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106/110

106:連れ添って来た物達と

「んじゃま、ちょっくら行って来るわ」


 そう答えてハヤテ様が踵を返し、カサンドラ様、フランシーヌ様と共に帝都オストリアへと出立してから、5日が経過したその日。


 私は領都サン=スクレーヌの郊外に広がる共同墓地に、足を運んでいた。




 ***


 針葉樹に囲まれた共同墓地には多くの石碑が整然と並び、故人を安らかな眠りに誘うかのように、小鳥の囀りが聞こえて来る。不幸もなく、安息日でもない昼間の墓地を訪れる人は他に居らず、辺りにはシリルさまとお義父様、そして一人の神官と数人の護衛の騎士だけが立ち並んでいる。


 私の目の前には一基の真新しい墓碑が立っており、その手前は広く掘り返され、木製の棺が納められていた。大きく開け放たれた棺の中は空っぽで、底板に描かれた木目が目に飛び込んで来る。私が棺の前に佇み、木板の曲線を目で追っていると、シリルさまが隣に並び、声を掛けた。


「…リュシー、好いのか?」

「はい…」


 シリルさまの言葉に私は頷き、棺の傍らへと進み出た。膝を折って地面にしゃがみ、胸元に大事に抱えていた銀色の短剣を棺の中へと納めると、静かに立ち上がる。二人の騎士が棺の蓋を閉め、棺に土を被せ始める。土が被さるたびにくぐもった音が聞こえ、次第に棺が土に隠れていく。


 ザッ。ザッ。


「…女神よ、御許に昇る魂にひとときの安らぎを与え、やがて再びこの世に降り立たんことを。願わくは、歓びと幸せに満ちた生を給わらんことを…」


 くぐもった音と神官の祈りが繰り返され、その度に棺が私の視界から少しずつ消えて行く。いつの間にかお義父様が隣に並んだのにも気づかず、私はただひたすら足元から消えて行く棺の姿を瞼の裏に焼き付けた。




 私には、お祖母ちゃんを救う事ができなかった。お祖母ちゃんは不死王(ノーライフキング)との戦いで斃れ、邪龍に体を奪われて35年間アンデッドとして彷徨った挙句、孫娘の手によって一片の欠片も残さずこの世から消し飛ばされた。


 万物を消し去る滅却の光がお祖母ちゃんの魂を救ったかどうか、私には分からない。だから私は、せめてお祖母ちゃんに「終わり」を告げたかった。自分が「終わった」かどうかも分からぬまま邪龍に体を操られ、35年間も彷徨い続けたお祖母ちゃんに、誰かが「終わり」を告げないと、彼女はきっと永遠に浮かばれない。そして、私もお義父様も、区切りをつける事ができない。


 死せる人が「死」を知るために。遺された人が「死」を受け入れ、自分達だけで新しい道へと歩き出すために。亡骸のない葬儀が執り行われる。


「…リュシー」


 やがて棺は完全に私の視界から消え失せ、目の前には、湿り気を帯びた浅黒い土と墓碑だけが残された。シリルさまが私の名を呼び、私とお義父様に花束を手渡す。私とお義父様、そしてシリルさまの三人が交互に地面にしゃがんで浅黒い土に静かに花束を添え、墓碑は三束の花に彩られた。お義父様が花束に向かって、静かに語り始める。


「…ネリー殿。今度、あなたの孫娘と私の息子が、結婚する事になりました。私は、あなたと家族になれる事が、とても嬉しい。ネリー殿、彼女は私が必ず幸せにします。ですから、どうか安心して、安らかにお休み下さい」

