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一話。


 

 じいちゃんが死んで一週間が経つ。

 最近では、葬式と初七日の法要を一緒に行うのが大半だそうだが、こんなときだけは我儘をいう父親という名の屑が、お寺さんに無理強いをしたらしい。

 お金を使うばかりの派手な法要が行われた。

 じいちゃんのために行われる法要ならいい。

 むしろ歓迎する。

 でも屑の見栄でしかないのが、ひたすら腹立たしかった。


 豪奢な祭壇にじいちゃんの遺影が飾られている。

 病院へ入る前、俺が縁側で撮った奴だ。

 じいちゃんは俺が大好きな、仕方ねぇなぁ、れんは、って。

 俺の突拍子もない言動を許してくれる微苦笑を浮かべている。

 屑に振り回されて消耗する母に対して、何をしてあげられるのかわからなくて、荒れていた俺を、じいちゃんは何時だって遺影と同じ笑顔で許容してくれた。


 できないことなんて、ないんじゃね? と常日頃から思っていたじいちゃん指導の下。

 あと少しで母を助けられる手配が整うはずだったのに。

 じいちゃんは逝ってしまった。

 屑が何かしでかさなきゃ、じいちゃんはもっと生きたはず。

 だが俺の力ではじいちゃん殺害の証拠すら見つけられない。


「っ!」


 血が滲むほどに爪を噛んでしまい、深く溜め息を吐いたそのとき。


 声が、した。


「え?」


 じいちゃんの声だ。


「幻聴……じゃねぇな?」


 俺は声のする方向を探る。

 苛つきを露わにする俺に話しかけてくる親族はいない。

 どすどすと何かを探し求めてうろうろする俺を、さくっと無視するだけだ。


「これか……」


 声の元は俺の部屋にあった。

 じいちゃんと母以外は足を踏み入れない安全地帯。

 黒いネクタイを軽く緩めて、音の発信源をテーブルの上へ置いて、あぐらを掻く。


 じいちゃんの声は、じいちゃんが残してくれた遺品の一つ。

 鉱石ラジオから聞こえてくるようだった。


 入院してから、懐かしくてつい作っちまったよ! と言われて返したのは。

 どんだけ退屈だったんですか? だった。

 だって一ダースも作ってたんだぜ?

 何を考えてるんだろう? って奴だ。

 他にやることあんだろってさ。


 結局死の際までじいちゃんの近くにあった品物ってことで、仲が良かった人たちに分配されたんだけどな。

 俺も一個もらった。

 じいちゃんのお棺にも一個入れた。

 葬儀場の人と、屑にいろいろ言われたけど、押し通した。

 葬儀場の人には頭を下げて、万が一の場合は全ての保証をする旨を申し出て。

 屑は渾身のアッパーで昏倒させて。

 

 金属が残るって言われてたんだけど、綺麗に焼けてた。

 葬儀場の人も、これなら問題ありませんが、不思議ですって首を傾げていたっけ。


「えーと?」


 鉱石ラジオを再度持ち上げて耳に手をあてる。

 ざざざざっという、雑音に紛れてじいちゃんが俺を呼ぶ声が、切れ切れに聞こえた。


 そもそも鉱石ラジオは性能が良い物でも、よほど電波が良くなければ音は聞こえない。

 というか。

 イヤホンをしなければ聞こえないはずなのだ。


 しかし耳に当てている鉱石ラジオからは、やはり声が聞こえる。


「ってーと?」


 イヤホンをつけて、自分の部屋の中で、一番電波を拾いやすい場所へと移動した。

 窓際だ。

 ここからなら遠目だけど、じいちゃんの遺影も見える。


『れーん。じいちゃんだぞー。きこえるかー? おーい! おーい!』

  

 はっきりと聞こえた。


「聞こえてるぞ。何か用があるのか? っつーか実は生きてたんかよ?」


 二度と聞けると思わなかった大好きな声。

 目から涙が滲むのを、喪服の袖で拭う。


『おお! 良かった。聞こえたか。さすがわしじゃな!』


「ってーか、なんで会話できんの?


