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二話。

 


 母が大切な物を収納しておくスペースの一番手前に、まだ箱に入ったままの訪問着があった。

 当然一緒に揃えてプレゼントしたのだろう、小物一式が入った幾つかの箱を手にした俺は急ぎ部屋に戻る。


「母さん!」


 部屋の中へ入った途端に声を上げてしまった。

 母がはらはらはらはらと美しい涙を流していたのだ。


「誰が母さんを泣かせたんですか? 屑ですか? 屑ですね? 俺がいっちょしばいて!」


「違います! 宗一郎様のお声がしたので……」


「じいちゃんの? あぁ、ラジオからですか」


「ええ。私を慮ってくださって。すまないと、頑張れと、おっしゃってくださったの。私に謝ることなど何一つないというのに。宗一郎様はお優しい方だから……」


 新たな涙が溢れて零れる。

 泣く母は美しかった。


『泣かせるつもりはなかったんじゃがのぅ……』


 途方に暮れたじいちゃんの声がする。

 だが母が反応しないところをみると、今の呟きは聞こえていないらしい。

 何らかの法則性でもあるのだろうか?


 まぁ、よくよく考えてみればラジオは基本的に一方通行だ。

 電話ではない。

 会話は本来不可能なはず。

 じいちゃんなら、何でもありかな? という無敵の信頼があるから、あり得ない事態もすんなりと受け入れてしまえるだけで。


 あとはあれだ。

 所謂由緒正しい家にはいろいろとある。

 特に我が臥龍がりゅう家は、呪術に強い家系なので、幼い頃から不可思議な現象には事欠かない。

 だから、死んだ人とラジオを通して会話ができるくらいならば、抵抗もなく受け入れられるのだ。

 ……相手がじいちゃんじゃなければ、ごめんだけどな?

 洒落にならん事態に巻き込まれる気しかしねーからさ。


「ふふふ。こんなに泣いてばかりでは宗一郎様を困らせてしまいますわね?」


「だね。嬉し涙でも困っちゃうからなぁ、じっちゃん」


『そ、そんなことはないぞ? ほれ、廉。早く着付けねばならんぞ。屑が動き出しておる。親族の前で妄想を語り出す前に、手配を整えねばなるまい』


 さすがはじいちゃん。

 屑の動きを掌握しているようだ。

 俺ではまだその領域に到達できない。

 当主を継げばできるようになるかなぁ……。


「さ。じっちゃんの言葉は最優先だ。あと少し頑張れるよな、母さん」


「ええ、勿論よ」


 涙で潤んだ瞳で淡く微笑まれる。

 こんなにも美しい母を、あの屑はどうして邪険にできるのだろう。

 じいちゃんが決めた政略結婚だったのを嫌った結果にしても酷すぎる。


「廉?」


「ん? 帯、苦しかった?」


「いいえ、大丈夫よ。ただ、貴男が何か思い悩んでいるようでしたから……」


「ああ、気にしないでくれよ。あの屑がどんな末路を迎えるのかって、考えていただけだからさ」


「……そうですわね。宗一郎様が申されていた通りの、因果応報、自業自得の末路を迎えてくださると、信じておりますわ」


 透き通った瞳に、仄暗い闇が宿る。

 その闇もまた美しいと感じてしまう俺に、果たして恋人などできるだろうか。

 マザコンの自覚はあるし、同性愛の嗜好はない。

 政略結婚はごめんだが、真っ当な恋愛ができるとは思えなかった。

 ……結婚に憧れが全くないとは言わないけれど。

 