「…親父」


 台詞を奪われたシリルさまがジロリと睨み、私は意地の悪い笑みを浮かべるお義父様と顔を見合わせ、思わず頬を綻ばせた。私は笑みを湛えたまま、花束へと振り返る。


「…お祖母ちゃん。今度来る時は、曾孫を連れて来ます。だから、どうか私達の事を見守って下さい」


 大胆な発言に自ずと頬が熱を帯び、春の風が心地良い涼しさを運んで来る。


 私はシリルさまと目を合わせられぬまま墓碑に背を向け、お義父様達と共に墓地を後にした。




 ***


「…やはり、駄目だな。これ以上の改修は無理だ」


 墓参の翌日。


 自身の執務室で片眼鏡(モノクル)を架け、机と睨めっこしていたシリルさまが、独り言のように呟いた。顔を上げたシリルさまは机の上に置かれていた漆黒のチョーカーを手に取り、無色の輝きを放つ大きな魔法石を指で弄びながら、私に目を向ける。


「プロテクトのおかげで崩壊こそ免れているが、元々10個も連携していた時点で無理があったからな。破損個所を修復する事も、新たな機能を付け加える事も出来ん。コイツは諦めろ」

「そうですか…」


 前もって予想されていた事とは言え、シリルさまが出した無情な最終結論に、私は消沈して溜息をつく。


 黒衣の未亡人(ブラック・ウィドウ)の前に倒れて以降、長年私を守ってくれた護身群は、不死王(ノーライフキング)との戦いにおいて大きく損傷した。護身群を形成する10個の装飾品のうち、3個の指輪は嵌めていた右手指諸共邪咆哮(アビス・ブレス)に呑まれて消失し、2個の髪留めと右耳のイヤリングも魔法陣と共に砕け散った。残ったのは、左手首のブレスネット2本が構成する雷氷防御陣二層と、左イヤリングの石柱連装砲一基二門、そして司令塔とも言うべき漆黒のチョーカーの計4個のみ。シリルさまがチョーカーの大きな魔法石を覗き込み、傷の有無を確かめながら言葉を続ける。


「…幸い、この魔法石は転用が効く。これほどの大玉を遊ばせるのは勿体ないからな、バラして新たな護身群の中核に据えれば、良い物ができるだろう。1ヶ月くらい時間をくれるか?そしたら、新しいのを用意するから…」

「…あの、シリルさま…」

「ん?何だ?」


 私はシリルさまの言葉を遮り、此方に向けられた碧氷(アイス・ブルー)の瞳に向かっておずおずと尋ねる。


「ソレ…そのままでもちゃんと動きますか?」

「あ?…ああ、プロテクトはしっかり働いているからな。何も手が加えられないだけで、安定稼働はする」

「だったら、私…そのままが好いです」

「え?…だが相当火力が落ちたし、武装が左に偏ってしまって、バランスが悪いぞ?」

「それでも好いんです」


 懸念を表明するシリルさまに私は頭を振り、思いの丈を口にする。


「…だって、その()…私の『戦友』だから…」




「…そうか…」


 私の言葉を聞いて目を瞬かせていたシリルさまが、再び魔法石に目を向けた。手首を動かして魔法石の輝きを眺めながら呟き、やがてブレスレットや左イヤリングと共に、丁寧に箱へと仕舞う。そして私に箱を差し出しながら、頭を下げた。


「…悪かったな、リュシー。気が利かなくって」

「いえ。願いを聞き入れて下さって、嬉しいです」

「お詫びに、右のイヤリングを贈らせて貰うよ。装飾品(ダミー)になるけど」

「はい。楽しみにしていますね、シリルさま」


 私がシリルさまの手から箱を受け取ると、その手が翻って私へと伸び、後頭部に回される。私は彼の手に誘われるままに首を伸ばし、膝の上に箱を置いたままシリルさまと唇を重ね、繰り返し彼を求めた。




