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21:聖女審判

「はぁぁぁぁぁ…。何という、充実した一日だったんだろう…」


 昨晩から今朝に掛けての至福のひと時を思い出すたびに、私の顔が蕩ける。目が覚めたら29人のお義父様に見つめられているんだもの。危うくその場で昇天するところだった。アレはマズいわね、早死にするわ。今も納まりのつかない胸に手を当てて深呼吸を繰り返していると、ロクサーヌ様が声を掛けて下さった。


「リュシーちゃん、朝まで叔母さんに付き合ってくれて、ありがとうねっ!帰る時に、また寄りなさいよ!?叔母さん秘蔵の、お兄様の昔の衣装を見せてあげるからね!」

「叔母様っ!?何て危険な物をお持ちなんですかっ!?是非お邪魔しますっ!…叔母様、あそこで寝るのは、ほどほどにして下さいね?寿命が確実に縮みますよ?」

「アレは本当に危険よね。もう元の生活には戻れないわ…」


 禁断の扉を開いてしまったロクサーヌ様が頬を染め、諦めたように溜息をつく。そのまま妄想の世界へと突入してしまったロクサーヌ様に代わり、レイモン様が激励して下さった。


「今日はいよいよ審判の日だな。リュシー君、頑張って是非合格して来てくれ。私もロクサーヌも応援している」

「ありがとうございます、レイモン様。頑張ります」


 レイモン様の励ましの言葉に私は深々と一礼し、坊ちゃん達と共に馬車に乗ってコルネイユ家の館を後にした。




「…お前、叔母上の事を『叔母様』って呼んでいるのか?」


 窓の外に目を向けつつも心は29人のお義父様の許へと飛んでいた私は、坊ちゃんの質問を耳にして現実へと引き戻された。訝し気な目を向ける坊ちゃんに、私は事情を説明する。


「はい。昨晩、ロクサーヌ様と盛り上がってしまいまして。これからは叔母と呼ぶようにと、直々に…」

「そうか…あの人も、意外と人を選ぶんだがな…」


 そう答えた坊ちゃんは私から視線を外し、窓枠に肘をついたまま外の風景を眺める。


「…仲良くなれて、良かったな」

「はい!」


 ぶっきらぼうに答える坊ちゃんの口が綻ぶのを見て私は嬉しくなり、にこやかに答えた。




 ***


 館を出てから30分ほど馬車に揺られた後、私達は大聖堂へと到着した。横付けされた馬車から降りると、石造りの壮麗な建物の中から現れた一人の女性が幾人もの聖職者を引き連れ、私達の許へと歩いて来る。


「シリル様、わざわざ大聖堂までお越しいただき、ありがとうございます。先日は急な都合でお暇をいただき、大変申し訳ございませんでした。この埋め合わせは、後日改めて行わせていただきます」

「とんでもございません、フランシーヌ様。聖女様自らお出迎えいただき、恐懼に堪えません。本日は、よろしくお願いいたします」


 フランシーヌ様は坊ちゃんと挨拶を交わした後、背後に佇む私の許へと進み、柔らかい笑みを浮かべる。


「リュシーさん、お久しぶり。またお逢いできて、嬉しいわ」

「フ、フランシーヌ様、わざわざお出迎えいただき、恐縮でございます…」


 先日とは違い、聖女との公式の場での面会に私は緊張し、身を縮める。隣に並ぶノエミなど、石のようにガチガチだ。フランシーヌ様は、背の高い私の顔を下から覗き込むように見上げ、破顔する。


「そんなに緊張しないで?今日はあなたが主賓で、私はエスコートするだけだから。傷の具合はどう?」

「ありがとうございます、フランシーヌ様。お陰様で全く動かなかった右手は、概ね元通り動くようになりました」


 私はフランシーヌ様に頭を下げ、目の前に右手を上げて掌をわきゃわきゃと開閉させる。フランシーヌ様は私の手を見て微笑むと身を翻し、背後に並ぶ五人の聖職者に向かって手を広げた。


