第6話
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
火曜日。
遊里眞名美の朝は早い。
夜明け前、目覚ましを止めると洗面を済ませ、お母さんと一緒に朝食とお弁当を作ります。
今朝はオムレツに緑のサラダ、缶詰フルーツとヨーグルト、ミルクたっぷりのバナナジュース、そしてこんがりトースト。遊里家の朝食は洋食、と言うわけではなくて日によって和食だったり洋食だったり、時には中華風のお粥だったり気まぐれです。
大きなテレビには予約録画した「歌うアイドルアニメ」を再生して、お母さんと一緒に堪能するの。ただし、6時半にお父さんが起きてくると、つまらないニュースに切り替えますけど。
6時40分。「いってきま~す」。昨日は学校に早く着きすぎたからこれくらいでちょうどいいはず。早朝の澄んだ空気を美味しく感じながら、これから電車に揺られて1時間半の旅が始まります。
しかし、困ったことになっちゃった――
「はあ~~~っ」
つり革に体重を預け窓の外を眺めていると、盛大な溜息が出ちゃいます。
(しまった!)
慌てて周りを見て確認、でも乗客は皆スマホや本に夢中で誰もあたしのことなど気にしちゃいません。
(千歳って綺麗だな~っ)
昨日のことを想い出すとまたまた溜息が出そうになっちゃう。
学校で唯一の女友達、姉小路千歳。
先週末の入学式、涼しげな眼差しで優しく声を掛けてくれた千歳。超が100個付いても足りない美貌にスタイルも抜群。さらさらの黒髪はリンスのCMを見ているみたいで、こんなに綺麗な女の人がいるなんて信じられませんでした。それなのに「これから仲良くしましょうね」って気さくに笑いかけてくれました。表情筋がとろけちゃった。お喋り好き、って感じはなくって、お高くクールな印象だけど、あたしに気を使ってくれたのかな、色々とお話ししました。中学の時のこととか、好きな本とかマンガとか、剛勇の近くに美味しいカフェがあるとか。
千歳は聞き上手です。あたしばっかり喋っちゃったけど、ずっと素敵な笑顔で聞いてくれました。あたしを優しく包んでくれました。
「はあ~~~っ」
いけない、また溜息が出ちゃった。
でも、だからこそ困ったことになっちゃった。
そんな千歳を残してあたしだけ学校を辞めるなんて――
どうして千歳は剛勇学園に入学したのでしょう?
あたしにはちゃんと理由があります。
高校受験。先生が勧める学校は剛勇より近くて、難易度もお手軽でしたけど行きたくありませんでした。中学の知り合いがいないところに行きたかった。別に誰が嫌いとかそう言う話じゃないけれど、思い出したくない事件があったから。だから、昔転校しちゃった仲良しが受けるって言う剛勇に絞ったんです。レベルは高かったけど一生懸命勉強して何とか合格。嬉しかった。女子が圧倒的に少ないことは知ってましたけど気にはなりませんでした。だって仲のよかった友だちもいるし――
でも、あたしの友だちは誰も剛勇に来ませんでした。トーコは不合格、モリッチは合格したけどトーコと同じ高校に行きました。結局入ったのはあたしだけ。
「剛勇やめてこっちにおいでよ」ってモリッチは誘ってくれたけど、受けてもないところに行けるわけありません。そう、あたしは浅はかだったんです。
千歳も同じような理由なのかな?
それともあたしが考えてもない全く違う理由かな?
いずれにしても、女子がたったふたりしかいない高校に来るなんて、きっと訳ありです。
昨日、初めての授業の日、千歳は男の子たちに混じっても堂々としていて、普通に世間話とかゲームの話とかしてました。
しかし、言い寄る男の人には容赦なかった。氷のような言葉でバッサバッサと切り捨てました。それはもう、いっそ清々しいほどに。入学早々から言い寄る男の人もどうかと思いますけど、それでも捨てられた男性が可哀想になるほど冷酷な切り捨て方。男の人でも告白とか、ナンパじゃなければごく普通に、いいえ、どっちかというと親切に対応する千歳ですが、交際を求めてきた男子には即座に死刑を宣告しました。
でも、そんな千歳は格好良かった。女が女に惚れるってこういうことなんだって思っちゃった。あたし、百合とか乙女の園とか、そう言う趣味は全然ないんだけど、一緒にいるとドキドキしちゃった。あたしってば変になったのかな?
中学の先輩にも凄い美人はいました。学校中の男子の憧れの的みたいな。だけど、近くにいてもドキドキなんかしなかった。でも千歳は違う。ドキドキする。うっとり見惚れちゃう。心までとろけちゃう。女の子ってあんなに綺麗になれるんだ――
「はあ~~~っ」
いけない、3回目の溜息だわ。注意しなくちゃ。
だけど千歳はどこかよそよそしいのです。
入学式、あたしは「遊里さん」って苗字で呼ばれました。
「マナって呼んでね。友達にもそう呼ばれてるんだ」
「わかったわ」
だけど、次に千歳の口から出てきた言葉は「マナさん」。
つい怒っちゃった。
温泉の話もそうでした。
春休み、千歳は九州の温泉に行ったんだそうです。天然の露天風呂から牛の群れが見えたんだとか。とても楽しそうだったから「あたしたちも一緒にお風呂に入りたいね」って言ったら急に口をつぐんじゃった。
ホントは千歳、あたしのこと好きじゃないのかな。
だけど女の子はふたりだけだし、仕方なく一緒にいてくれるのかな。
あたしはこんなに大好きなのに――
電車を乗り換えると、流れるビルを眺めます。
「剛勇はやめてマリアナ女子に転校しなさい。もう許可は貰ってきたから。小学校の時に仲がよかった森尾さんって子もいるんだろ?」
昨晩のことでした。
父も母も剛勇が男ばかりであることを心配して、あたしに転校を命じました。マリアナ女子なら剛勇より近いし、親友のモリッチもトーコもいる。しかも、剛勇の生徒なら編入試験も形式だけでよいとのこと。噂では剛勇は共学になることが男子には好感されたらしく、今年更に難易度も上がったんだとか。
もし剛勇に千歳がいなかったら、あたしには何の迷いもなかったでしょう――
朝の旅はもうすぐ終わります。
駅を出て、長い坂道を上り詰めると学校が見えてきました。
始業までまだ30分あるというのに、校門のあたりがやけに賑やかです。
ラグビーボールを持った人、柔道着の男子、金属バットを持った生徒もいるし、和装で扇子を振り回す人もいます。白衣の生徒はプラカードを掲げています、「おいでませ科学部へ」。ああ、と思いました。部活の勧誘だ。そう言えば昨日、迪子先生が言ってましたよね、「うちの学校の勧誘は派手なバトル系だから注意してね」って。
ホント、ド派手だわ――
ぼんやりとそんなことを思いながら、あたしは校門をくぐりました。
その時はまだ、そのド派手な連中が野獣の群れだなんて気付かなかったから。
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