「さぁ、先生方をお待たせするわけにもまいりませんわ。行きましょう、廉」


「はい。母さん」


 桜を模した煌めく帯留めを見つめながら、俺は母の手を恭しく取った。



 小鳥遊たかなし事務所は車で三十分ほど。

 一番腕がいい運転手の正夫さんは、母が喜ぶ話題を知っているので便乗する。

 車の中では時々、母の笑い声が聞こえた。

 三人の娘持ちで培った経験は半端ないな! と感心しているうちに事務所へと到着する。

 エスコートをしようと腰を上げれば、既に事務所前で待ち構えていたたかし先生が、母の手を取っていた。

 悔しいが仕方ない。

 尊先生は母が大好きなのだ。

 高身長でイケメン。

 物腰は常にやわらかく、先生に惚れる依頼主は少なくなかった。

 けれど、尊先生は一度たりとも彼女らに靡いた過去はない。

 老舗弁護士事務所の敏腕弁護士が独身の理由を知る者は多くはないのだ。


 だが、知っている者は知っている。

 俺もその一人。

 母を任せてもいいかな? と思える筆頭が尊先生だ。

 初恋を拗らせているよなぁ? と苦み潰した顔をしてしまうくらいに、母への態度は度を超しているけれど。

 でもやっぱり母を愛しているんだなぁと、強く伝わってしまうので、困った態度も否定はできない。

 何より母が尊先生の甘やかしを受け入れているからだ。

 異様なほど屑に虐げられてきた母は、異常なほどの溺愛も同じ寛容さで受け止めることができている。

 割れ鍋にとじ蓋じゃのぅ……と朔太郎先生は呆れているけれど、俺は母が幸せであればそれで良かった。


 事務所の奥にゆったりとしつらえられた、プライベートルームへ案内される。

 久しぶりに会う二人は相変わらず元気そうだ。

 特に尊先生の笑顔は眩しかった。


「うむうむ。志桜里さんは今日もべっぴんじゃ。廉もいい顔をしとる。今日は屑の話でよいかのぅ?」


 お茶の準備は尊先生がしてくれる。

 母の好むお茶を淹れさせたら先生の右に出る者はたぶんいない。

 俺でも負ける。


「志桜里さんには桜の練り切りと干菓子を用意したんだよ。どちらも好きだよね?」


「ええ、尊先生。ありがとうございます」


「廉には、スライム饅頭な」


「水饅頭もしくは葛饅頭って言えよ! ってかーでけぇなぁ、おい」


「桜花庵の前店主がお前用に作ったんだってよ。お前ってば本当に、じじい受けがいいよなぁ」


「じじいって言うな! 失礼だぞ! 尊先生じゃなくて、たかじいって呼んでやろうか? ああん?」


 桜花庵の前店主には昔から可愛がってもらっている。

 俺は和菓子を食べるときの作法と表情が満点なんだそうだ。

 作法が完璧な人は多くいるけど、表情が満点な人は少ないらしい。

 

「全く、うぬらは兄弟のようじゃのぅ。志桜里さんが呆れておるぞ」


「いいえ。廉の年相応の態度は好ましいものですわ、先生」


「そうかのぅ。志桜里さんがそう言われるのならば、これ以上は何も言うまいて。さて、当事務所作成の資料は読まれたのかな?」


「はい。完読いたしましたわ」


「興信所からの資料は」


「そちらも完読しております」


「うむ、上々。なれば今宵、終わらせてしまいましょうなぁ……」


 朔太郎先生が笑う。

 くっしゃくしゃの皺だらけの笑顔だが、血の気が引くほどに悍ましい。

 

「親父、顔!」


「おぉ。年甲斐もなくはしゃいでしまったのぅ」


「ふふふ。朔太郎先生が出てくださるならば、私、安心ですわ」


 顔の前でぽんと手を合わせて微笑むあざとい仕草。

 母以外の女性がやったら、男に媚びる演技はうぜぇよ、と唾棄してしまいかねない自分は我ながら拗らせている。


「俺も行きますよ?」


「ふむ。無論じゃ。徹底してやるのに、お前の存在は不可欠よ」


「よろしくお願いいたしますね、尊先生」


 屑の犯罪と不貞で、次期当主の権利を永遠に失わせて離婚。

 屋敷からの放逐と財産の放棄に慰謝料請求。

 ごねたらさくっと警察召喚。

 や、ごねなくても後日召喚かな?


 で、母と尊先生の婚約発表までいくつもりだろう。

 っていうか、尊先生、ちゃんと母の承諾を取っているのだろうか。

 取っていなくても、その場で言いくるめられるとは思うけど、母を不必要に悩ませないでほしい。


「朔太郎先生、ちょっと二人で話がしたいんだけど」


「おぉ、わしもそう思っておったのじゃよ。志桜里さん、尊と二人にしてしまうがいいかのぅ」


「ええ、尊先生とであれば何の問題もございませんわ。楽しい時間を過ごさせていただきます」


 うーん。

 何が起こっても問題ないと思っているのか、何も起きようがないと思っているのか、ちょっと判断しかねる。

 尊先生が母を取り返しがつかないレベルで傷つけることは、ちょっと考えられないから問題はないんだろうけれど。

 マザコンとしてはいろいろと複雑だ。


 尊先生が満面の笑みを浮かべて母をエスコートする。

 母は俺の頭を一撫ぜして、部屋を去って行った。


「……廉よ。マザコンも大概にするのじゃぞ? そんな状態で、伴侶を迎えられるのか?」


「余計なお世話だぜ! 俺は母さんを母として大切に思っている。それ以外でもそれ以上でもねぇよ! 尊先生が一番母さんを幸せにしてくれる相手だってのはわかってるし、邪魔はしねぇ。尊先生との子供でもできれば、俺だって落ち着くさ」


