23:帝都攻防戦(2)
エルランジェ公との会談から2日後。
いつも通り大聖堂にリュシーとノエミを送り届けたシリルは、館へトンボ返りすると侍女の手を借りて服を着替えた。前々日のエルランジェ公との会談に臨んだ時以上に厳粛で煌びやかな衣装に身を包むと、馬車へと飛び乗る。
馬車は帝都の中心部へと向かい、やがて白を基調とした壮麗な門をくぐり、宮殿へと乗り入れた。
馬車を降りたシリルは侍従の先導に従い、大理石で作られた長い通路を歩いて行く。通路の両側には繊細な模様が彫られた大理石の柱が建ち並び、通路の外に広がる庭園との間に白と緑の鮮やかなコントラストを織りなしていた。
やがてシリルが向かう先に、池の畔に佇む東屋が見えて来た。東屋は通路と同じ白の大理石で造られ、6本の円柱が円を描くように立ち並び、半球状の屋根を支えている。屋根も柱も繊細な彫刻で彩られており、池畔に広がる草木との調和は、まるで画布から飛び出した絵画のように芸術的だった。
東屋では四人の女性がテーブルを囲んで談笑しており、彼女達の背後には幾人もの侍女やメイドが傅いていた。シリルが東屋へと近づくと椅子に腰を下ろしていた三人の若い女性が立ち上がったが、シリルは椅子に座る最も年上の女性の前に進み出ると、そのまま片膝をついて頭を下げた。
「皇后陛下、シリル・ド・ラシュレー、ただ今参りました」
皇后と呼ばれた30代の女性は、艶やかな淡茶の髪を結い上げ、後背から流れ落ちる長い髪を指で梳かしながらシリルの挨拶に頷きを返す。皇后はシリルを立ち上がらせると細くしなやかな指を口の端に添え、目の前に佇む若者の成長した姿に感嘆の声を上げた。
「シリル、久しぶりね。最後に会ったのは何年前かしら?」
「8年になります、陛下」
「そう。あの頃はまだ子供だったのに、見違えるほど立派になったわね。貴方の上京を知って宮中の鳥達が皆一斉に羽ばたき出したのも、頷けるわ」
「恐縮です」
皇后の皮肉めいた賞賛を受け、シリルが静かに頭を下げる。その飄々とした態度に皇后は内心で苦笑しながら、テーブルを挟んで佇む三人の女性達を一人ひとりシリルに紹介した。
「紹介するわ。マイヤール侯の次女 オレリア、ベルトラン侯の次女 ジスレーヌ、ルモワーニュ侯の長女 セレスティーヌよ」
「シリル様、お初にお目に掛かります。オレリア・ド・マイヤールにございます。この様な機会を設けていただきましたこと、感謝に堪えません」
「ジスレーヌ・ド・ベルトランと申します。シリル様、どうか私の事は遠慮なく、ジスレーヌとお呼び下さい」
「セレスティーヌ・ド・ルモワーニュでございます。シリル様とお逢いする事ができ、このセレスティーヌ、感激で胸がいっぱいでございます」
19歳から17歳までの三人の女性達はいずれも見目麗しく、煌びやかな衣装に身を包んでおり、名を告げるとスカートの端を摘まんで優雅なカーテシーを見せる。三人の自己紹介が済むと、シリルは右手を左胸に添え、静かに頭を下げた。
「オレリア殿、ジスレーヌ殿、セレスティーヌ殿、初めまして。シリル・ド・ラシュレーです。領地に籠り国防に専念する無粋者ゆえ、このような華麗な場には似つかわしくありませんが、ご容赦願います」
シリルの控えめな挨拶に、三人の女性達は身を乗り出す勢いで次々に賞賛の声を上げた。
「そんな事は決してございませんわ、シリル様。その堂々とした立ち振る舞いと洗練された所作、この帝都の何処を見回しても、貴方様以上にご立派な殿方は居りません!」
