疑わしい令嬢 2
『ヒロイン病』―――――それは、突然の男爵令嬢の登場により始まる。
貴族の学園に転入し、王子、公爵、侯爵令息達(たまに伯爵令息も)に、貴族社会の常識をぶっ飛ばし、とんでもないアタックを繰り返し(タックルではなく、恋のアプローチ。相手に婚約者、恋人がいてもお構いなし)自分が好意を寄せる相手と結婚するという目標を達成すべく、無茶苦茶な事をする病である。
『ヒロイン病』の名前の由来は、この病に侵された少女達が自分の事を『ヒロイン』と口にする事から名付けられた。
『ヒロイン病』の共通点は突然現れる男爵令嬢(今のところ男爵以外の令嬢が発病した例は報告されていない。また、令息の発病者も確認されていない)爵位を無視しての突拍子もない行動をする。『私はヒロインなんだから』『ヒロインなのに』と口にする。話が通じない、又は聞かない。貴族とは何かを理解していない。思い込みが激しい。意味の分からない単語を時々口にする。
そして容姿がそこそこ、もしくはかなり可愛い。よく人前で泣く。令嬢に嫌がらせをする。令息にボディタッチが多い。
タイプA
狙った相手と結婚したがる、もしくは婚約破棄を迫り、後釜に自分が収まろうとする。
タイプB
『全ての令息が自分に夢中である』という激しい思い込みを持ち、自分のお気に入りの複数の男性を囲っておきたがる。
この病の最初の患者は隣国の男爵令嬢で、この少女はある日突然、男爵令嬢として現れた。
その男爵令嬢は公爵令息に目を付け、小細工を弄して公爵令息の婚約者に嫌がらせを繰り返し、公爵令息にはストーカー行為を繰り返した。周りの人間がどんなに諫めても話を聞かず、結局その男爵令嬢は新設の特別病棟に隔離された。『ヒロイン病 タイプA』だった。
また、別の国では同じく男爵令嬢が複数の令息達に、思わせ振りな態度で近づき、相手が嫌がっているにも関わらず過剰なボディタッチを繰り返し「貴方と結婚したいわ~」と言って、お近づきになろうとした。令息達はこの男爵令嬢と「恋愛関係どころか、知り合いにもなりたくなかった」と言い、「自分以外の他の令息にも同様の手口で手を出している、と聞いて気持ち悪かった」と証言した。
それもその筈。その国は一夫一婦の国だったからだ。離縁などで再婚などはあったが、不倫にも厳しい国だった。
結局この令嬢も隔離された。こちらは『ヒロイン病 タイプB』だった。
そして現在この国に突然現れた男爵令嬢。
モンドリリー・ジラーン。
見た目は、まあまあ可愛い。突拍子もない行動(今も王太子に抱き着いている)話は通じない(最初アキーリスは必死に説得を試みた)アキーリスとの会話(一方通行だが)から、結婚したがっている事が分かった。以上を踏まえてモンドリリーは『ヒロイン病 タイプA』に当てはまる。
ただ、今のところ『私はヒロイン』とは言っていない。決定的なあの単語を。
なので、こんなに証拠があるというのに『ヒロイン病』予備軍扱いに留まっている。
一国の王太子が被害に遭っているというのに悠長な事である。
「アキーリス様ぁ、一緒にぃお昼食べましょう」
(普通に話す事が出来ないのだろうか。ああいうのは幼児の話方だ)
セリーシアはうんざりしながら、この場から立ち去ろうと腰を浮かせた。そんなセリ-シアにアキーリスが、涙目で助けてと訴えてくる。
普通ならこの無礼者に礼儀を教えて上げる立場なのだろうが、セリーシアはこの男爵令嬢にあまり係わりたくなかった。注意してもどうせ話は通じないだろう。
だから『ご自分で対処なさって下さい』と無言の笑顔を返す。
サッと立ち上がり「殿下、失礼いたします」と優雅にお辞儀をし、マユラの手を引いてさっさと移動を開始する。
「いや~、毎日毎日すごいなアレは」
食堂へ移動したところでセリーシアの背後からレスダールがうんざりしながら言った。
「貴方、何故殿下から離れたの?」
