26:謁見
宮廷の一室に通された私達は、そのまま1時間ほどその場で待たされた。私はソファに腰を下ろしたまま、所在なさげに部屋に掲げられた絵画を見回しながら、坊ちゃんに尋ねる。
「結構待たされるものなんですね」
「まあ、予定された謁見でもないからな。公務の合間を縫ってお声が掛かるのだろう。逸っても仕方ない、後2時間は覚悟しておけ」
「うえぇぇぇ…」
坊ちゃんは8年ほど前に当時皇太子だった陛下にお会いした事はあるが、即位後にお会いするのは初めてだそうだ。しかし、その割には緊張している様子も見せず、堂に入った態度で静かに待ち続けている。お義父様と共に高位貴族との交流があるから、それで慣れたのかな。私は坊ちゃんの意外な胆力の強さに、舌を巻いた。
やがて部屋の扉がノックされ、一人の年配の侍従が入室して来た。
「失礼します。シリル様、司法大臣より、面会のお時間をいただけないかとの言付けを預かっております」
「カスタニエ侯爵が?…喜んでお伺いしたいところだが、陛下との御予定が済んだ後でよろしいか?」
「いえ、それが陛下への拝謁は、まだ先になるだろうとの事。侍従長からも予定の繰り替えについて、承諾をいただいております」
「それであれば、早速お伺いしよう。案内してくれ」
「はい」
侍従の言葉を受け、坊ちゃんが席を立つ。私も腰を上げるが、坊ちゃんが手を挙げて私の動きを制した。
「非公式とは言え、司法大臣との面会だ。流石に連れて行けん。此処で大人しく待っていろ」
「お連れの方は、恐れ入りますが今しばらくお待ち下さい」
「畏まりました」
私は身を正し、坊ちゃんと侍従の二人に深々と頭を下げる。坊ちゃんは侍従に連れられ部屋を出て行き、一人残された私は再びソファに腰を下ろし、貧乏ゆすりを始めた。
15分程したところで、再び扉がノックされ、壮年の男の声が聞こえて来た。
「失礼します。お連れの方がお見えになられました。お通ししてもよろしいでしょうか」
「どうぞ、お入り下さい」
睡魔に負けて船を漕いでいた私は慌てて姿勢を正し、扉に向かって答える。扉が開き、中年の男性が顔を覗かせ、手を挙げた。
「よぉ、リュシー君、元気かね?」
「レイモン様?」
「ちょっとお邪魔するよ」
私は、一国の宰相とは思えないレイモン様の気安い挨拶に目を瞬かせた。レイモン様は私の返事を待たずに気楽に部屋へと足を踏み入れ、後から数人の男性が続いて来る。
「…え?」
私は、レイモン様に続いて入室して来た二人目の男性に、ただならぬ気配を感じた。30代半ばと思しきその男性は坊ちゃんとは全く異なる武人としての風格を備え、威風堂々とした佇まいを見せており、見る者に強烈な印象を与える。どう反応すべきか判断がつかず、硬直する私を余所に、彼は悪戯に成功した子供のような、屈託のない笑顔を浮かべた。
「このような形で顔を出して、すまんな。其方とは是非一度、直接話をしてみたかったのだよ。――― 余が第16代皇帝、レオポルドである」
「へ、陛下っ!?この様な形で拝謁を賜る事になろうとは、露ほどにも思わず…っ!?」
「その様に畏まらなくとも好い。押し掛けた余が悪いのだからな」
弾かれるように立ち上がり、その場で片膝をついて畏まった私に、陛下は鷹揚な言葉を掛けて下さったが、だからと言ってはいそうですかと立ち上がるわけにもいかない。此処で粗相をしては、お義父様や坊ちゃんに対して顔向けができない。片膝をついて下を向いたまま緊張で顔を強張らせる私の許に、陛下の声が降り掛かった。
「…その仕草、やはり騎士の出か。修練場で見せた刺突も見事なものだった。何故、侍女の姿をしておるのだ?」
「現在の私は、ラシュレー家嫡男 シリル・ド・ラシュレーの侍女であります、陛下。4年前の戦いで体を損ないまして…」
「黒衣の未亡人とのか?」
「ご存知でいらっしゃいましたか…」
「フランシーヌからの報告を目にしてな」
