20:同好の士
「うわぁぁぁぁぁぁ…大っきいぃぃぃ…」
「人もいっぱいいますねぇ…」
帝都オストリアへと入った馬車の中で私は車窓から空を見上げ、幾つも立ち並ぶ高い塔に感嘆の声を上げた。隣に座るノエミも反対側の窓に噛り付き、道を行き交う人の多さに目を瞠る。
20日かけて到着した帝都オストリアは、領都サン=スクレーヌとは比較にならないほど、巨大な都市だった。百万都市と言われるだけあって石造りの高い建物がひしめき合い、行き交う人々の中には隣国の魔族や獣人の姿もちらほら見える。実は魔族と獣人はラリュレー家と対峙する西方の二強国の民族で、両国との交流は20年前の停戦協定後に始まったばかりだ。私は窓から顔を離し、向かいに座る坊ちゃんに尋ねた。
「坊ちゃん、それで、この後は如何なさいますか?このまま大聖堂に向かいます?」
私の問い掛けに、坊ちゃんが頭を振る。
「いや、今日はまず叔父上の所へご挨拶に伺う。大聖堂への訪問は、明日だ」
「あぁ、レイモン様の所ですね。畏まりました」
私達を乗せた馬車は、帝都から来ていた使者達と一旦別れ、ラシュレー家から引き連れた護衛騎士達と共に、宰相レイモン・ド・コルネイユ侯爵の館へと向かった。
***
「叔父上、叔母上、ご無沙汰しております。オーギュスト・ド・ラシュレーの息子、シリルです。父母共々長らくご挨拶にも伺えず、申し訳ございません」
馬車を降りた坊ちゃんが一組の男女の前へと進み出て、左胸に右手を当てて礼儀正しく一礼する。坊ちゃんの挨拶を受け、レイモン様が相好を崩した。
「久しぶりだな、シリル。2年振りか。随分と大きくなったなぁ。姉上はご壮健か?」
「はい。すこぶる健康で、相変わらず笑顔を振り撒きながら、容赦がありません」
「はっはっはっ!当然ではないかっ!美しさと苛烈さを兼ね備えた姉上は、まさに雷光の如き御方だ!私も是非またお逢いして、あの雷に打たれたいものだっ!」
「ねぇねぇ、シリル!お兄様は!?お兄様もお元気かしら!?」
「ええ、元気です、叔母上。此度の訪問に同行できず、叔母上と再会できない事が残念だと。是非またサン=スクレーヌに来て欲しいと、言付かっております」
「やぁぁぁぁぁんっ!愛しのお兄様にそこまで乞われたら、すぐさま伺うしかないわねっ!ねぇ、レイモン!私、シリルと一緒に帰って好いわよねっ!?」
「はっはっはっ!駄目だぞ、ロクサーヌ!義兄上夫婦とお逢いする時は必ず二人一緒だと、結婚の時に約束したではないかっ!」
「もぉぉぉぉっ!レイモン、早く宰相なんか辞任しなさいよっ!」
「はっはっはっ!辞任したら姉上から極大の雷が落ちるではないかっ!…あ、いや、それもアリだな…」
私は坊ちゃんの背後に礼儀正しく並びながら、異様な盛り上がりを見せる光景に、思わず顔を引き攣らせる。傍らに並んでいたノエミが私に顔を寄せ、手で衝立を作りながら耳打ちした。
「…な、何か、物凄いご夫婦ですね…」
「うん…」
コルネイユ侯爵夫妻は共にお義父様とマリアンヌ様の弟妹で、ご自身の兄姉を非常に慕っていらっしゃると伺っている。2年前に夫妻揃ってサン=スクレーヌにお出でになられていたそうだが、その時ノエミはまだ出仕しておらず、私はいつも通り寝込んでいたので、面識がなかった。出立に当たってお義父様から「身内想いのとても良いご夫婦」と伺っていたけれども、「想い」の籠め方が斜め上じゃないですか?
