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身の程

 猫だったときの感覚が抜けない。

 視線はずいぶん高いのに、つい、飛び出した木の枝をくぐれるような気がして突っ込んでしまうし、灌木の間もすり抜けられると過信してあちこち引っかけてしまう。

 せっかくのドレスを汚したくないと、ぴん、とどこかが突っ張るたびにびくついて、そっと枝を外すのに、いくらもしないうちにまたどこかしら引っかける。


(ひどい。この辺を進んでいけば内廷への近道だと思ったんだけど)


 思った以上に手間取ってしまった。

 とはいえ、まったく成果なしでもない。

 近くで水の流れる音がする。噴水でもあるに違いない。人の話し声も聞こえる。ここを抜けたら広めの庭に出ると確信して、エルナは灌木の間から顔を出した。


 薔薇色の石で作られた見事な噴水がそこにあった。

 噴水の周りはタイル床になっていて、四方に細い水路が伸びている。ちょうど正面、真っすぐ先には石造りの王宮が(そび)えていた。

 視線を戻せば、手前に数人の女性の姿がある。

 目を凝らすまでもなく、昨日因縁をつけてきた一団だとわかった。


(いた。さてどう戦おうかしら。私が怪我をするのも駄目だけど、相手に怪我をさせるわけにもいかない……。口で負かすしかないわよね)


 昨日は人間の姿であったこともあり、いじめとしてはなかなか堪える部分もあった。

 だが、今後猫の姿に戻れば、それどころではなく完璧に始末されてしまう恐れもある。人間を痛めつけるほどの罪悪感もなく、ひょいっと捕まって麻袋にでも詰められ、その辺の水に沈められてしまうかもしれない。

 やはり、二度とやりあう気力もなくなるくらい、(くじ)いておく必要がある。

 考えていても始まらないと、エルナはがさりとその場に飛び出した。


「本当に見目麗しい……」


 うっとりとした声が聞こえて、動きを止めた。

 そのまま、そうっと気配を殺して女たちの近くの木の影まで忍び寄る。


「ラフジャーン様が太陽なら、あの方は夜の闇。あれほどのうつくしい方がいらっしゃるなんて」


(……なんの話?)


 誰かの噂話だ。夜の闇?


「あの力強い羽ばたきの見事さといったら」


 羽ばたき? 鳥?


「見たことも無いうつくしい鳥だと思いましたけど、まさか人の姿になるなんて。それがあんなにも」


 人の姿になる鳥。夜の闇の如く見目麗しい。

 単語を並べていくと、記憶の中に、何か非常に思い当たるひとがいた。

 姿を変える変化(へんげ)の魔法を得意とする魔道士だ。その人の魔法は、自分にも浅からぬ関係がある。

 浅からぬどころか、いまこうなる原因を作った張本人。猫になる魔法をかけてきた相手だ。


(まさか……、近くに来ているの? なぜ?)


 気になって身を乗り出しすぎた。

 女の一人と目が合う。


「あ、猫」


 相手がぽつりと言った。

 エルナはといえば(どこからどう見ても人間ですけど!?)と啖呵(たんか)をきろうとしたが、知らぬ間に猫に戻っているのかと慌てて自分の身体を見下ろし、手であちこちをさわってみた。大丈夫、人間のまま。

 動揺を包み隠して、顔を上げる。


「昨日はずいぶんと可愛がってくれてありがとう」


 最初が肝心、なめられてなるものかとせいぜい感じ悪く微笑んで見せた。

 五人はそれぞれ窺うように視線を投げかけてきていた。

 やがて、金糸のような髪を凝った形に結い上げ、細かな柄と刺繍の入ったチュニックをまとった女が扇を片手に一歩進み出てきた。


(昨日一番しゃべっていたひと。この人が主犯? 「宰相の御令嬢」?)