私が膝をついたまま顔を上げると、陛下は目を閉じたまま頭を振り、首の骨を鳴らしている。やがて陛下は目を開き、掌を上に向けて払うような仕草を見せた。
「ともあれ、席に戻って楽にしろ。話しづらくて敵わん。自力で立ち上がれないのであれば、余が直々に抱え上げてやろうか?」
「お戯れを、陛下」
皇帝とは思えない意地の悪い笑みを見た私は立ち上がり、陛下がソファに腰を落ち着けるのを見計らって、ソファに腰を下ろす。膝の上に両手を置き、背筋を伸ばして気持ちを切り替えると、部屋の中に広がる張り詰めた空気に陛下が顔を綻ばせた。
「おいおい、何だこの空気は?一介の侍女との会話を楽しもうとする雰囲気ではないぞ?」
「一手間違えれば死に至ると言う点では、戦場と何ら変わりません」
「違いない」
一手誤ったら、自らの首を刎ねて詫びよう。その私の覚悟を感じ取った陛下が、苦笑している。やがて陛下は両掌を上に向け、降参の意志を見せた。
「まぁ、お主が警戒するのも無理はないが、今日は無礼講だ。この場での発言は、全てなかった事にする。お前達も、そのつもりでいろ」
「「はっ!」」
陛下の言葉に、ソファの左右に佇む二人の護衛騎士が答える。私は体に纏わらせる雰囲気をそのままに、陛下に尋ねた。
「陛下が何故其処まで配慮されるのか、理由がわかりません」
「フランシーヌが頭を抱えている」
「フランシーヌ様が?確かに私の不甲斐ない成績に、フランシーヌ様が苦慮されている事は痛感しております。ですが、それが陛下の御配慮に繋がりません」
聖女審判は帝国の国防にも繋がる重要な審判ではあるが、候補者がその資質に見合わなければ不合格にすれば好いだけの事。陛下が動く理由にはならない。私の疑問に、陛下が悪戯めいた笑みを浮かべた。
「自分の女が悩んでいたら、手を差し伸べるのは男として当然だろうが」
おっと。そんな形で陛下に繋がるとは。意外な事実を耳にし、私は思わず体をのけ反らせた。
「よろしいのですか?そのような機密情報を明かして」
「なに、上の方には軒並みバレとる。機密というほどでもないさ」
「不敬を承知でお伺いいたしますが、カサンドラ様とも?」
私が身を乗り出して尋ねると、陛下が哄笑した。
「お主、皇帝を何だと思っている。聖女にその様な義務はない。フランシーヌに余が惹かれた、ただそれだけだ」
「失礼いたしました」
私が神妙に頭を下げると、陛下は背もたれに身を預け、空中に視線を漂わせながら呟く。
「アレは山野を舞う雲雀のような女だ。何よりも人々の幸せを願い、自分の信念に従って国中を飛び回っている。そんな女を宮殿という名の檻に閉じ込めても、魅力が半減するだけだ。まぁ、子を宿したら、もう少し大人しくして貰いたいところだがな」
そう答えた陛下は視線を私に戻し、身を起こした。
「そんな女が1ヶ月もの間帝都に留まり、お主の傍らに張り付いてその成長に一喜一憂している。お主はそれほどまでに、彼女に期待されているのだよ。アレは自分が浄化力に劣り、カサンドラにばかり負担を負わせている事を悔やんでいる。そんな中に現れたお主は、彼女にとって救世主なのだ。お主にとっては有難迷惑かも知れんが、分かってくれ」
「とんでもございません。フランシーヌ様には本当に良くしていただいており、感謝しかございません」
陛下の言葉に、私はソファに腰を下ろしたまま、静かに頭を下げた。フランシーヌ様は私に対し、実の姉のように親身に接してくれる。教えてくれる内容も私の身の丈に合ったもので、座学の苦手な私に辛抱強く時間を掛けてくれた。その点に関しては、私はフランシーヌ様に感謝しかない。残念ながら、フランシーヌ様の期待には応えられなかったけど。陛下が口を開き、私の自己評価を後押しした。
「…だが、結果はモーリスからの報告の通りだ。お主の力はあまりにも偏っている。お主自身も力を十分に制御できているとは言えず、人を傷つけかねない。到底、聖女には認められんとな」
「恐縮です」