「えぇ、その通りです、シリル様。帝都でお会いする殿方は皆、話題こそ豊富ですが流行と噂に振り回されるばかりで、失礼ながら頼りない方がほとんどです。ですがシリル様は自ら軍を率いて賊を討ち、治安に努めていらっしゃると伺っております。その雄姿を想うだけで、このジスレーヌ、胸が高鳴ってしまいます!」
「しかもシリル様はご自身も優秀な魔術師であられ、その魔法は華麗で多数の敵を相手に一撃で倒せるほど強力とか。シリル様、是非このセレスティーヌにその御力をお見せ下さい!」
挨拶もそこそこにシリルに迫る三人の女性達を見て、皇后が席を立ちながら答える。
「それでは、私はそろそろ失礼するわ。シリル、せっかく帝都まで来たのだから、たまには羽を伸ばし、皆と共に帝都を楽しみなさい」
「お心遣い感謝します、陛下」
侍従達を連れ、東屋から立ち去ろうとする皇后に対し、シリルは皮肉を込め、三人の令嬢と共に恭しく一礼する。マイヤール侯、ベルトラン侯、ルモワーニュ侯。この三家は帝国でも大きな力を持つ貴族で、激しい主導権争いを繰り広げている。その三家がシリルの上京の耳にしてラシュレー家を自勢力に取り込もうと一斉に皇后に働きかけ、中立派の皇后は悩んだ末、そのままシリルに丸投げした。このお茶会はその様な経緯で催され、シリルが招待された次第だった。
皇后の姿が見えなくなると、シリルと三人の令嬢は席に付き、お茶会が再開された。三人はシリルの歓心を得ようと帝都の最新の話題を振り撒きながら、互いを牽制し合った。
「…というわけで、今帝都では、新進気鋭の劇作家が作った演劇で話題が持ち切りですの。シリル様、是非一度、私と共に観劇に参りませんか?」
「あら、オレリア様。先日、クレマンソー伯爵のご子息と観劇されたと仰られておりませんでした?」
「お誘いを受けただけで、お断りしております。その様な誤ったお話を流されては、迷惑ですわ。それよりもジスレーヌ様、この間の舞踏会でロートレック伯爵と仲睦まじ気にダンスをされておりましたが、誠にお似合いのお二人であると、皆様申しておりますわよ?」
「なっ!?それこそ根も葉もない噂ですわ、オレリア様!ロートレック伯とは何もございません!撤回して下さいませ!」
「まぁまぁ、オレリア様もジスレーヌ様も落ち着いて下さいませ。シリル様が困惑されておりますわよ?それよりもシリル様、先ほどの劇作家は実は我がルモワーニュ家が見出した者でございまして。今度、私からシリル様にご紹介させていただきますわ」
「あぁ、そういえばあの演劇は、平民の奏者と令嬢との叶わぬ恋を謳った悲恋劇でございましたわね。本人も演劇の成功をルモワーニュ家に捧げると申しておりますし、セレスティーヌ様への思慕を謳ったものではございませんこと?」
「まぁっ!?ジスレーヌ様、何て心外なっ!平民に邪な気持ちを持たれるだなんて、考えただけでゾッとしますわっ!」
三人の女性達は、まるで薔薇の花束のように互いの棘で相手を傷つけながら、帝都の華やかな話題を次々に披露する。シリルはそんな三人の会話を前にして、表面上は笑顔を浮かべながら曖昧に頷きを返していたが、小さなグラスに盛られた透明な塊をスプーンで掬って口にした途端、小さな感嘆の声を上げた。
「ほぅ…これは…」
「シリル様?そのお菓子がお気に召されたのですか?」
表情の変化に目聡く気づいたオレリアが尋ねると、シリルが今までとは異なる柔らかな表情で答える。
「ええ。甘さが控えめで、ほどよい涼感と酸味がとても心地良い。これは何というものですか?」
