第4話
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
約束の昼休み、早めに昼食を終えると本館1階にある学園長室を尋ねました。
扉を開くと正面には広い窓、陽光で明るい部屋には学園長の立派な机と豪華な応接セット。立っていた北丘学園長はあたしを認めると応接の長椅子を勧めてくれました。
「どう、学園生活は楽しい?」
当たり障りのない世間話から切り込んでくる学園長。あたしも当たり障りない言葉を返します。
「はい、とても」
「でも、女の子は少ないから色々大変でしょ?」
「そんなことはないです。姉小路さんもハリーさんも仲良くしてくれますし、男子のみんなもあたし達には一目置いてくれますし」
「ねえ遊里さん、もしもだけど、その姉小路さんが転校したら?」
「え?」
突然の言葉に一瞬思考がフリーズしました。千歳が転校する? そう言えば千歳も言ったことがあります。2年になったらここからいなくなる、と。あたしは停止した脳細胞を必死に再起動します。北丘学園長があたしをここに呼んだ理由はこの話をするため? 学園長先生は千歳のお母さん、だから転校するのであれば、それを知っているのは当然です。でも、そのことをどうしてあたしに?
「驚かせちゃった? でも遊里さんは知ってるんでしょ、千歳の秘密」
「姉小路さんの、秘密……」
知ってます。千歳は男の子。すっごく美人で優しくて、成績だって学年トップ。男子たちの憧れの高嶺の花の千歳は、だけど女装した男の子。でも、学園長先生が言う秘密ってそのことなのかな? どうして北丘学園長がそのことをあたしに?
言っていいのかいけないのか。だってこの秘密は千歳とふたりの秘密。軽はずみなことで口にしちゃいけません。例えそれが学園長先生であろうとも――
「そうね、遊里さんの口からは言えないわよね」
北丘学園長は頬杖をついてあたしを見つめるとにやりとしました。
「千歳が男の子だって事」
予想はしていましたが、でも頭が混乱します。あたしは言葉を探しきれずに、ただ小さくこくんと頷きました。
「ごめんなさい、やっぱり嫌だった?」
「いやだなんて、そんなことありません。千歳さんと一緒で嬉しいです」
あたしは思わず拳を握りしめていました。
「あらそう、それは良かったわ」
泰然と微笑む学園長先生、彼女は何のためにあたしをここへ呼んだのでしょうか?
もしかして、隠していたことを謝るため?
それとも口止めのため?
色々ぐるぐると考えながら、じっと学園長先生の顔を見ます。
「どうして気づいたの? やっぱり言葉遣いとか仕草とか?」
「いえ、そうじゃなくって……」
あたしは千歳の部屋で見たテディベアの話をしました。同じテディをあたしも持っていて、でもエプロンの色が違ったことを。あたしのはピンクで千歳は水色だったことを。そこまで話すと学園長先生は大げさに「ああ、なるほど」と頷きました。
「それがなければ男の子だって分からなかったかも知れません」
「千歳ったら、あのクマ好きだったのよね~。男の子なのに抱いて寝たりして」
ふふっ、と笑った学園長先生。あたしは千歳がテディベアを抱いて寝る姿をイメージしました。凛として美しく、みんなの憧れの千歳がクマさんを抱いてムニャムニャと寝ぼける姿を――
「ふふふふっ、かわいい」
「でしょ? あの子は小さい頃からおとなしくて人見知りだったのよ。友だちも少なくて気弱で、男の子と言うより優しい女の子みたい。お陰で育てるのは楽だったけど、こんなので男の子として大丈夫かって思ってたわ。だから思い切って千尋の谷へ突き落としたの。使命を持たせて女装させてここに入学させてね。そうなったら、もう人見知りなんて出来ないでしょ? ショック療法ね。あの子、顔立ちが女の子っぽいし」
驚きました。
千歳の女装にそんな背景があったなんて。あたしは興味津々で相づちを打ちながら次の言葉を待ちます。
「で、遊里さんは今の千歳をどう思う?」
「どう思うって?」
あたしの疑問に理事長先生は目を細めてこちらを見るだけ。少し考えたあたしは言葉を続けました。
「千歳はとても頼りになります。いつも堂々としていて男子からも一目置かれていて、みんな次の生徒会長は姉小路さんしかいないって言ってます。あたしには人見知りで気弱な千歳なんて想像も出来ません」
「そう。ありがとう」
大きく深呼吸をした彼女は席を立ち、窓辺に歩いていきました。
「あのね、遊里さん、お願いがあるの」
振り返りあたしを見つめた学園長先生は、ちょっと神妙な面持ちで。
「千歳を4月から岳高に転校させようと思うの。中学までそこだったから、戻るって言った方が近いけど」
岳高ですか!
岳高って言ったら日本でも一二を争う難関校じゃないですか。道理で千歳は飛び抜けて賢い訳です。
「あなたには寂しい思いをさせちゃうけど、許して貰える?」
――あ、これが本題なんだ。
千歳がいなくなるって。
そんな。
そんなの嫌です。
嫌だけど――
でも、あたしは考えます。
千歳が剛勇に来た理由、それは来年女子生徒を100人入学させるため。そのために千歳だけでなく、サリサリもあたしも頑張ってきました。そしていま、その目標は達成されそうな勢いです。だから千歳のお役は御免となってここからいなくなる。それは千歳からも聞きました。それを今、千歳のお母さんである学園長先生にあらためて告げられたわけです。千歳がここにいる理由、それには気弱な性格を変えるという意味もあったわけで、それもきっと大成功。だったら、あたしがなんと言っても千歳はいなくなるのでしょう。
あたしは意を決して答えました。
「勿論です。それが千歳のためになるのなら」
「良かったわ。でもね、千歳はあなたが了解しない、って言い張って困るのよ」
窓辺からこちらに歩み寄りながら学園長先生。
「だからね、遊里さんも千歳の船出を応援して欲しいのよ」
彼女にじっと見据えられ、あたしは小さく「はい」と答えました。