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そうは言っても

「節度。ですか」


 ひたすら感じの良いにこにこにこにことした笑みを浮かべるサラールを前に、珍しくまともに言い返せなくなっているラフジャーンがいた。


 自分の部屋の隣にエルナの部屋を作れだとか、人間の女性が必要とするものをとにかく全部揃えてくれと朝一で言い始めた主人を前に、サラールは笑顔のまま口を開く。


「お言葉ですが殿下。昨日の今日でそれは、客観的に見て、溺愛が極まって節度がぶっ壊れたようにしか見えないですよ。特に、『隣に部屋を作れ。可及的速やかに』だなんて、わ・が・ま・まです」


 王宮内の廊下を猛烈な勢いで進むラフジャーンに、後れを取らない速さで従いながら、息も乱さずに言いたいことを言い終える。


「言われ放題だな……!」


 足を止めたラフジャーンは、苛立ったように向き直って言った。


「とにかく、昼夜問わず人間でいることが増えるんだ。何か、今以上に必要なものがあるだろう。あと、四六時中俺にひっついて、一緒に寝ているというわけにも。部屋も寝所も分けた方がいい。節度というのはそういうことだ」

「なぜ?」

「なぜだと? お前気は確かか?」

「殿下こそ、冷静になってください。何を突然気にし始めたのかわかりませんが、そういうの、『今さら』って言うんですよ。知ってます? 手遅れですよ」

「何がだ!?」


 サラールが非常に気になるところで口をつぐんでしまったせいか、ラフジャーンの瞳に動揺が走った。


(お、面白い)


 不敬であるのは重々承知ながら、サラールは笑いを噛み殺して答える。


「殿下があのお美しいエルナ様を皆に見せびらかした日から、誰だってそういう目で見ていますよ。夜な夜なあの美姫を組み敷いて(もてあそ)んでいるのだと」

「お前は何を言っているんだ!? エルナは俺の上に乗って寝ることはあったが、その逆はない。潰してしまうだろ!!」


 湧き上がってきた笑いをおさえるのに苦労して、サラールは(てのひら)で口元を覆った。顔のあちこちが痙攣を起こしていたので隠しきれるとは思っていなかったが、妙に必死なラフジャーンはそれどころではないらしく、いつもの鋭さに欠けている。


「それはまあ、私ですら、お二人が清い関係だとは知らなかったわけですから。まさか、結婚すると騒いでいた殿下が、まだ手もお出しになられていないなんて。なんの為に人間にしたのかと」

「結婚する為だが!?」

「……殿下。結婚してどうするつもりです。王宮内の派閥や、後々の身の振りを考えての婚約者候補たちを『好きな相手がいる』でぶっちぎったわけですよ。好きな相手と、何をするつもりです。食事をしてお茶をして猫じゃらしで遊ぶだけですか。触ってみたいと思わないんですか。口づけしたいとか」


 何気なく。

 そこまで言ったところで、明らかにラフジャーンの顔色が変わった。

 赤くなった。


「ははぁ」

「なんだよいまの。何をわかったような顔をした!?」


 猛烈に焦る十九歳を前に、サラールは何度も頷いてみせた。


「兄上様が殿下と同じご年齢のときは、すでに二人の子をもうけていてですね。……いやいや。そうですか。ちょっと男として大丈夫なのかなって思い始めたところだったんですけど。したんですね、口づけは」


 サラールは幼少の頃からラフジャーンに仕えており、年齢の近さから遊び友達も兼ねていた。主人のざっくばらんな性格に合わせて、言葉遣いも言う内容そのものもしばしば慇懃さを欠く。

 その無礼さで次々と指摘されて、ラフジャーンは言い返せずに固まってしまった。しかし、そんな場合ではないと思い直したらしく、口を開いた。


「とにかく、猫に戻れないとすればだな。身の振りを考える必要が出て来る」

「殿下が(めと)るのではないですか。まさか、これだけお手付きだという空気が蔓延した中、どこかに捨て置くというのですか。確かに、あれだけのお美しさですからね。引き受けたいという男はいくらでも」

