好きな人の写真を持っていたのがバレたら、大勢の前でプロポーズさせられた
『おにいちゃん、だいすき!』
『ぼくもすきだよ』
『やったぁ! じゃあじゃあじゃあ、おとなになったら、けっこんしてくれる?』
『もちろん』
『わーい!』
小さい頃にはそんな約束をしていた、かわいい妹。
中学校に入った頃、思春期に突入した俺は、恥ずかしさから距離を取り始めてそのままギクシャクしてしまった。
今では家でも顔を合わせず、全く話さないが――
「雅哉おはよー」
登校して授業の準備を済ませた後、自席で過去に思いを馳せていると、隣の席から声がかかる。
振り向くと、学校で唯一まともに話す友達である清次郎が、スクールバッグを肩から下ろしながらこちらに挨拶していた。
「おうおはよう。清次郎にしては早いな」
「高校の三年になったことだし、そろそろ受験に向けてちゃんとしていかなきゃいけないと思ってな」
「いい心がけだ」
成績は中の中で、真面目ではあるが勉強は嫌いという、かなり一般的な男子高校生。
顔は整っていて優しい性格で、ときどき女の子に声をかけられることもあるという。羨ましい限りだ。
そんな彼も、昨日までのゴールデンウィークで何かしら心境の変化があったのだろうか。
以前はホームルーム開始ギリギリに登校してきていたのに、今日は十分ほど早く教室に着いていた。
「そうそう、今日誕生日だよな。十八歳おめでとさん。ほれ、プレゼントだ」
「お、ありがとさん」
清次郎がスクールバッグの中から取り出したのは、黒と黄色のパッケージが特徴的な個包装のチョコレート。
ザクザクとしたクッキーの食感がクセになる、俺のお気に入りのチョコレートだ。
今日は五月八日、俺の誕生日。
ゴールデンウィークの連休前に誕生日プレゼントを催促したのだが、ちゃんと覚えていてくれたらしい。
彼は机の上にチョコレートを無造作に置いてから、授業の準備に戻っていった。
ところで、この学年には三人の「佐藤」がいる。
日本で最も多い名字らしいので、こんなことは日常茶飯事。
小学校でも中学校でも、そして高校になっても、「佐藤」は一学年に数人いる。
一人は俺、佐藤雅哉。
名前に恥じず、顔も成績も性格も特に目立ったところがない、そんなつまらない人間だ。
特に嫌われているわけではないはずだが、かと言って積極的に話すこともないので友達が少ない。
次に、同じクラスにもう一人。
朝っぱらから話しかけてきたあいつ、佐藤清次郎。
名字がかぶると面倒なので別のクラスになることが多いが、この学年は二クラスしかないのでかぶってしまうのは仕方ない。
そして最後に。
「佐藤さんおはよう」
「おはよう!」
「おは~」
「みんなおはよ! 久しぶり!」
ちょうど教室の前を通り過ぎていった彼女、佐藤利夏。
誕生日は四月三日、牡羊座。血液型はAB型。部活や委員会には未所属。
艶のある黒髪をふわりとなびかせながら、スタイルのいい小柄な体を弾ませて、まるで踊っているかのように楽しく歩く。
廊下の窓から差し込む光がスポットライトのように彼女を照らし、一瞬で周りの視線を奪っていく。
友達との会話の中で、その愛くるしい顔立ちに元気いっぱいの笑顔を咲かせれば、ときめかない人なんていない。
そんな彼女は容姿だけではなく、性格も良い。
困っているところを見れば、一も二もなく手を差し伸べるほど優しい。
彼女を慕っている同性も多く、登校するだけで学年問わずいろんな人から声をかけられていて、その人気の高さがうかがえる。
おまけに成績上位で、教師からの覚えもいい。
運動は苦手だが、それすら愛らしさを引き立てる材料にすぎない。
「佐藤さんだ」
「やっぱかわいいなぁ~」
「うおお! 休み明けだけど元気出てきた!」
「あの笑顔で挨拶されたら惚れちゃうよ」
クラスの男子が話している声が聞こえてくる。
「あー付き合いてぇ」
「いや、お前には無理だろ」
「……うん。まぁそうだよな。分かる」
「そうは言ってもよう、万が一があるかもしれないだろ?」
「ないない。諦めろって」
その内容には深く頷かざるをえない。
他の女子には悪いが、利夏は本当に別格の存在なのだ。
自分たちとは住む世界が違う、高嶺の花。
