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22:帝都攻防戦(1)

「うぅぅ…明日から毎日特訓だなんて…すぐに結果が出ると思ったのに…」


 シリル達を乗せた馬車が帝都オストリアのラシュレー邸に到着し、リュシーが愚痴を(こぼ)しながらシリルのトランクを馬車から降ろす。嘆くような表情でノエミにトランクを渡すリュシーの姿に、シリルが首を傾げた。


「お前、毎日あれだけ鍛錬に勤しんでいるのに、今更何で特訓と聞いて嘆くんだ?」

「体を鍛えろって言うんだったら、嬉々として励みますけどね。教会の教えとか瞑想とか、言うなれば座学もあるじゃないですか。頭使うの、苦手なんですよ」

「そうか?親父から補給計画とか宿題出された時には、率先して取り組んでないか?」


 シリルが疑問を呈すると、リュシーは目を爛々と輝かせ、勢い良く答える。


「だって旦那様直々のご命令ですよっ!?旦那様の期待に応えるためにも、手を抜くわけにはいきませんもん!ほとんどが軍事面だから、頭にも入りやすいし。しかも旦那様の直筆の書面をいただけるわ、対面でご指導いただけるわで、むしろご褒美じゃないですかっ!」

「チッ」


 鼻息を荒げ、興奮した様相でまくし立てるリュシーの姿を見て、シリルは不機嫌そうに舌打ちをする。そのままリュシー達に荷下ろしを任せ、シリルが一足先に館に入ると、帝都の館を預かる家令が十数人の家人を連れて出迎えた。


「お帰りなさいませ、シリル様」

「ああ、遅くなった。昨日は叔父上に捕まってな。皆変わりないか?」

「お蔭をもちまして、全員つつがなく務めさせていただいております」

「そうか、ご苦労」


 シリルは外套を侍女に渡しながら、家令の挨拶に応える。そのまま自室へと向かうシリルの後を追って、家令が報告を続けた。


「それと、シリル様の上京を耳にした家から、面会の申し出が多数来ております。書簡に目を通されますか?」

「ああ、読もう」


 自室に入り、ソファに腰を下ろしたシリルに家令が頷く。すかさず執事が山のように積み上がった書簡をトレイに乗せてシリルの脇に立ち、腰を折ってシリルへと差し出した。


 ラシュレー領は帝都から遠く離れた帝国西部突出部にあり、二大強国と隣接している事もあって、ラシュレー家の者が帝都に赴く事はほとんどない。その公爵家の嫡男が4年ぶりに上京しており、しかも秀麗眉目かつ未だ婚約者が居ないとあって、帝都に居を構える貴族達がこぞって自分達の娘の売り込みに来ていた。シリルは侍女が淹れた紅茶を飲みながら書簡を手に取り、素早く目を通すと、次々にテーブルの上に積み上げていく。時折幾つかの書簡で手を止め、暫く思案した後、山積みになった書簡とは選り分けてテーブルへと置いた。


 やがて全ての書簡に目を通したシリルは、山積みになった書簡を手で払うように指し示すと、家令に答えた。


「こっちの返答はお前に任せる。こっちは俺が応対しないと駄目だな。日程を調整してくれ」

「畏まりました」




 ***


 帝都に到着して5日目。


 その日、いつも通りシリル達を乗せた馬車が大聖堂に到着し、シリルとリュシー、ノエミの三人が馬車を降りた。シリルは大聖堂から姿を現わしたフランシーヌに挨拶すると、ノエミへと目を向ける。