「シリル様!それはジュレと申しまして、最近帝都で大人気のお菓子なんです!」
「食材によって様々な色が出せて綺麗ですし、晩餐会で出されてもすぐに無くなってしまいますの。自家の催しで新色を披露しようと、何処の家の厨房も躍起になっておりますわ」
「それは素敵ですね。今どの様なジュレが人気か、教えていただけますか?」
「ええ、勿論ですわ!」
それまで反応の薄かったシリルの変化に三人の令嬢はすかさず飛び付き、我先に自分達の家の傑作を紹介していく。意外な形で盛り上がりを見せたお茶会だったが、突如シリルが顔を顰め、椅子に腰掛けたまま身動きを止めた。突然の変貌に令嬢達は驚き、やがてセレスティーヌがおそるおそる尋ねる。
「…あの…シリル様、如何なさいましたか?」
「…」
セレスティーヌの問いにシリルは答えず、懐に手を差し込んで小箱を取り出し、中に目を落とす。三人の令嬢はシリルの掌の上に置かれた小箱を覗き込み、次々に感嘆の声を上げた。
「まぁ、綺麗!」
「キラキラと水色に輝いておりますわ!」
「シリル様、…これはもしや、魔法付与装身具でございますか?」
「…」
底の浅い円柱状の小箱の中で、一本の針が宙に浮き、水色に光っていた。令嬢達は次々に歓声を上げるが、シリルが小箱を見つめたまま黙っているのを見て、次第に声が小さくなる。静まり返った東屋の中で、やがて小箱の針が輝きを失い、落下して箱の中に転がった。
「…シリル様、一体何がございましたの?」
やがて沈黙に耐え切れなくなったオレリアがおずおずと切り出すと、シリルは険しい表情を浮かべたまま小箱を懐に仕舞い、席を立つ。
「…失礼。国元で何か変事が起きたようです。急ぎ館に戻り、情報収集をしなければなりません。オレリア殿、ジスレーヌ殿、セレスティーヌ殿、このような形で中座する事をご容赦願いたい。またいずれ、機会がありましたら、お逢いしましょう」
「あ、いえ、とんでもございません。大事でなければよろしいのですが…」
「このジスレーヌ、シリル様の無事とご活躍を心より願っております」
「シリル様、ルモワーニュ家の助けが必要とあらば、遠慮なくお申し付け下さい」
「ありがとう。それでは、失礼します」
胸元で手を組み、縋るような目を向ける令嬢達にシリルは一礼すると身を翻し、颯爽とした足取りで東屋を後にする。その、真っすぐに前を見たまま後ろを顧みない武人めいた背中に、三人の令嬢達はうっとりとした眼差しを向けていた。
宮殿を出たシリルは待たせていた馬車に乗り込みながら、傍らに立つ騎士に命令した。
「すぐさま大聖堂に向かう。それと、館に一人、使いを走らせてくれ」
***
「おい、何があった?」
「…あ、坊ちゃん」
シリルが大聖堂の一室に顔を出すと、部屋の中央でフランシーヌと向かい合わせで座っていたリュシーがシリルに振り返った。シリルは部屋に足を踏み入れリュシーの傍らに立つと、彼女の腕を掴んで椅子から立ち上がらせ、フランシーヌに頭を下げる。
「フランシーヌ様、申し訳ありません。少しコイツを借ります。ノエミ、お前は此処で待っていろ」
「え?ええ、どうぞ」
「あ、はい」
「え?あの、坊ちゃん?」
取り付く島もない彼の宣言に曖昧に応じた二人を捨て置き、シリルはリュシーを引っ立てて部屋を出る。そのままシリルは隣の小部屋へリュシーを連れ込んで扉を閉めると彼女を壁際に追い詰め、逃げ場を塞ぐように壁に手をついて目の前に立ちはだかった。身を縮めるリュシーに顔を寄せ、詰問する。
「お前、何をやらかした?」