「今日、あなたの審判を受け持つ、枢機卿のモーリス・ブリアン様と、大司教、司教の皆様よ」


 げ。枢機卿って言ったら、教皇の次に位の高い御方じゃない!そんな御方に審判されるのっ!?内心で動揺する私の前に、モーリス様が進み出る。


「初めまして、リュシー殿。モーリス・ブリアンと申す。今日はよろしく頼みますぞ?」

「こちらこそ、リュシー・オランドと申します。私などのためにお時間を割いていただき、恐縮でございます」


 モーリス様はにこやかな表情を浮かべているが、私を見る目は厳しい。フランシーヌ様の推薦とは言え、神聖魔法も使えない一介の侍女が相手では、不審の目で見られるのも仕方がないと思う。私はモーリス様から発せられる一方的な評価を甘受し、深々と頭を下げた。


 互いの紹介が終わると、私はモーリス様の先導を受け、フランシーヌ様や坊ちゃんと共に大聖堂へと足を踏み入れる。


 私に対する、聖女審判が始まった。




 ***


「リュシー殿、まずは簡単な経歴を教えてくれるか」

「はい」


 大聖堂の一室に通された私は、部屋の中央に据え置かれた席に腰を下ろした。私の席を取り囲むように一段高い席が並び、正面の席に五人の審判員が腰を下ろす。私から見て右側の席にフランシーヌ様が座り、左側の席には坊ちゃんが着く。ノエミや護衛の騎士達が部屋の外で待機する中、私はモーリス様の質問に答えた。


「リュシー・オランド、22歳です。西部の都市キシューの産と聞いていますが、父母が行商を営んでいたため、正確には分かりません。12歳まで父母と共に隊商(キャラバン)で生活しておりましたが、盗賊の襲撃を受けて父母が落命。ラシュレー家の御当主オーギュスト様に拾われました。以後ラシュレー家の家人となり、現在は嫡男シリル様付の侍女を務めております」

「ふむ。神聖魔法を使用した経験は?」

「全くありません。先日フランシーヌ様にご指摘いただくまで、自分が聖気を扱える事に全く気づいておりませんでした」

「先祖に優秀な神聖魔法の使い手は居たかね?」

「父母から聞いた事は、ありません。ですが先日旦那様より、祖母が優秀な治癒師(ヒーラー)だったと伺いました」

「その件については、私から補足させていただく」


 私が質問に答えていると、脇で話を聞いていた坊ちゃんが手を挙げ、起立する。


「父オーギュストの話によると、彼女の祖母は30年以上前、S級ハンターの一員として活躍していた有名な治癒師(ヒーラー)だったそうだ。名は、ネリー・オランド」

「ネリー・オランド?…『黄昏の五人』の?」

「あの時の治癒師(ヒーラー)か…」


 …黄昏の五人?


 モーリス様の呟いた馴染みのない言葉が、私の耳に引っ掛かった。モーリス様と並んで座る審判員も、同僚と小声で話している。審判員同士の雑談を遮るかのようにモーリス様が咳払いし、口を開いた。


「オホン。だが、いくらネリー・オランドの孫娘であっても、抜きん出た奇跡が起こせなければ、当然聖女にはなれない。…フランシーヌ様、彼女を推薦した理由をお聞かせ願いたい」

「はい」


 モーリス様の言葉にフランシーヌ様が応じ、しなやかな動きで立ち上がると、透き通った声で朗々と謳うように答える。


「きっかけは、瘴気に犯されている彼女の治療をして欲しいという、オーギュスト様からの依頼です。彼女の右肩にはアンデッドに噛まれた禍々しい痕が、くっきりと残っておりました。私は回復に特化しており、浄化に関してはカサンドラ姉様に劣りますが、それでも聖女に見合うだけの最低限の浄化力を有しております。にも拘わらず、彼女を蝕んでいた瘴気の前には全くの無力で、私には浄化する事ができませんでした。

 私は彼女に尋ねました。あなたを襲ったアンデッドの姿を。彼女は、こう答えたのです。――― 『漆黒のワイト』と…」

「おぉ…」

「何と…」

黒衣の未亡人(ブラック・ウィドウ)…」


 フランシーヌ様の歌劇のような証言に、モーリス様達が感嘆の声を上げる。おそらくすでに一度は報告を耳にしているだろうが、それでもフランシーヌ様の声の抑揚に惹き込まれ、呟かずにはいられなかったようだ。フランシーヌ様の独唱が続く。


