第12話
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
窓の外をぼんやり眺める。
どんより曇る空から、しんしんと雪が降る――
一時限目の古典は自習になった。交通機関がマヒしているとかでクラスの半分がまだ来ていない。それどころか古典の先生もまだ来ていない。
隣の席のマナは黙々と古典辞書を引きながら予習を進めている。前の席のサリーは横の吉野くんと深夜アニメの新番組について喧々諤々の議論中。それ、僕も録画しているんだけどまだ見てないから参加できない――
「はあ~っ」
つい溜息が出てしまう。マナとあまり話をしなくなって、もうすぐ1週間。別に喧嘩している訳じゃないんだけど、何だか気まずい。
重要な話があるからと、先週末は久しぶりに実家に戻った。神愛も一緒に。夕食は豪華に出前の特上寿司。でっかい寿司桶にはウニやイクラやアワビなどの、ほっぺが蕩けそうな大好物たちがドカンドカンと盛り込まれていた。
「千歳お疲れ様、ささ、主役なんだから遠慮なく食べるのよ」
大ぶりな中トロに舌鼓を打ちながら母が言う。
今週始まった入学願書の受付は出だし好調で、特に女子の希望者が予想以上に多いのだとか。締め切りまでまだ2週間あるんだけど、手応えは十分どころか十二分らしく、母のご機嫌は麗しく、最上級の寿司のご来光と相成った。ああ、ありがたやありがたや――
「ふわあ、このウニ美味し~い!」
主役の僕を差し置いて2個目のウニに破顔する神愛。僕は慌ててウニの軍艦巻きに手を伸ばす。
「父さんはシマアジをいただこうかな」
見ていた新聞を棚に放り投げた父は、握りに舌鼓を打つと僕を見据えた。
「残念だな、この世から絶世の美少女がひとり減るというのは」
「僕はまだやめるなんて言ってないよ」
「じゃあどうして今日は胸がペタンコなんだ?」
「きゃっ! 触らないでよヘンタイ!」
言ってしまって顔が熱くなる。親父に胸を触られて何叫んでるんだ? 咄嗟の反応がまるで乙女じゃないか――
「これは暫くリハビリが必要なようね」
「全部母さんの所為だろ?」
「あら、だったらどうして「やめたくない、もっと続けたい」な~んて言うのかしら?」
「それは……」
僕はまだ「うん」と認めた訳じゃない。それでも母は元いた男子校に戻ることを決定事項とばかりに手続きも進めているし、父もそうなると信じているようだ。
「お兄ちゃん、もう諦めたら? 眞名美先輩も了解したんでしょ」
神愛までもが母側に付く。この構図、ちょうど一年ほど前にもあった気がする。
「さあさあ、千歳のための特上寿司よ。どんどん食べなさい」
想い起こせばあの時はとんかつだった。母が差し出した脂身一切れで女装して高校に通う羽目になってしまった。今日は特上の寿司。あの時よりは誠意がみえるけど、まだ僕は納得していない。
赤貝を頬張りながら反撃の言葉を考える。
「なに、その不服そうな顔は? 特上じゃ足りないっていうの?」
「そうじゃなくってさ、どうして岳高に戻らなきゃいけないんだよ」
「あらまあ、まだそんなこと言ってるの? だって千歳は男の子でしょ?」
「一年前と言ってることが違わない?」
「時代は変わるのよ、だから性別も変わるのよ」
「変わるか!」
僕の抗議を華麗にスルーして、母の口車が軽快に回り始める。
「千歳は見事にミッションをクリアしたわ。4月からは次のステージよ」
「僕の人生、RPGかよ」
「はい、これがステージクリアのボーナスよ」
「…………」
目の前に白い封筒が突き出される。中身は夏目さんが1~2枚ってところかな。ゴクリと唾を飲み込む。でも、これを受け取ったら僕の負けだ。
「いらないの? 夏目さんが5枚よ」
「5まい…………」
脳裏に欲しいゲームのパッケージが浮かぶ。デラックス特装版(フィギュア付き)が買える。でも金銭の問題じゃない。僕にはマナに対する信義がある。ずっと僕を助けてくれたマナ。僕が男だって分かっても僕の女装の目的が彼女を騙すことだったって知っても、ずっと笑顔でいてくれたマナ。彼女を裏切るなんてできっこない――
「また遊里さんのこと? 彼女はとっくに了解してるでしょ?」
