105:勝鬨
「…えぇと、あの…あなた、これはどういう…」
帝都への対応方針が決まり、その後、領民に対する戦勝宣言と戦後処理の大枠を話し合った私達は、湯浴みへと向かった。2日間の汚れと戦いの疲れを癒すと、食堂へと足を運び、夕食の席に着く。テーブルの上には次々と料理が並べられ、香ばしい匂いが食欲をそそる。焼き立てのバケットは綺麗にスライスされ、中から白いふっくらとした生地が顔を覗かせる。こんがりと焼き上がったフィレ肉のステーキはまるで円形の砦のように白い皿の中央にそびえ立ち、周囲をボイルされた野菜が色鮮やかに彩っている。ミルクをふんだんに使ったポタージュスープが乳白色の水面を湛え、スライスされたチーズとドライソーセージが池畔を囲う沿道のように列を成し、苺、オレンジ、メロンと言った新鮮な果物が野に咲く花のようにテーブルの上に華を添えていた。
お義父様やカサンドラ様、ハヤテ様達が黙々とナイフとフォークを使い、料理に舌鼓を打つ中、マリアンヌ様はただ一人食器を持つ手を止め、呆然とした表情で向かいに座る私を眺めている。私はマリアンヌ様の視線を気にせず、両手を膝の上に置いたまま背筋を伸ばし、にこにこしながら隣の席を眺めていた。私の前にはポタージュスープの器とスプーンだけが置かれ、隣に座るシリルさまの席には二人分の料理が所狭しと並べられている。
キコキコキコ。プス。
私がにこやかに笑みを浮かべる視線の先で、シリルさまがフィレ肉のステーキにナイフを入れ、綺麗に切り分けた。そして、一切れの肉片をフォークの先に突き刺すと、そのまま隣に座る私へと差し出す。
「ん」
「あーん…」
ぱくり。もぐもぐもぐ。
「…美味いか?」
「はいっ!」
私が口をもぐもぐさせながら満面の笑みを浮かべると、シリルさまは素っ気ない表情で一つ頷き、フィレ肉のステーキに目を戻す。フォークの先に一切れ突き刺し、ご自身の素敵なお口へと運ぶと、優雅に口を動かしながら私に尋ねた。
「…次は?」
「またステーキが食べたいです」
「お前、野菜もちゃんと摂れよ…」
私が腕を上げ、しなやかな手つきでステーキを指差すと、シリルさまは不満を口にしながらもステーキにフォークを突き刺し、私の口へと運んでくれた。私がまるで雛鳥のようにシリルさまから餌を与えられている姿を見て、マリアンヌ様が素知らぬ顔で食事を摂るお義父様に問い掛ける。
「…えっと、あなた。あの子、何で餌付けされているの?」
「気にするな、マリアンヌ。不死王撃破という偉業の代償と思えば、取るに足らない些細な副作用だ」
「へ?」
「リュシーにフォークを持たせると、屋敷が全壊する」
「…」
「あーん…えへへへ、美味しいです、シリルさま」
「そうか。良かったな」
お義父様の説明を聞いたマリアンヌ様は絶句し、テーブルの向かいで人目もはばからずイチャイチャを繰り返す私達を、呆然と眺める。食器を持つ手を止め、呆けたまま動きを止めるマリアンヌ様の姿に、傍らに座るお義父様が笑みを浮かべ、手にしたナイフでご自身のステーキを切り分けた。
キコキコキコ。プス。
「…はい、マリアンヌ」
「…え?」
名前を呼ばれてマリアンヌ様が我に返り、隣に座るお義父様へと視線を転じて硬直した。マリアンヌ様の目の前には、お義父様のすまし顔と、フォークの先に突き刺さったまま宙に浮かぶ、一片のフィレ肉のステーキ。
「…え、えっと、あの…、あなた?」
「はい」
「あ、あの…」
マリアンヌ様は、目の前のフィレ肉のステーキとお義父様の顔を交互に見やり、最後に縋るような目をお義父様へと向ける。マリアンヌ様の心もとない視線を身に受けたお義父様は、目を細め、穏やかな笑みを湛えて言い切った。
「…息子夫婦の仲睦まじい姿を、たまには我々も見習おうではないか。…はい、マリアンヌ」
「…」
お義父様の言葉にマリアンヌ様の顔がみるみる真っ赤になり、救いを求めて忙しなく周囲を見渡した。宙を彷徨うマリアンヌ様の視線に、カサンドラ様やフランシーヌ様は素知らぬ顔で食事を続け、シリルさまは一瞥しただけで再び手元の料理に目を戻す。最後に行き着いた私は、両手を膝の上に置いて口をもぐもぐと動かしながら、満面の笑みを返す。
逃げ場を失ったマリアンヌ様は、もう一度宙に浮かぶステーキ肉を見つめた後、お義父様へと目を向けた。お義父様がフォークを掲げたまま、満面の笑みで頷きを返す。