「本当かのぅ?」


「本当だよ! 気になるんならじいちゃんに聞いてみろよ!」


 朔太郎先生の目がすっと細められる。

 

「……おぬしも聞こえるのか」


「うん。先生もだろ? 鉱石ラジオをもらった人たちは皆聞けるんじゃないかな。あと、会話もできる。ただ近しい者だからといって、やり取りができるわけじゃないっぽいぜ。母さんは一方的に声が聞こえただけだったし、じいちゃんの独り言っぽい言葉は聞こえてなかったからよ」


「わしだけではなかったのか……」


「落ち込むなよ。じいちゃんが俺に甘いのはわかってんだろ」


「わかってはいるが、複雑なのじゃよ」


 やれやれと肩を竦めてみせる朔太郎先生もまた、じいちゃんが大好きだ。

 幼馴染みってやつらしい。

 ばあちゃんとも仲が良かった。

 仕事で恨まれたときに命を救ってもらった恩なんかもあって、親友であると同時に、恩人でもあると本人から聞いている。


 俺はポケットに突っ込んでいた鉱石ラジオを取り出す。

 朔太郎先生も内ポケットから取り出した。

 お互いイヤホンをする。


『この調子なら、志桜里さんは尊君が幸せにしてくれそうじゃのぅ。尊君のとろけそうな顔と来た日には胸焼けがしそうじゃわい』


「……ここにいるのか? 宗一郎」


『いや。おらんよ。ただ、見えておるだけじゃ。おぬしらも、別室にいる二人も、道を踏み外してしまった我が息子も……』


「最初から最後まで、化け物じゃったのぅ、正悟しょうごは」


 正しく悟れるようにと名付けられた屑は、正しさとは真逆の悟りを開いてしまった。

 じいちゃんが亡くなってまだ七日だというのに、脅迫、強要、詐欺、横領、名誉毀損、文書毀棄罪を犯している。

 証拠はがっつりと掴んでいるので、これだけでも十分に起訴できるだろう。

 過去の犯罪まで明らかにすれば、刑務所から一生出てこれないはずだ。

 個人的には死刑でいいんじゃね? と思うけれど、実際は難しい。

 

「死刑にはならないんだよね?」


「無理じゃな。ただ……正悟の犯罪が表沙汰になれば、法に裁かれる前に、被害者の報復にあうじゃろうよ」


『虎視眈々と狙っている者は多いのぅ。最終的にはさて、誰が己の手を汚して報復するのか』


清之助せいのすけ綜次郎そうじろう良信よしのぶあたりが頑張りそうじゃな。三人が共闘すれば文句も出なそうじゃ」


 清之助さんは警察のお偉いさん。

 綜次郎さんは脳外科医の権威。  

 良信さんは武闘派暴力団の組長。


 三人とも鉱石ラジオを形見分けに持っていった人たちだ。

 俺と同じように死んだじいちゃんと会話をしているのだろう。


 法に裁かれて、刑務所に入ったところで、無駄に頭の回る屑だ。

 案外と快適に過ごすのかもしれない。

 だとするならば、法の届かない場所で。

 永遠の苦しみを与えられることこそが、正しいようにも思う。


『三人も夜の法要には参加する。話の流れ次第では奴らにアレを委ねるのもありじゃろうて』


 臥龍家の初七日法要は、昼の部と夜の部に分かれている。

 夜の部では遺言状の公開をし、次期当主の指名、財産分与なども行われるのだ。

 しかも参加するのは親族だけでなく、故人が指名した他人も参加する。


 そんな場で、屑は終焉を迎えるのだ。

 今からどんな表情をするのか楽しみで武者震いすら起きる俺はきっと、屑の息子に相応しい無慈悲な人間なのかもしれない。

   

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