帝国の政治を一手に受ける宰相ともあろう御方の凄まじい一面にドン引きしていると、レイモン様が私とノエミに目を向けた。
「…で、此度の聖女候補は、どちらのお嬢さんかな?」
「背の高い方です。リュシー、侯爵夫妻にご挨拶を」
「はい」
私は坊ちゃんの紹介に従って一歩前に進み出ると、侯爵夫妻に深く頭を下げる。
「レイモン様、ロクサーヌ様、この度はお目もじに与り、恐縮でございます。シリル様の侍女を務めております、リュシー・オランドと申します。私などのためにご挨拶のお時間をいただき、感謝に堪えません」
「初めまして、リュシー殿。私の名は、レイモン・ド・コルネイユ。陛下の信任を得て、この帝国の宰相に任じられておる。あのフランシーヌ様から直々に、聖女の推薦を受けたそうだね。君の事は、姉上から名指しで取り計らいを頼まれているくらいでね。あの姉上のお目に適うくらいだ。当家も全面的に協力させてもらうから、大船に乗ったつもりでいてくれたまえ」
「リュシーさん、初めまして。レイモンの妻、ロクサーヌです。あなたのお名前は、シリルを救ってくれた時に、お兄様からのお手紙で何度も拝見したわ。お兄様にあそこまで気に入られるなんて、羨ましいわ」
「お気に入りだなんて、そんな…」
ロクサーヌ様のお言葉が心臓を貫き、私は薄っすらと頬を染めて俯いた。途端、隣からよく冷えた風が吹き込み、火照った顔が元に戻る。何だ?今の風。
「叔父上、叔母上。父母からお二方へと、贈り物を預かっています。此方にお持ちいたしましたので、是非お受け取り下さい」
風上に目を向けると、坊ちゃんの背後に従う二人の騎士が、上半身を覆い隠すほどの大きな平たい箱を一つずつ抱えていた。それを見た夫妻が狂喜乱舞し、我先にと駆け寄って、使用人の手も借りず自ら箱を受け取ろうとする。
「うおおおおっ!?シリル!私のはどっちだ!?」
「シリル!私は私は!?」
「こちらが叔父上、こちらが叔母上のです」
冷静に答える坊ちゃんを余所に、夫妻は騎士から箱をひったくると、両手で抱えたままホクホク顔で背を向ける。
「シリル!よく持ってきてくれた!早速拝見しよう!ささ、みんな中に入ってくれ!リュシー殿も、其処のメイドのお嬢さんも遠慮せず!」
「やぁぁぁぁぁん!今年もいただけて、感激だわ!早く中に入って、皆で鑑賞しましょう!」
夫妻揃って両手を広げ、小躍りしながら屋敷へと戻る後姿を見た私は、思わず指差しながら坊ちゃんに尋ねる。
「あ、あの、坊ちゃん…あの箱、中に何が入っているんですか?」
坊ちゃんは下唇を突き出し、夫妻の背中に遠い目を向ける。
「…親父とお袋の…肖像画」
「へ?」
「毎年贈っているんだ…。二人とも、叔父夫婦の扱い方を良く分かっている」
「…」
「…おぉーい、シリル!何をしている!?早く来ないか!」
諦観の表情を浮かべる坊ちゃんの視線の先で、レイモン様が振り返り、大声で私達を呼んでいた。
***
コルネイユ侯爵の館へと入った私達は、応接室にて侯爵夫妻と対面した。夫妻はソファに腰を下ろして各々開封したばかりの肖像画を膝に乗せて眺めており、レイモン様がマリアンヌ様の肖像画越しに、私を労わった。