「彼女は黒衣の未亡人(ブラック・ウィドウ)に肩を噛まれながら、4年間、独力で生き延びたのです。誰の助けも借りず、己の力だけで、只人(ただびと)を瞬時に死に至らしめるほどの瘴気を相手に、4年もの間、しかも緩やかな回復をもって。

 私は彼女に聖気の力を見い出し、彼女にそれを教えました。彼女はそれを知った途端、私にも手に負えなかった瘴気を、その弱った体で、浄化しきったのです。彼女の浄化力の前には、私の力など足元にも及びません。彼女が成長し、その力を意のままに操れるようになった時には、カサンドラ姉様さえも凌ぐやも知れません。それほどの可能性を見い出したからこそ!…私は彼女を、聖女に推薦した次第です」




「…フランシーヌ様、ご着席下さい」


 フランシーヌ様の独唱が終わり、モーリス様が頭を下げる。フランシーヌ様が静かに席に着いたのを見計らって、モーリス様が宣言した。


「それでは聴取は此処までとし、これより奇跡の確認を行いたい」


 モーリス様の宣言と共に審判員の席の背後の扉が開き、7人の修道僧が部屋へと入って来た。修道僧達は各々一つずつ、大きな包みや(トレイ)を、恭しく携えていた。修道僧達は荷物を携えたまま私の前で一列に並び、モーリス様をはじめ審判員全員が席を立って、修道僧達の前へと進み出る。


「此処にある7つの『触媒』は、どれも国宝級でね。歴代の聖女は全員、この触媒のいずれかで力を発現しているのだ。リュシー殿、君は未だ自分の力を自由に発揮できないそうだな。これらの触媒を一つ一つ使って、君の力を確認したい。此方(こちら)に来てくれ」

「はい」


 モーリス様の申し出に応じ、私は席を立って前に進み出る。坊ちゃんとフランシーヌ様が左右の席から身を乗り出して注目する中、モーリス様が一人の修道僧へと手を伸ばし、袋から顔を覗かせていた錫杖を掴んで、私の前に差し出した。


「まずは、この錫杖から試してみよう。聖浄(プリフィケーション)祝詞(のりと)は知っているかね?」

「いえ」


 私が錫杖を受け取りながら首を振ると、モーリス様は仕方ないと言った風に溜息をつく。


「…私が祝詞を唱えるから、真似してくれ。…女神よ、七徳をもって彼の者を蝕む邪を追い祓い給え。≪聖浄(プリフィケーション)≫」

「女神よ、七徳をもって彼の者を蝕む邪を追い祓い給え。≪聖浄(プリフィケーション)≫」


 私は目を閉じて錫杖を両手で掲げ、祝詞を唱えた。瞑想を続けている私の暗黒の世界に、モーリス様の声が木霊する。


「…発動しないな。次は大治癒(グレーター・ヒール)だ。…女神よ、大地の恵みと(そら)の潤い、生の息吹をもって彼の者の傷を癒し給え。≪大治癒(グレーター・ヒール)≫」

「女神よ、大地の恵みと(そら)の潤い、生の息吹をもって彼の者の傷を癒し給え。≪大治癒(グレーター・ヒール)≫」


 私はモーリス様の言葉に従い、祝詞を唱えた。暗黒の世界に沈黙が流れ、不安になった私が目を開けると、モーリス様が後ろを向いて二人目の修道僧に手を伸ばしている。


「その錫杖では、発動しなさそうだな。次はこのお守り(アミュレット)で試してくれ」

「はい。…女神よ、七徳をもって彼の者を蝕む邪を追い祓い給え。≪聖浄(プリフィケーション)≫」


 私はモーリス様から小さなお守り(アミュレット)を受け取ると、両手で包み込んで再び祝詞を唱え始めた。




 ***


「…女神よ、大地の恵みと(そら)の潤い、生の息吹をもって彼の者の傷を癒し給え。≪大治癒(グレーター・ヒール)≫」


 私が繰り返し祝詞を唱えているうちに、いつの間にか坊ちゃんとフランシーヌ様も席を立ち、私を取り囲んでいた。私が瞑想を解いて目を開くと、視界にフランシーヌ様の蒼白な表情が飛び込んでくる。