「よし。ノエミ、後は任せた。コイツが怠けていないか、しっかり見張ってくれ。午後また戻って来る」

「畏まりました。お気をつけて」

「え?坊ちゃん、何処か行くんですか?」


 深々と頭を下げるノエミの傍らでリュシーが目を瞬かせる。シリルは馬車のタラップに足を掛けたまま、振り返った。


「お前、俺を誰だと思っている。親父の名代としてオストリアに来ている以上、対応しなきゃいけない相手も居るんだよ」

「あぁ、そうですよね。すみません、坊ちゃん。わざわざ送って下さって」


 申し訳なさそうに頭を下げるリュシーを見たシリルは、手を腰に当て、呆れたように答える。


「あのなぁ、そもそもオストリアに来たのは、お前の聖女審判のためだろうが。お前は気にせず、今は訓練の事だけを考えろ」

「え、あの、坊ちゃん?」


 そう答えたシリルは、リュシーの言葉を待たずして馬車へと乗り込む。その動作は、リュシーの後ろに佇むフランシーヌの生暖かい視線から逃れるような、素早いものだった。


 館に戻ったシリルは侍女の助けを借り、服を着替える。衣装を整えていると執事が現れ、客の来訪を告げた。


「シリル様、失礼します。エルランジェ公がお見えになられました」




「おぉ、シリル殿、ご無沙汰しておる!暫く見ぬうちに随分と立派になられたな!」


 シリルが貴賓室に足を踏み入れると、ソファに腰を下ろしていた30代の男が立ち上がり、笑顔を浮かべた。シリルは両手を広げて大袈裟に喜ぶエルランジェ公の前に進み出ると、親しみのある笑みを浮かべ、手を差し出す。


「お久しぶりです、エルランジェ公。4年振りでございましょうか。もっと頻繁に帝都に赴くべきでしょうが、西の守りを疎かにするわけにはいきませぬ故、ご容赦願います」

「お気になさるな!帝国におけるラシュレー公の立場を思えば、むしろ私がサン=スクレーヌへ挨拶に伺うべきだろうな!」


 エルランジェ公は差し出されたシリルの手を両手で握ると、勢い良く上下に振りながら闊達に笑う。その態度は、同じ爵位を持つ家の嫡男が相手とは言え、公爵家当主とは思えない砕けたものだった。


 二人は互いに笑顔を浮かべ挨拶を交わしていたが、やがてシリルがついと視線を外し、エルランジェ公の傍らで緊張しながら佇む少女へと目を向ける。


「ところで、公、この可愛らしいお嬢さんをご紹介いただけませんか?」

「おぉ!そうだった、そうだった!」


 シリルの言葉にエルランジェ公は破顔すると、少女の背中に手を回し、シリルの前に押しやりながら紹介する。


「私の娘のエヴリーヌだ!今年11歳になる。エヴリーヌ、ラシュレー家嫡男のシリル殿だ。ご挨拶せい!」

「シ、シリル様、初めまして。カジミール・ド・エルランジェの娘、エヴリーヌにございます。シリル様におきましては、ご機嫌麗しく」

「これはこれは、ご丁寧な挨拶、痛み入ります。オーギュスト・ド・ラシュレーの嫡男、シリルと申します。エヴリーヌ殿、以後、お見知りおき下さい」

「は、はい」


 エルランジェ公に急かされ、少女が緊張しながらもスカートの裾を摘まんでカーテシーを見せると、シリルは笑みを浮かべ、左胸に右手を当てて恭しく一礼する。一礼と共に橙めいた髪が額から流れ落ち、その艶やかな姿に少女は見惚れ、頬が赤くなった。シリルの顔に釘付けとなり硬直する少女の背中に手を回しながら、エルランジェ公が後押しした。


「このエヴリーヌはまだ11ではあるが才媛で詩曲に通じており、その澄み渡る美声と容姿から『帝国のオオルリ』と呼ばれておる。我が公爵家の長女とあって、この年ですでに数多くの縁談が寄せられているが、私はシリル殿こそ娘の相手に相応しいと思っておるのだよ。性急と思われるかも知れないが、嫁ぎ先をよく知り奥向きとして貢献するためにも、私は早々に娘の輿入れ先を決め、時間を掛けてその家に合った教育を施すべきだと信じているのだ。