「…はい、あーん」
「…」
駄目押しとも言える一言に、マリアンヌ様がギュッと目を閉じ、恐る恐る口を開けた。マリアンヌ様の口の中にステーキ肉が吸い込まれ、やがて唇が静かに閉じられる。
…もぐもぐもぐ。
「美味しいかい、マリアンヌ?」
「…」
お義父様の質問を無視し、真っ赤な顔で下を向いたまま咀嚼を繰り返すマリアンヌ様は、46歳とは思えないほど可愛らしかった。
その後、マリアンヌ様は一言も喋らず、食事を終えるとすかさずお義父様の腕を取り、引っ立てるように食堂を出て行った。二人の後姿を眺めていたシリルさまが、ポツリと呟く。
「…今更、弟とか要らねぇぞ…」
食堂を辞した私達はカサンドラ様達と別れ、自室へと戻って就寝の準備をする。着替えを済ませた私がシリルさまの部屋を訪れると、既に室内着に着替えていたシリルさまが振り返って眉を顰めた。
「…お前、何でその服着ているんだ?」
いつものお仕着せのワンピースと白のエプロンに身を包んだ私の姿を見て、シリルさまが苦言を呈する。けれど、私は構わず部屋に足を踏み入れ、胡乱気な表情を浮かべるシリルさまの前に佇むと、にこやかな笑みを浮かべた。
「あら。…だって、この格好が一番お好きでしょう?――― 坊ちゃん」
「え?」
トン。
疑問の声を上げた彼の胸を私が平手で小突き、彼は背後のベッドに倒れ込んだ。私はそのままベッドに膝立ちで上がり込むと、仰向けに寝転がる彼の上に馬乗りになる。襟元に指を差し込んで前留めのボタンを二つ外し、首元に妖しく絡みつく漆黒のチョーカーをひけらかしながら、私の下で寝転んだままの凡庸な少年に向けて、艶のある笑みを湛えた。
「…お帰りなさい。無事に戻って来た坊ちゃんに、ご褒美を差し上げましょうね…」
***
翌々日。
ラシュレー家の屋敷の前に広がる広大な敷地に、大勢の領民達が集まっていた。
前々日から漏れ聞こえて来る勝利の報と敷地に並ぶ大量の酒樽を見て、領民達はそれまで抱えていた不安を捨て、浮ついた気持ちで隣に並ぶ人々と噂話に興じている。
やがて、石造りの壇上にお義父様が姿を現わすと、領民達が一斉に話を止め、壇上へと目を向けた。お義父様は壇下に並ぶ人々を一望すると、朗々と謳い上げるように言い募る。
「…皆、これまで良く私の指示に従い、耐え忍んでくれた。此処に居る者の中には、私の命に従って住み慣れた故郷を離れ、見知らぬ土地に逃れた者も数多く居るだろう。だが、その皆の辛抱の甲斐あり、私は今日、君達に素晴らしい報告を齎す事ができる。
…その前に、私から君達に一つ、訂正しなければならない。
…我々の暮らすラシュレー領に侵攻して来たのは、バシリスクではない。――― 不死王だ」
「えっ!?不死王っ!?」
「あの、帝国の存続を脅かすほどの伝説のアンデッドが…っ!?」
「そんなっ!?」
お義父様の宣言を聞いて、領民達に広がっていた浮ついた空気は一瞬で吹き飛んだ。人々は不安気な表情を浮かべて互いに顔を見合わせ、中には青白い顔を手で覆い、ガタガタと震え出す者も居る。敷地内に瞬く間に広がった不安な空気を、お義父様の一喝が再び吹き飛ばす。
「だがっ!女神様は不死王の前に風前の灯火となった我々を見捨てず、三人の聖女を遣わして下さった!そして、我々は三人の聖女と共に不死王を迎え撃ち、激戦の末ついに討ち滅ぼす事に成功したのだっ!今を去ること35年前、帝国中部へと侵攻した不死王の前に二千もの犠牲を払った我々が、此度は一人の犠牲者も出す事なく、完膚なきまでに叩きのめしたのだっ!私は今、此処に、その慶賀を歓ぶと共に、その功労者でもある三人の聖女を紹介したいと思う!」
「えぇぇっ!?」
「不死王を討ち滅ぼしたって、本当ですかっ!?」
「「「聖女様っ!」」」
お義父様の口から飛び出した勝利宣言に、敷地内を覆う不安が一瞬で歓喜へと塗り替わった。人々が次々と歓呼の声を上げる中、カサンドラ様とフランシーヌ様、そして私の三人が壇上へと進み出る。
「皆の者、我が帝国の誇る三人の聖女を紹介しよう!カサンドラ様は10年以上にも渡り、たった一人で北部戦線を支え続けて来た、帝国の守護者だ!彼女なくして、今日の帝国はあり得ない!そして、フランシーヌ様は6年以上に渡って帝国中を奔走し、死に瀕する人々を救って来た、帝国の救世主である!彼女が居たからこそ、大勢の人々が今日と言う日を無事に迎えられる事ができたのだ!
