従者vs王子
「何故猫と結婚してはいけないのか、さっぱりわからない」
「何故猫と結婚しようとしているのか、私にはわかりません」
国王の元を辞し、エルナを抱き上げて部屋へと帰る道すがら、王子と従者は真っ向から対立していた。
可憐な美少女の姿をした黒猫は、ラフジャーンの腕の中で目をしばたいている。
何かいけないものを見てしまったかのような気がして、サラールは目を逸らした。
無垢すぎるのだ、瞳が。
「何故と言われれば決まっている。俺のエルナは世界一可愛い」
サラールの心配をよそに、ラフジャーンは当然のことのように言う。
「ええ……その……可愛らしさはまったくもって否定していません。ですが、王子には王子の立場というものがあり、可愛いからで相手を選ぶのは……」
側室ならともかく。
(……なんて言ったら傷つくんだよなうちの王子様は。傷つくだけならまだしも、今以上に頑なになるし、今以上に外法に血道を上げてとんでもないことをしでかす……)
ラフジャーンは、魔道への情熱と才能をその身に宿している代償のように、良識及び常識のようなものが欠落しているのである。
それでも、やや唐突ながらも愛に生きると決めたところを見るに、良識はまだマシかもしれない。
相手が猫の時点で常識は壊滅的で絶望的であった。
サラールは頭痛を覚えつつ、石柱の立ち並ぶ廊下を早足で進んだ。
薔薇色の大理石作りの噴水を横切り、緑溢れる庭の小径を突っ切って、奥宮の端の端にあるラフジャーンの私室にたどりつく。
掃き出し窓を片手で開け放ちながら、ラフジャーンはそら恐ろしいまでの真顔で言った。
「だいたい、お前らの目は節穴か。エルナのどこが猫なんだ。言ってみろ」
その場にそっと下ろされたエルナは、ラフジャーンの手に手をのせ、ひょこっと顔を上げてサラールを見上げた。
「そうですね、今はたしかに、猫ではないですが……」
答えながら、サラールは気が遠くなる。
(どういうことだ。オレがおかしい感じになっている)
ダメだここで負けるわけにはいかない、と気を取り直してベルトに挟み込む形で背に差していた猫じゃらしを取り、振りかざした。
エルナの目がきらっと輝いた。
「卑怯だぞ! 俺のエルナと遊ぶな!!」
はしっと手を伸ばしたエルナを前に、ラフジャーンは嫉妬もあらわな叫びを上げた。
心奪われた美姫を横から強奪されたと言わんばかりの必死さである。
ふわふわ~~しゃららら~~
サラールが、絶妙に届かない高さで振る猫じゃらしめがけて、真剣に飛び掛かろうとするエルナ。
間近で見るとその精巧に整った美貌には、息を止められそうになる。
どんな外法が猫の人間化を実現させたというのか。
しかし、そうは言っても。
「猫なんだよなぁ……」
思わず呟きがもれ、ラフジャーンが完全にぶっちキレた表情で言った。
「人間の姿をしているだろう!! お前ら俺とエルナをどこまで虚仮にすれば気が済むんだ!? その猫じゃらしは俺に渡せ!!」
真っ当な真人間による純粋な怒り。
激高したラフジャーンが気になったのか、振り返ったエルナはその顔を見上げて「にゃあ」と慰めるように一声鳴いた。
サラールは、深い溜息をつき、意見した。
「まずは言葉をどうにかしてください。出来ないなら猫に戻してあげるべきです。今すぐ!」
* * *
「こんばんは! サラールおじさま!!」
得意満面のラフジャーンを見つつ、ああ、なんて大人げないことしやがる、とサラールは胸の中で毒づいた。
ラフジャーンが「たった数日の特別強化訓練で言葉を習得した、エルナは本当に優秀だ」とほめちぎっているので、出入り禁止を解かれたところで私室へ足を運んでみれば、この有様だった。
「私はエルナ様におじさまと言われるような年齢でも立場でもありませんが」
胸に手を当ててこんこんと説明を試みる。
大きな目を見開いて真剣に聞いていたエルナは、ラフジャーンを振り返って言った。