「…嘘でしょ?数珠(ロザリオ)でも発現しないの?」


 顔を強張らせているフランシーヌ様の隣で、モーリス様も厳しい表情を浮かべている。


「7つ全て試して発現しないとなると、フランシーヌ様の推薦でも流石に…」

「待って下さい!まだ『触媒』はありますから!」


 モーリス様の答えを遮るようにフランシーヌ様が叫び、私に向かって縋るように尋ねた。


「ねぇ、リュシーさん。あの短剣、持ってるでしょ?アレで試してくれない?」

「えぇ、好いですよ」


 私はフランシーヌ様の懇願に素直に応じ、腰の後ろに括り付けられた短剣を左手で引っこ抜いて、目の前に差し出す。逆手で掴んだままの短剣に皆の注目が集まり、モーリス様が私に尋ねた。


「…この短剣で、黒衣の未亡人(ブラック・ウィドウ)を倒したのかね?」

「ええ」

「どうやって?」

「右肩を噛まれたので、こうやってプスっと」


 じゅっ。


 私が短剣を逆手に持ったまま顔の前で横に振ると、右側から何か音が聞こえた。皆が一斉に音のした方向へと目を向けると、部屋の壁から一筋の白煙が上がっている。


「…君、今、何か唱えたかね?」

「いえ、何も」


 モーリス様が振り返って私に質問するが、私には心当たりがない。私は首を振り、ついでに短剣も振ってみる。


 じゅっ。


 もう一度同じ音が聞こえ、右を向くと壁の煙が二筋に増えた。


「…あの、リュシーさん…祝詞…」


 フランシーヌ様のツッコミは聞かなかった事にして、私は短剣を右手に持ち替えた。壁に体を向け、右手で短剣を構えると、精神を集中し、壁に向かって素早く刺突を繰り出す。


 じゅじゅじゅっ。


 私の三連撃に呼応して三度音が聞こえ、壁の煙が五筋に増えた。壁から立ち昇る煙を、私達は黙って見つめる。


「…少し、考えさせてくれないか?」


 振り返ると、モーリス様がこめかみに指を当て、顔を顰めていた。




 ***


 その後、私は短剣を胸に抱えて祝詞を唱えてみたが、うんともすんとも言わなかった。


「どうなっているのだね、君の体はっ!?」

「ど、どうなっていると言われましても…」


 モーリス様から理不尽としか思えない説教を受け、私は短剣を胸に抱えたまま縮こまった。どうやって制御するのか、魔法に関してはずぶの素人の私に聞かれても、答えられるわけがない。モーリス様のあまりの剣幕に慌ててフランシーヌ様が間に立ち、()()しを図ってくれた。


「まぁまぁ、モーリス様、落ち着いて下さい。取り敢えず奇跡の発動だけは確かめられたのですから、細かいところは明日改めてと言う事で…」

「フランシーヌ様、正直に申しまして、これはかなり厳しいですぞ?聖女と認定されるには、浄化と回復、共に高い能力を持っていないと…」


 えぇぇ!?今日で終わりじゃないの?


 一日で終わると思っていた審判が明日もあると知り、私はげんなりした。フランシーヌ様の期待に応えたいし、お義父様の野望を叶えるためにも是非聖女になりたいところだが、予想外のハードルの高さに気が滅入ってしまう。私はモーリス様とフランシーヌ様の押し問答を目にして溜息をつき、短剣を逆手に持ち替えると、腰の後ろに括り付けられた鞘へと勢いよく放り込んだ。


 じゅっ。


「…え?」


 右から不吉な音が聞こえ、皆一斉にそちらに目を向けると、壁に一筋の煙が立ち上っている。慌てて背中へと振り返ると、腰に括り付けられた鞘の先端に穴が空き、中から白煙が上がっていた。重苦しい空気が次第に部屋を覆い、私と共に鞘を見つめていた坊ちゃんが質問する。


「…お前、止め方知らないのか?」

「止め方どころか、出し方も知らないですよ?」




「…リュシーさん。明日から毎日大聖堂に来て下さい。特訓しましょう」

「えぇぇぇぇぇっ!?そんな、殺生な!」


 私は正面を向き、青筋を立てながらにこやかな笑顔を浮かべるフランシーヌ様に泣きついた。

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