「…しかし、黒衣の未亡人がラシュレー領に入り込んでいたとは、思いもよらなかった。リュシー殿、よく倒してくれた。この国を代表して、改めて御礼を言わせてもらおう。ありがとう」
「功を誇るようなものではございません、レイモン様。全て偶然が為した事ですから」
あの時の戦いは、何も誇るものがない。私はただ、苦し紛れに短剣を叩きつけただけだ。閣下は頷き、言葉を続ける。
「だが、結果的に君のお陰でアンデッドとの戦いに光明が見えた。三体の魂喰らいのうち深窓の令嬢と黒衣の未亡人が倒され、残るは女帝のみ。ここ30年進展のなかった戦いが、大きく前進したのは事実だ。現状、魂喰らいに対抗できる聖女がカサンドラ様お一人という危機的状況も、改善する。君が思っている以上に、帝国は君の持つ力に期待しているのだ」
「レイモン様、聖女として認定された場合は、必ず聖女にならなければいけないのでしょうか?」
私が思い切って疑問をぶつけると、レイモン様は肖像画から視線を外し、私の目を見て答える。
「形式上は招聘や要請といった言葉を使うが…実態はまぁ、強制だな。聖女の力を持つ者は、この広い帝国全てを見渡しても、数年に一人見つかるかどうか。運が悪いと、一世代抜ける事もある。その様な希少な力を遊ばせておくほど、帝国の余裕はないからな」
「やはり、そうですか…」
「その代わり、帝国は功績に篤く報いるぞ?国庫から莫大な年金は出るし、一代限りとは言え伯爵夫人にもなれる。中隊規模の独立部隊が編制され、指揮官を通じて命令権も与えられる。深窓の令嬢の討伐に成功したカサンドラ様に至っては今年侯爵夫人へと陞爵し、大隊規模まで拡張されたほどだ」
う。報酬は凄いけど、聖女は意外と自由が利かないな。北部戦線に張り付いていては、お義父様の政略の駒になれないではないか。新たな難問が立ちはだかり、頭を抱える私の前で、ロクサーヌ様が肖像画を抱えたままソファから立ち上がった。
「あぁっ!もう我慢できないっ!レイモン、私、画廊に行ってくるわ!早くこの絵を飾らないと!」
「あ、あの、ロクサーヌ様…」
「あら、どうしたの?リュシーさん」
背を向けたロクサーヌ様の腕の間からお義父様の御顔が見え、私は思わず手を伸ばした。振り返ったロクサーヌ様に恐る恐るお願いする。
「…厚かましいお願いですが…旦那様の肖像画、拝見させていただけませんでしょうか?」
私のお願いを聞いた途端、ロクサーヌ様の顔が晴れ渡った。彼女は肖像画を抱えたまま私の許へと駆け寄り、目を爛々と輝かせる。
「やぁぁぁぁぁんっ!リュシーさん、是非とも見て行って!画廊に行けばお兄様の20歳からの肖像画が、全部揃っているわよっ!」
「本当ですか、ロクサーヌ様っ!?それはもう、喜んで!」
「ついて来て!こっちよ!」
「はい!」
「おい!ちょっと、待て!」
背後から坊ちゃんの声が聞こえたけど、私には聞こえていない。お義父様の20歳の肖像画なんて、垂涎の的だ。私はロクサーヌ様ときゃぁきゃぁ言いながら、応接室を後にした。
「じゃぁぁぁぁぁぁんっ!リュシーさん、どう!?私の秘蔵のコレクションはっ!?」
「ふおおおおおおおおっ!?」
ロクサーヌ様に連れられ画廊に足を踏み入れた私は、其処に掲げられた数多くの肖像画を目にし、興奮のあまり奇怪な叫び声を上げてしまった。
お義父様が、お義父様が、こんなにいっぱい!