「まちがい?」
眩しいほどの華やかな美貌に爽やかな笑みを浮かべて、ラフジャーンはきっぱりと答える。
「いいや。エルナは何一つ間違えていない。そこのおじさんが間違えている」
サラールはにこりと微笑んで「エルナ様」と名を呼んで注意をひいた。
「参考までに。その『男性』のことは何と呼んでいるんですか?」
「ラフジャーン!」
呼び捨て。
(ん~~、これは厳しいぞ。かなり厳しい)
「確かに殿下のお名前はその通りですが、王宮では殿下をそのようにお呼びする方は稀です。ほぼいません。仮にエルナ様が皆の前で名を口にした場合、びっくりされてしまいます」
エルナは瞬きもせず、真剣なまなざしでサラールを見上げていた。
きらきらとした星を浮かべたような黒瞳は、見つめていると吸い込まれてしまいそうになる。
その危うい空気を、常のラフジャーンらしくもなく敏感に察したのだろう、眉間に皺を寄せて厳しいまなざしで口を挟んできた。
「俺の猫に惚れるなよ」
(猫なんだよなぁ)
キメ顔で決闘でも挑んできそうな勢いで言ってくるのが。猫。
その意味では、彼の目にこの美少女がどのように映っているのか、興味はある。
あくまで人間として接しているようにも見えるが、意識の上では完全に猫なのだ。
サラールから奪い取った猫じゃらしは二人のお気に入りのようで、蕩けるような笑みをしたラフジャーンが手にして高い位置で振り回すと、エルナも身軽に飛び掛かっている。
じゃれあう二人を、サラールは、微笑ましい、と笑って見守ろうとした。
心が拒否したので、諦めた。
「時に殿下。エルナ様は殿下の部屋で……、過ごされているということでよろしいんですよね?」
「他にどこへ行けと。子猫のときほどではないが、まだまだ悪戯するからな。目を離すと危ない」
人の親のようなことを言っている。
あの偏屈殿下が、と乾いた目元をおさえて泣き真似をしてから、サラールはそんな場合ではないと顔を上げた。
「夜はどのようにお過ごしですか」
「一緒に寝ている」
ラフジャーンはきっぱり言い切った。
サラールは無言になり、天井から吊るした紗の天蓋に覆われた寝台に視線を向ける。
「一緒に……」
(恐ろしく考えにくいことだが。早晩子どもが生まれるのだろうか)
咄嗟に、そこまで考えた。
仲睦まじい男女が寄り添って寝ると言えば、まずはそこに行きつく。決して自分の発想は飛躍していない、普通だ、と確信してエルナを見た。
にこり、と微笑み返される。
瑞々しい少女の笑みだ。体つきも子供のようにほっそりと華奢だ。
一方のラフジャーンはといえば、言動はともかく見目麗しい美神のような青年。
(この二人が……)
何を想像しているか知ってか知らずか、やや不機嫌そうな顔をしたラフジャーンが「一体、なんの確認なんだ」とぶつぶつ言った。
そして、エルナに向き直り、「寝るか」と声をかけた。
黒髪の美少女は幸せ極まる表情で「はい」と返事をする。
次の瞬間。
その姿がかき消えた。
何が起きたのかと目をみはったサラールの視線の先で。
少女が身にまとっていたチュニックや長衣がはらりと絨毯に落ち、その布の塊の中からむごむごと黒い毛玉が飛び出してきた。
「猫……」
呆然と呟く。
今さら何に驚いているかわからない様子で、ラフジャーンは至極当然のように言った。
「猫だが?」
「え……、いや……、なんで……、猫に戻すんですか!?」
「寝るから」
他に何がある、とばかりにラフジャーンはサラールに背を向け「下がっていいぞ」と言いながら寝台に向かって歩き出す。
黒猫はたたたっと軽やかに走り出し、足から背中を駆けあがってラフジャーンの肩にのると、耳の辺りにごしごしと身体をこすりつけた。
「猫と寝るんですね……」
「ずっとそうしている」
万感の思いが胸に去来し、もはや何を言って良いかわからず、サラールは頭を垂れてその場を辞した。