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好奇心は猫をも殺す

 このところ、ラフジャーンが忙しそうにしている。


 王宮内の水源のひとつが涸れてしまい、王族としても魔道士としても看過できないと、原因を探る調査に出ているのだ。

 夜には自室に帰って来るのだが、エルナが一人で過ごす時間が増えた。


(もう子猫ではないし、留守番くらい問題なくできないと!)


 言葉の発声を練習するにしても、服を着た立ち居振る舞いにしても、猫の姿では出来ないので、ラフジャーンが出がけに魔法をかけてくれる。


「誰か来てもドアを開ける必要はない。俺が部屋にいないことは皆知っているのだ。訪ねてくる者に、まともな用事があるとは考えられない」


 常に自信に溢れた話し方をするラフジャーンは、きっぱりと言い切ると、エルナの頭を猫のときと変わらず優しく撫でてから出かけて行く。


 エルナの世界のほとんどすべては、ラフジャーンが占めていた。

 あらゆる感情が彼の存在と繋がっていて、「喜怒哀楽」は彼と共に在る。

 あまりに近すぎて、意思疎通の必要性など感じたこともなかったが、近頃何かと「言葉」で彼と話せるようになったことは嬉しい。

 言い表したいことに対し、適切な単語が浮かばないときは、学び始めたときと変わらず、ラフジャーンが飽きもせずに一つ一つ丁寧に教えてくれる。


「お腹がすいたら『食事』だ。人間のときは、身体の構造も猫とは違うから、人間の食べ物を口にしても大丈夫なはず。ええと……『甘いもの』は好きかな」


 ラフジャーン自身は研究に没頭すると食べることにも無頓着になるのだが、なにぶん拾ったときの黒猫の衰弱ぶりを覚えているのか、エルナが空腹を訴えたときの反応は目覚ましい。

 食事の合間に、「最近姫君や御令嬢の間では流行りのようですが」とサラールが持ち込んだ『お菓子』を食べさせてくれることもある。干し葡萄を練りこんだ焼菓子はそのままでも『美味しい』が、砕いた木の実と蜜を練り合わせたものを挟んでいたものは甘くて『お茶によく合う』。研究の手を休めて、珍しくお菓子に手を伸ばしたラフジャーンはそう言うと、手ずからお茶をいれてくれて、二人で庭を眺めながらのんびり飲むこともあった。


 なんだかいつも忙しそう、と見ていたラフジャーンがそんな休憩時間を持つようになったのを、エルナは嬉しく感じていた。二人で過ごすのが嬉しくてサラールに「また欲しい」と言うと、ラフジャーンが「俺に言えばいいのに」と言って、過剰なほど取り寄せてしまったこともあったが。

 しかし、一人で食べてもただ『甘い』だけだ。留守中困らぬように、水を満たした水差しなども揃えてくれているので自分で盃に注いで飲むが、むなしい。


(『お菓子』が『好き』なんじゃなくて……)


 早く帰ってきて、乾いた大きな手で頭を撫でてくれたら、それだけでいいのに。


 窓辺に寄って外でも見てようか。

 時々風が吹いて、木立がざわめき、咲き誇る薄紅色の花々が揺れる。それだけの光景を眺め、眠くなったら椅子の上でまどろみ、夜まで待つのだ。待てるし、平気。


 自分に言い聞かせていたそのとき、廊下で悲鳴が上がった。


 耳は良い。

 それが『若い、女の人の声』だと聞き分け、しかも複数であるとわかった。


(なんの騒ぎ?)


 誰かが来てもドアを開ける必要はないと言われていたが、ドアの外で騒ぎがあったときはどうすればいいのだろう。

 見ても良いのだろうか。

 悲鳴はまだ続いている。

 ひとえに、好奇心に負けた。騒いでいるわりにはそこまで深刻そうに聞こえなかったこともあり、危険ではないと直感的に判断したせいでもある。

 エルナは、内側からドアを開け、そっと顔を出してみた。


 次の瞬間、強い力で肩や腕を掴まれて、部屋から引きずり出されてしまった。


 * * *


 若い女の人が、五人。数字もわかる。後ろまで回り込まれて、自分を逃がす気がないと知った。


「ラフジャーン様の猫ね。人間のふりをしているけど、本当は猫なのでしょう?」


 正面に立つ、黒髪の女の人がきつい口調で聞いて来た。


「それが何か?」


 エルナは短く返す。

 途端、どん、と横から突き飛ばされた。

 とっさに足裏に力を入れて踏みとどまったが、転ばせるつもりだとわかるほど、その力は強かった。


「猫のくせに生意気なのよ!」


 悪意。敵意。

 毛が逆立つほどに伝わって来る嫌な感情。

 エルナは大きく目を見開いて、ぐるりと取り囲む女たちを見回した。


「猫のくせにって、どういう意味?」


 もう一度、どん、と肩を押される。くると思っていたのに、避けきれなかった。しかも、ふらついたところを逆側からも押され、後ろからはぎゅっと髪を引っ張っられる。


「痛いっ」


 思わず悲鳴を上げていた。

 転んだときやぶつかったときのあの衝撃は「痛い」とラフジャーンが教えてくれた。「痛い」は命に関わるから我慢せずに声に出すんだ、と。すごく痛かったり、血が出たときは死んじゃうからな、と言っていた。


(痛い)


 痛いからは逃げないといけないと思うのに、猫のように身軽じゃないから走り出せない。人間の身体だから、隙間から抜け出していくこともできなくて――


 何か口々に言われていて、そのたびに突き飛ばされたり髪を引っ張られたりする。しまいにその場に倒れこんでも、なお足の先でえぐるように脇腹や背を蹴られた。


(痛い。怖い。わからない。助けて)


 陽はまだ高く、ラフジャーンが戻る時間ではない。自分でどうにかしないととわかるのだが、取り囲まれて一方的に暴力を振るわれるなど未知の経験で、身体ががちがちになり、身動きができない。


「誰かくる!」


 叫び声が上がり、不意に周りからひとの気配がひいていく。

 ばたばたと足音を立てながら、女たちはその場を去った。


 髪も、服も、めちゃくちゃにされてしまった。

 叫び声を上げるとそのたびに蹴られたので、いつしか声を堪えていたが、目から出た水で顔がぐちゃぐちゃに濡れていた。

 エルナは、手の甲でそれをぐしぐしと拭いながら、ふらふらと立ちあがって部屋の中へと引き返していく。


(猫だから? 猫だからこんな目にあうの……?)


 ――「痛い」は命に関わるから、我慢せずに声に出すんだよ。

 

 言い聞かせてきたラフジャーンの顔が心の中に浮かんできて、その真剣な表情を思い出したら身体のあちこちが軋むように痛みだし、エルナは声を上げて泣いた。


 「涙」はとめどなく、後から後から次々と溢れてきた。


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