涎を垂らさんばかりに食い入るように見つめる私の傍らで、ロクサーヌ様が胸を張り、上機嫌で説明していく。
「お兄様の20歳の時から今年の新作48歳までの計29枚!一枚たりとも欠けることなく、全てが此処に揃っているわ!どう!?リュシーさん、この渾身の傑作を前にして」
「素晴らしいっ!素晴らし過ぎます、ロクサーヌ様!嗚呼、この世に桃源郷が実在していたなんて…」
「でしょでしょっ!?やぁぁぁぁぁん!この熱い想いを理解してくれる人が、ついに現れてくれたっ!私、感激だわっ!」
「ロクサーヌ様!ロクサーヌ様!あの凛々しい御姿は、お幾つの時ですか!?」
「あれは28歳の時ね!三国停戦協定の調印式に臨んだ時の姿よ!」
「それじゃ、あれは!?」
「33歳で公爵家を継いだ時の肖像ね!」
「うおおおおおっ!お義父様、格好良すぎる!」
「え?お義父様?」
興奮し過ぎて口を滑らせた私の言葉に、ロクサーヌ様が目を瞬かせる。我に返った私は俯き、顔を赤らめた。
「…ぁ…実は、聖女に認定されたら娘にならないかと…旦那様から…」
「…好いっ!好いじゃないのっ!リュシーさんなら大歓迎っ!」
「本当ですかっ!?」
不安を覚えていた私の許にロクサーヌ様が駆け寄り、私の腕を取って目を輝かせる。
「お兄様の事をこんなに理解してくれている人なら、安心してお兄様をお任せできるわっ!ねぇ、リュシーちゃんって呼んで好い!?私の事は遠慮なく、叔母さんって呼んで頂戴!」
「嬉しいです!もう喜んで!叔母様、これからよろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくね、リュシーちゃん!」
ロクサーヌ様と私は腕を組み、二人揃ってきゃいきゃいと飛び跳ねる。やがてロクサーヌ様が遊び疲れた子供のように大きく息を吐き、満面の笑みを浮かべた。
「あぁ、もう嬉しいったらないわ…。リュシーちゃん、今日、ウチに泊まっていきなさいよ?」
「えっ?よろしいのですか?」
「もう、大歓迎っ!」
子供のようにはしゃぐロクサーヌ様の笑顔に私は嬉しくなり、その場で思いついた事を口にする。
「それじゃ叔母様、せっかくなので、もう一つお願いしても好いですか?」
「なぁに?リュシーちゃん」
「今晩、此処で寝ても好いですか?床で構いませんから」
私がお願いを口にした途端、ロクサーヌ様が顔色を変える。
「リュシーちゃん、あなた、何て恐ろしい事を言い出すの…!?そんな事をしたら、叔母さん、もう二度と寝室に戻れないじゃないっ!?」
「え?」
「今すぐ侍女に言い付けて、毛布を持って来させるわねっ!叔母さんも一緒に付き合うわっ!リュシーちゃん、今晩は此処でトコトン語らいましょうっ!」
「はいっ!」
***
「シリル。今日はウチに泊まっていきなさい」
「え?」
リュシーの戻りを待っていたシリルとノエミは、戻って来たレイモンの発言に目を瞬かせた。レイモンはソファに腰を下ろすと、上機嫌で答える。
「ロクサーヌが思いの外、あの娘を気に入ってね。今日はもう帰さないって言うんだ。アレがあんなにはしゃいでいる姿を見るのは、実に久しぶりだよ。ウチは息子ばかりで娘が居ないからね、すまないが今日はアレの我が儘に付き合ってくれ」
「分かりました。お邪魔します」
「良い娘じゃないか、シリル」
頭を下げるシリルを見て、レイモンがソファに腰を落ち着けたまま前のめりになり、口の端を吊り上げる。
「お前が何を考えているかは知らないが、お前が一向に結婚話に耳を貸さないと、姉上から聞いている。我々のような高位貴族にとって、誰と結婚するかは、一存では決められない重要な政略だ。だが、それでも私は、ロクサーヌという理解のある伴侶と巡り合えて、幸せだと思っている。シリル、お前も早く、そう思える娘を見つけなさい。その娘が、リュシー殿のように誰からも愛される娘だと、私も万々歳なのだがね」
「…はい」
レイモンの忠告に神妙に頭を下げながら、ヘソを曲げたように口を真一文字に結ぶシリルの姿を、レイモンは面白そうに眺めていた。
連投は此処まで。以後は毎週2話(金・土)更新します。