 ***


 サン=スクレーヌにてオーギュストが勝利宣言を行ってから1ヶ月近くが経過した、牛の月の25日。


 帝都オストリアに到着したハヤテは皇帝レオポルドの招聘を受け、カサンドラやフランシーヌと共に皇宮へと訪れていた。


 ハヤテが謁見の間に足を踏み入れると、左右に帝国を代表する重臣達が並び、初めて見る獣王国王太女の姿に、好奇の目を向けている。ハヤテはかつての敵国の人々の間を悠然と進み、壇上の玉座に腰を下ろすレオポルドの前に立つと、体の前に掲げた左掌に右拳を圧し当てる獣王国式の立礼を取った。


「陛下、初めてお目に掛かります。獣王国王太女、ハヤテと申します。以後、お見知り置き願います」

「…余が第16代皇帝、レオポルドだ。ハヤテ殿、遠路はるばる、ようこそ帝都までお越し下さった。三国停戦協定を結んでから20年余。貴国とこうして胸襟を開けた事を、余は歓迎しておるぞ」

「痛み入ります。(それがし)といたしましても、両国の歴史的瞬間に立ち会えた事に、この上ない慶びを覚えております」


 口の端に上った歓迎の言葉とは裏腹に、レオポルドのハヤテを見る目は険しい。ハヤテが顔を上げると、レオポルドは厳しい表情を浮かべたまま、早速棘のある言葉を放った。


「とは言え、ハヤテ殿。獣王国を代表するはずの王太女が他国の一領主の使い走りを請け負うなど、些かご自身のお立場を軽んじておられぬか?」

厭々(いやいや)、幾千幾万年にも渡る苦しみから我らを解放した救世の英雄が、つまらぬ身内の嫉心に頭を悩ましているのを目にしては、座視するわけにもいかず。我ら獣人族にとって、背中を預けるに足る盟友の存在は、何よりも得難きもの。その盟友の援けとあらば、王太女の肩書でさえ、躊躇いなく関札(せきふだ)に使いましょう」


「嫉心」の言葉を聞いたレオポルドの眉間に縦皴が刻まれ、眼光が厳しさを増す。だが、ハヤテはレオポルドの穏やかならぬ心も意に介さず、皇帝が放つ厳しい視線を平然と受け止めた。


「陛下。ラシュレーは、大役を果たしました。最強のアンデッドである不死王(ノーライフキング)を斃し、御伽噺に語り継がれる伝説たる邪龍の魂を滅却させたのです。北の『(あな)』に潜む邪龍はもはや恐怖の権化に非ず、単なる瘴気の塊に過ぎません。この大功を聞き、我ら獣王国は勿論、魔王国も狂喜乱舞して()()()()()を讃え、三国の絆はより強固なものとなるでしょう。

 …陛下。臣下の功績は、君主の功績であります。『手』は、自らの功績を誇りません。その功績は、『手』を動かした『己』に帰結します。時には、降りかかる火の粉を払うために、意図せず反射的に『腕』を振るう事もありましょう。ですが、その反射行為は『己』を(おもんぱか)っての事。『腕』の英断を褒めるべきであり、決して咎めるべきではありません」

「…」


 流水の如く澱みなく連なるハヤテの言葉に、レオポルドは口を挟む事なく押し黙ったまま耳を傾ける。


「君主は、目を違えてはなりません。己の『手』と、己の身に巣食う『蟲』を見誤ってはなりません。己の危急を救った『手』を、己を食い荒らす『蟲』と見なして斬り落とせば、自ら命を縮める事にしかなりません。

 帝国は『龍』を得ました。大陸の(かなめ)とも言うべきラシュレーの地に、獣王国と魔王国、そして帝国の三方に睨みを利かせるかのように鎮座し、大陸に安寧と安定を齎しました。

 …陛下、『龍』は『蟲』ではありません。見誤ってはなりません。もし、『龍』を『蟲』と見なし、斬り落とそうとするならば、その時は『龍』のみならず『獣』と『魔』も牙を剝き、帝国へと襲い掛かるでしょう。

 ですが、陛下が『龍』を己の『手』と認めてその功を讃えれば、即ちその功は陛下のもの。陛下の治世は盤石となり、後世に語り継がれるほどの栄光の時代を迎えるに、違いありません」

