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一目で恋に落ちる

 ラフジャーンが戸外に出ることはあまり多くない。


 大抵にして、魔道に用いる薬草や毒草の調達であったり、細かな道具の仕入れといった用件絡みであり、普段は寄り道することもない。

 稀に、大規模な隊商が滞在しているときは、異国で得た珍しい品物や目新しい情報がないか確認する為、ふらりと出て行くことはある。

 黒猫に出会ったのは、そんな気まぐれで外を歩いているときだった。



 頭にはターバンを巻き付け、埃避けの布で口元を覆い、市場を冷やかしてから思索にふけって歩き続け、いつしか緑なす葡萄畑まで足を延ばしていた夕暮れ。

 道端に何か落ちていることに気付いた。

 黒の。

 毛玉。


(さて……、あれだけ見事な暗黒物質も珍しいな。何に使えるかな)


 拾って帰れば実験の足しになるかもしれない、との思いから近づいて、片膝をついて観察する。

 ふわふわ。

 もふもふ。

 てんで頼りない、ふにゃふにゃの黒猫だった。

 それは、ラフジャーンの視線の先で、目ヤニがこびりついた目を開けることもできず、掠れた声で鳴き声を上げた。


 ……ャー


「死にかけじゃないか」


 当たり前だ。

 オアシス都市とはいえ、陽射しは砂漠のそれだ。こんな小さな生き物がまともに浴びて、無事でいられるはずがない。

 木陰にいれば良かったのに、ふらりと出てきて力尽きて動けなくなったのだろう。このまま捨て置けば、遠からず息絶える。

 黒の毛皮が欲しいだけなら、生きていようが死んでいようがあまり関係なかった。しかし、何はともあれ「これ」が欲しいことに変わりない。


 手を差し伸べて、拾い上げる。

 遠目に見たときは綺麗な黒に見えていたが、いざ改めて見れば細かな砂埃にまみれていた。

 抵抗する気力もないらしく、手の中でくたりと顎をそらしてぴくりとも動かないのを見ると、今まさに死んだと言われても不思議はなかった。


 生きていようが、死んでいようが。


 頭の中で結論は出ていたのだが、手荒に扱う気にはなれず、口元にあてていた布をさっと外すと赤子のおくるみのように黒猫を包み込むのに使った。

 ラフジャーンに子はいなかったが、弟妹が生まれたときに、そうやって大切に扱われているのを見たことがあった。

 そのときの光景が頭をかすめたせいだろう、思ってもみなかった言葉が口をついた。


「死ぬなよ」


 子猫の扱いなど知らない。

 魔道にも出来ることと出来ないことがあり、純粋な衰弱に太刀打ちする魔法は思いつかない。

 だから、至急王宮に戻り、水と栄養を与え、涼しいところで手厚く看護するしかないと考えた。

 市場で手に入れたいくつかの物を詰めた麻袋をその場に放り投げ、子猫を捧げ持って道を引き返す。

 手に伝わるほのかな温もり、命の灯火を絶やさぬように。ただそれだけが頭にあった。


 * * *


 手を尽くした甲斐があり、子猫は順調に回復した。

 痩せっぽちで小さいのに変わりはなかったが、みるみる間に毛はうつくしく輝き、目もぱっちりと開いた。

 命の恩人であるところのラフジャーンによく懐き、構ってもらおうとしては散らかった机の上を走り抜け、薬品の入った壺をひっくり返し、背中に爪を立てて肩まで駆け上がりと、彼のそれまでの生活を激烈に変化させ、おおいに乱した。

 魔道王子の気難しさを知る人々は、これは早晩実験の(にえ)として火にくべられるのではないかと、子猫の身を憐れに思っていたが、一向にその気配もなく。


 雄か雌かすら頓着している様子もなかったが、ともかくラフジャーンは黒猫に「エルナ」という名を付け、周りを引っ掻き回されてもよく耐えていた。

 何を台無しにされても根気よく(さと)し、薬品をかぶれば大げさなくらいに慌てて心配していた。


「妻もいないのに、子ができたようですね」


 あまりの猫煩悩ぶりを、ラフジャーンの従者である青年サラールは苦笑とともに冷やかしていた。

 何を言われたのかよくわからないかのように、ラフジャーンは首をかしげて言った。


「妻も子もいらない。俺にはエルナがいる」


 冗談を言う甲斐性はない男である。

 しかし、この発言は当初さすがに本気とはとらえられていなかった。

 彼も間もなく十九歳。王位は兄である第一王子が継ぐ見通しとはいえ、そろそろ妻を迎え子をもうけるべきであるとの見方が大勢を占め、粛々と結婚相手の選定も進められていた。

 魔道馬鹿ぶりも、女を知れば変わるのではないか、などまことしやかに噂されてもいた。


 何せラフジャーンは見た目だけで言えば、どこに出しても恥ずかしくない麗しき青年。

 一夜限りでも良い、情けを得たいと、あの手この手で近づこうとする侍女や令嬢も枚挙にいとまがない。

 本人さえその気になれば、すべてが動き出し、丸く収まり、王宮も平穏にして安泰と思われていた。


「夜? いつもエルナと寝ている。猫はいいな。本当に、ふわっふわのもふもふで……。別に俺が無理強いしているんじゃないぞ。エルナが寝台にのぼってくるんだ。最初の頃は、間違えて潰したらどうしようとひやひやしたものだが。不思議だな、自分は寝相が悪いと思っていたんだが、エルナを潰すことは絶対にない。俺の上に上って来るときもあるが、エルナが寝やすいように従順な寝台の役目に徹することができる。あの仄かな温もりを守る為なら、なんだって出来る気がする」


 普段は偏屈で通しているラフジャーンであったが、黒猫のこととなると饒舌に語り出す。

 聞き役となったサラールはその偏愛ぶりに不安を覚えていた。

 しかし、それでも、どこかで、王子はいつか人間の女性との間に愛を育むのだろうと漠然と思っていた。


 願望むなしく――


「いい加減結婚しろ」と父王から迫られたラフジャーンは「とんでもない」と怒り出し、それまでの己のすべてを捧げる勢いでとんでもない呪法を完成させてしまったのである。


 こうして、黒猫は黒髪の令嬢へと変化を遂げたのであった。

 ラフジャーンの執念の賜物か、それともエルナの元々の資質によるものか、人間型になった黒猫は傾国と呼ばれるにふさわしい美少女の姿をしていた。


 ただし、中身は猫のままであった。



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