告白して「好きな人がいるから」と玉砕した男子は後を絶たず、特に四月は何も知らない新入生が次々に散っていった。
五月に入ったので多少落ち着くだろうが、まだまだ一縷の望みをかけてアプローチする人はいるだろう。
だがしかし、毎年行われるその光景が俺は嫌いだった。
分不相応なのは重々承知なのだが、俺は彼女が好きだ。
付き合って、将来は結婚して、子どもを一緒に育てていきたいと思うくらいには本気だ。
利夏がくつろいでいるところに突撃して、想いをぶちまけてしまいたいと何度思ったことか。
制服の内ポケットに入っている学生証を取り出す。
裏表紙をめくったところには、去年の修学旅行で撮影された一枚の写真が入っている。
そこに写っているのはもちろん佐藤利夏。
友達数人と楽しく笑い合っている中、黒髪からのぞく横顔が素敵で、この写真を見かけたときは思わず購入してしまった。
好きな女子の写真を肌見離さず携帯しているなんてキモい、って思ったらそう言えばいいさ。
「なーにニヤニヤしてんだよ。……またその写真見てるのか、キモいぞ?」
……やっぱり実際に言われると腹が立つな。
隣の席の清次郎から飛んできた軽口は無視して、授業開始のチャイムが鳴るまでの間、こっそりと利夏の笑顔を堪能した。
◇ ◇ ◇
帰りのホームルームが終わった後、帰宅部の俺はバッグを担いで即帰る。
今日もそのつもりだったのだが。
「あれ、なんか落としたぞー……なんだこれ」
学生証がポケットに入っておらず、気付いたときには遅かった。
運悪く、裏表紙だけ開いた状態で床に落としてしまった。
さらに、拾ったのはクラスの中でも陽キャに位置するイケメン男子。
見たこと思ったことをそのまま、クラス中に響く声で話し始めてしまう。
「えっ! これって佐藤さんの写真?! うわー!」
「おい、ちょっと」
「学生証に入れて持ち歩いてんの? 佐藤2号さぁ、それはちょっとライン越えてるんじゃない?」
「やめ……」
気付けば周りが自分を見ていた。
心配するような視線もあれば、特に女子はドン引きしたような目をしている。
2号呼ばわりに加え、自分の内側の柔らかいところを白日の下に晒されて、恥ずかしさと情けなさで顔がカッと熱くなる。
「佐藤さんのこと好きなん? やめといたほうがいいって、佐藤1号ならともかく。どうせフラれるんだから」
「す、好きで悪いかよ!」
「やっぱそうかぁ! ま、俺が明日コクるつもりだから、早めに諦めときなー」
「う、ぁ……」
利夏が誰かのものになってしまう。
それを考えただけで胸の奥から痛みが迸り、吐き気がする。
突然立っている地面が不安定になってしまったかのように体がフラフラ揺れ、机に手をついて呼吸を整える。
「はぁ……はぁ……」
「とりあえず、これは返すわ。今度は落とすなよ?」
学生証を押し付けられ、イケメン男子が帰ろうと出口の方を向いたとき。
「さ、佐藤さん?!」
「え」
教室の入口に、話題の中心人物である佐藤利夏が立っていた。
どうやら一部始終を見られていたらしい。
クラス内外問わずたくさんの野次馬が見守る中、彼女はずんずんと自分の方に歩いてきて、目の前で立ち止まった。
その表情は前髪に隠れていてはっきりしない。
「ねぇ」
「! は、はい……」
「私の写真、持ってるの?」
「う、うん。修学旅行のやつ。他人の写真を持ってるなんて、キモくてごめんな。嫌だったらどんな仕打ちも受け入れるから……」
「私のこと、そんなに気になるの?」
「ああ、さっきの言葉に嘘はない」
「本当?」
「本当に本当だ」
「――っ! お兄ちゃん!!」
言うが早いか、妹の利夏は両手を広げて胸の中に飛び込んできた。
背中に腕を回して、俺の体をぎゅっと強く抱きしめる。
絹のような滑らかさの黒髪がふわりと舞い、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
「「「お兄ちゃん?!」」」
周りの人々がセリフを復唱していたが、俺はそれどころじゃない。
文字通り目と鼻の先にある利夏の瞳は涙に濡れていた。
「ど、どうした利夏。泣くなよ……」
「だって、だって! お兄ちゃんに嫌われてると思ってたからぁ!」
