n通目
親愛なるヤヌクルギスお兄様
この暮らしが続いているからなのでしょうか。最近はそちらの様子が、随分と遠くにあるように感じられます。
きっかけは、先日カイシャの中で、私と同じ年にニュウシャした『ハヤカワ=チサト』嬢と、幼少の話になったことに端を発します。
以前であれば、ガドゥルンドで過ごした頃の記憶が真っ先に浮かんだのですが、その日は『カドノ=アン』の記憶しか思い浮かびませんでした。
思い出せないのは、幼少の何気ない事だけではありません。
魔法の詠唱も、私が討伐隊に参加した竜の棲む山の名も、ガドゥルンドが保有している鉱山に働く鉱夫たちの顔も、おぼろげにしか思い出せないのです。
反対に『カドノ=アン』の記憶は、どんどん鮮明になっていきます。
記憶を引っ張り出すことなく、ふと思い出すのです。
大海原の水の匂い、空飛ぶ箱の窓から見ゆる街や山々、学び舎で机に座っている際の倦怠感、これまで名も知らなかった友の名や表情。
それらが私の暮らしていたあの日々よりも、強い思い出として私の胸の内に開いていくのです。
もしこのまま、私の生まれて今日までが蔑ろにされたなら、私はどうなってしまうのでしょう。
この頃は、ふと邪な事を思う時もあるのです。
もしガドルゥンドが『カドノ=アン』の見ている夢だったら。
彼女がいつか目にした、物語の中の話だったら。
このまま忘れてしまったら、私はどうなってしまうのでしょう。
嗚呼、せめて、私が私であるうちに、そちらへ帰りたい。
お兄様