 エヴリーヌは健康で容姿に優れ、しかも成人までまだ時間もあり、如何様にも育てられる。閨で(さえず)るオオルリの歌声を聞けば、どんな疲れも癒されるであろう。この場でエヴリーヌとの婚約に応じていただければ、私は責任をもって娘をシリル殿の望むままに仕立てて差し上げよう!」

「それはそれは…」


 矢継ぎ早に繰り出されるエルランジェ公の言葉にシリルは笑みを浮かべているが、その瞳に宿る光は微塵も動かない。やがてエルランジェ公のセールストークが一段落すると、シリルは腰を折ってエヴリーヌの目線の高さに合わせ、穏やかに微笑んだ。


「確かエルランジェ領は南方で、穏やかな気候でしたね。エヴリーヌ殿は、雪をご覧になった事はありますか?」

「い、いえ。私は生まれてから雪を目にした事は一度も…」


 シリルのサファイアを思わせる蒼い瞳に射貫かれ、エヴリーヌは顔を赤くしながら俯きがちに答える。エヴリーヌの答えにシリルは一つ頷くと、少女の視線の先に右手を掲げた。


「≪吹雪(ブリザード)≫」

「わぁ…!」


 途端、シリルの掌に氷が噴き上がり、煌びやかな雪の結晶へと変化して瞬きながら宙を舞う。刹那の煌めきに目を瞠り、両手で口を覆いながら目の前の光景に魅入るエヴリーヌに、身を起こしたシリルが優しく語り掛けた。


「山岳に囲まれたラシュレーの冬は辛く厳しいですが、白銀に覆われた世界は南方とは違う美しさがあります。エヴリーヌ殿、機会があれば是非ご覧になって下さい」

「は、はいっ!」


 少女は煌びやかな輝きの向こう側に浮かぶ、橙色めいた髪を湛えた男性の笑顔に惹き込まれ、高鳴る鼓動が飛び出さないように胸に両手を当てて答える。シリルは少女の上気した笑顔に一つ頷くと、彼女の父親へと振り返った。


「エルランジェ公の申し出は大変魅力的ではありますが、我がラシュレー領は険しい山岳と南北二つの強国に囲まれ、厳しい冬と魔物が多く出没する、尚武の地です。その様な厳しい環境の中で、我々はあらゆる脅威に備え、領民達の平穏な毎日を守るために常に刃を研ぎ鍛錬に務めなければなりません。

 我々が望むものは、鋭い爪と嘴を持ち主人の命に従って獲物に襲い掛かる、獰猛な『鷹』です。エルランジェ公、ご息女は大変聡明で将来きっと美しいオオルリとなって羽ばたく事は間違いありませんが、如何な公であろうと、オオルリを鷹に仕立て上げるのは至難というもの。ご息女の幸せを考えれば、決して最善とは言えますまい」

「む…。し、しかしだな…」


 斬り込み方を誤ったと悟ったエルランジェ公が反論を試みるが、シリルはその企てを遮るように言葉を被せる。


「いずれにせよ、父オーギュストはこの場に居らず、当主抜きでこの話を纏めるわけには参りません。ご息女もまだお若く、時間もまだ充分にあります。この話はまたの機会に、という事で如何でしょう」

「そ、そうか…。では、今度はサン=スクレーヌにお邪魔しよう。シリル殿、オーギュスト殿によろしくお伝えしてくれ」

「承りました。冬のラシュレーは、南方では味わえない刺激に溢れています。是非一度、その頃お越し下さい」


 戦線の立て直しを図るべく一旦引き下がったエルランジェ公に、シリルが笑顔でもう一本釘を刺す。表面上は終始穏やかに会談を終えたシリルは、エルランジェ公を見送った後、家令に緊急事案がない事を確認すると、直ちに宣言した。


「今日はもう、他にはないな?では、すぐに大聖堂へ戻る。馬車を回してくれ」

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