 だったら負けられないと、エルナもまなざしに力をこめる。


「ねえ、猫」

「どういう目をしているのかしら。私のどこが猫だっていうの?」


 よし来たよし来た、この喧嘩、買ってみせると息巻いて、顎を逸らして腕を組む。

 昨日とは全然違う臨戦態勢に、後ろの女たちがややひるんだ気配があった。

 一方で、目の前の女はさすがに顔色も変えずに、畳んだままの扇でついっとエルナを指し示した。


「そうね、そうしていると人間の女の子に見えるわ」


 ことさらに、「子」を強調された気がした。

 さらに、にこりと微笑みながら腕を組む。組んだ腕の上に柔らかそうな胸がのった。


(!!)


 エルナはさりげなく組んだ腕をほどき、代わりにきゅっと拳を握りしめて微笑んで見せた。


「ラフジャーン様にずいぶんと気に入られていると聞きますけど、御子は?」

「御子?」


 しかし、続いて思ってもみなかった単語が出てきて、そのまま聞き返してしまった。

 途端、目の前の女が噴き出し、後ろの女たちもさざめくように笑った。

 間違えたのはわかった。


「そうよねえ。猫ですもんね。どんなにお情けを頂いても、人間の子は孕めないわよね」

「こ……子どもを孕むためにラフジャーンといるわけじゃないっ」


 いらないところで、ムキになってしまったと思う。


「『殿下』。頭の悪い猫は主人の呼び方もわからないのね」


 女は、はっきり嘲っているとわかる感じ悪さで言ってから、片手でぱちんと扇を広げて口元を覆う。鋭いまなざしはどう見てもエルナの胸元に注がれていた。


「仮にも王族の寝所に(はべ)るのであれば、滅多なことは言わない方がよろしいのではなくて。猫だか人間だか存じ上げませんけど、子を成せない女など」


 エルナの知る限り、ラフジャーンは世継ぎの王子ではない。だが、何がどうなるかわからない以上、周囲から子どもをもうけることは期待されているのだろう。


(ラフジャーンは、いま人間の女の人にあまり興味がなさそうで……。何しろ「猫」と結婚すると公式の場で言い張っているくらいだから。だけど、周りの重圧に応えるかたちで、いつか人間の妻を迎えるのかもしれない。そのとき私はどうするんだろう。どうなるんだろう)


 猫のままでいれば側にいられると思っていたけど。


「ね……、ラフジャーン殿下って、実際のところ縁談はどうなっているの……? ごめんなさい、私その辺の話本当に知らなくて」


 この先、ラフジャーンが結婚する可能性があるとすれば相手はこの中にいるのかと、つい率直に尋ねてしまった。

 目の前の女は、鼻白んだ様子で目を細めた。


「わたくしよ。このネギンが第一の候補に挙がっているわ。殿下がいくら先延ばしにしても、そろそろ父上が話をまとめる頃よ」


 エルナはよくわかったとばかりに何度か頷いてみせた。


「やっぱりそうなんだ……。本人が猫と結婚するって言っても、本気にしていない人が王宮には結構いるってことよね? そういう人は、人間と結婚するまで認めないってことでいい?」


 ネギンと名乗った女は、扇でゆるやかに自分の頬を仰ぎながら、エルナの目を見つめた。


「当たり前でしょ」

「そうよね! そっか……。それじゃあ私も安易に猫には戻れないわね。ほとぼりが冷めるまで人間としてお側に置いてもらわないと」


 ひとり納得しきりで呟くエルナに対し、ネギンは明らかに棘のある声で言い放つ。


「なんでそんなに図々しいの? 猫なんだし、いなくなれば良いでしょう?」

「確かに図々しいとは思うけど、決めたの。ラフジャーン殿下の側にいたい。殿下は猫の方がいいみたいだけど、可能なら人間のまま一回結婚してもらうしかないかも。どう考えても、私、ネギンさんと一緒に暮らしたいと思えないし」


 ついに、ネギンはばちんと扇を閉じた。


「一体、なんの話をしているのかしら!?」


 エルナは、すっと顔を上げて、落ち着き払った声で言った。


「正妻の座は諦めてほしいの。譲れないわ」

「猫のくせに! 身の程を知りなさい!!」


 今にも掴みかかってきそうな剣幕。


(怪我はさせちゃいけないけど!)


 自分の身は今度こそ絶対に守らないと、と思ったところで。


「何をしているんだ?」


 涼しくも優雅な声が響き渡った。


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