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7/12

その夜のこと

「猫に戻れないなら、寝所は分けるしかないな」


 寝台の上で起き上がるなり、おそろしく感情の抜け落ちた声でラフジャーンが言った。

 今にも、そのままどこかへ行ってしまいそうな(せわ)しなさだった。


「どうして? 猫よりは大きいけど、一緒に寝られるよ?」


 いつものように、寄り添ったり身体を重ねたりして、ラフジャーンの体温を感じながら寝るつもりだったのである。追い払われたくなくて、エルナは必死に言い募った。


「そういうわけにも」

「どうして」


 互いに退く気がないあまりに、問答は膠着状態となる。

 ややして、大きく深いため息をついてから、ラフジャーンは今一度寝台に倒れこむ。

 エルナには背を向けていたが、一緒に寝て良いという意味だと強引に解釈して、エルナもその隣に身を横たえた。

 物足りなくて、すぐにぴたりと背に張り付いてしまう。


「くっつかないように」


 背を向けたまま固い声で言われ、そこに拒絶の気配を感じてエルナは悲しくなってきた。


「いじわる」

「意地悪じゃない。当然の措置だ」


(あんなことがあった日だし、もう少し優しくしてくれてもいいのに)


 被害をたてに無理強いするわけにはいかないと頭ではわかっているが、気持ちが落ち込む。


「猫じゃないからって、そこまで冷たくしなくてもいいのに」


 言いたくもない恨み言が口をついて出てしまう。


「冷たくしているわけでは」


 さすがに罪悪感でもあったのか、ラフジャーンは寝返りを打って身体ごとエルナに振り返った。


「人間の男女なので、節度ある接し方が望ましいと考えているだけだ」

「むずかしい」


 泣くつもりなんかなかったのに、今日の今日で癖になってしまっているのか、目の縁が熱くなって視界がぼやけはじめる。


「猫じゃないと……、どこも撫でてもらえないの? 毛がないからだめなの?」

「そんなこと言ってないだろ。触るのが嫌なわけじゃない」


 微妙な言い回しだと思ったが、ラフジャーンが手を持ち上げたのを見て、おとなしく目を瞑った。

 迷っているかのようにやや時間が空いたが、やがて優しい指が耳の周りをゆっくりと撫で始めた。


「猫のときは、この辺好きだよな」

「うん。……すごく気持ち良い」


 ようやく触れてもらえたことに、猫に戻れない焦りも緩和されて、エルナは吐息交じりに応える。

 途端、ラフジャーンの手が止まった。

 うっすらと目を開いてみる。たまっていた涙がじわりと滲んで視界がぼやける中、エルナはかすれたままの声で訴えた。


「もっとして。いつもみたいに」

「エルナ、涙が……」


 ラフジャーンの手はエルナの(おとがい)をとらえ、軽く傾けられた拍子に涙が零れ落ちた。

 信じられないものを見たかのように目を見開いてから、ラフジャーンは何かに引き寄せられるように顔を近づけてきた。近いな、と思ったときには唇に唇がぶつかっていた。


 どのくらいそうしていたのか。


 唇をはなしたラフジャーンは、そのまま手もはなして再び後ろを向いてしまった。


(……嫌な感じじゃなかったけど)


 走り回ったわけでもないのに、胸がドキドキと鳴っていることに気付く。

 不思議に思いつつも、エルナは先程宙に浮いてしまった案件を思い出していた。


「ラフジャーン、胸を大きくする方法って、なに?」


 答えを期待しないまま、広い背中に問いかける。

 ややして、ぶっきらぼうな早口が返った。


「揉めばいいらしい」

「揉む? 胸を? 手で? どんなふうに?」


 道具も魔法もいらない方法なら、自分にもできるかもしれない。

 もっと早く教えてくれればいいのにと思いながら、エルナは服の上から膨らみに触れてみた。


「んん……こう……? はぁ……っ。ね、ラフジャーン、これ、服の上からで大丈夫? 直接の方がいい?」

「待て。実践しているのか?」

「ラフジャーン……、なんかね、なんか胸の内側がぎゅっとする……。力が強すぎるのかな。ね、これで合ってる?」


 声をかけても、もはや返事も無い。

 もしかして自分は何か不興を買ってしまったのだろうかと危ぶみつつ、エルナは後ろからしがみつき、背に胸を押し当てた。


「大きくなった?」


 普段温もりを感じるラフジャーンの身体は生き物の柔らかさを保っていたはずだが。

 この日は石よりもなお硬いといった風情で、エルナは躊躇いながらもぴったりとしがみつき続けた。

 何かを諦めたかのように、不機嫌かつ弱々しい声が響く。


「一番最初の状態がどの程度あったかは正確には知らないんだ。比較はできない」

「じゃあ、今触って。明日の夜、どのくらい変わったかで、効果があるかどうか確認しよう。明日ラフジャーンがお出かけしている間、頑張るから」


 耐え切れなくなったかのように、過剰な仕草でラフジャーンは振り返った。


「何を頑張るんだ、一日中」

「揉む」

「自分で?」

「誰かに頼めばいいの? サラール?」

「殺す」

「なんで!? 誰を!?」

「とにかく、無駄なことはやめてくれ。それと、他の誰かにこんな話をしたりするのはだめだ。もちろん、実際に揉ませるのもだめだ。どうしてもというときは」


 猛烈な勢いで話していたくせに、ぶつりと言葉が途切れてしまう。

 けれど、ある程度彼の心を読むのに長けている自負があるエルナは、笑みをこぼしながら言った。


「俺がやってやるって言うんでしょ? 私もそれがいいと思う。でも今日は眠いからもう寝ようね」


 色々ありすぎた疲労がいっぺんに襲い掛かってきた。瞼が重い。

 眠りに落ちる前に、ひっつきたいとの思いからラフジャーンの胸に頭を摺り寄せた。


 恐々と。

 いつもよりもぎこちない仕草で抱き寄せられる。

 その腕の温もりを感じながら、急速に沸き起こってきた眠気に負けて、意識を手放した。


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