『そりゃ、お前。生前の行いじゃよ!』


 ふおっふおっふおと笑ったじいちゃんの、生前という言葉が胃を重くする。


『馬鹿息子は相変わらずか?』


「じいちゃんストッパーがあって、あれだぜ? 今はこの世の春を謳歌してる。ほんと、胸くそ悪りぃ!」


『はぁ。わしという存在がいなくなればあるいは、真っ当になるかと考えたんじゃがのぅ……残念無念』


「ばあちゃんもできた人だったしなぁ。どうしたらあんな屑ができあがるんだろうな?」


 じいちゃんが多忙で、ばあちゃんが病弱で、幼少期にあまり両親に構ってもらえなかったってーのは、可愛そうだと思ったが、それだけだ。

 話を聞くと物心がついたであろう頃から、悪い方悪い方の選択肢を取り続けてきた末路が、屑の極みだった感じ。

 自業自得としか言えねーわな。

 父としても、夫としても、人間としても駄目なんだから、しみじみどうしようもない。


『……ばあさんに言われたんじゃよ。可愛い可愛い一人息子だけれど。私たちが決めた最後の選択を誤ってしまったときには、引導を渡しましょう、とな』


「最後の選択?」


『うむ。わしを殺すか、否かじゃな』


「っ!」


『さすがにばあさんには手をかけなかったが、ばあさんがわし同様に長生きをしていたら手を出していたんじゃろうな……』


「じいちゃん……」


 ならばきっと。

 屑はじいちゃんに手をかけたのだ。

 入院して、ボケたふりをして、着々と粛清の準備を進めていたのにも、もしかしたら気がついていたのかもしれない。


『本当はぎりぎりのところで回避して、貴様のためになぞ死んではやらん! とやるはずじゃったんだがなぁ。年を考えないといかんかったのう……』


「でもまぁ、ほら! こうやって、会話ができるだけですげーよ! さすがは俺の尊敬するじいちゃん!」


『おうよ! で、じゃ。時間は限られておる。まずは志桜里しおりさんに渡してもらいたいものがあるんじゃよ』


「母さんに?」


『うむ。秘密の小部屋にある桜色の箱を渡しておくれ』


 じいちゃんの部屋は屋敷の中に幾つかあるが、秘密の小部屋は俺しか知らないし、入れない。

 この屋敷には当主しか知らない、入れない部屋が幾つもあるのだ。

 それを把握していない時点で、屑は当主になれないのだけれど、その事実すら屑は知らなかった。


 鉱石ラジオに向かってひらりと手を振って部屋を後にする。

 念の為に鍵をかけるのは忘れない。

 屑以外にも俺がじいちゃんから生前に譲り受けているあれこれを、詮索する輩は少なくないからな。

 

 すたすたと歩いて、俺の名前を呼び捨てる声なんぞはまるっと無視をして、秘密の小部屋へと足を踏み入れる。


 木目の美しい机の上に、桜色の小箱は鎮座していた。

 触れると桜の花びらが一枚、ひらりと舞い落ちたような気がしたのは錯覚だったのだろうか。


 小箱を手にしたまま母を捜す。

 人には聞かない。

 余計な話をされるのを避けるためだ。

 それに人に聞かなくとも母の居場所などすぐにわかる。


「母さん」


 美しい正座姿のままじいちゃんの遺影を見つめていた虚ろな眼差しが、ゆっくりと俺に向けられる。


「……どうかしましたか、廉」


「じいちゃんから、母さんへの遺品が見つかったんだ。これ……」


「まぁ……私に?」


 震える手で桜色の小箱を受け取った母の、蒼白だった顔色に、ほんの僅かだけれど赤みがさす。

 桜の淡い桃色が移ったかのようだ。


「ここで開けるのは心配だから、俺の部屋へ来いよ」


「……いいんですか?」


「ああ、じいちゃんがいない今、母さんの安全圏は少ないからな」


「ありがとうございます、廉」


 他人行儀に話をする母だが、俺に対する愛情は人一倍だ。

 もしかしたら俺は母に愛されていないのかもしれないと思い悩んだときもあったが、じいちゃんが丁寧に諭してくれたお蔭で、母が俺を大切に慈しんでくれていると理解できた。

 

 冷えきった母の手首をしっかりと握り、足元の覚束ない母を気遣いながら自室へと移動する。

 すれ違う奴ら全員が、目ん玉をひんむいていたのには内心で大笑いしておいた。

 母は俺を嫌いで、俺も母が嫌いだと信じ込ませていたからな。


 新しい座布団を出してきて、母を座らせる。

 桜色の座布団は儚げな雰囲気を纏う母によく似合っていた。

 満足げに頷いた俺は、母のためにほうじ茶を淹れる。

 じいちゃんが大好きだったお茶だ。

 