「だからと言ってお主の力を遊ばせておくほど、帝国に余裕はない。だから、率直に言おう」
陛下がソファの上で前のめりになり、私の目を見る。
「…お主、近衛に入るつもりはないか?」
「…近衛、でございますか?」
「ああ」
私のうわ言のような呟きに、陛下が頷く。
近衛騎士団。陛下直属の騎士団であり、騎士の花形とも言える。帝室を守る最後の砦だけあって人選は厳しく、公侯の意向でさえも通らない事が多い。その様な近衛騎士に、公爵家の家人とは言えこれまで全く接点のない、しかも単なる侍女を陛下自ら推挙するとは。混乱する私を余所に、陛下が身を起こし言葉を続けた。
「余が自ら近衛に招くのは、異例中の異例だぞ?しかも女性を近衛に採用するのも、皆無に等しい。平民の立場が気になるのであれば、準男爵の地位も用意しよう。…どうだ?」
陛下の突然の申し出に、左右の護衛騎士が身じろぎする。恐らくはこの二人も近衛に属しているのだろう、その私に対するあまりの厚遇に、動揺しているようだ。私はソファの上で背筋を伸ばし、気を引き締めると、躊躇いなく答えた。
「身に余るほど光栄な事ではございますが、謹んで辞退させていただきます」
左右の護衛騎士が再び動こうとするが、陛下が右手を上げて制する。陛下は気分を害した風もなく、淡々と尋ねた。
「理由は?」
「陛下の下では、決して私の願いは叶いませぬゆえ」
「ほう!この帝国で最も力を持つ余であっても、お主の願いを叶えられんとはっ!…教えてくれぬか?お主の願いとやらを」
「ええ」
私は姿勢を正し、陛下の獅子の如き眼光を真っ向から迎え撃つ。
「私の願い。それは、――― ラシュレー家のために死ぬ事であります」
「…ほう…」
陛下が身を起こし、静かに呟いた。部屋の温度が下がったが、私は気にしない。
「…私は12歳の時に主君オーギュスト様に命を救われ、そしてあの方から生きる意義と歓びを与えられました。私はその御恩に、何一つ報いておりません。この身は、あの方のものです。この命は、ラシュレー家のものです。私が今日生き長らえているのは、いつかあの方の命の下で死ぬため。…故に、陛下のものになるわけには参りませぬ」
「…お主は、余の命より、ラシュレーの命を優先させるのだな?」
「はい」
「…ラシュレーが、余の命を奪えと言ったら、どうする?」
陛下の笑みが、部屋の空気を凍り付かせた。だが、私の答えは決まっている。
「その命に道が無ければ、私は己を賭して主家を諫めましょう。その命に道があれば、―――
――― 私は喜んで、陛下の命を奪いましょう」
「貴様っ!?言わせておけばっ!」
「よさんかっ!…無礼講と言っただろうが…」
護衛騎士が剣の柄に手を伸ばしたが、陛下の鋭い声が彼らの動きを止める。陛下はソファに身を沈め、今度は部屋の温度を上げるために笑みを浮かべた。
「…では、今この場で余の命を奪おうとしないのは、道が無いと言う事かな?」
「今、陛下を弑したところで、主家に何の益もございませんから…」
「ずけずけと言うのぅ…」
護衛騎士の殺気が物凄い事になっているが、私は陛下の前で構わず溜息をつく。陛下がわざわざ売ってきているんだから、買ってあげないと申し訳ない。護衛騎士の衝動を抑えるためだろう、陛下が大袈裟に呆れながら、席を立った。
「…まぁ、とりあえずお主の事は、良く分かった。なかなか興のある時間だった。これからもフランシーヌと仲良くやってくれ」
「え?…あ、はい。数々の御無礼、平にお詫び申し上げます」
「悪かったね、リュシー君。シリルが戻って来るまで、もう少し待っていてね」
「畏まりました」
え?アレで私の事、分かっちゃったの?
私は目を瞬かせ、我に返ると慌てて頭を下げる。陛下に続いて護衛騎士が私を睨みつけながら部屋を出て行き、最後に場を和ませるためか、レイモン様がおちゃらけた態度で手を振る。再び部屋に一人残された私は肩の力を抜き、やけっぱちな気分で坊ちゃんの帰りを待ち続けた。