「それは、でも、本心からじゃなくって……」
「あら本心よ。決まってるじゃない」
「嘘だ」
「嘘なもんですか、ねえ神愛」
「んんぐんぐ……」
突然話を振られ、口に含んだイクラの咀嚼もそこそこに我が妹は「そうね」と言って少し考える。
「どうしてお兄ちゃんには分からないのかな、女心」
そりゃ僕は男だからだ、と当然のことを口にすると、神愛は僕をじっと見て小さく息を吐いた。
「だからでしょ、眞名美先輩が心配するの」
「そうよ千歳、春になって桜が咲いて女の子がいっぱい入学してきたら、今まで以上にバレないか冷や冷やものなのよ。遊里さんだって心配で堪らないでしょうね。千歳が岳高に戻るって言ったら、安心しましたって喜んでいたくらいだもの」
う~ん、と考える僕の目の前から中トロとウニとアワビが消える。ウニは狙っていたけれど、さっき1個は食べたので最後の1個は諦めることにした。そして気になっていた玉子焼きを箸で摘まむと口に放り込んだ。女心―― 自分で言うのもヘンだけどこの一年で僕はめっきり女らしくなったと思う。でもそれは見た目や仕草の事であって思考の本質はやっぱり男なんだろう、マナは僕が去ることを喜ぶはずだと母さんは言う。ううん、本当は理解できるのだ。マナはバレたときのリスクとか、僕のいろいろな日々の苦労も知っているから心配してくれているのだ。だけどそれでも僕は近くにいたい。マナの気持ちは違うのだろうか?
ふんわりとした玉子焼きが口の中でホロホロと崩れる。
本当にマナが了解したんだったら、僕の役目は終わりだけど。
それにしてもあの玉子焼きは美味しかった――
――窓の外はまだしんしんと雪が降り続く。
あの日以降もマナとはちゃんと話せていない。
一方、隣の席で教科書の竹取物語と格闘しているマナの眼差しはドキリとするくらい真剣で、声を掛けるのを拒んでいる。
僕は手元の教科書に意識を集中させた。
編入テストを受けるのなら恥ずかしい点は取れない。
今の天気と同じ気持ちで、それでも鉛筆を走らせる。ページをめくって辞書を引く。集中だ。2ページ、3ページ…… やり続けてどれくらい経っただろう、視線を感じて手を止めた。
「マナ?」
「ごめんなさい、邪魔しちゃった?」
「まさか」
僕の言葉に悲しそうに微笑んだ彼女は、次の瞬間大きく息を吸って向日葵のように咲いた。
「なんかさ、千歳はかぐや姫みたいだな、って」
分からない? と首を傾ぐと、僕にだけ聞こえる囁きが続いた。
「こうして千歳と一緒の教室で勉強できるのも、あと少しなんだね」
第8章 すれ違い 完
【あとがき】
いつもご贔屓ありがとうございます。遊里眞名美です。
さて、始まったときは入学ホヤホヤのピッカピカだったあたしたちも、もう少しで先輩になるお年頃。物語も大きく動く予感がしますね。
最初は何て綺麗で素敵な女の子なんだと思っていた千歳が、実は男の子で、しかもあたしを剛勇に引き留めるためにそこにいたなんて。思えば思うほど仰天の事実ですけど、怒りとか憤りとか、不思議とちっとも感じません。それはきっと千歳のことが大好きだから、ってだけじゃなくって、千歳こそ最大の被害者だと思うから、でしょうか。
ところで最近、更新の頻度が少ないとお叱りの言葉が聞こえてきます。いやホント、作者に成り代わり深くお詫びいたします。本当にごめんなさい。作者さんは最近、次のお話の構想を練っているらしいのですが、浮かんではボツ、浮かんではボツを繰り返しており、そのお陰かこの物語も全然進まず、まったくもって付ける薬がない状態に陥っております。そのくせ同人小説を買ってきて読みふけったり、夏アニメを片っ端から視聴したりと、自分は楽しんでるようで。ホントに付ける薬がありません。
あとでちゃんと言い聞かせておきますから、生暖かい目で見てやってください。
さて、次章の予告です。
いよいよ剛勇の入試が始まりました。
予想通りたくさんの女の子が受けてくれます。
ミッションを達成したはずの千歳やあたしたちですが、しかし、それは喜びの始まりではなく、別れの始まりなのでした――
次章「さようなら」も是非お楽しみください。
いつも笑顔がモットーの、遊里眞名美でした。