レスダールが付いてきているとは思わなかったセリーシアは驚いて声を上げる。
レスダールはアキーリスの従弟で同い年という事もあり、学園の中ではアキーリスの護衛を兼ねている。
「ここは学園だし。昼飯食べるくらいなら大丈夫だろう。それにさ、あの男爵令嬢、私の事を召使だと思ってこき使ってくるんだ」
レスダールの「召使」との言葉に「まあ」とマユラが驚きの声を上げる。王家に連なる公爵家に対して怖いもの知らずである。
「やっぱり、あの方あの病なのでは?被害が小さい内に隔離すべきですわ」
「レスダール様、今すぐ殿下のところへ戻って下さいませ」
セリーシアはレスダールを睨んだ。
昼食を食べるくらい平気ではない。アキーリスの精神が。
「ええ、せっかく逃げてきたのに。セリーシア嬢、頼むよ」
「頼まれません。貴方のお仕事でしょう」
ぐだぐだと渋るレスダールに痺れを切らし、マユラに「シェルターで」と告げ、ついでにレスダールを預け、セリーシアは来た道を戻った。
(不甲斐ない、だらしない、まったく)
内心で毒づきながら。
元いた場所に近づくと、モンドリリーの声だけが聞こえてきた。
アキーリスは魂の抜けた顔でだた座っていた。どこを見ているのか分からない目でとても話を聞いているとは思えないが、お構いなしにモンドリリーはしゃべり続けている。
「アキーリス様ぁ、私ぃ、アキーリス様とのぉ、結婚式を早く上げたいですわぁ。ウエディングドレスは胸元レースのぉ」
「殿下‼」
セリ-シアは、モンドリリーの話方に、聞いているだけで背中が痒くなってきて、思わず話をぶった切る。
「お忘れですか?先生に呼ばれていたでしょう?さあ、行きますよ」
隣の女は完全に無視して、出鱈目を言う。モンドリリーは教師が苦手なのか、教師が側にいるとあまり寄ってこないのだ。セリーシアがアキーリスの腕を掴むと『待ってました』とばかりにアキーリスが立ち上がった。
そして二人は脱兎のごとくその場から逃げ出した。
「あ~ん、アキーリス様ぁ」と気色の悪い声が聞こえてきたが、追ってはこないようで、少し安心した。
上品な令嬢が、こんなにも速く走れるものなのかと驚くほどのスピードで向かうは『関係者以外立入禁止』の部屋。学校にアキーリスの被害を相談したら、駆け込み用のシェルターとして提供された部屋だ。
「後ろは大丈夫だ!!」
レスダールが部屋の中からドアを開けて、セリーシアとアキーリスの背後を警戒しながら叫ぶ。
部屋の手前まで来るとレスダールが、ガバっと大きくドアを開け、二人はその中へ滑り込む。バンっと音を立てて部屋のドアを閉めると机や椅子を急いでドアの前に積み上げる。バリケードが出来上がると四人はホッと息を付いた。
「怖かった。どうして私を置いていったんだ、お前達」
やつれた顔のアキーリスが、恨めし気に三人に言う。
「殿下、ローストサンド持ってきましたけど、召し上がりますか?」
お茶を差し出しながら、マユラが話を逸らした。
「・・・いや、いい。お茶だけもらうよ。ありがとう」
弱弱しい。その様子にセリーシアは苛立つ。
対して一緒に食べ損ねたレスダールは、マユラからお茶をもらい食べ始めた。
「あの女、私と結婚するなどと。私にはセリーシアがいるのに・・・毎回毎回・・・なんなんだ話は通じないし」
アキーリスがブツブツと項垂れて呟いている。少しホラーだ。美形が台無しである。
「殿下。私、婚約者を辞退してもいいですわよ」
「何を言っているんだ。そんな事許さない。セリーシアは私の妃になるんだ!!」
すごい顔で絶叫される。なんて顔をするのか、完全なホラーだ。
麗しの王太子と言われるアキーリスがこんな顔をするなんて皆に見せてあげたいわ、とセリーシアは思った。
マユラとレスダールは肩を小刻みに震わせて必死に笑うのを耐えていた。
読んでいただき、ありがとうございます。