「…よくもまぁ、そこまで滑らかに舌が回るものだな、ハヤテ殿。獣人族が手より先に口を出すとは、ついぞ耳にした事がないが」

「『狸』に鍛えられましたもので」


 レオポルドの皮肉に、ハヤテが白々と応じる。レオポルドは諦めたように溜息をつくと、背後で跪く金髪の女性に目を向けた。


「フランシーヌ」

「は、はい」




「――― ()()()()()()()()()()()()()()()()()




「…え?」


 叱責を覚悟していたフランシーヌは、レオポルドが発した賞賛の言葉に、思わず顔を上げる。真意が読めず呆けた顔を浮かべるフランシーヌに、レオポルドが賞賛の言葉を重ねていく。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。リュシーが帝都を護り、更にカサンドラが帝都防衛に駆け付ける。其方の働きによって、臣民にそう思わせながらサン=スクレーヌに戦力を結集する事ができ、最後まで帝都は平穏を保つ事ができた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…も、勿体ない御言葉でございます…」

「カサンドラも、遠くリアンジュの地からサン=スクレーヌに急行し、よく決戦の日に間に合わせてくれた。礼を言う」

「とんでもございません、陛下」


 レオポルドの言葉を聞くうちに真意を察したフランシーヌが恐縮したように頭を下げ、カサンドラも皇帝に話を合わせ、礼を返す。


 今回、フランシーヌはレオポルドを出し抜くため、欺瞞の報を送ってカサンドラを引き抜いた。足がつくような真似はしていないが、フランシーヌ自身がカサンドラに白状しているため、ほとんど意味がない。偽勅の疑いを掛けられ、罪に問われる恐れがあった。


 だが、レオポルドがフランシーヌの欺瞞の報を「己の勅命」と認めたため、フランシーヌの行動は皇帝の指示に基づくものとなり、咎められる恐れがなくなった。当然、サン=スクレーヌに直行したカサンドラの行動も、皇帝の意に沿った適切なものとなる。


 そして、カサンドラがサン=スクレーヌに直行した理由が明らかである以上、単独で不死王(ノーライフキング)と対峙したラシュレー家の行動も皇帝が承認したものとなり、シリルとリュシーの帝都からの出奔を()()()()()()()事にも説明がつく。


 ラシュレー家と三人の聖女の行動に二心はなく、皇帝の命に従って不死王(ノーライフキング)と対峙し、之を撃破した。その事実だけが残る。


「…ハヤテ殿。オストリアまでわざわざ足を運んでいただいたが、貴殿の懸念はどうやら杞憂だったようだ。無駄骨を折らせて、すまなかったな」

「いえ、友人の胸のつかえが取れた事がわかっただけでも、此処まで来た甲斐がありました」

「この後、歓待の宴を用意しておる。帝都の洗練された料理や催しを、存分に楽しまれるが良い」

「お気遣い、ありがとうございます。喜んで参加させていただきます」


 レオポルドの言葉にハヤテはにこやかに応じ、一礼する。そして顔を上げると、ふと思い出したかのように一言付け加えた。


「…あ、最後に。リュシー殿の救世の英雄とも言うべき活躍に、(それがし)もいたく感動しまして。国許に手紙を送りました。父も手紙を読んで大層歓び、きっとリュシー殿の功績に篤く報いろうとするでしょう。百鬼夜行(ハロウィン)の前に亡国の憂き目を見、不死王(ノーライフキング)に国を分断された魔王国は、言わずもがな。どの国が彼の御仁を一番高く評価するか、楽しみでありますな」

「…」

「それでは、一旦失礼します」


 ハヤテの言葉に、一時唇の端を吊り上げていたレオポルドが再び機嫌を損ね、眉間に深い縦皴が刻まれる。ハヤテは猫のような笑みを浮かべると、もう一度一礼し、謁見の間を後にした。

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