…そして、つい先日、侵攻を続ける不死王の前に、新しい三人目の聖女が立ちはだかった。
――― リュシー・オランドっ!我がラシュレーの地に降り立った、聖龍様の申し子であるっ!」
「「「わあぁぁぁぁっ!」」」
「聖龍様の申し子だってっ!?」
「リュシー様っ!」
カサンドラ様、フランシーヌ様に続き、煌びやかなドレスに身を包んだ私が紹介されると、壇下に居並ぶ人々の声がひと際大きくなった。その勢いに、私は引き攣った笑みを浮かべながら人々の歓声に答える。お義父様の紹介の声が、私の羞恥心を否応なく掻き立てる。
「彼女は元々当家に仕える騎士だったが、聖なる力に目覚め、新たな聖女に認定された!彼女は伝説の聖龍様を彷彿とさせる強大な力を持って不死王の前に立ちはだかり、カサンドラ様、フランシーヌ様の支援の下で不死王と対等に渡り合い、ついに討ち滅ぼす事に成功したのだっ!もはや我々は、不死王に怯える日を迎える事はない!我々は不死王を斃し、『孔』の底に眠る邪龍の魂を討ち滅ぼして、ついに世界を救ったのだっ!」
「「「わあぁぁぁぁっ!」」」
「「「聖龍様、万歳っ!リュシー様、万歳っ!」」」
私に対する歓声が爆発的に広がり、人々は拳を振り上げ、私の名前を連呼する。あまりの羞恥プレイに思わずその場にしゃがみ込みたくなる私を余所に、お義父様の言葉が続く。
「…この喜ばしい日に、もう一つ、私事ではあるが慶事を伝えたい。本日、我がラシュレー家の嫡男シリルと、リュシーの婚約が成立したっ!」
「「「わあぁぁぁぁっ!」」」
歓声を上げる領民達の前にシリルさまが進み出て、私の肩に手を回してきつく抱き寄せた。シリルさまが人々に笑顔で手を振りながら、小声で私に話しかける。
「…リュシー、皆が俺達の婚約を祝ってくれているんだ。お前も応えてやってくれ」
「はい」
羞恥に顔を赤くしていた私はシリルさまの言葉に顔を上げ、赤い顔のまま壇下の人々に手を振る。私達の手に応じるように、人々の歓声がより大きくなる。
「シリル様、ご婚約おめでとうございますっ!」
「「「シリル様、万歳っ!リュシー様、万歳っ!」」」
「…我がラシュレー家は聖龍様の申し子を新たな家族として迎え、かつてない繁栄を迎えるであろう!皆の者、これは私からの餞別だ!大いに飲み、楽しんでくれたまえっ!」
「「「わあぁぁぁぁっ!」」」
「「「ラシュレー万歳っ!帝国万歳っ!」」」
お義父様の宣言と共に大量の酒樽が開けられ、人々にワインやエールが配られる。人々は飲めや歌えやの大騒ぎとなり、壇上に佇む私達も酒を酌み交わし、歓びに浸る。
羊の月の30日。
ラシュレー公爵領都サン=スクレーヌは、不死王討伐の報と公爵嫡男の婚約発表の前にお祭り騒ぎとなり、街は不夜城のように煌々と燈が灯され、人々は夜遅くまで歓びに湧いていた。




