第10話
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
文化祭の準備は順調に進んだ。
口づけのシーンは透明なアクリル板を間に挟んでしようと言うことになった。僕の相手方が透明のアクリル板を持って、キスの瞬間くちびるの間に挟むのだ。最初は僕がアクリル板を持っていたのだが、そうなると、その板の反対面は複数の人が間接キスをすることになる。だから相手方がみんなアクリル板を忍ばせて舞台に上がることになった。それでもやはりキスシーンには強い抵抗があった。それはもう、気分的には本当にキスしているのと変わらない位にエロ恥ずかしい。嘘だと思うんならあなたの恋人としてみて欲しい。恋人がいなけりゃ友だちに頼んて、もし、友だちもいなけりゃお父さんお母さんにお願いして、窓ガラス越しにキスしてみよう。顔が近づいてくるだけでてドギマギしてしまうはずだ。思わずうっとり目を閉じてしまう人もいるかも知れない。だからこれ、相手が好きな人ならいいんだけれど興味もない同性相手だったら吐きそうになる。ま、人によって同性ウェルカムって人もいるのだろうが、僕にその趣味はない。男の唇が迫ってくると思わず殴りたくなるのは仕方のないことだと思う――
「はい百合姫さま~、そこはうっとり目を瞑る~っ!」
演技指導担当の映研・淀川部長が黄色いメガホンで叫んだ。
僕は目の前に迫ってくる西園寺くん扮する「意地悪な姉A」を押しのけ、淀川先輩の方を向く。
「こんな気持ち悪い状況で、目を瞑るなんて出来ないわ!」
「気持ち悪いって、酷いなあ……」
西園寺くんがガクンと項垂れて凹む。すまん西園寺、別にお前だからじゃないんだ。男はみんなパスなんだ―― 練習は学ラン姿だけど、本番では金のドレスにお化粧で女の子に化ける西園寺。だけど女装しようとしまいと関係ない、気持ち悪いものは気持ち悪い。
「芝居だよ芝居。アクリル板も挟んでるじゃない!」
淀川先輩はあきれ顔。
「そんなこと言っても、男の顔が迫ってくるのよ」
「じゃあ、男のお尻に迫られたい?」
「死んでもイヤ」
「だったらもう一回、顔で迫られてみよう!」
黄色いメガホンが振られる。
「姫さま、わたくしこそがあの時のお相手です」
「ならばその唇に触れさせよ」
こうなりゃヤケだ。僕は覚悟を決めて目を閉じた。
「ひ、ひ、ひめさ…… ま…… ッ!」
ドサッ
プシュ~~~~~
気付くと真っ赤な顔をした西園寺くんが仰向けに倒れていた。
「どうしたの西園寺くん、死んじゃダメよ!」
「キスした…… 千歳さまとキスし、た……」
西園寺くんはヨダレを垂らしたまま息途絶えて――
じゃなくって、幸せそうな顔をして気絶していた。
「あ~も~ 誰か西園寺を廊下に放り出してくれ。次のシーン行くぞ!」
次のシーン、実はこれこそが僕にとって一番の難関、意地悪な姉Bとのキスシーン。
相手は今回のキスシーンで唯一正真正銘の女の子で、しかも金髪美少女のサリーだ。
「千歳とのキスシーンは強烈わよ。アタイも気絶しちゃうかもわよ」
いつも大胆なサリーに珍しく、映研の連中に背中を押されて、尻込みしながら前に出る。
「女の子同士だから問題ないだろ」
そんな周囲の声にサリーは反駁する。
「性別なんて関係ないわよ、意識しちゃうわよ、千歳は綺麗だから恋に落ちちゃいそうだわよ」
紅色に頬を染めてモジモジするサリーは、ちょっと可愛い。
「じゃあ、あたしと代わりましょ?」
にっこり微笑んで出てきたのは継母役のマナ。そう、彼女にキスシーンはない。
「あたしなら気絶しないでやってみせるわ」
「かっ、代わらないわよ。アタイだって出来るわよわよ!」
マナはサリーを叱咤しようとしたのか、それとも本当に代わりたかったのか分からないけど、ともかくサリーは前を向き、気合いを入れた。
「じゃあ、意地悪な姉Bのシーン、スタート!」
僕とサリーは向かい合った。ぎゅっと口を結んで気合い十分のサリーは台本通り僕の背中に手を回す。ぱっちりとした瞳にスッキリ高い鼻。サリーの美貌が迫る。僕だって緊張する。西園寺くんの時とは違う緊張。だって相手は女の子、しかもすっごい美少女。何て美味しそうな桜色―― マナはどんな気持ちで見てるんだろう? 一瞬そんなことが過ぎる。彼女の役はシンデレラの継母役、キスシーンはおろか舞踏会で一緒にダンスを踊るシーンもない。だから余計に気になってしまう。いけない、今はお芝居の真っ最中。集中しなくちゃ。僕もサリーをスッと抱き寄せる。
「姫さま……」
蕾のようなサリーの可憐な唇がアクリル越しでも迫ってくる。
「…………」
西園寺くんの時とは違う緊張、僕は目を閉じずにじっと彼女を見つめていた。サリーは意を決したように目を閉じるとアクリル越しに――
チュッ!
「?!」
彼女のアクリル板越しのキスは僕の頬に触れていた。
「uuuuu…… embarrassed! ムリわよ、ムリムリわよ、恥ずかしいわよ!」
顔を手で覆い、しゃがみ込むサリー。
僕も不思議な安堵感に襲われる。
「ああもう、根性がないヤツらだな、俺が見本を見せてやる!」
痺れを切らした淀川先輩、立ち上がると予備のアクリル板を手に持った。
「じゃあ姉さん、僕を意地悪な姉Bに見立ててくれるかな」
いきなり演技見本が始まった。長髪に銀縁メガネ、逆三角形の骨張った輪郭の淀川先輩の顔がアクリル越しに迫ってくる。僕はちょっと慣れたのか、彼に少し微笑んだ。
「ひ、ひ、ひめさ、ま…………」
ブ~~~~~
ええ~っ!!
「淀川(先輩)~!}
みんなの声がこだました。
淀川先輩が鼻血を吹き出して倒れたのだ。
「よどがわ~っ! 大丈夫か~っ…… って、なんて幸せそうな顔なんだっ!」
鼻血とヨダレにまみれた淀川先輩を一瞥したシンデレラ役の築城先輩は、みんなに向かって「今日はここまでにしよう」と一言。あっさり解散を告げたのだった。