以心伝心
ふわりと身体が持ち上げられる感覚があった。
ラフジャーンの手だ。猫のときと違って、人間の身体は大きいけれど、重くないのだろうか。
目を瞑ったまま、薬草と香料の混ざったラフジャーンの匂いを吸い込む。甘苦く乾いた匂い。最初は苦手だったが、今ではひどく安心する。
昼間嫌なことがあってから、部屋に帰って、ラフジャーンの衣類をひっくり返して、いつも羽織っている長衣を見つけてくるまって寝ていたくらいだ。
身体がどこかに置かれて、背に回されていた手が離れていくのを感じた。
「やだ。いかないで」
ぱっと目覚めるなり、闇雲に腕を伸ばす。
「おっと」
首にひっかかったので、しがみついた。
猫だったら、そのまま身体を駆けのぼれるのに、もどかしい思いのまま引き寄せる。
すぐに身体に腕を回されて抱き上げられ、強い力を加えられて身動きもとれなくなっていた。
「エルナ。泣いたのか?」
頭上から声をかけられて、咄嗟に否定した。
「泣いてない」
びっくりするくらい声が掠れていた。喉がひりりと痛い。
ラフジャーンの腕に力が込められた。
「それは嘘だ。涙のあとが残っている。どうして隠そうとした?」
声は、労りに満ちていて、優しい。
聞いているうちに、あまりにもほっとしすぎて、そのまま眠りに落ちてしまいたいとすら思った。
(どうして隠そうと……)
知られたくないから。
自分がラフジャーンに大切にされているのは知っている。それなのに、誰だか知らない相手に怒鳴られて、小突き回されただなんて言いたくなかった。
怒る前に、自分を責めるだろう。エルナをひとりにしたこと。危ない目にあわせたこと。
「ラフジャーンが留守にしたのは理由がある。部屋から出てしまったわたしがいけないの。だから、傷つかないで」
「傷ついているのはエルナだ。怪我はないのか? お腹空いてるんじゃないか? 今日はこれでも早く帰ってきたんだ。一緒に食事をしよう」
穏やかな声で言われると、胸がいっぱいになってしまう。おそらくラフジャーンもそうに違いない。
誰に何をされたのか、本当は聞きたいはず。だけど、堪えている。今、怒りに任せて問い詰めたら、エルナが困ると思っているからだ。
(自分をすごく責めている……。ラフジャーンが、明日から仕事に行かなくなったらどうしよう)
「話した方がいい?」
エルナはようやく顔を上げて、ラフジャーンと目を合わせた。
にこりと微笑まれたが、いつもの笑みとは違った。頬が強張っているように見えた。
「話せそうなら。嫌なことを思い出して、辛かったり怖くなったりしたらすぐにやめるんだ。何があったかは、調べればわかることだから」
瞳は傷ついていたが、悟られたくなさそうに顔を背けられた。
声は、震えを抑え込むほどに、怒っていた。紛れもなく。
少し離れたところに、サラールがいるのが見えた。とても困った表情をしている。
それを見て、唐突に悟った。
仕事に行かなくなったらどうしようどころではない。
このままだと、ラフジャーンは報復ついでに世界さえ滅ぼしてしまうかもしれない。
伊達に魔道王子ではない。
そんな気がする。すごくする。
「は、話す! 何があったか話すから、人間を殺すのはちょっと待って!!」