渡すと、この話は終わったとばかりに一つ手を叩いた。


「…さて、シリル。此処でお主に一つ、勅命を下す」

「…は?」


 突然のレオポルドの宣言に流石のシリルも驚き、思わず顔を上げる。シリルの毒気の抜けた顔を見て、レオポルドはしてやったりと言わんばかりに口の端を吊り上げた。




「シリル・ド・ラシュレー、お主を北部戦線の観戦武官に任命する。聖女カサンドラの許に赴き、彼女の指示に従え。

 …ああ、突然の戦地での生活は、大変だろう。侍女も連れて行って構わんぞ?」




 ***


「…この辺りが落としどころだろうな。レイモン、お主はどう見る?」

「まぁ、妥当な線でございましょうな」


 呆気に取られるシリルを捨て置き、執務室へと戻ったレオポルドは、人払いをするとレイモンに尋ねる。レイモンが首肯したのを見ると、レオポルドは大きく息を吐き、頭を掻いてぼやいた。


「…まさか、たかが侍女一人で此処まで神経を使うハメになるとは、思いもよらなかったぞ?」

「皇帝と言う立場も、存外大変でございますな」

「他人事のように言いよって…」


 レイモンの人を食った感想に、レオポルドが憮然とした表情を浮かべる。


 フランシーヌの相談を受け、リュシーの視察に赴いたレオポルトだったが、彼女の能力を目にした途端、別の意味で頭を抱える事になった。彼はその時の光景を思い出し、身震いをする。


「…弾速、威力、速射性。三拍子揃った上に、無詠唱で触媒も不要と来た。あんなのを撃たれたら、どんな魔法付与装身具(アーティファクト)も展開が間に合わん。アレは、暗殺者として特級品だ」


 こうなると皇帝(レオポルド)としては、聖女云々以前に、自分の命を狙われないかに神経を尖らさざるを得なくなる。現状、帝室とラシュレー家は良好な関係を保っているが、あの凶器を手にしてどう変心するか見極めなければならない。しかも凶器自身が意思を持っている以上、功名に逸って暴走する可能性も否定できないのだ。


 だが、だからと言って潜在的な危険性を理由にリュシーを殺すわけにもいかない。レイモンが忠告する。


「…彼女をラシュレー家から取り上げるのであれば、国土の2割を失う覚悟が必要ですぞ?」

「分かっておる」


 それは、他の貴族とは全く異なる、ラシュレー家の特殊な立場にある。レイモンの指摘を受け、レオポルドが良薬を飲み下すように、唇を歪めた。


「ラシュレーと帝国との間には、100年前の約定がある。表向きは帝国の公爵家だが、その領土は帝室の関与を受けない、とな。国法にも明記されているくらいだ」


 100年前まで、ラシュレー家は一つの王国だった。天然の要害に囲まれ、尚武の民を抱えたラシュレー家は帝国と西の二強国、計三国を相手に対等に渡り歩いたが、100年前に当時の国王が戦乱に明け暮れる民を憂い、形式的に編入される事で帝国と手を結んだ。以来、帝国とラシュレーは緊密な関係を維持し、双方とも恩恵を受けている。帝室としては、余計な波風を立てるわけにはいかなかった。


 結局、リュシーに直接手を出すわけにもいかず、フランシーヌとラシュレーの板挟みにあって雁字搦めとなったレオポルドは、せめてリュシーの意志が固まる前に対面し、懐柔を試みる他になかった。その対面においても彼は細心の注意を払っており、シリルと切り離した上に、ラシュレーやリュシーと関係の良いレイモンを「緩衝材」として間に挟む事で、彼女の暴発を防いでいる。皇帝としてリュシーと堂々と対面したレオポルドだったが、刃物一つあれば容易に自分の命が奪われてしまう危険から、実は背中にびっしょりと汗をかいていたのである。


 誰にも気づかせないまま、地味~に最大の難局を乗り越えたレオポルドが、安堵の息をつく。


「…しかし、会って一安心した。アレは良識あるラシュレーの忠臣だ。ラシュレーとの関係さえ良好であれば、余が憂いる必要はない。そうなると、後は大聖堂の意向とフランシーヌの願いを、どう吊り合わせるかだけだからな」


 その結論が、シリルの観戦武官任命である。観戦武官とは文字通り戦争を観戦するために派遣される武官であり、帝国も20年前の三国停戦協定以後は対アンデッド共同戦線の名目で、西方の強国に一度観戦武官を派遣している。観戦が目的のため必ずしも参戦する必要はないが、当然戦闘に巻き込まれる事もある。観戦武官に任命されると言う事は、軍事に関する識見を広める貴重な機会を得る事にも繋がる。将来を嘱望された武官である事を意味し、ラシュレー家に対しても面目が立つ。


 後はリュシーがそれについて行くかの問題だが、あの忠臣が一人残される事は、まずあり得ない。


 色々こねくり回してようやく着地点を見つけ出し、一安心したレオポルドに、レイモンが一言付け加えた。


「陛下、一つ、面白い話を差し上げましょう」

「何だ?」


 気怠そうに顔を上げたレオポルドに、レイモンが楽しそうに答える。


「先々月のラリーマの鎮薬に関する発布、並びにカスタニエ侯爵の婚約発表ですが、あれも全て、彼女が発端です」

「…何っ!?」


 思わず椅子から飛び上がったレオポルドを見て、レイモンが破顔する。


「痛快でしょう?あの御仁、たかが侍女の分際でしかも何もしてないくせに、帝国中を掻き回していますよ?」




 ***


 こうして自ら手を下さずして皇帝に冷や汗をかかせ、右往左往させた張本人と言えば…


「…んが?…やべ、また寝ちゃった」


 今日も役立たずの侍女として、宮殿の一室で涎を垂らしている。

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