「おい、何を言っている。どうしてエルナをよそにやる話になっているんだ。俺は別にそんなことは言っていない。ただ……、今まで以上に、人間らしく、だな」

「猫なのに? つまりそれは、あの方を『猫』だと主張するのはやめるということですか?」


 ここは譲らないですよーとばかりに、サラールは笑みを浮かべて問い詰めた。

 自分が追い詰められているのはよくわかっているのだろう、ラフジャーンは嫌そうな顔をわずかに(うつむ)けた。

 それから、持ち直したように顔を上げた。


「そもそも……。父上も気付いている」


 複雑な感情が染みだしたような声音だった。


「陛下が? 何をです?」


 いつも側にいる自分も気付いていないような何を? との思いから聞き返せば、ラフジャーンは端正な顔を苦悩に歪めて言った。


「猫を人間にする魔法なんてない」


 サラールは眉を寄せ、笑いを消し去って主人の瞳を見つめた。

 一度口にしてしまって胸のつかえが取れたのか、諦めたようにラフジャーンは続けた。


「エルナは呪いをかけられた人間だ。気付いたのは、拾って育ててしばらくたってからだが。完全に呪いを解くことができれば、二度と猫になることもなく、記憶も戻るかもしれない。つまり、自分がどこの誰なのか思い出すかも。今朝話した様子では……まだはっきりわからないが。遠からず」

「なるほど。そうでしたか。つまりエルナ様は、どこかの御令嬢である可能性が高いと」


 サラールはラフジャーンの魔法を盲信している上に、子猫を拾ってきたときから知っているので、大きく疑ってもいなかったが。 

 わざわざそんな手の込んだ呪いをかけられるとすれば、何らかの身分や立場のある「人間」であるとの推測は成り立つ。


「黒猫を拾った日、王都に来ていた隊商は香料のミルラを扱う商人が大半だった。南から来て、このオアシスで休み、北に向かう途中だったはず。ここまでの道中で、呪いを扱うほど音に聞こえた魔道士がいるのは、ジンファだ。精霊を飛ばして探った限り、行方知れずの黒髪の姫がいるらしい」

「そこまでおひとりで調べていたんですか」


 そんな素振りも見せず、いつも通り魔法の研究に打ち込んでいるように見えた。サラールでさえ騙されていたのだから、王宮内の人間はよく欺かれていただろう。

 ラフジャーンは口元に苦笑を浮かべて続けた。


「完全に記憶が戻るまでは、俺も事情がわからないから『猫』で通すつもりだった。だが、昨日の一件で本人が『猫』であることに抵抗をはじめて、呪いがより解けやすくなったのだと思う。俺は今まで呪いを解く方向に魔力を加えてきたが、試みに呪いを強化する方に力を流してみても無駄だった。早晩、エルナは完全な人間に戻る。記憶も戻れば、少なくとも俺のわがままだけで結婚相手にすることもできないだろう。そもそも、婚約者の身分でも、王宮内の陰湿ないじめから守り切れなかったわけだが」

「いやそこは……、お嬢様方のしたことは完全に悪ですが、手ぬるいと言いますか。エルナ様に怪我をさせたわけではないし。あ、服の下の怪我の有無は確認しました?」

「自己申告を信じた」


 とすればやはり、昨日二人の間には口づけ以上のことはなかったらしい。

 なんとなく残念なような、微笑ましいような気持ちになって、サラールはまたもやにこにことしてしまった。

 サラールの思惑を大まかにでも察しているのだろう、ラフジャーンは嫌そうな顔をして溜息をひとつ。

 それから、ふと目元に穏やかな笑みを浮かべて言った。


「人間に戻った暁には、エルナは自由の身だ。お手付きだのと噂になったのは申し訳なかったが、本人が望むなら国に帰す。身の振りとはつまりそういうことだ。俺のものになれとは言えない」


 この王子様は、どこまでも。

 徹頭徹尾「愛」のようなものを信じて、自分自身はあれほどの人数の前で堂々と彼女への愛を表明したくせに。

 彼女の「気持ち」を大切にしたいと、どうかすると身を引くつもりでいるらしい。


「……好きだと、言ってもいいと思うんですけどねえ」


 サラールは、しみじみと呟いた。


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