第2話
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
夜、大浴場で体を温めると、食堂の灯りを付けます。冷蔵庫から冷やしておいた甘い乳性飲料を手に取ると、隅の席に腰掛けました。
今日はとても楽しかった。
剛勇の入試にたくさんの後輩候補たちが来てくれて、その上、あたしたちと握手なんかしてくれました。覚えていてくれたんです、こんなあたしでも役に立ったんだと思うとジーンとしちゃって。充実感と言うか達成感というか、ともかくこんな気持ち初めてかもしれません。これからも頑張るぞ、って、そんな気持ち。千歳もサリサリも同じ気持ちだったのでしょう、意気揚々と水族館へ向かいました。水族館は平日と言うこともあって人もまばら、ゆったりと見て回れました。光るくらげとか深海のカニとか砂の中から顔を出すチンアナゴとか、色んな生き物に会えて面白かったり可愛かったり。サリサリなんて大喜びでパチパチと写真撮りまくりでした。イギリスに水族館はないのかと聞くと、そんなことはないらしく何度も行ったことがあるそうです。でも、ここのショーアップは最高だとご満悦でした。彼女はお魚が大好きらしく帰りに土産物屋さんで可愛くデフォルメされたジンベエザメのキーホルダーをたくさん買いました。お国の友達へのお土産にするのだと言います。水族館を出ると繁華街へと繰り出してショッピング。サリサリは大人っぽい革製の筆箱とアニメの画集を買いました。千歳はシャープペンの芯とノートとライトノベルの最新刊を、あたしはシンプルな白い髪留めを買って寮に戻ったのは7時前、既に辺りは真っ暗でした。
キャップを開けて透明のコップに乳白色の液体を注ぐと、ごくごくと胃袋を満たしました。甘くて爽やか――
ふう~っ。
こんな日がずっと続けばいいな。
寮のみんなは仲良しだし、新築の建物は綺麗で快適で、ご飯だってとっても美味しい。
何より同じ屋根の下に千歳がいて、いつでも会うことが出来るんですよ。
あたし、千歳が男の子で本当によかったって思います。
だって、あたしは多分最初から、千歳のことが好きだったんです。LikeではなくLove と言う意味で。まさかとは思ってたけれど、だんだんその気持ちは疑いようがなくなって、ちょっと悩んだりもしましたけれど、だから今は凄く幸せ。
だけどそれもあと1ヶ月とちょっとで終わり。
千歳がここからいなくなるのは、本当はとっても寂しいけれど、あたしは千歳が大好きだから、千歳が辛かったり我慢したりしている方が、もっともっと耐えられない――
窓の外からなぁ子の声が聞こえます。誰か遊んでくれよぉ、って鳴いてるみたいで、思わず立ち上がりました。
と、突然。
「どうしたの?」
「ふぎゃっ!」
ってヘンな声が出ちゃいました。背後に立っていたのは今想っていた人。脅かさないでよと抗議をすると、声を掛けても返事をしなかったからだって。考え事してたから気がつかなかったみたい。でも、心臓が飛び出すか、ってくらいに驚いたんだから!
気持ちを落ち着かせようと一呼吸入れて千歳の右手に携えられている物体に気がつきました。
「夜食?」
「そうよ、お馴染みの大盛りカップ焼きそば。今日はたくさん歩いたでしょ?」
千歳は給湯場に向かうと電気ポットのスイッチを入れました。
最近何となくちょっと気まずくって、ふたりっきりで話す機会が少なくなった千歳とあたし。給湯場でお湯が沸くのを待つ千歳の気配を感じながら、あたしは窓を開け、なぁ子を探しました。でも、さっきまでそこにいたはずのなぁ子が見つかりません。声もしなくなっています。
「なぁ子?」
背後から返事が聞こえました。
「なぁ子を探してるの?」
千歳はあたしの横に立つと窓から身を乗り出して、一緒になぁ子に呼びかけてくれました。でも返事はありません。どこかに行ってしまったのでしょうか? まあ仕方ありません、なぁ子にはなぁ子の都合もあるでしょう。夜のおデートかも知れません。千歳と顔を見合わせると、思わずちょっと笑い合って、窓を閉めました。千歳は湯沸かし途中の給湯場に向かいます。あたしも空になったコップを持って千歳の元に向かいました。
「もう1年になるのね」
「早いものね」
「千歳は転校の試験はどうだった?」
「えっ、ええと……」
先週1日学校を休んだ千歳、理由は教えてくれなかったけど、そんなのすぐに分かります。体調不良じゃなかったし、前日の夜から寮にいなかったし。
「大丈夫だと思うわ。だけど、ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「わたしだけ逃げるみたいで――」
確かに千歳がいなければ、あたしはここにいなかったかも知れません。
だけど、あたしはここにいます。
それはあたしが決めたこと、全てはあたしの意志。
確かに「彼女」の存在は何より大きな判断材料でした。もしかしたら、それが全てだったかも知れません。でも決めたのはあたし。後悔なんてありません。あたしは心から、剛勇に来て良かったって思ってるんです。だから、そのことで千歳が責任を感じることが、あたしには何より辛いのです。
「あたしなら大丈夫よ。サリサリもいるし、クラスのみんなも優しいし」
「だけど……」
「それにね、4月になったらこの寮にたくさんの新入生が来るわ。バレたら大変でしょ」
それなのに、千歳はいつも同じことを言うのです。
「マナはわたしと一緒にいるのが嫌いなの?」
どうして。
どうしてそうなるの?
好きだから、千歳が誰より大切だから、だから言っているのに!
(千歳の分からず屋!!)
叫びたい言葉を飲み込みました。口に出してしまうと喧嘩になるし、何よりも心が離れていきそうだから――
「お湯、湧いてるわよ」
吹き出す蒸気が止まった白い電気ポット、あたしも心の蒸気を止めて、静かにその場を去りました。