「え?あの、その…ちょっと暴発しまして…」
「怪我の具合は?」
「ちょっと火傷しましたけど、フランシーヌ様がすぐに治してくれましたから」
「何で火傷如きでアレが発動する?傷を見せろ」
「あ…」
そう命令するや否やシリルは手を伸ばし、自分の胸を隠しているリュシーの両手首を掴んで引き剥がす。リュシーの両手が離れると、いつも彼女が身に着けている地味なワンピースが姿を現わしたが、その中央には大きな菱形の穴が空き、中から彼女の二つの膨らみが弾けそうになっていた。菱形の穴の左右の角から彼女の二つの先端が顔を覗かせようとしており、合点のいったシリルが溜息をつく。
「そっちの発動か…」
「えっと、祝詞を唱えようと短剣を胸に掲げた途端、真上に出ちゃいまして」
「お前なぁ…他に怪我人は出てないだろうな?」
「大丈夫です。すぐにチョーカー触って止めましたから」
シリルが脱力したまま壁際から離れ、リュシーが両手で胸を押さえながら頭を下げた。シリルはリュシーの陳謝に頷きを返しながら上着を脱ぎ、彼女の両肩に被せる。
「着ていろ。また発動されては敵わん」
「すみません、坊ちゃん」
この4年で身長差が逆転し、自分より大きくなったシリルの上着の袖にリュシーが手を通しながら恐縮する。シリルは、自己主張の激しい膨らみを押し込んでボタンを留めるリュシーの背中に手を回し、部屋の入口へとゆっくりと押しやった。
「その格好じゃぁ、続きもできまい。フランシーヌ様にお願いして、今日は失礼させてもらおう」
***
大聖堂を辞し、ラシュレー邸に到着したリュシーは、すぐに自分の部屋で服を着替えた。リュシーがシリルの部屋に戻って来て暫くすると部屋の扉がノックされ、執事がメイドを従えて入室する。
「シリル様。お言い付けの品をお持ちしました」
「そこのテーブルに並べてくれ」
「坊ちゃん、何ですかコレ?」
執事とメイドが退室すると、リュシーがテーブルに並べられた複数のグラスを覗き込む。小さなグラスの中には色とりどりの塊が納められ、テーブルの上で透き通った輝きを放っていた。シリルはソファに腰を下ろしながら、リュシーの質問に答えた。
「ジュレという、今帝都で流行のお菓子だそうだ。ノエミ、紅茶を淹れてくれ。三人で試してみよう」
「坊ちゃん、ご馳走様です!」
「え?シリル様、私もですか?」
嬉々としながら躊躇いもなくソファに身を沈めるリュシーと異なり、ティーポットを手にしたノエミが驚きの声を上げる。シリルはソファに身を預けたまま顔を上げ、戸惑いの表情を見せるノエミに答えた。
「わざわざ帝都まで来たんだ。せめて美味いものくらい、味わっていけ」
「ありがとうございます、シリル様…」
ノエミは恐縮した風に頭を下げ、三人分の紅茶をカップに注ぐと、ソファの端にちょこんと腰を下ろす。三人は思い思いにグラスを手に取り、様々な色のジュレを次々に味わった。橙色のジュレを口に運んだリュシーが、スプーンを口に咥えたまま目を瞠る。
「あ、コレ美味しい。何だろう…ベリーかな?」
「何でベリーになるんですか…色からして柑橘系じゃないですか」
「お前、どんだけ味音痴なんだよ…」
リュシーの感想を聞いたノエミが、同じ色のジュレを口に含みながら呆れた声を上げる。シリルはそんな二人の会話に耳を傾けながら、その日二度目のアフタヌーンティーを楽しんでいた。
こうしてシリルは帝都オストリアに滞在する間、自身に押し寄せる縁談を次々と投げ飛ばしながら、大聖堂への送迎を欠かさない毎日を送るのだった。