「美味しいわ、廉。宗一郎様が淹れてくださったほうじ茶に負けていないなんて、すばらしいわね」


 一口ほうじ茶を飲んだ母が、滅多に見ない満足げな表情を見せてくれる。

 今の俺はさぞかしみっともないドヤ顔をしているだろう。

 二人きり、もしくはじいちゃんと三人のときだけ、他人行儀ではなくなる口調もまた、嬉しい。


「まだまだじいちゃんには及ばねぇがな。今後も精進していくぜ。さ。小箱の中身を見てみろよ」


「……ええ、そうね」


 宝箱を開ける慎重な手つきで、母は小箱を開けた。

 中には、桜色の封筒、預金通帳が数冊、興信所の名前が入った封筒、弁護士事務所の名前が入った封筒が納められている。

 母は僅かの時間だけ迷ってから、桜色の封筒を開いた。

 封緘を割らずに外した母は、しみじみ器用だと思う。

 外した封緘も丁寧に避けているのでとっておくようだ。

 じいちゃんを尊敬している母は、じいちゃんがくれたもので保管可能な物は全て保管している。


「宗一郎様……」


 じいちゃんの名前を呼ぶ母の瞳からは涙が零れ落ちた。

 美しい真珠のような涙だ。

 母の美しさは誰もが納得するものだが、それを差し置いても大概マザコンの自覚はある。

 虐げられてきた母を上手に守れなかったから余計に、母を大切にしなければという意識が強いのだ。


「……じいちゃん。なんだって?」


「離婚、しなさいって。証拠も揃ってるし、離婚後の生活費用も、貴男の未来も心配はいらないから、離婚してほしいって。遅くなって、すまない……なんて。宗一郎様のおかげで私は今まで無事でいられたのに、謝られる何ものもないというのに……なんて、お優しい方なのかしら……」


 胸に手紙を掻き抱き、目を閉じた母はこみ上げてくる激情を堪えようと唇を噛み締めている。

 母は何時だって声を殺して泣き続けてきた。

声を漏らすのは何時だってじいちゃんの前でだけだった。


「れ、れん……?」


 母が泣きながら俺を呼ぶ。

 

「うん」


 涙で濡れた瞳もまた、美しい。

 俺は眦から伝った涙を指先でそっと拭う。


「離婚、してもいいかしら?」


「是非してほしい。準備は万端だからさ。今まで俺のために我慢させてごめんな?」


「貴男だって謝ることはないのよ! 私が、ふがいなかっただけですもの……」


「そんなわけねーから。何もかもあの屑が悪いだけだ」


「……私では、あの人を、満足させられなかったわ……」


「ちげーって。あの屑は誰が相手でも満足できねーんだよ。正真正銘の屑だかんな!」


 小箱に入っていた中身で、俺が内容を知らないのは桜色の封筒だけ。

 あとは全部知っている。

 通帳に幾ら入っているか、弁護士がどんな手配をしているか、馬鹿すぎる屑が仕出かしたあれこれが書かれている興信所の、書類の詳細をも。


「害虫はさくっと退治して、俺たちはこの屋敷でのんびりと過ごそうぜ」


「……いいのかしら?」


「いいに決まってるって。それとも母さんは、この屋敷にいるの、嫌か?」


 屑との嫌な思い出が多いだろう、この屋敷。

 母が嫌だというのなら、引っ越すのも吝かではないのだけれど。


「いいえ。このお屋敷には宗一郎様との思い出がたくさんあるもの。許されるのならこのお屋敷が終の棲家でありたいわ……」


 うん。

 母ならそう言うと思ってた。

 母のじいちゃんへの思いは強い。

 恋情ではない分、根深い感情を、俺は肯定する。


「んじゃ。さくさく動くとしよーぜ? 朔太郎先生もやる気に満ち溢れてるみてーだしなぁ……」


「あら? 小鳥遊事務所は、今、尊さんが所長じゃなかったかしら?」


「この件に関しては、朔太郎先生が引き受けたんだってさ。じいちゃんに直接頼まれたらしいぜ?」


 息子である尊先生も優秀だが、朔太郎先生は規格外だ。

 弁護士になって七十年間負け知らずとか、誰も破れねー記録だろうよ。

 

「それなら朔太郎様が重い腰を上げられるのもわかりますね。では、準備しましょう。着付けはお願いしても大丈夫かしら?」


「ああ、喜んで。じいちゃんが最後に仕立ててくれた桜の訪問着でいいか?」


「ええ、それでお願いします。私は桜花庵さんに電話して、手土産を手配するわ。お好みの和菓子は変わっていなくて?」


「ん。朔太郎先生がきんつばで、尊先生がどら焼きな」


「……このまま貴男のお部屋にいてもいいかしら?」


「勿論だよ! じゃ、俺は一式持ってくるからな! 他の封書とかも目を通しておくといいんじゃないか?」


 そう言い残して、俺も大概にやけすぎだよなぁ……と一人恥ずかしがりながら、母の部屋へと急ぐ。

 母の部屋も幾つかあったが、着物が収納されている部屋は、基本母以外の出入りは禁止されている。

 屑は当然、絶対入れない。


「わっふ!」


 母の部屋の前に鎮座している豆柴の頭を軽く撫ぜて、番犬を労った俺は、久しぶりに仄かに白檀の香りが漂う部屋の中へと足を踏み入れた。

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