「変な態度を取ってたことは謝る。だけど嫌いになるなんて、そんなことありえないから、な?」
「うわぁぁぁぁんっ!」
「あわ、あわわわわ」
泣き止ませようとしたのに、余計に泣いてしまった。
言葉ではどうすることもできず、幼い頃よくしていたように、小さな頭を撫でる。
久しぶりでぎこちないものだったが、安心したのか泣き声が少しずつ落ち着いてきた。
「子供の頃は恥ずかしくて、素直になれなくてごめんな」
「本当よ、もうっ! お兄ちゃんのバカ……」
つんと怒った顔でこちらを見上げてくる、そんな仕草も愛おしく、顔がほころぶのを抑えられない。
先ほどの言葉を聞かれていたのなら、俺の想いは利夏にバレているだろう。
切り出したのは利夏からだった。
「ねぇ。小さい頃の約束、覚えてる?」
「約束って、あれ?」
「そう。私は本気だよ。昔も、今も」
「俺としては願ってもないが……」
「じゃあもう一回。ちゃんと言って?」
利夏は抱きしめていた腕を緩めて体を離すと、俺の頬を両手で挟み込む。
涙だけではない、期待にキラキラ光る瞳を見つめる。
覚悟を決めて、幼い頃から長年秘めていた想いを本人に伝える。
「利夏が好きだ。愛してる。結婚してほしい」
「私もお兄ちゃんを愛してます。不束者ですがよろしくお願いしますっ!」
満面の笑みが近づいてきて、唇に一瞬、柔らかい感触。
キスをされたのだと気付いた瞬間、周囲が爆発した。
「「「きゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」」」
「「佐藤さんんんんんんんんん!!!!!」」
「「「うわああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」」」
「「利夏おめでとう!!!」」
「お前ええええええええええ!!!」
歓声、悲鳴、怨嗟、罵声などが入り混じって、辺りはしっちゃかめっちゃか。
学校全体が揺れるほどの大音量が響き渡る。
混沌の中、利夏は俺に向かって手を差し伸べる。
「えへへ! まずはパパとママに報告しに行こっ?」
「ぶん殴られないかな……」
「二人にはずいぶん前――義理の兄妹だってわかった頃から話してるから大丈夫だよ」
「ん、それなら一安心だ」
「家に行って、役所に行って、それから指輪も見に行きたいね!」
「ああ!」
手を繋いで走り出す。言うならば愛の逃避行だ。
廊下に出て、なぜか清次郎が親指を立ててこっちを見ているのを尻目に、未だ混乱の渦中にある生徒の間を駆け抜ける。
階段を下り、昇降口から外に出る。
相変わらず窓から降り注ぐ怒号を浴びながら、俺たちの家に向かって走った。
愛する義妹の利夏と、並んで一緒に笑いながら。
その後は怒涛のように時間が過ぎていった。
自宅で待ち構えていた両親に婚姻届を渡され記入、制服のまま役所に行って提出。
晴れて俺たちは夫婦となった。
バイトをして多少の貯金はあったが、学生の稼ぎなんてたかが知れているので、利夏には申し訳ないが安物の指輪を贈りあった。
本物の結婚指輪は、社会に出て働き始めたら真っ先に買うつもりだ。
すべての用事を済ませて家に帰ると、俺たちは空白の時間を埋めるように愛し合った。
玄関の扉が閉まった瞬間、ぎゅっと抱きしめて濃厚なキスを交わす。
お互いの体に触れながら、これまでのことと、これからのこと、そして愛を語り合う。
一晩中話題は尽きなかった。
「「いってきます」」
翌朝、おそろいの指輪を左手の薬指にはめて、同じ時間に家を出る。
揃ってこのドアをくぐるのは何年ぶりだろうか。
昨日までは一人が当たり前だったが、これからは二人で並んで歩くのが当たり前になるのだ。
「昨日はみんなに何も言わずに帰っちゃったから、学校に行ったら大変なことになっちゃいそうだね」
「うっ、今から胃が痛い……」
「あはは! がんばってね、あなた?」
写真越しに見つめていた横顔が、今は自分を見て微笑んでいる。
この笑顔のためなら、たとえどんな困難でも乗り越えていけそうだ。
利夏と腕を絡めて、眩しい朝日に向かって歩いていく。
これから先は、ずっと一緒だ。
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